大江歌罷掉頭東, 邃密羣科濟世窮。 面壁十年圖破壁, 難酬蹈海亦英雄。 |
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大江歌罷
大江の歌 罷みて 頭を掉りて 東し,
邃密なる羣科 世の窮れるを 濟はん。
面壁 十年 壁を破るを 圖り,
酬はれ難き 海に蹈みだすも 亦た 英雄。
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◎ 私感訳註:
※周恩来:江蘇省の人。1917年に日本に留学、東京神田区高等予備校(現法政大学付属学校)で学んだ後、早稲田?明治?に通学した。帰国後、南開学校(南開大学)に戻り、1920年、フランスに留学。この年に起こった五・四運動に参加、第二次世界大戦中は国共合作や抗日戦に活躍し、戦後は毛沢東をたすけ中国共産党、中華人民共和国の樹立に貢献。中華人民共和国国務院総理。中国共産党中央委員会副主席。1896年~1976年。
※大江歌罷:『大江』の歌が吟じ終わって。この作品は、作者が日本へ旅立つ前の決意を詠ったもの。 ・『大江東去』:『大江東去』は詞牌
。
※大江歌罷掉頭東:『大江』の歌が吟じ終わって、(頭を)振り向けて東の方の(日本へ)向かう。 ・大江:蘇軾の『念奴嬌』 「大江東去,浪淘盡、千古風流人物。故壘西邊,人道是、三國周郞赤壁。亂石穿空,驚濤拍岸,卷起千堆雪。江山如畫,一時多少豪傑。 遙想公瑾當年,小喬初嫁了,雄姿英發。羽扇綸巾,談笑間、檣櫓灰飛煙滅。故國神遊,多情應笑我,早生華髪。人間如夢,一樽還酹江月。」のこと。蘇軾のこの『念奴嬌』 には「三國周郞赤壁」とある。もちろんここでの「周郎」とは三国・呉の周瑜のこと。なお、詞牌の『念奴嬌』は蘇軾のこの作品以降、多くは『大江東去』といわれるようになった。 ・歌:ここでは、『大江東去』
のことになる。 ・罷:〔は(ひ);ba4●〕やめる。終わる。 ・掉頭:〔たうとう;diao4tou2●○〕(頭を)振り向く。また、かしらをふる。事がらを否定するさま。ここは、前者の意。 ・東:東する。東へ行く。東の方の日本へ行くこと。動詞。
※邃密羣科濟世窮:深くて詳しい諸科学で、世の行き詰まりや貧窮を救おう。 ・邃密:〔すゐみつ;sui4mi4●●〕深くて詳しい。奥深くて静か。 ・羣科:諸科学。色々な学問。 ・濟:〔さい;ji4●〕救う。人がそれで助かること。難儀の場を向こうへ越させてやる意。 ・世窮:世の行き詰まり。世の中の貧窮。
※面壁十年圖破壁:十年間、壁に向かって学問をして、壁を打破しようとした。 ・面壁十年:達磨大師のことでもある。 ・面壁:壁に向かって(坐禅を組む)。 ・圖:はかる。 ・破壁:壁を撃ち破る。
※難酬蹈海亦英雄:(項羽の行為も英雄であったが)危険を冒して海を渡るのもまた英雄である。 *英雄・項羽は敢えて江を渡らなかった故実に因ろう。『史記・項羽本紀』では「於是項王乃欲東渡烏江。烏江亭長
船待,謂項王曰:『江東雖小,地方千里,衆數十萬人,亦足王也。願大王急渡。今獨臣有船,漢軍至,無以渡。』項王笑曰:『天之亡我,我何渡爲!且籍與江東子弟八千人渡江而西,今無一人還,縦江東父兄憐而王(この王は動詞)我,我何面目見之?縦彼不言,(項)籍(=項羽)獨不愧於心乎?』」
とある。周恩来は杜牧や秋瑾の立場(杜牧の詩『烏江亭』「勝敗兵家事不期,包羞忍恥是男兒。江東子弟多才俊,捲土重來未可知。」
、秋瑾の詩
、李清照の詩『絶句 烏江』「生當作人傑,死亦爲鬼雄。至今思項羽,不肯過江東。」
)を取っている。 ・難酬:なかなかむくわれない。むくわれがたい。 ・蹈海:〔たうかい;dao3hai3●●〕海に身を投げる。投身自殺をする。ここでは、危険を冒して海を渡るの意で使われている。秦に帝号をたてまつろうとする者があることを聞き、魯仲連が憤慨し、秦の支配を受けるよりは東海に身を投げた方がましだといった故事。『史記・魯仲連鄒陽列傳第二十三』に「彼秦者,弃禮義而上首功之國也,權使其士,虜使其民。彼即肆然而爲帝,過而爲政於天下,則連有蹈東海而死耳,吾不忍爲之民也。』(中華書局版『史記』624ページ 二四六一頁)とある。明治政府が清国政府の依頼に基づき、反清活動、革命運動をする清国人留学生を取り締まる『清国留学生取締規則』制定したことについての抗議運動で、海に身を投げた陳天華
や、東海を埋(うず)めようとした神話の精衛を指すか。(蛇足になるが、国語(=日本語)で、「ふむ」(音読み「とう」)と読む字に「踏」「蹋」「蹈」があるが、「蹈」は〔たう;dao3●〕で、「踏」「蹋」は〔たふ;ta4●〕で、前者と後二者とは別字)。「踏海」〔たふかい;ta4hai3●●〕(時世を慨して)海に身を投げる。投身自殺をする。 ・亦:…もまた。
◎ 構成について
2007.12.2 12.4 12.8完 2015.7.23補 |