十月二十五日(日)~二十七日(火)に道後温泉に行った。四国の道程は厳しかった。
この詩は、瀬戸内海を見て作った。
(MEMO:)二十五日:新大阪9:18→岡山10:10・10:34→松山13:15→道後温泉(泊)
二十六日:子規記念博物館→道後温泉→松山・秋山兄弟旧居→松山城→道後温泉(泊)
二十七日:石手寺→松山駅14:23→岡山17:11・17:23→新大阪18:38
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・伊豫海: |
伊予灘は四国の西北だが、わたしの見た海は北側の瀬戸内海側。水軍を育んだ愛媛県の海。 |
・天塹: |
天然の塹壕。天然の要害。長江などの大河の比喩としても使われる。ここでは、瀬戸内海の意として使う。北宋・柳永が「東南形勝,三呉都會,錢塘自古繁華。煙柳畫橋,風簾翠幕,參差十萬人家。雲樹繞堤沙。怒濤卷霜雪,天塹無涯。」 とあり、ここでは、現代・毛沢東の『調歌頭・游泳 』「纔飮長沙水,又食武昌魚。萬里長江橫渡,極目楚天舒。不管風吹浪打,勝似閒庭信歩,今日得寬餘。子在川上曰:逝者如斯夫! 風檣動,龜蛇靜,起宏圖。一橋飛架南北,天塹變通途。更立西江石壁,截斷巫山雲雨,高峽出平湖。神女應無恙,當驚世界殊。」 に依る。 |
・東海: |
日本国の異名。 |
・軍師: |
参謀。ここではロシアのバルチック艦隊を邀撃・撃滅作戦を立案し、日本海海戦を勝利に導いた伊豫の名将・秋山真之参謀を謂う。 |
・弄潮: |
水泳などをする。 |
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