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胡沙



蔡琰長歎十八拍,
至今切切使人憂。
誰嘯靑山易水賦,
武王爲贖返神州。




                                               
       胡沙

蔡琰(さいえん) (とこし)へに(たん)ず  十八拍,
今に至るも 切切  人をして(うれ)へしむ。
(たれ)(うた)はん  靑山(せいざん) 易水(えきすゐ)の賦を,
武王( ぶ わう) (ため)(しょく)して  神州に(かへ)らしむ。


     ***************** 

・胡沙:シリアなどの西方の砂漠に巻き起こる砂煙。

・蔡琰:後漢末~三国・魏にかけての詩人。匈奴に拉致されて、匈奴王の側室となる。後に、魏・曹操が匈奴に金や玉で贖(あがな)って帰国させた。字は文姫。『胡笳十八拍』や『悲憤詩』 がある。

・十八拍:前出・蔡琰の詩・『胡笳十八拍』のこと。

・靑山:墓所。墓所とすべき青い山。『靑山賦』幕末・釈月性の『將東遊題壁』「男兒立志出郷關,學若無成不復還。埋骨何期墳墓地,人間到處有靑山。」(或いは「男兒立志出郷關,學若無成死不還。埋骨何期(豈惟)墳墓地,人間到處有靑山。」)を指す。毛沢東にも同様の詩・『留呈父親』がある。

・易水:河北省を流れる川。太行山脈北部の五廻嶺に源を発し、大清河に合流する流れで、燕の国境を流れた。ここでは、燕の壮士・荊軻の『易水歌』「風蕭蕭兮易水寒,壯士一去兮不復還。」を指す。『史記』・刺客列傳では、次のようになっている。戦国七雄の一、燕の太子丹より、強大になってきた秦国を抑えるため、秦王政(後の統一秦の始皇帝)の暗殺を命じられた荊軻は、匕首を授かり秦に向かって旅立つ。決死の旅ゆえ、太子をはじめ皆は白の喪服に身を包んで、燕の国境である易水のほとりまで見送り、惜別に際して、高漸離が筑を奏で、荊軻がそれに合わせて歌ったのがこれ「風 蕭蕭として易水 寒く,壯士 一たび去りて 復た 還らず。」である。これを聞いた皆は瞑目し、髪は逆立って冠を突いたという。『史記』卷八十六・刺客列傳第二十六には、その場面を次のように記している:「太子及賓客知其事者,皆白衣冠以送之。至易水之上,既祖,取道,高漸離撃筑,荊軻和而歌,爲變徴之聲,士皆垂涙涕。又前而爲歌曰:『風蕭蕭兮易水寒,壯士一去兮不復還!』復爲羽聲慷慨,士皆瞑目,髮盡上指冠。於是荊軻就車而去,終已不顧。」(羽声:音楽用語。五音の一。)とある。

・神州:中国の美称。また、日本の美称。ここでは、前者の意。

・武王:曹操のこと。また、一国の政治指導者。

・贖:あがなう。質を受け出す。現代風に言うと300000000円支払う。

平成三十年十月二十四日




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