毛主席接見百万群衆
この姿は一時、とても広まりました。1966年8月18日に毛沢東は、天安門上で100万人の紅衛兵と大衆に接見した後から出回りました。これを眺めて多くの中国人は、奮い立ったことでしょう。尤も、これが「十年浩劫」の始まりを告げたものでもあったでしょう。
現在、この頃の様子については、現中国の出版物は、簡潔にそのことに触れているだけです。以下にその一節を紹介いたしましょう。
「1966年8月18日,毛沢東身着軍装,佩戴紅衛兵袖章,在天安門城楼上接見了来自全国各地的百万群衆和紅衛兵,表示対紅衛兵運動的堅決支持。」(「文化大革命簡史」席宣、金春明著)
(佩戴:身につける./紅衛兵:政治活動をしている学生./袖章:腕章./了:
…た。
/和:
…
と/的:…の/堅決:断乎として)
なおこの写真は当初に発表されたものから修正が加えられています。元の写真では、紅衛兵の腕章の文字は黒の墨書なのですが、これはその後に広く使用されだした黄色の文字の腕章の製品にあわせて、修正されています。また、元の写真では、右手の下に建物が遠望できますが、これでは、一面の森になっています。これが1966年度に8回行った接見のうち、8月18日のものだとすれば、この軍服は、毛沢東自身の物ではなく、劉雲堂の物で、腕章は女子紅衛兵の宋彬彬(後、毛沢東の言葉により、改名して 宋要武)につけてもらった物です。ある本に拠ると、「毛沢東は、橙色の腕章をつけてもらった」となっているそうですが、つけている瞬間の写真でも、やはり腕章の文字の色は、黒いようです。きっと、修正後のこの写真の影響を受けたのではないでしょうか。背景を空色一色にした、この写真の大きなパネルもあったようです。
ところで、宋彬彬をはじめとする人たちは、今、一体どうしているのでしょうか………。
この頃の毛沢東は、「
偉大的導師、偉大的領袖、偉大的統帥、偉大的舵手
毛
主席,万歳,万歳,万万歳!」
と讃えられていました。(「
偉大な教師・偉大な指導者・偉大な統帥者・偉大な舵取り 毛主席……
」という意味です。なお、この「万歳、万歳、万万歳」は、嘗て宮中で臣下が皇帝に対しての讃え言葉で、今でも時代劇では、「** 万歳、万歳、万万歳」と言っているのを耳にします。)
ちょうどその時に、よく歌われた偉大なる舵取りの歌「大海航行靠舵手」(「大海を行くには舵取りにたよる」/
靠:たよる
)の歌詞を次に紹介します。
大海航行靠舵手
万物生長靠太陽
雨露滋潤禾苗壮
幹革命靠的是毛沢東思想
魚児離不開水呀
瓜児離不開秧
革命群衆離不開共産党
毛沢東思想是不落的太陽
(靠:たよる/滋潤:潤おす/禾苗:稲など穀類の苗/幹:する/的:の/是:は…だ。/魚児:魚。「児」は、名詞等の接尾辞。訳せない。「子供」の意味ではない/離不開:離れられない。「離開:離れる」の不可能を表す形)
平仄:この歌は、べつに平仄に拘泥していない。押韻は、疑似の陽韻とでもいうべき「-ang」
韻で、現代詩でよく見受けられる現代語の押韻。(あえて昔風に見ていくと、「陽」・「秧」は、陽韻でy
ang
。これ以外は、仄声。「壮」=zhu
ang
の仄声(
去声
)。「想」=xi
ang
の仄声(
上声
)。「党」=d
ang
の
仄声
(上声)
となる。)
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