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紅軍不怕遠征難



 八角帽を被ったこれも有名な写真で、一時は、バッジになったり、皿の絵になったりと、よく見受けられました。所謂万里長征後の陜北根拠地のころの写真でしょう。
 長征とは、江西省の井岡山や瑞金の根拠地にいた中国紅軍が、一九三四年夏に、国民党軍の数度に亘る包囲攻撃を支えきることが出来なくなり、江西省根拠地から撤退し、追撃を受けながら、苦難の末 丁度一年後、陜北根拠地にたどり着いた、この軍旅を指します。行程は一万二千キロメートルにもなるそうです。そこで「万里長征」「二万五千里長征」とも謂われているわけです。(日本の1里は約4kmですが、中国の1里は、古代は300歩や360歩、現在は500mです。1公里といえば1kmのことです。ですから、前者の言い方はは公里、後者は、華里ということになります。)
  但し、詩では、数値は、あまりあてにできません。というのも、一から十、百、千、万、億…と数字があるうち、平声は、三と千だけで、あとは、上声や去声、入声等のの仄音です。ですから、「三千」は、平平としたいところに使われるので、「三千里地…」(平平仄仄…)、「三千里路…」(平平仄仄…)「三千」「三千」等と、多く使われたのでしょう。
但し、この平仄(音の高低等)から来る美しさは、日本人の私たちには、味わうことは、できません。
  しかしながら、韻文としての味わいは、日本語からでも、ある程度までは、できます。平仄つまり、声調の問題だけでなく、この「三千里地…」というのは、朗誦して、なめらかにいえることは、日本語の音からでも想像できます。「三、千…」は、「さん、 ぜん・り、 ち…」(現代語では、san qian li di…)。「三千里路…」は、「さん、 ぜん・り、 ち…」(現代語では、san qian li lu…)というぐあいに二字毎で組になっているのが、形からでもよく分かります。
  「万里長征人未還」(王昌齢)も「仄仄平平…」とする必要があったところですし、「千山万水」は、絶対に「万水」とできませんし、「三千丈…」も、遠慮して「白髪十丈…」とはできません。ここは「千」(平)しかだめなところです。
  どうも漢詩の数値は、実体を表すためではなく、より美しい「メロディー」をつくりだすためのようでもあったようです。
以上、蛇足を長々と述べてしまいました。

次の詩は、七律 長征 です。
 

七律 長征 

紅軍不怕遠征難
万水千山只等閑
五嶺逶騰細浪
烏蒙磅走泥丸
金沙水拍雲崖暖
大渡橋横鉄索寒
更喜岷山千里雪
三軍過後尽開顔


zhuzhangこの詩の意味





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