二十代のとき歯医者でレントゲンを撮ったら全く親知らずがなく、 「抜きましたか?」と聞かれたが永久歯は一本も抜いた記憶がない。 生まれつきなかったのかも知れない。
2000-07-06 (4) 01:32:28 +0900
まだそれが何かは(ここでは)秘密。 ライトセーバーとかのような本物の武器ではないのでご心配なく。 しかし、理くつで考えて努力してるのにいつまでも成功しないとは、 まるでノートゥングを鍛え直そうとするミーメのようだ(苦笑)。
2000-07-06 (4) 01:16:29 +0900
廊下の掲示に談話会の前の Tea にはドーナツが出ると書いてあったので、 おなかの空き具合を調節して Tea の開始と同時に行ったのに、 ドーナツはなかった。 その掲示は古く、今年度は他のお菓子なのだそうだ。 私はそれほどドーナツ好きではなく、 穴は食べずに残すぐらいだからどうでもいいようなものだが、 食べられると思ったものが食べられないと恨みが残る。 食い物の恨みは恐ろしい(かもしれない)。
職場から歩いて帰る途中、 ネコと思われる動物の死体を見た。 まだ生きているように新しかった。 自動車にはねられたのだろう。 私はネコに関しては結構“面食い”なのだが、 決して私の好みのタイプではなかった。 黒ネコ。
夕食は私の好きなおかずナンバー5には入選するアジの干物だった。 おなかが空いていたのであわてて食べたら骨が歯のつけ根に刺さった。 右下の一番奥の歯の奥側で、触るとわかるが、つまみ取ることができない。
2000-07-06 (4) 01:14:06 +0900
帰り、 家の近くで、 異常に大きな音をだして走るバイクが目の前で曲がっていった。 十メートルは離れていたと思うが、 ちょうどそのバイクの真後ろになったとき、 顔に当たる空気と、排気ガスの匂いを感じた。 大きな音が出るように改造されているせいかもしれない。 勢いよく噴射された空気が耳に当たって鼓膜が破れる、 ということもあるのではないか。 気をつけよう。
2000-07-05 (3) 00:31:18 +0900
日本数学会のこの春の大会は早稲田大学で行われたが、 その会場案内地図は一枚で大学周辺とキャンパス内をカバーしており、 キャンパス内の部分は普通の地図なのに大学周辺の道はデフォルメされていて、 理工学部のある「大久保キャンパス」から総合講演のあった 「西早稲田キャンパス」まで移動したとき、 ところどころに立っていたアルバイトの学生の指示どおりに歩くと地図の上ではずいぶん遠回りしたようにみえる、 ということを一緒に歩いた人の一人に指摘された。
(私は数学会からきた案内のうち必要な部分だけをコピーしてもってゆく。 このネタをここに書こうとそのコピーの処分はしないでいたのが書類の山の中からいま出てきたのでいまここに書く。 どんどん書いてどんどん捨てよう。 とはいっても、すぐには捨てずに裏を計算用紙として再利用するのだが。)
2000-07-04 (2) 22:57:57 +0900
先々週の木曜日、 ビデオリサーチ社の使いの人がきて、 私がラジオの聴取率調査に協力することになってしまった。 前もってはがきがきているはず、といわれたが、それはこなかった。
月曜から日曜まで、 一週間分の記入票にはラジオ番組が印刷されており、 聞いた時間帯を「<--->」のように矢印で記入するようになっている。 「これはいいものをもらった、 これがあったらいつもよりたくさんラジオを聞いちゃうんじゃないか?」 と思ったが、 実際には 「なにか聞きたいな、でもラジオを聞くと記入しなくちゃならないから」 とCDを聞いてしまったりしたのだった。
そうそう、 昔「ラジオ番組は午前5時までが前日の扱い」と聞いたことがあるが、 表の上でもそうなっていた。 だから、厳密には月曜の5時から翌週の月曜の5時まで調査に協力した、 というわけだ。
2000-07-04 (2) 22:43:27 +0900
革製のケースに100円ライターをいれたのがときどき売られている。 あのケースに Post-it で一番よく見かけるサイズ(2.5cm × 7.5 cm)がぴったりはいる。
いっときそうやって持ち歩いていたが、 はみ出ている部分がすぐボロボロになるのが欠点。
2000-07-04 (2) 22:28:38 +0900
代打でなく打席に立つときは 「3番、サード、掛布」のように場内アナウンスがあり、 代打のときは 「*番、**に代わりまして〜」 のようなアナウンスがあると記憶しているが、 代走で出てその回のうちにまた打順が回ってきたらどう言うのだろう? すでにその打順にはいっているのだから 「*番、**」でもいいようだが、ポジション名がないと間が抜ける感じだ。
先日、 プロ野球のラジオ中継を聞いていたらそういうシーンがあったのだが、 場内アナウンスが済んでからアナウンサに言われて気がついたので聞きそびれてしまった。
代打で出て打者一巡しても同じことか。 代打で出て一巡したら代打を出された、という例はあるのだろうか?
2000-07-04 (2) 22:13:32 +0900
もちろん旧約聖書ホセア書のことである。 文語訳もタイトルは「ホセア書」だ。
イザヤもほんとは濁らないのだから、まあ同じことか。 でも、旧約と新約の間で違うのは困ったものだ。
2000-07-01 (6) 16:22:49 +0900
……聞かれた、というような話はよく見聞きする。 最近では27日づけ朝日新聞大阪本社版 「ほがらか」面の藤本義一氏のエッセイ。 数は少し違うけど。
しかし、 あの手の店は客が何人連れかを確認しない。 別々のグループのようにばらばらにはいってきたのが実はみんな仲間だったとか、 先に自動車できた一人が買っている間にあとから歩いて大勢がやってくるとか、 いろいろな場合が考えられる。
こういう話をおもしろいつもりで話している本人は「自分は一人だ」 ということが回りじゅうの人に理解されていると思い込んでいるのだろう。
この質問は、 仮に答えのわかりきった質問だとしても悪意のある質問ではないし、 「いや、持ち帰り」と答えればそれで済んでしまう。 わかりきった質問はやめてくれ、 というのでは私のような数学教師は勤まらない。
うまくまとまらないけどこのへんで。
2000-06-29 (4) 02:47:48 +0900
私が考えたのは、自分は運動部のOBで、 母校に帰ってみたら後輩たちがお腹を空かせている。 そこで、自分は自家用車でハンバーガーショップへ行き、 そこで20個のハンバーガーを注文する。 できあがったころ、後輩たちはランニングで到着し、 「先輩、ごちそうになります」と言う、 といったシチュエーションである。
2009-06-30 (2) 21:35:49 +0900
ダイバーズウォッチの時刻を合わせた。 4月末以来だ。 13秒進んでいた。 分針をきちんと合わせるのはなかなかむずかしい。
2000-06-29 (4) 02:36:35 +0900
1999年4月3日づけ朝日新聞大阪本社版 「航跡 新世紀へ」は笠置シズ子の「東京ブギウギ」だ。 《五一年二月。 笠置は、 南原がひそかに差し向けた車に乗り、 東大の赤門をくぐった》 とあるが、 そのころは赤門を車でくぐれたのだろうか? まさかこの「車」は人力車ではあるまい。 漱石の時代ならともかくも。
「南原」とは当時の総長「南原繁」のことである。
2000-06-23 (5) 01:22:22 +0900
1999年4月3日づけ朝日新聞大阪本社版家庭面の 「中学生輪になあれ --- 鶴見俊輔さんと話そう」に 《「ベトナムに平和を! 市民連合(べ平連)を結成した。 この寺も、べ平連の結成にゆかりの寺だ》 とあるが、 「べ平連」の「べ」が二度ともひらがなだ。
2000-06-23 (5) 01:14:53 +0900
「美人女優も負けはいなくて」 は 「美人女優も負けてはいなくて」 の間違いではないかと思うが、 この種のは見つけてもあまりおもしろくない。
2000-06-23 (5) 01:06:13 +0900
1999年12月22日づけ朝日新聞大阪本社版、 「第26回 大佛次郎賞」に関する、 選考委員の一人、 米沢富美子氏(慶応大学教授)のコメントより。 《今やパソコンを使えば、 難解な漢字で文章を書くことも可能だが、 旧仮名遣いの方はそうはいかない。 二十一世紀には、ますます稀少な文化になるだろう》
ここで「パソコン」といっているのはカナ漢字変換式入力を指しているのだろうが、 旧かなづかいに対応しているものを見かけないのは単に需要が少ないためだろう。 「なるだろう」と入力すると「なるだらう」 に変換されるようにするのはそれほどむずかしくないと私は思う。
私はTコードを主な入力手段としているのであまり興味はないが、 誰か作らないものだろうか?
2000-06-23 (5) 01:01:57 +0900
おととい紹介した自作エディタで 「このエディタは edlin のクローンです」 と打ち込むには次のようにしなければならない。 (「#」以下はいまつけたコメントである。)
*n # 日本語入力は n 1:*ufkdkkhkpoiejg # こう打つと…… 1:*このエディタは # Tコードで“変換”されてこうなる 2:*. # 入力終了は「.」 *i # こんどは ascii 文字の入力 2:* edlin # i コマンドは edlin と同じ…… 3:*. # だが入力終了はやはり「.」, edlin とは違う *n # 同様に日本語入力をして…… 3:*kdmsnshs,dhg,fhf 3:*のクローンです。 4:*. *1,3j # j で行の併合 (join) を行なえばできあがり。 1:*このエディタは edlin のクローンです。 *
疲れるので今はまた Win95 の「メモ帳」+ MS-IME97 で書いている。
2000-06-23 (5) 00:58:42 +0900
8年ぐらい前に、 MS-DOS のラインエディタ edlin のクローンをリスト構造の練習として書いた。 それにおととしの春、手を入れ、マルチファイル化しかかったが、 途中で投げ出してしまっていた。 最近、 また思い出して取り組んでみたところ、 一週間ぐらいで使えるものができた。 edlin にあってついてない機能は (初めからつける気のない append と write を除けば) replace だけだ。 きょう、 昔書いたTコード処理ルーチンを組み込んで、 一応日本語入力のできるエディタになった。
問題は、 Tコードにない文字をどうやって入力するかだ。 全角文字一覧表はあるのでそれから切り抜けばよいのだが、 時間がかかりすぎる。
きょうは試しに「いろいろ」をこのエディタを使って書いている。 そうそう、 いままでは日時は時計を見て自分で打ち込んでいたが、 このエディタだと 「$date」と入力するだけでよいので(この点に関しては)とっても楽だ。
2000-06-21 (3) 01:30:38 +0900
サントリーの広告によく 「飲酒は20歳を過ぎてから」 と書いてある。 例えば18日付朝日新聞大阪本社版家庭面。
確かに英語では 「over 21」などと言うようだが、 日本語では「〜を過ぎてから」とはあまり言わない。 「20歳を過ぎてから」だと、 21歳にならないといけないみたいにもとれる。 なぜここでこの言い方をしているのだろうか?
2000-06-21 (3) 00:40:48 +0900
いまもし、 衆院選のある小選挙区にA,B,Cの3人の候補が立っているとし、 ある有権者が次のように考えているとしよう。 「A候補は優勢だが支持しない。 B候補はもしかしたら当選できるかもしれないし、 Aよりはマシだ。 C候補は、AよりもBよりもマシだと思うが、 当選する可能性はほとんどゼロだ」。
こんなとき、いままでだったら 「死に票になるのを覚悟の上でCに投票する」 か 「『まあマシだから』とBに投票する」 のが普通だったと思う。
ところが、最近は比例区との重複立候補というのがあるので、 話がややこしくなる。 もしも、 B候補が比例区のY党の名簿にも載っており、 しかも同順位に、 この有権者から見てより望ましいと思われる候補者がいたとしよう。
14日の朝日新聞大阪本社版によると、 《重複立候補の場合、 小選挙区で落選しても、 比例区で「復活当選」する可能性がある。 小選挙区の落選者が比例区で同じ順位だった場合、 小選挙区の当選者の得票に対する自分の得票の割合、 いわゆる「惜敗率」の高い人から当選となる》 のだそうだ。
よって、 もしも予想が固まってきて 「この小選挙区ではA候補が当選するのが確実」 「比例区でY党はB候補と同順位の候補者の一部まで当選しそう」 となった場合、 この有権者はB候補の惜敗率を低くすることによって、 比例区でB候補と同順位の、 より望ましい候補者を衆議院に送ることができるかもしれないのだ。 それには、 C候補に投票するのも一法だが、 それよりもA候補に投票するほうが効果がある。 すなわち、「どうせ当選するのだから」 と支持してはいないA候補に投票し、 分母を大きくすることでB候補の惜敗率を下げるのである!
2000-06-18 (0) 23:44:45 +0900
LP でアルバムを出していたときは 「この曲までがA面」「ここからがB面」 と意識してつくられていたはずだから。
2000-06-18 (0) 21:17:00 +0900
edlin で既存ファイルを指定して起動した直後に 「s文字列」 とすると2行目から最終行までをサーチする。 パラメータ省略時は現在行の次の行からさがすことになっており、 現在行が1行目だからこれで合っているのだが、 今までの経験ではまず間違いなくさがしている文字列が見つかってしまうので 「1,#s文字列」だと思っていた。
この仕様は、 次々と同じ文字列でサーチを続けるときには便利な仕様だが、 どうもしっくりこない。 このあたりがラインエディタの限界だろうか? スクリーンエディタ(キャラクタエディタ) ならカーソル位置以降からサーチするので問題はない。
まてよ、 「現在行が1行目で、 直前にその文字列でサーチされていないときは1行目から」 と約束すればよいだけか? でも複雑すぎるか。 「開始行が省略された場合、文字列が省略されていれば現在行の次から、 そうでなければ現在行から」 とすればよい?
2000-06-18 (0) 13:22:40 +0900
うちの Win95 (DOS は Ver 6.20 か?) 付属の edlin は最初のタブが6カラムに展開される。 次のサンプルで行中の空白は全てタブである。
A>type a aaaaaa a a b b b A>edlin a 入力ファイルの終了です. *l 1:*aaaaaa a a 2: b b b *q 編集を中止しますか (Y/N)? y行番号 (「1:」など) の出る位置が2カラムだけ右によりすぎているようだ。
この Win 95 は確か 3.1 からバージョンアップしたはずだが、 それと関係あるだろうか? setver でバージョンを“ごまかして”いるのとは関係あるだろうか?
2000-06-18 (0) 13:20:38 +0900
5月11日づけ朝日新聞大阪本社版政治面に 「ストーカー等規制法案」の要旨が出ている。 「つきまとい等」の定義の一つに 「2.行動を監視していると告げること」 とあるが、 「行動を監視する」だけなら構わないようだ。
あと、 「6.汚物、動物の死体などを送ること」 とあるが、 すき焼き用の霜降り肉は牛の死体の一部だから、 送るとストーカーにされてしまうのかもしれない。
付) 先日、京都で夕食の際この話をしましたが、 そのとき私が言ったことは正確でなかったかもしれません。 >あのときいた方
付) 第二段落はもちろん冗談です。
2000-06-17 (6) 22:38:55 +0900
ちょっと前に加賀地方で起きた地震について、 15日づけ朝日新聞大阪本社版石川面の 「HAB アナ 美奈のすっぴん日記」が 《しかも次第に大きくなる。恐怖感が募った。 「どこかで大きな地震が起きている」》 と書いていた。
私は地震が起きている最中に 「どこかで大きな地震が起きている」と考えた経験がない。 確かに理屈ではどこかが震源で、 そこで地震が起きているからいま自分がいるところがゆれているのだ。 おそらく、 私はそういった科学的なことを覚えるまでにたくさんの地震を経験してきたので、 「とにかくいまここがゆれている」とだけ考えてしまうのだろう。
2000-06-17 (6) 22:22:40 +0900
単に回りが明るいから気がつかないだけだ。
2000-06-17 (6) 22:04:28 +0900
……ような気がする。 特に後者を複数形にして「空きバッファら」とすると。
2000-06-17 (6) 22:02:35 +0900
川の近くを歩いていたら、 トンビらしき鳥がひも状のものをくわえて飛んでいくのが見えた。 ひもはぴくぴくと動いている。 見ているうちにひもはどんどん短くなっていった。 生きたヘビを食べていたものとみえる。
2000-06-17 (6) 21:59:20 +0900
「文語訳新約聖書の訳注のつけかたは版ごとに違う」 (2000-05-04 (4) 21:09:14 +0900 づけ) を以前に書いたが、 もっとも違うのは J 21.15-17 の agapao: と phileo: の箇所ではあるまいか?
2000-06-14 (3) 00:59:28 +0900
上のリンクはいまはった。それまでは a href タグをおいていなかった。
2006-05-09 (2) 23:18:03 +0900
食堂が閉まってしまったときなどときどきカップヌードルのお世話になるが、 どれだけのお湯を用意すればよいか書いてないのが不満。 蒸発する分を忘れるなどしてお湯が足りなかった客からの文句を恐れているのだろうか?
2000-06-14 (3) 00:51:19 +0900
飲むカップで2杯半ぐらいをやかんにいれて沸かせば、 2杯分の紅茶がいれられるようだ。 ポットを暖めるためのお湯、 カルキをとばすため沸かしつづける間に蒸発する分をいれても十分。
2000-06-14 (3) 00:50:08 +0900
「*」印はつけてあるが訳注がない。 2.19, 20 と同じく、「宮」は「聖所」とも訳せる、というだけだが。
2000-06-14 (3) 00:31:31 +0900
J 1.39 には 《時は第十時ごろなりき》とあり、 「今の午後四時頃ならん」と訳注がある。 4.6, 4.52, 19.14 も同様。 1980 年以前版は訳注が福音書ごとに一ページにまとまっているので見てみると、 共観福音書にはこの手の注は一切ない。 受難記事には時刻が記されていたはずだと本文を見ると確かに 「十二時」「三時」という訳語が見える。 原文の「第六刻」「第九刻」を“訳して”しまったらしい。 この方針の違いは何なのか?
2000-06-14 (3) 00:27:44 +0900
Mt 14.25, Mc 6.48 に《夜明の四時ごろ》とある。 これは正しいか? 前者の原語は tetarte: de phylake: te:s nyktos だ。後者も似たりよったり(に見える)。
岩波版は「夜の第四更」としている。 注によればこれは「早朝」。
よく考えたうえで「夜の第四更」 を「夜明けの四時ごろ」と訳したのならよいのだが……。
2000-06-13 (2) 22:32:45 +0900
1984 年版新約聖書文語訳を見ていたらヨハネ伝 12.12 の 《明くる日、祭りに来(きた)りし多くの民ども、》 の行をやや不自然なまでに字間をあけて組んでいるのに気がついた。 そして、その次の 《イエスのエルサレムに来り給ふをきき》 との間で改行している。
まさかとは思うが、 「イエス」 の名が二行に割れないように活字を組んでいるのではあるまいか? と思って福音書を見直してみた。
そうではないかと思われる箇所の章・節は以下の通り。 Mt 12.24-25, 14.24-25, 17.17-18, 26.24-25, 27.37, Mc 1.37, 1.45, 2.15, 4.38-39, 5.22, 5.23-24, 5.31-32, 5.39-40, 9.35-36, 10.13-14, 10.50, 11.21, 12.28, 12.28-29, 14.60-61, 15.1-2, 15.32, 15.36-39, 16.1, L 4.13, 5.32-33, 9.42, 11.45-46, 13.11-12, 19.5-6, 22.50-51, 22.67, J 2.10-11, 4.31-32, 6.66-67, 7.20-21, 11.55-56, 12.1-2, 12.12, 18.1, 18.3-4, 18.7, 18.15, 19.17-18, 19.19, 21.21.
「イエス」が二行に割れている例は Mt 16.22. 二行あとにも「イエス」が出るので、 どちらも、というのはむずかしかったのかもしれない。 不可能ではなかったように思うが。 あと J 8.8.
途中で気がついたのだが、 「キリスト」もこの禁則処理の対象となっているのかも。 Mc 14.61, J 20.31 など。
付:既読の J 11 までは斜め読みして探し、 以降は読みながら探した。 おかげで福音書を読了。
付:1980 年以前版、1982 年版、口語訳、 新共同訳にはこのようなことはないようだ。
2000-06-13 (2) 22:14:13 +0900
マタイ伝 2.16 に 《二歳以下の男の児をことごとく殺せり》 とあるが、 二歳以下とはずいぶん範囲が広い、もう少し限定できなかったものか、 などと考えていたら、 満か数えか、あるいはそれとも別の数え方か、 調べてみなければ始まらない、と気がついた。
それはともかく、現代の日本において 「2歳以下」という言い方に意味があるのだろうか? 「2歳になっているかなっていないか」 は法律上ははっきり決まっている。 よって「2歳以上」「2歳未満」には意味がある。 しかし、 「2歳以下」と言った場合、 月単位で年齢を数えていれば「2歳1カ月未満」の意になるだろうし、 年単位なら「3歳未満」の意になるだろう。
2000-06-13 (2) 21:58:13 +0900
いまの文語訳聖書は新約のみ改訳である。 そのせいか、旧約では「ヱレミヤ」、 新約では「エレミヤ」(Mt 2.17) と、 人名表記にゆれがある。
2000-06-13 (2) 21:56:31 +0900
チョークの太さは約1センチであり、 普通は削らずに使う。 一方、エンピツの芯は約2ミリ。 いま、芯の節約のため、 芯は削らずに回りの木だけ削って使うとしよう。 単純に考えれば、 これで書く文字の大きさはチョークで書く文字の5分の1が適当となる。 これは結構でかい文字になるんじゃないかなあ。 逆に、普通のノートの5行分ぐらいの字をチョークで書くと想像してみれば、 これはかなり小さな文字である、チョークで書くにしては。
結論としては、 エンピツは芯は削らずにもっと大きな文字を書くのに適しているのではないか。 大きな字でのびのび書いて計算しよう。
2000-06-13 (2) 02:12:05 +0900
……腹ごしらえに香林坊大和8階の「銀座天一」にはいる。 ぼんやりしているのか、 割り箸を床に落としてしまった。 ウェイトレスさんが駆けつけてきたので 「すみません、箸ください」 と言ったら、 カウンターに置かれてはいるがまだそこに客が座っていないところの盆から、 その上に乗った割り箸をさっと取って渡してくれた。 すばやい機転。 さすがプロ。
百万石まつりの薪能(たきぎのう)を見に中央公園へ。 この公園は街のまん中にあるのだが、 緑が多くていいところだ。 はいっただけでひんやりする。 この薪能は、 「ただ」で狂言や能を見せてくれるという、すばらしい企画なのだ。 客席を見回すと、 大学で見かけたような若い人もいる。
始まる直前に公衆トイレへ。 外側に「洗い物一切禁ず、水くみはよい」 というような内容の貼り紙がしてあった。 夜店の組合みたいなところが出したものらしい。 なるほど。
19時から21時までなので、 最初は明るいが、だんだんに暗くなってくる。 また、気温も下がる。 半袖の人は寒そうだった。 はおるものをもってきているのは毎年くる常連か。 今年の狂言は「佐渡狐(さどぎつね)」。 これは筋がわかり、おもしろかったが、 能「巻絹(まきぎぬ)」は途中でよくわからなくなり、 最後の舞いのところは少々退屈した。 20分も踊ってるんだもん。
2000-06-13 (2) 02:01:52 +0900
教養で線形代数を教えていると、 近所でドイツ語の授業をやっているのか、 毎回、 テープレコーダーからの声らしきドイツ語が聞こえてくる。 きょうはなんとハイドンの「皇帝」がインストルメンタルで流れた。 そのうちワーグナーがかかったりするとぴくんと反応してしまいそうな自分が恐い。
終わったあと、中島みゆきの「F.O.」を歌いながら黒板を消していたら、 練習問題の答えがおかしいと一人の学生が質問にきた。 う〜ん、確かに。 きょうは置換の話をしたのだが、 巡回置換の直前で終わったので (1 2 3) のような記法まではやらなかった。 最も普通の表記の(i.e. 2段に書かれた) 置換の積を計算する問題だったのでこれはきょう教えた範囲でできるだろうと思って 「やっておくように」 と言ったのが、 巻末の答えでは巡回置換の記法を使っていたとは。 失敗。 でも、 どこまで進むか事前にははっきりとはわからず、 その場でアドリブでどこまで問題やるべきか伝えてるんだから、 これはしかたないよなあ。
食堂で遅めの食事。 定食があったのでそれにしたら、若い人向きで揚げ物が多く、 少々胃に重い。
早めに帰ろうと建物を出ようとしたら、 先学期に実習に出ていた女子学生が前を歩いていてあいさつされた。 彼女たちが「雨降ってる?」 とか会話していたので傘を研究室に忘れてきたのに気づき取りに戻る。
授業の終わった時間にあたったせいか、 帰る学生さんが多い。 若い人につられて少し速めに歩いてしまった。 川の土手を歩いていたら体長60センチぐらいのヘビを見た。
2000-06-13 (2) 01:42:45 +0900
いわゆる教養の授業を終えて学生係とかのあるところまで降りてくると 「DELF」と書かれたポスターが目にはいり毎回 「石化」していたのできょうは何の略だか写してきた。
DELF はパソコンのロールプレイングゲーム Wizardry #3 に出てくるモンスター。 石化攻撃あり。
2000-06-13 (2) 01:28:05 +0900
香林坊109地階のパン屋さん「カーラ」 にこう書いてあるので前から気になっていた。 パン屋さんがおいしいのかもしれない。
2000-06-13 (2) 01:23:05 +0900
3月に北陸本線の車窓から見た。 かな漢字変換だとすぐには出ないだろうがTコードなら打ちやすい、 という例だ。
2000-06-11 (0) 02:39:25 +0900
「最近の映画のタイトルは原題のカタカナ書きばかり」 と嘆く声もあるが、 元の綴りを日本でも正式タイトルとし、 カタカナ書きはその日本語式読み方を示している、 と考えればいいのかも。
実際には 「カタカナ書きが日本での正式タイトルになるので必ずしも元の綴りがわからない」 「原題のカタカナ書きに似て非なるものが日本語タイトルになっている」 などの問題があるのでこうはゆかないが。
2000-06-11 (0) 01:40:35 +0900
小学校の林間学校で二段ベッドに寝たことはあるが、 あれは単にふとんをベッドに置くだけのようなもの。 きっちりベッドメークされたのに寝るのは初めてだったので、 どれとどれの間に身体を入れるべきなのかわからず、 フロントまで聞きに行ったものだった。 予期せぬ質問だったせいか、 「あの、白いきれがあるでしょう……」などと説明してくれた。 もし今の私が説明するなら 「二枚の白い布があります。 下のがシーツですから、 上のをはがして、その二枚の間に寝てください」 となるだろうか?
2000-06-11 (0) 01:35:32 +0900
ホテルのトイレなどで、 トイレットペーパーの端が折られていることがあるが、 あれは掃除の人がこのトイレが使われたかどうかを知るためだ、 と聞いたことがある。 次に掃除に行ったとき、 折られたままだったら未使用なので掃除しなくていい (あるいはそう認識した上で掃除すればよい)ことになる。
それを、某女優がテレビで「次の人のために端をおってあげる」 とか言ったものでこの方法が使えなくなって困っている、 という話を読んだような記憶が。
私の母は 「自分が用を済ませたあとの手で折った紙は不潔では」 と言っていた。
2000-06-11 (0) 01:29:43 +0900
このあいだ京都で泊まったホテルのバスルームには洋式便器の使い方のシールが貼ってあった。 15周年記念とか言ってたけど、 15年前に洋式トイレの使い方を知らない人なんていたかいな。
2000-06-11 (0) 01:23:13 +0900
大学院生時代は、 ホテルに泊まると朝、トイレや風呂を自分で納得ゆくまできれいにしていた。 最近は疲れるので一応水をかけて流すだけ。
あと、ホテル備えつけのスリッパをはいた足にすぐソックスを履くのがいやで、 スリッパと靴をバスに持ち込み、 足を洗ってバスタオルで拭いてソックスと靴を履いていた。 これもめんどうなのでやめた。 ただし、足とソックスの裏側は汚れていると考え、 うちに帰ったら風呂場に直行して洗う。
2000-06-11 (0) 01:18:15 +0900
《われ汝らに告ぐ、 おほよそ淫行の故ならで其の妻をいだし他に娶る者は、 姦淫を行ふなり》 の「おほよそ」の頭に 《異本に五章三二と同一の句あり》 と注がついているが、 5.32 は 《されど我は汝らに告ぐ、 淫行の故ならで其の妻をいだす者は、 これに姦淫を行はしむるなり。 また出されたる女を娶るものは、 姦淫を行ふなり》 であり、 意味がはっきりしない。
原文にあたったところ、 ここには写本間の差異に関する情報がたくさんついており、 私のギリシア語力では異本のテキストを読みきれないが、 5.32 とそっくりな字句を含む写本があるようだ。
なお、 注のつけ方などは手元の三つの版に共通だが、 1980 年以前版は読点のつけ方が異なり、 《おほよそ淫行の故ならで其の妻をいだし、 他に娶る者は姦淫を行ふなり》 となっている。
2000-06-11 (0) 01:09:30 +0900
単に「ウルガタ」と「ぜにがた」が韻を踏むから、というだけの理由。
でも、 結構でかい本なので、 これをぶつけたら相手はひるむと思う。
2000-06-11 (0) 00:30:52 +0900
ラテン語は勉強しようと思うものの、 「これだけは原文で読んでみよう」 と思うものがないので学習意欲がいま一つだ。 例文や練習問題がウルガタからとってある本があったらどうかと思うのだが。 たとえばヨハネ伝 15.1 の後半 Pater meus agricola est なんてのはごく初級でも理解できる。
2000-06-11 (0) 00:28:30 +0900
10日づけ朝日新聞大阪本社版の天声人語は、 日本人の姓名をローマ字で書くとき 「名−姓」とするのを改めて「姓−名」 の順としたいと国語審議会の委員会が提案した、 賛成だ、という内容だった。
ところが、「ローマ字で書くとき」 というのがどういうときなのか、ほとんど説明されていない。 例えば、日本語の文章をローマ字で書くときなら 「Watasi no namae wa Yamada Nonoko desu」となるのが当然で、 「... Nonoko Yamada desu」となることは考えられない。 日本語で“話す”ときに「名−姓」の順にする習慣はないからだ。
だからおそらく外国語の中での表記のつもりなのだろうが、 それを暗示するのは「英米の新聞は」というフレーズだけ。 仮にそうなら、これは国語審議会で審議すべき問題なんだろうか、 という疑問も生じる。
さて、 もしもこれが採用されると、 考えられる変化としては次のようなものが考えられよう。
パスポート名が希望すれば「姓−名」ともできるようになる。 以前パスポートを取ったとき、 ローマ字でこの順にサインしようとしたらダメと言われた経験がある。 サインなんだからどちらでもいいでしょうと言ったのだが、 読めるサインの場合は困るそうだ。
中学校高等学校の英語教科書に出てくる日本人名が「姓−名」の順に変わる。 さらに、そのことを外国人に英語で説明する会話が載るかもしれない。
なお、 私のこの問題に関する考えは 「英文内に日本人名を書く際の姓名の順」(1999-05-05 (3) 01:58:05 +0900) からほとんど変わっていない。
ところで、ISO はこの問題について何も決めていないのだろうか?
2000-06-11 (0) 00:22:39 +0900
上のリンクはいまはった。 もともとは a href タグをつけていなかったのだ。
2004-05-01 (6) 17:14:02 +0900
午後、近くのスーパーへ。 暑中見舞い用の私製ハガキを買った。 「サマーポスト」と書かれたビニール袋にはいっている。
夜がふけてから Fortmason tea を飲んだら目がらんらんと冴えてきた。
2000-06-11 (0) 00:00:30 +0900
シングル「悪女」のB面の曲。 「暗闇硝子に映ってるもの」という歌詞が二度出てくるが、 一度目は「暗闇烏」に聞こえる。 すなわち、「ガ」が鼻濁音化しているようだ。
2000-06-10 (6) 19:07:00 +0900
あれは日本語の資料だと思うのだが。
2年ぐらい前に気づいた話。
2000-06-10 (6) 01:34:16 +0900
柱のように建てるのが「橋脚」、 それらの上に横に渡すのが「橋桁」なのだが、 前者の意味で「橋桁」 という人が結構多いのはトミーのプラレールというおもちゃのせいではないか? 私もそれで遊んだので間違えていた一人。 ちなみに、 そのおもちゃでは柱を立てた上にプラスチックのレールそのものを渡してしまうので、 「橋桁」は存在しない。
2年ぐらい前に気づいた話。
2000-06-10 (6) 01:31:46 +0900
一昔前にはやった「聖書の暗号」は、 聖書には世界史上の大事件が暗号化して予言されている、 ということだったが、 だったら「何年何月、人類は『聖書の暗号』に気づく」 と書いてあってもおかしくないのでは? そんな大事なものに人類が気づくというのは大事件なのだから。
2年ぐらい前に思いついた話。
2000-06-10 (6) 01:26:21 +0900
「レンズつきガラスの腕時計はやはり針が見にくい」 (2000-05-17 (3) 02:42:00 +0900) を書いたが、 ロレックス Rolex の製品の中には、写真で見ると、 レンズが分の目盛りにまでかかっていないものがあるようだ。 分針、秒針が長いので、 もしかしたら、15分の前後でも、 先の部分はレンズを透さずに読めるのかも知れない。
それにひきかえ、 セイコーの最近のパーペチュアルカレンダーつきのダイバーズウォッチ 「ピピンシリーズ アールライン」はガラスの縁までの大きさのレンズをつけ、 ベゼルのふくらみと一体化したデザインにしようとしている。 ベゼル上の目盛りは、このふくらみのせいで、 13分と17分を欠いている。
2000-06-10 (6) 01:11:09 +0900
上のリンクはいまはった。 もともとは a href タグをつけていなかったのだ。
2004-05-01 (6) 16:58:28 +0900
岩波古語辞典に「名古屋打」が出ている。 帯の織り方の一種、かんざしの一種だそうだ。 インベーダーゲームに「名古屋撃ち」という攻略法があったと思うが、 関係があるのだろうか?
2000-06-10 (6) 01:02:55 +0900
5本はっきり書くのが不自然な場合でも描いているように思える。 香林坊大和8階で水道週間のポスターを見て。
2000-06-10 (6) 00:56:44 +0900
よその大学でときどき見かける。 確かに薬品などのついた白衣で食事にくるのは困るのだが、 非実験系で、 他の人がセーターやシャツ姿でやっていることを、 服を汚したくないからと白衣を着て行なっている者まで排除するのは少々納得できない。 白衣でなく特定の民族衣装とかを 「一部の人のそれは不潔だから」 という理由で排除したら大問題になるだろう。 白衣がファッションの一つになったとして、 それを排除したら、 「ジーンズのかたお断り」と同じでやはり大問題になろう。
そうそう、白衣を断るならスポーツウェアも禁止してほしいな。
2000-06-10 (6) 00:51:32 +0900
「スミス」「トリオ」は英語の Smith, trio に由来するが、 それらの発音は日本語と違い、最初の子音は母音を伴っていない。 理屈ではわかっているし、十分に練習を積んだつもりだが、 どうもしっくりこない。
こういう単語は非常に少ない。 日本語化したときに最初にアクセントがあるのだが、 英語ではそこに母音がない、 という場合であろうか。
「グリル」 grill がそうではないのは有声音だから? じゃあ「フリル」 frill は? だんだんわからなくなってきた。
2000-06-10 (6) 00:38:49 +0900
(いわゆる)ホームページは(一般には)複数のページからなるが、 ページどうしのつながりはなるべく単純なツリー構造にすべきであると私は考えている。 そしてこれをわかりやすく実現するには、 「目次」 と書かれたページをたどった先に「本文」のページを置けばよい。
(unix などの階層ディレクトリ構造でいえば 「目次」ページはディレクトリ、「本文」のページはファイルにあたる。 なお、 上の段落で述べたツリー構造はそれらのファイルを置くディレクトリたちの階層構造とは何の関係もない。 すべてを同一ディレクトリに置いても構わない。 うまく関係をつけてわかりやすくできるなら関係させてももちろん構わないが。)
ところが、 たどってもらうリンクの数を減らそうと思うと 「目次」のページにも「本文」を書きたくなる。 たとえば、 ページの冒頭に「目次」を置き、 <HR> を置いてその下に本文を書くとか。 でも、これはまずい。 というのは、 この「目次」を「このページの目次」と誤解される可能性があるからだ。 「目次」という語を別の語に置き換えればいいかもしれないが、 うまい案が思いつかない。 やはり「目次ページ」と「本文ページ」は峻別すべきであろう。
例) index.html から直接こられる 「いろいろ」のページ iroiro.html をちょっと前に変えて、一番上に
目次 ・以前の「いろいろ」の目次 このページは、随時新しい内容を先頭に追加しています。よって、 下にゆくほど昔に書いたものとなります。また、古くなったもの は別ファイルに移しています。それについては上のリンクをたど ってください。
と書き、その下に「いろいろ」の本文を置いていた。これがまずい状態。 「目次」と「本文」を分けると
index.html -> iroindex.html -+-> iroiro.html | +-> iro0001.html | :となり、「いろいろ」のページ iroiro.html にくるまでに経由するページが一つ増えるのでこうしたのだが。 ここは
index.html -+-> iroiro.html -> | +-> iroindex.html -+-> iro0001.html | :と解決すべきであろう。
2000-06-09 (5) 23:56:39 +0900
……だったと思う。冠詞の有無は忘れた。 元の日本語の意味は Harp in Burma だと思っていたので意外だった。
2000-06-09 (5) 23:32:48 +0900
私は Holiday in Rome とかだろうと思っていたのでちょっと意外だった。 そして「ランダムハウス英和大辞典」を見ると、 Roman Holiday には昔 gladiator たちを戦わせて楽しんだローマ時代にちなんだ特別の意味がある。 “正しい” 意味を知ってからは映画を見ていないのでどうしてこの名前をつけたのかはわからない。
2000-06-09 (5) 23:29:43 +0900
歩いて大学についたものの、 研究室へ向かう途中ふとしたことでやる気をなくし、 郵便局で書き損じのハガキを交換してもらってそのままバスに乗って町中へ。
香林坊大和で「オードリー・ヘプバーン展」を見る。 “大物”としてはオスカー賞と 「ローマの休日」で彼女が実際に乗ったオートバイが展示してあったが、 そこには警備員はいなかった。 あと、使い込まれたヴィトンのトランクもよかった。 でもこれで 800 円はちょっと高いや。 見にくるのは女性が多いと新聞に出ていたが、 デートと思われる若い男女もちらほら。 どこかで見た人だなあと思ったら、 同じフロアにある「銀座天一」で天ぷらを揚げている人もいた。
地下の国文堂で暑中見舞いのハガキを買おうかとおもったが、 まだあまり出そろってない感じ。
地上に出たら、百万石まつりで道路が封鎖されるところだった。 金沢は公共交通のほとんどがバスだが、 それがこのおまつりのときは迂回を余儀なくされてしまう。 東京でいえば山手線や地下鉄を止めて線路でおまつりをするようなものだ。 バス停にはあった掲示の写し:
来る6月10日は百万石まつりのためバスの時刻、 路線の変更及び一部区間で運休がありますのでご了承ください。
何年か前にはこれを貼っている人と出くわしたので 「どう変更になるのですか?」 と聞いたのだが 「数分前後するだけですから」 と要領を得ない返事だった。 数分だって早く行かれたら次のバスまで何十分も待たなくちゃならないのをわかっているのかいな。 歩道には明日のパレードを見学する人のための席が鉄パイプで作られているが、 代替の歩道は用意されていなかった。 しかたなく歩道の縁石の上を歩く。 すぐわきを自動車が猛スピードで通りすぎていった。
少しうちの近くまできたところで、 某同僚とそっくりな人が道の向こう側を自転車で走っていた。
2000-06-09 (5) 23:04:19 +0900
「怪気炎」と混同して。
2000-06-09 (5) 22:26:16 +0900
レストランで注文した料理が運ばれてきたとき 「ひれカツ定食のお客様は?」と聞かれることがあるが、 ここで「**君です」 のように答えてみたらどうなるだろうと思ったりする。 「**様はどちらでしょうか?」と聞かれたら 「○○さんの右隣です」とまたはぐらかす。
注)よい子はまねしてはいけません(笑)。
2000-06-09 (5) 22:22:10 +0900
Campagnoli の 41 Caprices (Opus 22) はビオラの有名な練習曲集。 9 番(変ロ長調、Allegro)とか 17 番(ホ短調、Andantino)の変奏曲とか 18 番(イ長調、Presto)とか。
2000-06-09 (5) 22:14:56 +0900
CD のジャケット裏、 中の冊子の表紙裏および裏表紙、 歌詞のページ、それに CD の表面、 すべて「ファイト」の次に白抜きの「!」を書いている。
私は単に字体の違いだと思うけど。
2000-06-09 (5) 01:26:00 +0900
MS-DOS 上の古いエディタは文書末に Ctrl+Z を付加することがある。 これがブラウザ上などでピリオドで表現されることがあるが、 これを見つけたら「鼻クソがついてますよ」と注意してあげよう。
2000-06-09 (5) 01:21:00 +0900
「
2000-06-09 (5) 01:15:00 +0900
次の項目について御返答ください。 1.御氏名 2....というメールに
1.のように答えることが、 HTML 形式なら可能だ。 「<STRIKE> 御 </STRIKE>」 という書き方は奥村晴彦氏の自己紹介のページで教わった。御氏名:すのもの 2....
2000-06-09 (5) 01:11:00 +0900
「この帆のとこ持って」「うん」「目つぶって」って遊ぶやつ。 「にそうぶね」と比べると「欠けてる」って感じがしたんだもん。 正しくは「帆掛け船」。
2000-06-08 (4) 02:04:52 +0900
私は右利きだが、マウスは左手で使う。 右から左に切り換えたときは少し苦労したが、すぐに慣れた。 生まれて初めてマウスを使ったときは右手だったが全然思うように動かず、 相当苦労した。それでもすぐに慣れたのだから、それと同じだ。 マウスで行なう作業は意外と単純なものなので、利き手でなくても十分。 右手は Enter キーを押すのに使うし、字を書くのにも使うのだから、 これでもまだ左手の負担が軽すぎるぐらいだと思う。
この話、とっくに書いたと思ったのに書いてなかったようだ。
補) ただし、私は少し左利きなのかも知れない。 ゆで卵の殻やミカンの皮は左手でむく。 また、ギター、ピアノ、ビオラを練習したことがあるので、 左手の指もある程度動く。 ほとんど左手を使わない人にも上の話があてはまるかどうかはわからない。
2000-06-07 (3) 23:57:35 +0900
学校のトイレで「大」をしたことが級友に知れるとバカにされる、 という話を聞いたことがある。 先日、修学旅行生とホテルで泊まりあわせたが、 おそらくツインルームに泊まっていたのだろう。 とすると、 部屋の中にトイレがあるわけで、 どうしていたのだろうと気になってしまう。
自分の修学旅行のときは4人部屋でトイレは共同だったように思う。 要するに旅館。
2000-06-07 (3) 23:49:59 +0900
……なーんちゃって。
参考: 『旧約聖書「列王記上」 によれば円周率は3』 (2000-05-06 (6) 20:03:34 +0900 づけ)
2000-06-07 (3) 23:42:43 +0900
上のリンクはいまはった もともとは a href タグをつけていなかったのだ。
2004-05-01 (6) 17:06:43 +0900
マタイ伝 13.9, 13.43 には別々に 《異本「聴く耳」とあり》 なる訳注がついているが、 マルコ伝 9.44, 9.46 では 《異本四四及び四六の二節に、 この書 [sic] の四八とおなじ句あり》 と一まとめにしている。
1980 年以前版の後者は 「九・四四」だけを見出しにあげているのでちょっと無理がある。 それを 1982 年版、1984 年版は無理にそのままアレンジしてしまった、 ってところか?
2000-06-07 (3) 23:38:08 +0900
京大数理研でちょっと思った。 生のパスワードがそのまま流れるから。
2000-06-07 (3) 03:42:30 +0900
ログイン直後、 ウィンドウシステムが立ちあがる前に Ctrl+C で中断することをバーチャファイターの攻略本に出ていた用語 「寸止め」で表現していたが、 これは空手用語であって一般的な言葉ではないか、 と先日の京都出張中に教わった。
2000-06-07 (3) 03:36:45 +0900
京都で見た。
2000-06-07 (3) 03:34:19 +0900
「テモテ前書」1.9 には「父を撃つもの、母を撃つもの」 の二つの「撃つ」に訳注がついているが、 1984 年版では注の数字の位置が不揃いだ。 前者は「撃」の真横、後者は「つ」と次の字の間。 単に隣のルビとの兼ね合いか?
2000-06-07 (3) 03:32:32 +0900
「主の祈り」のところだが、 《悪より救ひ出したまへ》の頭に印がついており、 《或は「悪しき者」と訳す。 異本一三の末に「国と威力と栄光とは、 とこしへに汝のものなればなり、アァメン」と云ふ句あり》 と、互いに関係のない、二つの注がついている。 これは特殊な注のつけかたではあるまいか? 一つの節に二つの注をつけるのを避けているわけではなさそうだ。 たとえばテモテ前書 1.9 の注を見よ。
2000-06-07 (3) 03:29:44 +0900
先日、本の整理をしようとしたのだが、 本をいれたダンボール箱が多すぎて、どこに探している本があるのかわからない。 特定の本を探すのにかかる手間は本の量に比例するから、 全体の手間は O(n2) だ(と思う)。 職場の図書室の引越の際は、 ダンボール箱ひとつずつについて収めるべき位置が O(1) でわかるようにしておいたから、 手間は O(n) で済んだ。
2000-06-07 (3) 03:04:05 +0900
双方向リスト構造でスクリーンエディタを作るとする。 リストの先頭 start と終端 end には同一のオブジェクトをあてがってメモリの節約をはかろう。 画面表示の際、 先頭行の“前”とか終端行の“後”を表示しないようチェックするのが普通だろうが、 もしもそれをしないことにすると、 終端行の次には先頭行が、 先頭行の前には終端行が、自然に表示される。
This is a pen. This is a pin. [EOF] This is a pen. This is a pin. [EOF] This is a pen. This is a pin. [EOF] This is a pen.
といった感じ。何の役に立つかはわからない。
2000-06-07 (3) 02:52:33 +0900
Internet Mail and News 4.70.1155 を使っており、 受信したメールは普通のファイルとしてフロッピーにセーブしている。
返事を書くときは、 DOS マシン上で宛て名と Subject と本文を書いたファイルをフロッピーに作り、 新規に作成したメールに貼りつけていたが、 .eml を拡張子にもつファイルに元メールの From: とか Subject: の行を適当に切り取って貼りつけ、 その下に返事の本文を書いてセーブし、 そのファイルを Win95 上で開いてそれに返信すれば 「To:」に相手が書いてきた名前がはいるのだった。 このほうが操作も楽。
本文の前に空行を置かないと、そこもヘッダと思われてしまうので注意。
2000-06-07 (3) 02:38:28 +0900
第10番のアダージョを初めて聞いたのは、 バーンスタインの“旧全集”のCDだっただろうか。 第9番の第4楽章と同じ面 --- じゃなかった、CD --- にはいっているので、 第9番が終わったあと、 そのままにしていると第10番を聞くことになってしまう。 第9番のテーマは「死」であると私は理解しており、 そのあとに第10番のアダージョを聞くものだから、 これは「死後」と勝手に思い込んでしまった。 (もちろん、標題音楽ではないことはわかっているが。)
そう思って聞くと、はっきりしない調性などが、 死後の魂の不安定なさまを描いたように思えてしまう。 「プルガトリオ」と題された楽章がある、 と読んでいたこともあって、 5楽章全体がこのような神秘的な音楽なのだと思っていた。
ところが、全曲盤を聞いてみると、 少なくとも中の3楽章は比較的わかりやすい。 第2楽章のスケルツォのエンディングなど、 第7番以前に聞かれた音楽のようだ。
というわけで、ちょっとがっかりしたような気もしている。
2000-06-07 (3) 02:31:56 +0900
文語訳新約聖書を読んでいるが、ここに至って意味がとれなくなった。 今までは本当に読めていたの? 共観福音書は“ストーリー”を覚えていただけでは?
それはともかく、 他の翻訳と比べると敬語の使い方が違うことに気づく。 文語訳・口語訳・新共同訳の順で 《上より来(きた)るものは凡ての物の上にあり》 《上から来る者は、すべてのものの上にある》 《上から来られる方は、すべてのものの上におられる》 である。
また、 口語訳・新共同訳はここから章末までを、 前の部分(「あの方は栄え、わたしは衰えねばならない」)同様、 洗礼者ヨハネの言葉ととっている、 カギカッコのつけ方からすると。 文語訳はここを地の文と見る。
ところで、むずしかったのは 《その証を受くる者は、印して神を真なりとす》の 「印す」の意味と 《神、御霊を賜ひて量りなければなり》の意味だった。
2000-06-07 (3) 02:17:32 +0900
ちょっと前、C字型のブレスレットを腕にはめると健康増進になる、 というのが流行していた。 切れ目を外側にするのと内側にするのとで効果が違ったらしい。
本当にこれが人体に影響を与えるなら、 腕時計はどうなのだろう? 金属ベルトを革ベルトに変えたら体調が変わったとかあってもおかしくない。 「健康によいつけ方・悪いつけ方」とか。
2000-06-07 (3) 02:03:26 +0900
5月26日づけ朝日新聞大阪本社版家庭面 「ずっと旧姓使いたいのに」 の小見出しのうち二つは段落の変わり目についているが、 「ばらつく許容範囲」だけがそうでない。 ミスじゃないの?
2000-06-07 (3) 01:58:49 +0900
5月24日づけ朝日新聞(たぶん)大阪本社版第1面 「新潟監禁初公判 被告、起訴事実認める」 の最後の部分に 《また、女性は監禁時の体験が頭から離れず、 男性と会うだけでも苦痛を感じるなど》 とある。 この「女性」は被害者の女性のことだが、 「男性」というのは誰のことだったかな、 まさか容疑者じゃあるまいな、 と思って前を読み返してみたが、 誰だかわからない。 どうやら不特定の、男性一般という意味らしい。
ちょっと前から、 最近のこのような用法 --- 「この女性」の意味で「女性」と言う --- が気になっていたが、 この例では誤解しない人のほうが珍しいんじゃないかしら、 と思ってしまう。
2000-06-07 (3) 01:53:58 +0900
入院している知人のお見舞いに行くことにした。 近くの花屋で花を買う。 いつも前を通ってはいるが店にはいるのは初めてだ。 お店の人は親切で、 こちらの希望を聞きつつ、素的な花束を作ってくれた。 お金を払うとき、ポイントカードみたいなのをくれた。
この店は、 外に鉢植えなどが並べてあり、 夜中は出しっぱなしなので誰かが持っていってしまわないかと気になっていた。 私もかなり酔っぱらってここを通ることがあるが、 もしも鉢を持って帰ってきてしまって、 翌朝、二日酔いの頭とその鉢をかかえ、 家のものに連れられて代金を払いに行ったりするとみっともない。 そのとき 「このポイントカードにスタンプ押してください」 と言ったりすると気まずさがさらにアップするような。
この病院には新約聖書の原文を引用したレリーフがあったと記憶していたので Nestle-Aland を持っていったが、見つからなかった。 よその病院だったっけ?
2000-06-07 (3) 01:46:06 +0900
本文ナシ。
2000-06-07 (3) 01:32:26 +0900
おとといの「こち亀」のオープニングを見ていたら、 「だれかが 呼んでるような」の「呼」に 「よん」とふりがなが振ってあった。 これでは「よんんでるような」になってしまう。
2000-06-06 (2) 21:45:55 +0900
6日未明、ftp をしていた最中、 「iro0010.html はすでに送った(i.e. アップロードした) はずだけど確かめよう」 と思って(確か)ls -la iro0010.html としたら、 ls -la の結果で手元側の iro0010.html を置き換えられてしまった。 ftp のコマンドは unix とは違う、とわかっていたはずだが、 失敗、失敗、大失敗。 これでは「rm がないからいったん送ったファイルを消せない」 と言っていた元同僚を笑えない。 しかたがないので、送ってあったものを Biglobe からダウンロード。 送ってなかったらアウトだった。
けさ、ブラウザのキャッシュにもあるかもと気がついて調べたら、 4日の3時26分づけのがあった。 改行コードが違うが、fc で比べると中身は全く同じだ。 これで安心。
手元に置くページのコピーは一つだけだとあぶないということだ。 教訓。
2000-06-06 (2) 21:31:38 +0900
携帯電話の、「着メロ」というのだろうか、 電話を受けると突然鳴り出すやつ。 私としては仮に携帯を持ったとしてもあまり使わない機能だと思うが、 あえて使うなら「トリスタンとイゾルデ」 第3幕第1場の終わり近くに出てくる 「喜ばしき牧笛」がいいかもしれない。
2000-06-05 (1) 01:04:00 +0900
「2000-05-21 (0) の日記」 2000-05-22 (1) 01:18:40 +0900 付け)に
数年前に東急ハンズで買った素材としての革の切れ端から、 システム手帳のリフィルのサイズを切り取る。 もっと早くやればよかった〜。 何に使うかはあとで書く。
と書いたのでそれを。
システム手帳のリフィルには、 一辺が糊で綴じあわされたものもある。 私はそれをワイシャツの胸ポケットに差し込んでいる。 取り出してメモをとり、1ページたまったら Filofax を出しても安全なところでそちらに綴じ込む。 Filofax そのものを開けてメモを取るのは、 風が強いととばされかねないし、雨が降っていればぬれるし、危険なのだ。 このやり方だと、万が一データを失ったとしても1枚分で済む。 しかも、普通のワイシャツのポケットは、これにぴったりのサイズだ。 簡単には抜け落ちないが、出し入れに苦労することもない。
綴じあわされたリフィルはいろいろなメーカーから出ているが、 裏表紙はボール紙がついているものの、 表紙はあってもぺらぺらなことが多い。 先日の京都行きでは5日間で6枚を使ったが、 平凡に日々を送っているときは1カ月で1枚ということもあるので、 長い間には表紙だけがぼろぼろになったり汗でくしゃくしゃになったりしてしまう。 そこで、 使わなくなった帳面の表紙のボール紙を切り抜いて、 補強のために表紙に貼りつけたことがあった。 とても調子がよかったが、 1冊使い終えて次のに移るとき、 貼りなおす時間がとれなかったので、 新しいほうの表紙を(あったかどうか覚えてないけどもしあれば)はがしてしまい、 古いほうの表紙と裏表紙がくっついたものを上に重ねて胸ポケットに差し込んでいた。 一時しのぎのつもりだったのだが、 これで十分だし、 すでに書いたメモを見られたくないときには古い表紙+裏表紙で隠しながら新しいメモを書くことができて、 かえって便利だとわかった。 その表紙+裏表紙は何年も使っているうちぼろぼろになった。 どうせ作りかえるなら、この際、革にしてしまおうじゃないか、 ということでこの間の作業になったのだ。
革は、(確か)都立大で学会があった時に池袋の東急ハンズで買った端切れ。 リフィルをあててエンピツで線を引き、 それに沿って切ったが、 ほんのわずか大き目だっただけでワイシャツの胸ポケットを縫い目からほつれさせそうになる。 それほどぎりぎりのサイズなのだ。 回りを慎重に少しだけ切り落として完成。 今回の京都行きでテストしたが、 やや柔らかすぎるかと思われる以外、欠点はないようだ。
……と書いてきたが、上の説明にはウソもあるのに途中で気がついた。 最初の計画では、 リフィルを縦に2枚並べた大きさに革を切り抜き、 二つ折りにして裏表紙と表表紙になるようにリフィルを間にはさんで貼り付けよう、 と思っていたのだった。 革を買った時点ではそう思ってサイズを選んでいた。 人間の記憶って、いい加減なものね。
ちなみに、こうやってとったメモは電子テキスト化され、 日誌やこの「いろいろ」のネタになり、 メモそのものは廃棄される。
2000-06-05 (1) 01:02:30 +0900
上のリンクはいまはった。 もともとは a href タグをつけていなかったのだ。
2004-05-01 (6) 16:44:41 +0900
4日づけ朝日新聞大阪本社版第一面 《共産党が政権入りしたら「日本の国体守れるのか」 首相発言》 に
……、 「共産党は天皇制を認めないし、 自衛隊は解散でしょう。 日米安保も容認しないとしている。 どうやって日本の国体を守ることができるんだろうか」 などと述べたもの。
「国体」という言葉そのものは「国家体制」(広辞苑)という意味だが、 戦時中や終戦直後には天皇統治を中心とした国のあり方を指し、 個人主義への攻撃に使われた経緯がある。
とあった。
広辞苑第2版から第5版で「国体」 をひくといくつかの意味があがっているが、 「国家体制」という語を含むのは 「主権または統治権の所在により区別した国家体制」 である。 第4版第5版では「国体の護持」という用例がつけくわえられているので、 これがいまの文脈での意味だろう。
こんな短いものなのに、 どうして全体をきちんと引用しなかったのだろう?
2000-06-04 (0) 23:56:10 +0900
と思って調べてみたが、第7条だけだろうか? 「天皇は、 内閣の助言と承認により、 国民のために、 左の国事に関する行為を行ふ。 (中略)三 衆議院を解散すること。(後略)」
2000-06-04 (0) 23:26:15 +0900