「須藤」は姓、「どす」は京都方言(?)で「です」の意。
2005-02-21 (1) 18:52:16 +0900
2005-02-21 (1) 02:22:38 +0900
11日づけ朝日新聞大阪本社版オピニオン面「声」の、
三木英明氏の投書「読み書きの力 どうなるのか」に
《十数年前、平成になった時代に入社した社員が、観葉植物を
「館用植物」と書いていたのを思い出しました
》とあるのを見て、
考えた。(投書の趣旨とはほとんど関係ない。)
「観葉植物」は、収録語数の少なめな岩波国語辞典(第三版)にも載っている。 よく使われる語だということだろう。 しかし、このことばは、最初に耳から聞いたら、 絶対に「観葉」だとは思えないだろう。 「観葉」の語は「観葉植物」としてしか使わない。 いっぽう、「館用」ということばを即席に作ることは十分に考えられる。 おそらく、その社員は、本館・別館などといった館(かん)の中に置く植物、 すなわち館用の植物という語とカン違いしたのでないかと思われる。
プログレッシブ和英辞典第二版では「観葉植物」は
「a (potted) plant with beautiful leaves; an ornamental (plant)
」
と訳されている。
「(鉢植えの)葉の美しい植物」「観賞用植物」といったところであろう。
ギリシア語かラテン語の直訳ではないかと思っていたのだが、違った。
観葉植物と呼ばれるのは、比較的最近見かけるようになった植物である。 新語ではあるまいか。 もしそうなら、“カタカナ語”が吟味されているように、 必要な語か、言い換えはないのか、と考える必要はないのだろうか?
2005-02-21 (1) 02:05:36 +0900
上で 「ギリシア語かラテン語の直訳ではないかと思っていた」と書いているが、 これはギリシア語かラテン語の 「観」と「葉」にあたる語根を組み合わせた語があり、 それと plant とを並べたのが英語の「観葉植物」にあたる語かと思っていた、 の意味である。 自分でもすぐには思い出せなくなっていたので補足した。
2005-11-21 (1) 00:18:20 +0900
11日づけ大阪本社版社会面「青鉛筆」冒頭の
《「前畑がんばれ!」のラジオ実況で知られ、
1936年ベルリン五輪200メートル平泳ぎの金メダリスト、
故兵藤(旧姓前畑)秀子さんが星の名前になった
》。
「知られ、」を「知られる」とするか。
2005-02-21 (1) 01:48:53 +0900
4日づけ大阪本社版社会面の記事。
表の説明に「かっこ内は前年度比
」とあるが、
明らかに前年度との「差」である。
2005-02-21 (1) 01:31:14 +0900
4日づけ大阪本社版社会面「NEWSダブルクリック」は国民保護法。 そこに架空の数データとして「○×」「□△」がでてくるが、 ○に比べて×が、□に比べて△が細すぎる。 縦書き。
《朝日新聞>「○」や「×」と一緒に使う「△」のバランスが悪い》 と関連あり。 あのときは表だった(と思う)が、こっちは本文内。 全部「○○」でいいと思うのだが。
2005-02-21 (1) 01:28:56 +0900
2004年12月28日づけ大阪本社版社会面の、京都・知恩院の除夜の鐘の記事に
《本番は大みそかの午後10時40分から元旦の午前0時半ごろまで
》
とあるのは「元日」のことではあるまいか。
2005-02-21 (1) 01:11:56 +0900
2004年12月28日づけ大阪本社版社会面の、大阪市のカラ残業の疑いの記事に
《各課の最終退庁者より遅い時間まで残業したことになっていた例
》
とあるのは「時刻」のことではあるまいか。
2005-02-21 (1) 01:09:06 +0900
2004年12月28日づけ大阪本社版の、 一面を使ってスマトラ沖地震の津波に関連する写真を四枚だけ載せた面。 一番大きな写真はページの約半分を占めている。 これらの写真の説明には、 隣の面の見出しの文字のうちの一番小さなものよりは大きな文字を使っている。
大きな写真は紙面から目を離して見るので、 説明の文字も大きくするのではあるまいか。
2005-02-21 (1) 01:05:03 +0900
2004年12月28日づけ朝日新聞大阪本社版生活面、 「阪神大震災 10年のモノがたり」。この回は「外国語の表示シート」だ。 A4サイズのシート一枚に、 たとえば「建物の中に入るな。」 「英語 Do not enter building.」などと、 いくつかの言語で同じ意味の文章が書かれている。 災害時にこれらを束にして持ち歩けば、外国人にも指示を与えられる、というのだ。 うまいなと思ったが、「英語」に「English」と書き添える必要はないのだろうか。
つまり、 なに語で書かれているのかを間違えると違う意味になってしまうことはないのか、 という心配である。 災害時用シートにはなさそうな例だが、 小包の品名に英語で Gift と書いたのに見た人がドイツ語だと解釈し、 毒かと思う、ということはあり得る。 一般にもっと長い文章が書かれているようだから大丈夫だとは思うが。
2005-02-21 (1) 00:59:54 +0900
皆で農家を1軒ずつ頭を下げて回った」
タイトル行の引用は2004年12月28日づけ大阪本社版総合面 「ひと」から。「桧山直樹」と署名がある記事である。
「皆で農家を1軒ずつ頭を下げて」まで読んだときは、てにをはがおかしいと思った。 「皆で農家に1軒ずつ頭を下げて」だと思ったのだ。 しかし、次の「回った」に続くには「農家を」でないとおかしい。 「皆で農家を1軒ずつ{頭を下げて}回った」 と「頭を下げて」をカッコに入れて解釈するわけだが、 この部分を前にもってきて
……いや、待てよ、 「皆で農家に1軒ずつ頭を下げて回った」で済ますかもしれないな。
2005-02-21 (1) 00:42:15 +0900
2004年12月28日づけ朝日新聞大阪本社版総合面のスマトラ沖地震の記事。
インドでのできごととして
《テレビも事前に津波情報を流すことはなかった。
被害発生後もテレビキャスターは、国際的に使われている
「ツナミ」の言葉がうまく発音できずに戸惑っていた
》とあるのは、
どういう状況だろうか?
まず、英語の番組だったのかどうか。 英単語としての tsunami は、冒頭に [ts] がくる点で、 本来の英単語にはない特徴を持っている。 それで発音できなかったのか。 もしもそうなら、別の名前をつけることも考えていいのではないか。 earthquake wave(地震の波)とか、 killer wave(殺人・波)とか、 gigantic wave(巨人のような波)とか。
英語以外の言語で tsunami がどのくらい通じるのか知らないのだが、 通じないなら、別の言葉で言いかえればよい。 日本語の番組で、日本ではほとんどなじみのない言語による用語が出てきたら、 日本語で適当に言い換えるだろう。 あるいは、その言語には語頭の [ts] がなくてうまく発音できなかった、 というのかもしれない。その場合も同様。
記者は、たぶん、地元では津波についての知識がほとんどなかった、 と言いたいのだろう。それはわかる。
2005-02-21 (1) 00:30:52 +0900
日本国憲法第五条に「皇室典範の定めるところにより摂政を置くときは、
摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ」とあるが、
摂政になれるための条件は憲法には記されていない。
(皇室典範で「成年に達した皇族
」と規定されている。)
だから、皇室典範を改正し、 「内閣総理大臣は摂政を任命する」などと決めれば、仮に皇位が空位であっても、 天皇の国事行為と指定されている行為が行なえるのではないか? 「天皇の名で」が“その時の天皇の名で”と解釈されるのならだめだが。
2005-02-21 (1) 00:14:01 +0900
2004年12月28日づけ朝日新聞大阪本社版第一面
「女性天皇容認検討へ / 政府 来月に有識者会議」に
細田官房長官が《有識者会議設置について
「皇位の継承を安定的に維持することは、国家の基本にかかわる事柄だ」
と述べた
》とある。
日本国憲法第三条 「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、 内閣が、その責任を負ふ」があるから、 仮に皇位が空位となっても、 本質的には国家の機能はストップしないのではあるまいか。 第七条に 「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ」 とある中に法律の公布や国会の召集も含まれているから、 解釈次第ではそれらはできなくなるわけだが、 承認する主体である内閣がある限り、内閣が代行できるとも解釈できるのでは。
付) この条文からすると、 内閣が天皇にこれこれを承認しました、 という報道がなされてもおかしくないような気がするが、 あまり見聞きしない。
2005-02-21 (1) 00:02:03 +0900
2004年12月28日づけ朝日新聞大阪本社版生活面「ひととき」は
《井上輝子さん(パート・59歳)
》の投書、「おちびさんたちとの攻防」。
パートで体育センターの管理人をしておられるかたで、
若いお母さんたちがスポーツをしている間のおちびさんのいたずらに困っていたが、
しかたなく自分で後始末をしておられた。ところが、
《ある日。知らぬ間に、
げた箱に大量の小石を入れられてしまった。
さすがにもう黙ってはいられないと、お母さんたちに見てもらった。
「すみませーん。いつもこんなことしてたんですか。
これからは言ってくださいね」。
素直に私の言葉を聞いてくれたお母さんたちの態度がうれしかった
》。
そのあとうまくいったそうで、本当によかったのだが、
このかたの訴え方が上手だったのに加えて、
この若いお母さんたちが「叱られ上手」だったのではあるまいか。
叱られたときにうまくかわす人、という意味ではない。
しっかり受け止めて反省し、それを相手にうまく伝えられる人、
という意味である。
こういうふうにしてうまくゆくことは世の中に多い。 それを、開き直ったり捨てぜりふを吐いたりすると悪くなるのだ。
付) この「いろいろ」では、いままで、 一般人の投書では投書者の氏名を引用していませんでしたが、 今後は引用することにします。
2005-02-20 (0) 23:46:14 +0900
前項を書いていて、西洋ではどうするだろう、と考えて思いついたこと。
使徒行伝第 1 章では、
十二使徒から欠けたユダの代わりにどちらを加えるかを、
くじで決めている。
その前には《「すべての人の心をご存じである主よ。
このふたりのうちのどちらを選んで、ユダがこの使徒の職務から落ちて、
自分の行くべきところへ行ったそのあとを継がせなさいますか、
お示し下さい」
》(口語訳)という祈りがなされている。
くじのルールは、よくわからない。 二本のくじに二人の名前を書いて誰かがそのうちの一本をひいたのか、 「当たり」「はずれ」と書いたくじを二人が順に --- この場合、 一人めがどちらかをひけば二人めは残りを取らざるを得ないが --- をひいたのか。 いずれにせよ、双方が自分の力で“戦った”という感じはしないだろう。 しかし、この場合は神の意志をたずねるためにくじをひいたのだから、 それでいいのだ。
こう考えると、現代の日本でジャンケンが行われるのは、 双方が自分の力で戦ったと思いたいからではなかろうか。 そして、そのような戦い方の中で最も労力が少ないのがジャンケン、 ということなのではないだろうか。
付) 使徒行伝には原始キリスト教が描かれているが、 それが常に理想状態を示しているとは限らない。 そのときの事情があってそうしただけ、ということもありえる。 だから、使徒行伝に載っているからくじで決めるのがキリスト教の信仰に合っている、 と考えるのは誤りである。
付) ギリシア語原文にあたってみて、 「くじ」に対応する語が複数になっていることはわかったが、 それがわかったからといって何の意味もないのであった。
2005-02-20 (0) 22:13:48 +0900
きょうづけ大阪本社版文化芸能面
「ジャンケンは日本を映す」。
「山片蟠桃賞 リンハルト・ウィーン大教授」
「三すくみの思想『拳の文化史』に」という見出しもある。
《ジャンケンを研究しているという“けったいな”
先生が今年の山片蟠桃賞を受賞した。
ウィーン大日本学科教授のセップ・リンハルトさん(60)。
いわく「ジャンケンから、日本社会が見えてきます」。
ほんまかいな? 半信半疑で話を聞いてみると
》がイントロ。
「大村治郎」と署名がある。
《リンハルトさんによる拳の定義は、
「2人以上が相対して、指の屈伸などによって勝負する遊び」
》。
これだと高知の箸拳もはいるだろうが、それには言及されていない。
そもそも、どうやって勝ち負けを決めるかを述べていないので、
全く定義になっていないと思う。
指相撲もこれに含まれてしまうぞ! (箸拳については
Google で検索するとくわしいルールが見つかるが、
基本は、手の中に 0 本から 3 本の箸を隠して持ち、
その本数を相手が当てるものである。)
この人が研究したのは、私なりにまとめると、 各人が a, b, c の三つから一つを他の人たちにわからないように選び、 「a は b に勝つ。b は c に勝つ。c は a に勝つ」と決めて、 選んだものの間の勝ち負けで競うものだ。 普通の日本人にわかりやすく説明するなら、 ジャンケン、またはジャンケンのグー、チョキ、 パーをほかのもので置き換えて同様のルールで行なう競技、となろう。
そのバリエーションが載っている。
「狐
、庄屋
、鉄砲(狩人)
」が狐拳
、
「蛙
、蛇
、ナメクジ
」が虫拳
、
「母親
、和藤内
、虎
」が虎拳
。
これらの間の勝ち負けの規則をイラストで示しているが、
そこに不等号「>」を用いているのは誤解を招かないとも限らない。
不等号は順序関係を表わすのが原則で、
順序関係は推移律「a > b かつ b > c ならば a > c」を満たすからだ。
しかも凡例に「勝ち > 負け
」と書いている! (正しくは「勝者」
「敗者」であろう。)
《リンハルトさんは、日本のジャンケン遊びにみられる
「三すくみの思想」は日本人の中に深く組み込まれているという
》とあるが、
ジャンケンは必ずしも「三すくみ」ではない。
「三すくみ」の最もわかりやすい例は「カエル、ヘビ、ナメクジ」だが、
これは単に「カエルはナメクジに勝ち、ナメクジはヘビに勝ち、
ヘビはカエルに勝つ」というだけの話ではない。
この三匹が、この三匹だけが一箇所にいた場合、
カエルはナメクジを食ってしまうことは簡単だが、
そうすれば自分とヘビだけが残る。
そうなれば自分はヘビに食われる。
だからナメクジを食うわけにはゆかない。
ほかの二匹も同様に考えるので誰も先に手を出さない、
というのが三すくみの原理である。
それに対し、
狩人はキツネを撃ち殺したとしても庄屋に自分が滅ぼされるわけではあるまい。
和藤内たちも同様。
《「西洋人にはピラミッド型の権力構造がすぐに頭に浮かびます。
でも、日本の三すくみの構造は相互依存的で、
絶対的な勝者や敗者をつくらない。
平等思想の表れとも考えられます」
》。
日本国憲法の三権分立がすぐに思い浮かぶが、
それはロックやモンテスキューの考えだそうだし、
日本ではすべての上に天皇がいると考えられている時代が長かった。
そのあたりの説明はどうなるのだろう?
付)
《リンハルトさんの講演を聞いて、
その研究に関心を持ったのが、哲学者の梅原猛さんだった。
梅原さんはフランス文学者の杉本秀太郎さんらとリンハルトさんを京都・
祇園のお茶屋に案内。祇園なら拳遊びが残っていると考えたのだ
》。
こうしてそこでリンハルトさんが知ったのが上の虎拳。
《山片蟠桃賞の贈呈式で、
審査委員の一人、国際日本文化研究センター所長の山折哲雄さんは
「リンハルトさんのように京都・祇園の内部に入り込んだ研究者はそう多くない。
私もその楽しみをともにした」と紹介しつつ、研究成果を評価した
》
という部分も引用しておこう。
梅原猛氏も山折哲雄氏も、最近、朝日新聞によく登場するからだ。
付) じゃんけんは大正時代ごろから広がった、というのは目新しかった。
付) ジャンケンおよびそのバリエーションでは、 何度もくり返して行なう場合、「戦略」が出てくる。 つまり、人それぞれに、 それまでの戦果に応じて次の手を出す際の癖があるはずで、 相手のそれを読めればトータルでは勝つことができる。 お茶屋さんではわざと負けることも重要かもしれない。 そのあたりの戦略がコミュニティーごとにどうなっているかを研究したら、 私ならおもしろいと思うけどな。
2005-02-20 (0) 21:33:50 +0900
本項を書いたことは覚えていたが、 別の記事についてだったかと思いつつ記事を読んでいた。
2021-08-11 (3) 18:21:47 +0900
「べ」は方言。 ベルトをはずす、またはベルトを獲得する、と言っているのである。 後者の場合は、ボクシングのチャンピオンベルトのようなものであろう。
2005-02-20 (0) 20:49:22 +0900
きょうづけ大阪本社版掲載分の第 154 回。 ピアノ伴奏をする秦野八重子について、音大卒の神田綾花が語っている。
以前、新人さんのデビューコンサートを聴きにいったんですよ。 そのとき、その新人さん、上がっちゃって、 中央部のカデンツァをすっ飛ばして、いきなり最後に飛んでしまったんです。 譜めくりの人も唖然として何もできなかったのに、 秦野先生はぜんぜん動じなかったんです。 自分で弾きながら平然として楽譜めくって、それも三ページまとめて、 何もなかったように、ソリストに付けちゃったのよ。あれは神技。
私がビオラを習っていた先生 --- オーケストラのトップ奏者だった --- の話では、ソリストが間違えるのはそれほど珍しいことではないらしい。 提示部を再現部とカン違いして展開部を飛ばしてしまうとか。 演奏は続けながら、 団員の間でめくばせなどでどこへ飛ぶかを伝え合って、 なんとかまとめてしまうそうだ。
オーケストラでもできるんだから、ピアノ伴奏者ならできて当然ではないか?
付) ところで、「中央部のカデンツァをすっ飛ばして」というのは、 中央部はカデンツァだけからなっているという意味だろうか? あるいは、中央部にあるカデンツァだけを飛ばした? 私は器楽曲はあまり聴かないのでわからないが、 知っている範囲で展開部にカデンツァがある曲といえばメンデルスゾーンのバイオリン協奏曲だ。 この曲は再現部の直前がカデンツァ --- 作曲者自身が楽譜に書いているもの --- になっていて、 カデンツァ最後の分散和音が続く中をオーケストラが第一主題を奏でて再現部が始まる。 ただし、これはオーケストラ伴奏の曲だから、 小説中の曲がこれである可能性はほとんどゼロだが、 手元の Edition Peters のピアノ伴奏譜を見ると、 提示部と再現部の対応箇所のへだたりが約 6 ページ、 すなわち紙 3 枚分であったのはなんとなくおもしろかった。 (この楽譜は、東独版を非常に安く売っていたので買っておいたのだった。)
2005-02-20 (0) 16:29:31 +0900
ワイルは人名。
2005-02-20 (0) 16:01:24 +0900
本当は「じょうどぐだいじ」になるが。
2005-02-20 (0) 15:59:55 +0900
子どものころ図鑑で見た実験に、こういうのがあった。
針金で輪を作り、その中に
―○―のような形に糸を結ぶ。全体は
/ ̄ ̄\ |―○―| \__/\ \のような形になる。回りの枠が針金である。 (右下に出ているのは取っ手のつもりである。 また、図では糸が作るまん中の輪が完全な円になっているが、 実際にはたるむのでそうはならない。)
これを石けん液につけると全体に膜がはる。 それからまん中の輪の中の部分を乾いた針金か何かでつついて破ると、 まん中の輪が完全な円になる。 これは、 せっけん膜には面積をなるべく小さくしようとする性質があるからだ。---
きのう突然気がついたこと。 上に書いた実験で、まん中に糸で作る輪を trefoil にしておけば、 trefoil の Seifert 膜(=結び目を境界にもつ、裏表のある面)
※※※※※※※※※※※※※ ※※※※※※※※※※※※※ ※※※※+−−−+※※※※ ※※※※| |※※※※ ※※+−|−−−−−+※※ ※※| |∴∴∴| |※※ ※※| \∴/ |※※ ※※| / |※※ ※※+−−/ \−−+※※ ※※※※※※※※※※※※※ ※※※※※※※※※※※※※ ※※※※※※※※※※※※※が石けん膜で張れるかもしれないぞ! うまく三箇所を破ることができれば、 の話だが。
いままでずっと、 針金で trefoil を作り、そこに張らせることだけを考えていたので、 不可能だと思い込んでいたのだ。
……待てよ、大きな枠の中に小さな trefoil を針金で作ればそれでいいのか。 うーん、でもそれではあまりおもしろみがないな……。 人間が結び目の形を作るのでなく、 石けん膜に結び目の形を決めさせることができたらおもしろいと思うのだが。
(もしかすると、上の図に描こうとしたような 120 度の回転で対称な形は不安定で、 糸と石けん膜では実現できないかもしれない。 あるいは、一つの平面内に収まろうとして結び目にならないとか。)
2005-02-20 (0) 14:26:42 +0900
大学生か大学院生のころに自分で思いついた実験である。 針金で trefoil
+−−−+ | | +−|−−−−−+ | | | | | \ / | | / | +−−/ \−−+を作って石けん膜を張り、 “まん中”の部分を破るとメビウスの帯の形をした膜
+−−−+ |※※※| +−|−−−−−+ |※| |※| |※※\ /※※| |※※※/※※※| +−−/ \−−+になる。
これにより、 「しゃぼん玉の膜は外側がプラス、内側がマイナスで……」 というような説明は(おそらく)まちがいだ、とわかる。 メビウスの帯には表と裏の区別がないからである。
付)この話、前に書いたような気がしていたんだけどなあ……。
2005-02-20 (0) 14:21:52 +0900
そう読まないと通じない文章をよく見かける。 アウグスティヌスもルソーもびっくり、なーんちゃって。
2005-02-20 (0) 13:44:10 +0900
前項を書いていて思ったのだが、 もしも双曲幾何のお絵描きソフトがあったとすると、 どこを中心に表示させたかで絵の見た目が大きく変わる。 しかし、それは表示の違いだけであって、絵そのものは変わっていない。 このことを、 双曲幾何を勉強していない子どもたちなどにうまく説明できるだろうか?
では、エウクレイデス幾何の図は、 常に“同じに見えている”のだろうか? たとえば、 非常に複雑で大きな図を書いて議論しており、 一度に全体を見ることはできないとしよう。 すると、ある瞬間に見えている範囲はごく一部で、 あとは視野にはいっていないとも言えるわけだ。 だから、ときによって見え方は全く異なる、とも言える。
双曲幾何のモデルで絵が違ってくるのもそれと同じだよ、 という説明は正しい? 「同じ」「見える」 といった基本的事項から考えないと結論が出せないことがらのような気がする。
付) 「エウクレイデス」は英語読みすれば「ユークリッド」である。 普通はユークリッド幾何というか。
2005-02-20 (0) 13:36:15 +0900
小中学生にそれで遊ばせるのだ。 ポアンカレ円板モデル、あるいは上半平面モデルで画面には表示される。 両者の間の切り換えがもちろん可能。
ポアンカレ円板モデルの場合、どこを中心にするかが変更可能で、 そこを中心とした回転も可能。 上半平面モデルではどこを無限遠点にするかが変更可能で、 横への平行移動が可能。 それだけでなく、一点を“つまんで”連続的に動かせると便利だろう。
あと、isometry をいくつか指定すると現在描かれている図形をそれで移動した図形が描かれるとか。
研究者が研究の補助として視覚化するためのソフトはあると思うが、 Windows 付属の「ペイント」 のような感覚で誰にでも使えるお絵描きソフトがあるとうれしい。
2005-02-20 (0) 13:23:27 +0900
民の間を通ったのか?
2005-02-20 (0) 02:51:45 +0900
…と書かれた本があったらかなり奇妙だろうが、 「リンクするには事前に許可を得てください」というのはこれに等しい。
2005-02-20 (0) 02:46:50 +0900
19日づけ大阪本社版オピニオン面の「息子もびっくり
」
と題された一コマ漫画。
いまどきこんなおばあさんがいるかいな、と言いたくなるような、
昔の映画から抜け出てきたようなおばあさんが座ぶとんに座り、
黒電話の受話器を持って「私 私じゃ 仕送り 振り込め!
」
と言っている。
「振り込め!」のセリフから、 オレオレ詐欺あらため振り込め詐欺にひっかけているように思えるが、 息子が振り込め詐欺かとカン違いしてびっくりするためには、 このおばあさんが振込先の口座番号を電話の向こうの相手に伝えなければならない。 「いつもの口座に振り込め!」では、振り込め詐欺は絶対に成立しないからである。 じゃあ、このおばあさんがこれから「口座番号は……」と言うと思うかと聞かれたら、 私は絶対に言いそうにないと思う。 なぜと言われると困るが、かなり高齢のおばあさんであって、 新しい口座など開きそうにないからだ。 息子が何十年も前に開いてやった口座、 あるいは息子が生まれる前から持っている口座しか使っていない、 というように思えてならない。
それ以前に、振り込め詐欺は架空の事故などをでっちあげて 「これこれで金がいるから」と持ってゆくはず。 そこを書かずにいきなり「振り込め」では。
息子がびっくりしたのは老いた母親がこれで振り込め詐欺のまねをしていると思い込むほどボケてしまったから、 などと考えることはできるか。 まさか、単に振り込みを忘れていて驚いた、というのではあるまい。 それではあまりに単純な漫画になってしまう。
《朝日新聞>渋谷駅の構造を知っているとわかりにくい投稿一コマ漫画》、 《朝日新聞>またまたわかりにくい一コマ漫画 --- たぶん同じ作者によるもの》 ですでに取り上げた、「はちのじ・やすひこ」氏によるもの。
付) 「逆オレオレ詐欺」なら、私も 《「逆オレオレ詐欺」ってないのかな》 に書いた。 しかし、これは、はっきりとは書かなかったが、 新規に開いた口座番号も伝えるのである。
2005-02-20 (0) 01:54:12 +0900
19日づけ大阪本社版「天声人語」の最終段落。
明治安田生命の調査によると、去年生まれた赤ちゃんで最も多かった名は、 男が「蓮(れん)」、女は「さくら」と「美咲(みさき)」である。 上位にカタカナの名前は見あたらない。
この調査については
《朝日新聞>人名用漢字のまとまった記事が載った》
にあるリンク先を参照。
あまりにデータ数が少なく、
しかも保険にはいった家族だけの調査なので、
私はこれで「去年生まれた赤ちゃんで最も多かった名
」
がわかるとは思っていない。
付)
最後に「上位にカタカナの名前は見あたらない
」とあるのは、
この「天声人語」のテーマが合併後の市の名前に「南セントレア市」
を採用しようとしている町の話だからである。
それはいいんだけど、まん中あたりに
《セントレアという新奇な言葉に接して、
まず浮かんだのは南太平洋ニューカレドニアの島々、
でなければ花のカトレアの変種かと思った
》
とあるのはどういう意味があるのか?
個人の当て推量を書いても意味がないのではないか?
2005-02-20 (0) 01:30:54 +0900
19日づけ朝日新聞大阪本社版「天声人語」の冒頭に
《書店で赤ちゃんの名前事典をめくると、
外国風の名前を特集した章がある。
男の子なら「吐夢(トム)」、女の子では「花連(カレン)」などが挙がる
》
とあるのでふと気になった。
(カッコ内に書いたのは原文ではふりがなである。)
ひらがなで「とむ」なら「富む」かとも思うし、 「かれん」は「可憐」にも思える。
付)トム、カレンは英語の Tom, Karen を念頭においている名前であろう。 英語以外の言語ではどのくらい使われているのだろうか。 もし英語以外で使われないなら「外国風」でなく「英語風」と書くべきだと思う。
2005-02-20 (0) 01:15:51 +0900
2004年12月25日づけ朝日新聞大阪本社版社会面の、日朝実務者協議の記事。
《めぐみさんのものとされる遺骨が日本側に渡されるまでのやりとりは、
以下のように記された
》とある先に、
日本側の発言として
《プライバシーの問題ではない。
本当に亡くなったなら、人の道の常として『遺骨』はご両親に届けるべきものだ
》
とある。
夫婦の一方が亡くなって火葬にした場合、 遺骨は残ったほうが墓に納めるべきものだと私は思うが、 そもそも火葬にするかどうか、火葬場から遺骨を持って帰るかも込めて、 信仰や習慣に依存するものであって、 「人の道の常」と言いきるのは、なんだか変だ。
付)引用部分で二重カギカッコが使われているが、原文もそうなっていた。 一重カギカッコに囲まれているわけでもないのに。
2005-02-20 (0) 00:44:01 +0900
2004年12月27日づけ大阪本社版社会面「故高松宮妃 剛毅さと優しさと」。
その上の「故高松宮妃をしのび玉ぐし」という記事に付属した、地味な記事だ。
「編集委員・岩井克己
」と署名がある。
高松宮家は敗戦後、旧宮邸を貿易庁の迎賓館として提供し、 連合国軍総司令部(GHQ)の高官たちをもてなし、 日米融和に努めた。 昭和天皇の戦犯不訴追への一助にもなったとされる。 喜久子さまは、連日のように接待に務めた。
これより前の記事には、 旧憲法の時代にも皇族だったことは書かれていたかな……。
付) 引用部分の最後の「務めた」は別の字のほうがふさわしいかとも思うが、 そのまま引用した。
付) この記事には、高松宮日記が「原文カタカナ」として引用されている。 つまり、ひらがなに直して引用されている。 そのほうがはるかに読者に親切であろう。
2005-02-20 (0) 00:32:47 +0900
新字源で「埼」を見ると、 「崎」「碕」および“こざとへんに「奇」と書く字” (←コードがないみたいなんで変な書き方)と同義とされている。 しかし、現在の日本語としては、この字はほとんど「埼玉」専用の文字だろう。
この字を含む名称の会社があれば、 普通の人は埼玉に関連すると考えるのではあるまいか。 もちろん、それ以外に一般の意味でも使えるだろうが。
2005-02-20 (0) 00:17:27 +0900
埼京線ができたのは私が東京に住んでいたときだったと思うが、 「最強」の同音異義語をわざわざ作るなんてどうかしている、 埼玉県を東京都に結ぶんだから「埼玉線」でいいじゃないか、と思ったものだ。 (「埼京線は最強」という文句を国鉄の広告で見た記憶がある。)
そのあと聞いたところでは、 国鉄で新しい路線を作る場合、一箇所の地名だけを名前につけることはしない、 と決めていたとか。
付) 「赤羽線」を延長するとみなせるんだから「赤羽線」でいいではないか、 とも考えた。 「赤羽線」の名前がなくなってしまったのは残念だ。 ところで、 赤羽線を埼京線として延ばすにあたって、 どの電車も赤羽線内の駅は通過させない、 という約束が地元との間であったと聞いたことがある。 池袋と赤羽の間は、 旧貨物線を通って田端(の手前)経由でノンストップで走るのと、 どっちが速いだろう?
2005-02-20 (0) 00:14:28 +0900
ただの「金の指輪」になってしまったのなら、 それを追って水に飛び込むハーゲンをラインの乙女が深みに引き込む必要はない。
たとえば、ラインの乙女たちはハーゲンを無視して岸辺に上がり、 「これでやっと仕事から解放された」というように喜び合う。 指環を手にしたハーゲンは「ラインの黄金」 でアルベリヒがしたように指環の魔力を使おうとするが、何も起こらない。 ---
そうではなく、 やはりラインの乙女たちはあの黄金を守り続けなければならないのだろう。
2005-02-19 (6) 22:44:06 +0900
別に忘れてもいいのだ。それから改めてグートルーネを見るのだから。
2005-02-19 (6) 22:43:28 +0900
両親は双子だったので、そう考えてみただけ。
2005-02-19 (6) 22:39:50 +0900
リベカはイサクの妻の名。全体の意味は不明。
2005-02-19 (6) 22:38:15 +0900
前半は、伊勢大輔の和歌 「いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかな」の第四句。 百人一首にも選ばれている。
後半は、「贄(にえ)」の一部分を指して「ここを吹け」と言っているのである。 それがどこか、何のためかは不明。
2005-02-19 (6) 22:24:21 +0900
なぜか「九重」を「九重へ」と書いていたのを訂正。 カナ漢字変換で入力していたと推測される。 歴史的かなづかいの「ここのへ」にひかれて、 「ここのえ」と打って「九重」に変換したのち、 「え」を「へ」に変更せねばならないという意識から、 「へ」を余計に打ってしまったものか。
2009-03-21 (6) 01:22:30 +0900
六つ子が何かを積んだ、と。
2005-02-19 (6) 22:23:06 +0900
とある五つ子がごつい、と。
2005-02-19 (6) 22:21:27 +0900
三つ子が何かを積んだ、と。
2005-02-19 (6) 22:20:42 +0900
とある双子がタフだ、と。
2005-02-19 (6) 22:19:50 +0900
本文ナシ
2005-02-19 (6) 22:18:35 +0900
意味不明。
2005-02-19 (6) 22:17:09 +0900
意味不明。
2005-02-19 (6) 22:16:08 +0900
意味不明。
2005-02-19 (6) 22:15:06 +0900
ワルトラウテはワルキューレだし、ブリュンヒルデはもはや一人の人間である。 そして、ブリュンヒルデは戦死することが決まったわけではない。
2005-02-19 (6) 22:13:32 +0900
「目が見えないな、え、ミーメ?!」のなまったもの。 実際には、「目え」ときたらそのあとは「見えねえな」となりそうであるが、 それでは回文にならない。
「目ー見えねえ、ミーメ」(めーみえねえみーめ)も考えられるか。
なお、「ラインの黄金」第三場でミーメにアルベリヒが見えないのは、 目が見えないからではなく、アルベリヒがかくれかぶとで姿を消したためである。
2005-02-19 (6) 22:07:10 +0900
本文ナシ
2005-02-19 (6) 22:06:27 +0900
Tコードにはいっていたので、 Tコードで打っていたパソコン通信時代に使いなれてしまったためと思われる。 しかし、「誰何」のようなごくわずかな熟語を除けば、 「誰が」のように単体で使うので、 この漢字を使ってもわかちがき効果しか発揮しない。
2005-02-19 (6) 22:04:09 +0900
インターネットが盛んになるまでは、 書いたものを活字にして世間に出そうとしたら、 出る前に編集する人 --- 必ずしも、狭い意味での「編集者」とは限らない --- が目を通して、 必要があれば手を加えるのが普通だった。 その人たちが漢字制限を守る方針であれば、 そこで漢字をカナに直されたりしたのだと思う。 (ほかのことばに置きかえられたかもしれない。)
いまでは、 誰もがインターネットを使って自分の思う通りの文字の並びを発表することができる。 新聞や雑誌だけが漢字制限を守っても意味はない時代だが、 それでも、ごく一部を除けば、 あまりに難解な漢字は使われていないようである。
私自身はワープロはほとんど使わないので知らないのだが、 常用漢字以外の漢字を使った場合にそれを知らせてくれるモードはある?
2005-02-19 (6) 20:46:07 +0900
massangeana さんの「いろいろ」で、 常用漢字の見直しの際に固有名詞に使われる文字をどうするか、 が考察されている。 同氏の結論は、常用漢字とは別にするしかないのでは、ということだった。
そこで、直接の関係はあまりないがふと思ったのは、 新聞などでは固有名詞はすべて“ふりがなつき” としなければならないのではないか、ということだ。 「読めなくても構わない」 「読み間違われても文句を言わない」と決めるなら別だが。
漢字制限に賛成派には“反・ふりがな”の人が多い。 しかし固有名詞は別のような気がしてきたぞ。
2005-02-19 (6) 19:32:04 +0900
同一律(だったかな)により、で終わりだから書かないわけだが。
2005-02-19 (6) 19:27:48 +0900
子どものころ、 テレビドラマでよく見かけたシーンに、 凶器を持って侵入した男が人を殺そうとし、 殺されそうになった側が 「そんなことをすればますます罪が重くなるばかりだ」となだめるけれど 「もう*人、殺しているんだ。あと何人殺そうがどうせ死刑になる」 と開き直る、というのがあった。
死刑を廃止して終身刑が導入されれば、 「どうせ終身刑になる」と開き直るだけか。
2005-02-19 (6) 19:24:22 +0900
システムの欠陥などによるのではなく、人間が犯したミスのことをこういうらしい。 「人為的」は人間が意図して行なうことの意味だと思っていたので、 「ミス」とつながるのは私にはかなり異様。
先日、「人為的ミスですから……心配はございません」 というおわびのメールを受け取った。
2005-02-18 (5) 03:05:57 +0900
さっきぼそっと口にしてみて、気がついた。 「言う」の主語が「君」なのか、「言う」相手が「君」なのか、 この言い方ではわからない。
関係代名詞の直訳「〜ところの」を使っても 「言うところの人は君しかいない」となって同じだよな。
物騒だが、「殺す(ところの)人」で考えよう。
2005-02-18 (5) 01:36:38 +0900
slow は速度が遅いことで、 late は時刻が遅いこと。 反対は fast が「速い」、early が「早い」と漢字を使いわける。 (使いわけるのがいいと言っているわけではない。)
算数を教える際には「速い」と「早い」の差は大切なはずで、 旧暦をスローライフと呼ぶのはそのさまたげになるような。
2005-02-18 (5) 01:26:34 +0900
この「いろいろ」の原稿は「メモ帳」で書き、 Internet Explorer 5.50 で見え方を確認している。 さきほど、久しぶりに table を作ってみたら、 以前は
+-----------------+ |+---+ +---+ +---+| || | | | | || || | | | | || |+---+ +---+ +---+| |+---+ +---+ +---+| || | | | | || || | | | | || |+---+ +---+ +---+| +-----------------+のように表示されたはずの枠が
+ +---+ +---+ +---+| | | | | | | | | + + + | +---+ +---+ +---+| | | | | | | | | + + + | +-----------------+のようになる。一応、表に見えるが、枠の半分が欠けている。 しばらく悩んだが、bgcolor="#fdfffd" としてあったせいだと気がついた。 ずっと白い画面を見ていると飽きるので、少し変えてみたのを忘れていた。 この色は、枠の一部とよく似た色なのだ。
付) 地の色を変えていたのは下書きだけで、 アップロードしたものでは色の指定はしていない。
2005-02-18 (5) 01:24:01 +0900
ネットサーフィンしていてみつけた吹奏楽関連のページだったと思うが、 バイオリンの弦は下から G, D, A, E に調律するので、 だからクラシック音楽にはシャープ系の曲が多い、と書いてあった。
私自身はシャープ系の曲がそんなに多いとは感じていなかったので意外だった。 曲の数を数えるのはちょっと無理だから、 十二ずつある長調・短調の音階の中に、 これらの音がいくつ含まれているかを数えてみた。 (短調ではファとソが半音高められることがあるので、 両方を記しておいた。 # がついているのは半音高められたほう、 % がついているのはそうでないほうである。 これらはそれぞれ 0.5 と数えることにする。)
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これを見ると、実はそれほどシャープ系にかたよってはいないことがわかる。 長調において、シャープ系(G-dur から H-dur まで)の合計は 14, フラット系(Des-dur から F-dur まで)の合計は 10 で、 4, すなわち一つ分しか違わない。 十二の長調を時計の文字盤の「時」の十二のマークに 「C-dur が 12 時、G-dur が 1 時、D-dur が 2 時、……」 となるように置くと、“対称軸”は C-dur(12 時)と G-dur(1 時)の“中点”と Fis-dur(6 時)と Des-dur(7 時)の“中点”を結ぶ線分である。 短調ではシャープ系が 11, フラット系が 13 と逆転する。
注) 解放弦の音には(普通は)ビブラートがかからないので、 それほどは多用されない。 ただ、弾いていない解放弦と同じ音、 あるいはオクターブ上の音が鳴るとその弦も鳴るので、響きが豊かになる。
2005-02-18 (5) 01:18:50 +0900
たったいまけなしたばかりのマスコミ用語「門前払い」をさっそく使ってしまったが、 問題は、せっかく出願したのに(狭い意味で)受験することができなかった、 というところにあるのだろう。 「二段階選抜ではねられたときは代わりにここを受験したい」 という第二・第三志望の大学も記載して大学の総元締め(?) みたいなところへ出願し、 第一次の選抜を通ったところのうち最も上に書いておいたところから受験票がくる、 というシステムはどうかな?
注) 「狭い意味で」と書いたのは、 広い意味では二段階選抜ではねられたのも受験して落ちたことになるからである。
2005-02-17 (4) 20:42:11 +0900
きのうだったか、インターネット上の複数の新聞で見た。 そのうちの一つのページには 「その日本語に自信はありますか?」という JUSTSYSTEM の広告が載っていたので、ちょっと笑ってしまった。
この用語の使用は例年のことになっていて、 同僚の中には 「『門前払い』というのは理由もなく追い返すことだ。 前もってきちんと基準を説明しているのにおかしいではないか」 と言う人もいるほどだ。
付) そもそもの「門前払い」の「門」とは何を指しているのだろうか? 辞書によると、 門と直接の関係はなく、面会にきた人を会わずに帰らせることを指すらしい。
付) 大学が二段階選抜を行なう理由は、 第一には試験会場の不足、 第二には採点者・採点時間の不足だろう。 前者だけならクリアできる大学なら、 「受験させるだけさせて採点はしないことにしたら?」 とも思うのだが。 たぶん、問題になるんだろうな。
2005-02-17 (4) 18:00:44 +0900
「今川焼」と「我が舞い」がどう結びつくかは不明。
「今川焼や輪が舞い」とすると、「今川焼」や「輪」が(たぶん) 宙を舞っていることになる。意味不明であることに変わりはない。
2005-02-16 (3) 19:25:03 +0900
2004年12月24日づけ朝日新聞石川版テレビ面の、 NHK教育の午前6時から。三文字分の空白があるので、 「イタリア語会話」とすることも可能だったはず。
2005-02-16 (3) 02:05:02 +0900
「犯人は扉をバールのようなものでこじあけ」 などと言われるものの実物を見たことのある人はごくわずか、 とされる「バール」だが、 2004年12月24日づけ朝日新聞大阪本社版生活面「阪神大震災 / 10年のモノがたり」の第2回は「組み立て式バール」。 写真も載っている!
ところで、《1本ものだと保管しにくい
》というが、
《つなぐと2メートル
》なら、
そのままで本棚などのわきに立てておけそうだ。
大学ではもっと背の高い本棚も使っている。
2005-02-16 (3) 01:40:02 +0900
うちでは「こうこ」と言っていなかったので、 最初に「こうこ」という語を読んだときは意味がわからなかったっけ。 もちろん、「こうこ学」は「考古学」とかけてある。
付)Google で検索してみたところ、 子ども向けに「考古学」をひらがなで書いているサイトがたくさんひっかかる。 でも、その中に、やはりあった。
2005-02-16 (3) 01:05:36 +0900
2005-02-16 (3) 00:28:01 +0900
本文ナシ
2005-02-16 (3) 00:25:41 +0900
本文ナシ
2005-02-16 (3) 00:24:42 +0900
本文ナシ
2005-02-16 (3) 00:20:53 +0900
2004年1月15日づけ朝日新聞大阪本社版社会面 『派遣反対デモ「度が過ぎたら」 / 雪まつり協力、撤収も / 陸自幹部発言』。 本文中にも「度が過ぎた」とあるだけで、どういう意味かわからない。 デモ隊が投石を始めるとか、 暴動を起こすといった事態を指す? あるいは何も考えてない?
2005-02-16 (3) 00:00:59 +0900
2004年1月15日づけ朝日新聞大阪本社版社会面の歌会始の記事。
召人の岡野弘彦氏の歌は
《人みなのおのが幸(さち)さち詠みいでしうた選びをへ年あらたまる
》。
題は「幸」。ルール違反すれすれでは。
次の年の題は「歩み」だそうで、私も
《人みなのおのが歩み歩み詠みいでしうた選びをへ年あらたまる
》
という歌を考えたのだが、ますます字余り。
2005-02-15 (2) 23:56:05 +0900
幸ちやん」はルール違反すれすれ?
2004年1月15日づけ朝日新聞大阪本社版社会面の歌会始の記事。
召人の大岡信氏の歌は
《いとけなき日のマドンナの幸(さつ)ちやんも孫三
(み)たりとぞe(イー)メイル来る
》。
題は「幸」。ルール違反すれすれでは。
次の年の題は「歩み」だそうで、私も
《いとけなき日のマドンナの歩(あゆみ)ちやんも孫三
(み)たりとぞe(イー)メイル来る
》
という歌を考えたのだが、字余り。
2005-02-15 (2) 23:53:09 +0900
幸おほかれとわが祈るなり」
2004年1月15日づけ朝日新聞大阪本社版社会面の歌会始の記事。
皇太子殿下
、常陸宮殿下
、寛仁親王妃殿下
の歌の下の句が
「幸おほかれとわが祈るなり
」で同一である。
ちなみに、題は「幸」。
2005-02-15 (2) 23:42:52 +0900
何かうまい言い換えは?
2005-02-15 (2) 23:40:39 +0900
2004年1月15日づけ朝日新聞大阪本社版社会面、 「参院選無効確認訴訟判の判決理由」の、横尾裁判官の追加補足意見。
人口比例を考慮して定数配分がされた配当基数2以上の各選挙区間の議員1人当たりの人口格差については、 偶数配分とすることから生じる制約を考慮すると、 格差が1対2以上となれば直ちに違憲となるものではなく、 1対3までは許容されると解する。
この理由がわからない。 参議院議員は三年ごとに半数を改選するので、 各選挙区の定員は偶数でなければならない。 これはその通りだ。しかしこのことと1対3との関連は?
議員の総数が実際の半分だとみなして選挙区ごとの定員を決め、 その二倍をもって定数とすればいいだけの話ではあるまいか?
付)
第一面の記事によると原告は議員定数について
《偶数に固定せず1人区を認めるなどの是正措置を取るべきだと主張した
》
そうだが、そのこととは関係あるまい。
付) 半分では総定員が少なすぎて合理的に選挙区ごとの定員が決められない、 と主張するならそれはわかるが、そうは言っていない。
付) この裁判官は「2 で割る」 ことが偶数全体の集合から整数全体の集合への全単射であることが理解できていない?
2005-02-15 (2) 23:21:05 +0900
2003年11月26日づけ大阪本社版オピニオン面「声」の
「犬と歩けば」と題されたコーナーに載った二つの投書の一つ、
「拾われたのに車にはねられ」。60歳の主婦の投書である。
近所の人が捨てられていた犬を見つけて拾って飼い始め、
《朝夕、高齢で痛む足をかばいながら一緒に散歩されていた
》
が自動車にはねられてしまって、というのだが、犬がはねられたら、
ひもを持っていた飼い主も危険にさらされただろう。
そういうことが一切書かれていないので不気味である。
まさかとは思うが、放し飼いにしている間にはねられたのでは、
と疑いたくもなってくる。
2005-02-15 (2) 23:11:43 +0900
2003年11月26日づけ朝日新聞大阪本社版芸能面「オフステージ」
は映画監督の篠崎誠氏による「映画の学校」。
立教大学で講師をしておられるそうで、
映画を見てレポートを出させたりもしているそうだ。
そこに
《映画館で見た証拠に表紙に必ず半券を添付させる
》
とあるのだが、「貼付させる」ではないかと思ったのは私だけ?
2005-02-15 (2) 23:05:21 +0900
2003年11月26日づけ大阪本社版「政治・総合」面
「総選挙大敗の共産 / 「リアリズム」で候補者数減らす / 来夏参院選比例」に
《市田氏は「リアリズム(現実主義)に徹すると同時に、
志を高くということをアウフヘーベン(統合的に発展)すると5議席」
と「目標の下方修正」との見方を否定した
》とあるのだが、
これでわかるかな。専門用語なんだし。
ただし、そういう意味で使われているとは思えない。 単に中間をとって妥協しただけではないか。
2005-02-15 (2) 23:03:04 +0900
2004年1月14日づけ朝日新聞大阪本社版「政治・総合」面、
「英語パンフレットで拉致問題の現状紹介 / 外務省、各国大使館へ送付」
に《A4版で6ページ
》とある。
2005-02-15 (2) 22:54:27 +0900
朝日新聞 be の b7 面「be between」 というのは応募した読者から選ばれた数千人にアンケートした結果を元に作られている欄だ。 5日づけ掲載分のテーマは「学力低下」。 この回は 4231 人が回答したそうだ。
その中の「学力を向上させるには?
」という質問に対する回答は多い順に
「教師の指導力を高める
」
「学校五日制の見直し
」
「教科内容や授業時間を増やす
」
「少人数学級にする
」
「もっと社会に参加させる
」
「学校を自由に選べるようにする
」
「社会人に学校で教えさせる
」
「ゲームや携帯電話を規制
」
「全国一斉テストで学校を競わせる
」
「高校や大学の入試を難しくする
」。
「落第制度を設けて、できるまで先へ進ませない」というのはなかったのだろうか。
落第といっても一年下のクラスにはいるという昔ながらのやり方とは限らない。 特定の科目だけもう一度履修することも考えられる。 一年単位でするのではなく、数日単位での“落第”なら、 「できるまでくり返しましょう」とほとんど変わらない。
付)
最後の「高校や大学の入試を難しくする
」は、意味がはっきりしない。
試験問題をむずかしくすれば“でき”が悪くてもはいれるようになるだけだ。
競争を激しくすることは、何度も入試を行ない、
一人の受験者が多くの学校を受験できるようにすれば可能だが、
教育的効果があるとは言えまい。
私個人は、資格試験をまず行ない、通ったものだけを競争試験へ進ませたら、
と考えている。
これだと、落第はせずに下の学校は出ても入学資格が得られず事実上落第、
ということがあるのである。
付) そもそも、この回答は選択式なのか、 それとも自由に記述させる方式だったのかがわからないが、 たぶん前者だろう。 これだけの人数が勝手に書いてきたことをまとめるのは容易ではないからだ。
付)
一番にあがっている「教師の指導力を高める
」も意味がはっきりしない。
生徒が騒ぐなどして授業にならない学校では生徒を静める力が指導力だろうし、
そうでない学校では教科の内容をきちんとわからせる力が指導力だろう。
選択肢を作った記者も学力低下している?
2005-02-15 (2) 22:45:49 +0900
《朝日新聞>この「おぼれそうな人」は「おぼれている人」の意味では》 に関連する話題である。
私なら泳げる人を呼ぶ。 しかし、英語の drown の意味だとすると、救急車、あるいは葬儀屋を呼ばねばなるまい。
……と思ったのだが、数十年前の国語辞典でも「〜して死ぬ」、 「死にそうになる」の両方の意味を載せている。 岩波古語辞典には死ぬの意味は載ってにいない。 「死ぬ」のほうだけが「おぼれる」だと思っていると 「死にそうになる」のほうは「おぼれそうになる」である。 そうなりそうなときは「おぼれそうになりそうになる」?
2005-02-15 (2) 19:28:12 +0900
3月号はなぜか職場の生協に届くのが遅れ、きょう入手した。
冒頭の「読者相談室」に前の号の訂正が載っているのだが、
《正しくは
……となります
》とあるのに驚いた。
「正しくは……です」ではないか。
2005-02-15 (2) 19:18:59 +0900
最近、お腹の回りにあぶらがついてきたようで、 前かがみになるとつかえるし、脇腹もはっきりとつかめるようになってきた。 それに加えて、直立したときに太ももの内側がふれあって気持ちが悪い。 先ほど、思い切って体重計を出して測ってみたら大台を越えていた! (何キログラムだったかは書かない。)
かなりショックだったので減量することにした。
2005-02-15 (2) 02:57:00 +0900