■ ■ ■■■ ■■■ ■■■■■ ■■■■■ ■■■■■■ ■■■■■■ ■■■■■■△■■■■■■ ■■■■△△■■■■ ■■△△△■■ △△△△ ■■■■ ■■■■ ■■■■ ■■■■ ■■■■ ■■■■キャラ絵では正確に書けないが、こんな風だと思ってほしい。 まん中に正三角形の部分があり、そこに長方形の道が三本ついている。 上では「△」で示した正三角形の部分を、 (ここでは)交差点と呼ぶことにする。 交差点の三辺を底辺とし、底角が 30 度の二等辺三角形を三つ、 交差点の外側につける。その中に運転者の目があれば、 左右の道が無限遠まで見通せることがわかる。
▼△▼ ▼▼△△▼▼ ▼▼▼△△△▼▼▼ ▼▼▼▼△△△△▼▼▼▼ ▼▼▼▼▼△△△△△▼▼▼▼▼ ▼▼▼▼▼ △△△△△△ ▼▼▼▼▼ ▼▼▼▼▼△△△△△△△▼▼▼▼▼ ▼▼▼▼ △△△△△△△△ ▼▼▼▼ ▼▼▼▼△△△△△△△△△▼▼▼▼ ▼▼▼ △△△△△△△△△△ ▼▼▼ ▼▼▼△△△△△△△△△△△▼▼▼ ▼▼ △△△△△△△△△△△△ ▼▼ ▼▼△△△△△△△△△△△△△▼▼ ▼ △△△△△△△△△△△△△△ ▼ ▼△△△△△△△△△△△△△△△▼ △△△△△△△△△△△△△△△△ ▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼ ▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼ ▼▼▼▼▼▼▼ ▼▼▼▼ ▼こんな感じ。全体は正六角形をなす。
2009-11-14 (6) 21:33:07 +0900
確か、表札には「イソノ」としか書かれていない。 住所のあとに「イソノ方」とつけないと、 「この住所には『フグタ』という家は見当たらない」 と思った郵便配達の人が帰ってしまう可能性がある。
それとも、郵便局に 「うちはイソノですが、フグタ姓のものもいます」 と届けておけばいいのだろうか? でも、郵便以外に、 宅配もくるから、だめだよな。
2009-11-14 (6) 21:15:16 +0900
タスケン・レイダーたちが爪を切ってやっていたとは思えない。 あの世界では爪ののびる速さが現実のこの世界と違うのか、 あるいは、 クリーグ・ラーズのいう「一カ月」が現実の世界の一カ月と違うのか。
2009-11-14 (6) 20:04:17 +0900
オビ=ワン・ケノービが、 オルデラーンまで行ってもらうための前金としてハン・ソロに渡した額と、 新三部作で母親を奴隷から解放するのに必要だった額と、 どちらが多いのだろうか?
ハン・ソロの喜びようからすると、前者のほうが多かったような気がするのだが、 もしそうだとすると、 「これだけの額が二十数年前にあれば、アナキンの母親を買い戻せただろうに。 そうすれば、アナキンがダーク・サイドにおちることもなかっただろうに」 などと考えてしまったのではなかろうか。
いや、そういう後悔はジェダイにはふさわしくないのかな。
付)あれ? オビ=ワンは、ほんとうにあそこでお金を渡していたかな?
2009-11-14 (6) 19:51:35 +0900
誰でも簡単に一つの星を抜け出し、他の星へはいることができてしまう。
2009-11-14 (6) 19:49:31 +0900
重苦しいし、かっこいい戦いがあるわけでもないので、 あまりくり返し見ていなかった。
アナキンは力が足りなかったと言っているが、 お金さえあれば先に母親を買い戻して自由にすることができた、 と思いつつ見ると。
しかし、新三部作の中であそこが重大な転換点として描かれているんだよな。 インペリアル・マーチは流れるし。
2009-11-14 (6) 19:45:49 +0900
I では、 シオ・ビブルはアミダラ女王たちがコルサントに向かったのちもナブーに残る。
二人のジェダイが“女王”にコルサントへ向かうかどうか尋ねるシーンまではいて、 その次の、ジェダイが駐機場で敵のドロイドを倒し、 操縦士たちを解放するシーンにはいない。 ここで、自分の意思でナブーに残った、ということだろう。 その後、女王たちがタトゥイーンで足止めを食らっているとき、 シオ・ビブルは“女王”に立体画像でナブーの窮状を訴える。 オビ=ワンはそれを罠、すなわち、 ニーモディアン二人組がシオ・ビブルを脅して演技をさせていると見抜く。 また、アナキンがオビ=ワンに出会った直後にも、 ナブーでヌート・ガンレイに脅されるシーンがある。
これだけ苦労したシオ・ビブルだからこそ、 アナキンの二つの活躍 --- タトゥイーンのポッドレースで優勝しハイパードライブを入手したことと、 ナブー上空の宇宙ステーションを破壊したこと --- を、よく理解していると考えるのが普通だろう。
パドメを護衛してナブーへ連れ帰ったアナキンについて、 もう少し、知っていてもおかしくないのではないか。 いまはコルサントでオビ=ワンの弟子として修業中である、などということを。 それなのに、Master Jedi と話しかけている。 もしかして、 あのときの少年であることを理解していないのではあるまいか?
2009-11-14 (6) 18:45:44 +0900
前項に書いた案にはほかにも欠点がある。 完全に三つの道が平等な三叉路だと、 同時に三方向から右折車がきた場合、困るであろう。
だから、三叉路ごとに、三つの道に順位をつけなければならない。 それはどういうふうにつけるべきだろうか?
2009-11-14 (6) 03:34:18 +0900
前に、この「いろいろ」に書いたことがあるはずなのだが、みつからないので初めから書く。
自動車を運転していて、信号のない交差点に進入するところだとしよう。 左右の安全を確認するには、 いま運転している自動車の先端が、運転席あたりまで、 交差している道に出る必要がある。出ないことには左右が見えないから。 でも、出たら、横からきた自動車にぶつかるかも知れない。
それでは困るので、全ての交差点が三叉路であるように道を作ったらどうか、 と考えた。次の絵のようにである。全てのブロックは正六角形となる。
■■■ ■■■ ■ ■ ■ ■ ■ ■■■ ■ ■ ■ ■ ■ ■■■ ■■■ ■ ■ ■ ■ ■ ■■■ ■ ■ ■ ■ ■ ■■■ ■■■これなら、斜め60度の方向を見ればよいので、交差点にはいらずに、 安全確認ができるのではあるまいか。 ここまでを、前に書いたはずなのだ。
しかし、これには重大な欠点があった。 交差点にいたるごとに、左か右に曲がらなければならない。 長距離の移動に、かなり時間がかかるだろう。
次のようにすることを思いついた。
■■■ ■ ■ ■■■ ■■■ ■■■ ■■■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■■■ ■ ■ ■■■ ■■■ ■■■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■■■ ■■■ ■ ■■■ ■■■ ■■■ ■■■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■■■ ■ ■ ■■■ ■■■ ■■■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■■■ ■■■ ■■■ ■■■ ■■■ ■■■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■■■ ■■■ A ■■■■■■■■■■■■■■■ F ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■■■ ■■■ ■■■ ■■■ ■■■ ■■■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■■■ ■ ■ ■■■ ■■■ ■■■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■■■ ■■■ ■ ■■■ ■■■ ■■■ ■■■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■■■ ■ ■ ■■■ ■■■ ■■■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■■■ ■ ■ ■■■ ■■■ ■■■ ■■■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■■■ ■ ■■■ ■■■ ■■■ ■■■ ■■■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■■■ ■ ■ ■■■ ■■■ ■■■ ■■■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■■■ ■■■ ■■■ ■■■ ■■■ ■■■ ■■■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■■■■ B ■■■ ■■■ ■■■ ■■■ ■■■ ■■■ E ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■■■ ■■■ ■■■ ■■■ ■■■ ■■■ ■■■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■■■ ■ ■ ■■■ ■■■ ■■■ ■■■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■■■ ■ ■■■ ■■■ ■■■ ■■■ ■■■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■まん中にAと書かれた六角形から、右、左上、左下に出ている道には、 しばらく、交差点がなく、 まん中にBと書かれた六角形から、左、右上、右下に出ている道には、 しばらく、交差点がない。 このような道を“辺”とし、まん中に文字の書いてある六角形を“頂点”として、 大きな六角形を作る。 そして、その中には、小さな六角形をなすように道を作る。 中への入口は、六つの頂点である。
付)上の絵は、手作業で書いた。疲れた。
2009-11-14 (6) 02:17:10 +0900
上の絵をかきあげてから気づいたが、 道を上下に作ることが許されるなら、次のようにできる。
■■■ ■■□ ■■■ ■■■ ■■■ ■■■ □ ■ ■ ■ □ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ □ ■ ■■■ □■■ ■■■ ■■■ ■■■ ■■□ ■ ■ ■ ■□ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ □■ ■■■ ■■■ □ ■■■ ■■■ ■■■ ■■■ □ ■ ■ ■ ■ ■ □■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■□ ■ ■ ■■■ ■■□ ■■■ ■■■ ■■■ □■■ ■ ■ ■ ■ □ 囲 ■ ■ ■ ■ 囲 □ ■■■ ■■■ □□□ ■■■ ■■■ □□□ ■ ■ ■ ■ □ □ ■ ■ ■ ■ □ □ ■ ■■■ ■囲□ A □□□□□□□□□□□□□□□ F □ ■ ■ ■ ■ □ □ ■ ■ ■ ■ □ □ ■■■ ■■■ □□□ ■■■ ■■■ □□□ ■ ■ ■ ■ □ 囲 ■ ■ ■ ■ 囲 □ ■ ■■■ ■■□ ■■■ ■■■ ■■■ □■■ ■ ■ ■ ■ □■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■□ ■ ■■■ ■■■ □ ■■■ ■■■ ■■■ ■■■ □ ■ ■ ■ ■ ■□ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ □■ ■ ■■■ □■■ ■■■ ■■■ ■■■ ■■□ ■ ■ ■ □ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ □ ■■■ ■■□ ■■■ ■■■ ■■■ ■■■ □■■ ■ ■ ■ □■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■□ ■ ■ ■■■ □ ■■■ ■■■ ■■■ ■■■ ■■■ □ ■ ■ ■ ■□ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ □■ ■■■ □■■ ■■■ ■■■ ■■■ ■■■ ■■□ ■ 囲 □ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ □ ■ □□□ ■■■ ■■■ ■■■ ■■■ ■■■ □□□ ■ □ □ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ □ □ □□□□ B □囲■ ■■■ ■■■ ■■■ ■■■ ■囲□ E □ ■ □ □ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ □ □ ■ □□□ ■■■ ■■■ ■■■ ■■■ ■■■ □□□ ■ 囲 □ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ □ ■■■ □■■ ■■■ ■■■ ■■■ ■■■ ■■□ ■ ■ ■□ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ □ ■ ■■■ □ ■■■ ■■■ ■■■ ■■■ ■■■ □ ■ ■ ■ □ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■□「□」は、 「■」よりも高い位置にある、より高速で走れる道である。 「囲」はその中間の高さ。 「■」は、 まん中にアルファベットの書かれた六角形の付近を除けば、 規則的な六角形の模様をなしている。
前の図で、書き忘れている道があることに気づいたが、訂正しないことにする。 してもまだもれがあるかもしれないから。
2009-11-14 (6) 21:02:05 +0900
10月28日水曜日づけ朝日新聞大阪本社版「声」掲載の、
埼玉県春日部市の主婦、工藤繭さんの投書「家族の同姓 わが子は望んだ」。
《夫婦別姓になれば、子どもの名字は結婚時に決めておくようです。
でも、
家族同姓という1世紀余続いた良き日本文化を崩してしまうことはありませんか
》。
この部分を読んで気がついた。 漫画「サザエさん」の一家は、 あの七人で一家族だといままで思っていたが、 イソノ姓の四人とフグタ姓の三人は、別々の家族なんだろうか?
なお、 《この「いろいろ」で、一般人の投書を取り上げる場合にも投書者名を書く理由》 を参照されたい。
付)タイトル行の「+一匹」は飼い猫のタマをさす。
2009-11-14 (6) 01:56:22 +0900
7 * 3 + 5 = 26 歳のときだったかも知れない。
きょう、いや、もうきのうか。 きのうで、田中美佐子も五十歳のはず。 (7 + 3) * 5 = 50 歳だな、とふと思った。それだけ。
付) 七五三は数え年でやるはず、というツッコミがきそうだな。
2009-11-12 (4) 00:34:17 +0900
昔、住んでいた東京近郊で電車に乗るときは、定期券・回数券は別として、 毎回現金で切符を買った。 駅員のいる出札口で買うにせよ、自動販売機で買うにせよ、 切符には四ケタの数が印字されていた。 それらの表記に使われている四つの数字を一ケタの数とみなし、 それらと+−×÷の演算子を使って 10 を作る遊びがあった。 1357 の場合、1 - 3 + 5 + 7 とすればよい。 四つの数字が異なる場合は必ず解があると聞いた記憶がある。
いまはいちいち切符を買わないから、 この遊びも忘れられてゆくんじゃないかと……。
付) タイトル行の「四ケタの数字」というのは、厳密に考えるとおかしいかも、 と考え、本文では回りくどい言い方をした。 「四ケタの数字」で、四ケタの数を表示するのに使われている四つの数字を意味する、 と決めればそれでもよいのだが。
付)さらにいうと、最上位から何ケタかが 0 のことがあったと思う。 つまり、四ケタの数でない場合もあったと思う。
2009-11-12 (4) 00:26:31 +0900
いままで、規則はあるだろうと思いながら、 どうせ何度か押していれば目的の窓にいたるから、 と規則を解明しようと思っていなかった。 いまこれを書いている Vista マシンで、 これを書くためのウィンドウはすべていったん閉じ、 1.txt, 2.txt, 3.txt という空のファイルを作り、 それらを開いて実験した。
Alt を押したまま Tab を一度押して離すと、 いまアクティブだったものが一番左にあり、 そのすぐ右のがアクティブになろうとする。 このリストは、左から右に並んでいるのであり、 Alt を押したまま何度か Tab を押して離すことで、 だんだんに右のものが候補となる。 Alt を離したときに候補であったものがアクティブになり、 次には、一番左にくる。それ以外のウィンドウの順序は保たれる。 すなわち、いま選んだウィンドウより左のウィンドウは一つずつ右にずれる。
だから、机の上に本を積み重ねておき、 一番上の本を読んでいて、 読み終えたら単に閉じ、次に読みたい本を、 その下から順に、下へ下へと探し、 見つかったら引き抜いて --- 必然的にそれより上の本は一冊分の厚みだけ下へと落ちる ---、 一番上に持ってきて開いて読む、というのと同じ。
Windows ロゴ キーをおしたまま Tab キーを押してゆくときも同様。
あー、すっきりした。
2009-11-12 (4) 00:08:33 +0900
10月17日づけ朝日新聞大阪本社版 be on Saturday の b2 面、
「キミの名は」は「白水社」。
そこに
《雑誌「婦人」を出したが、高踏すぎて半年で廃刊に
》
とあるのがひっかかった。
「高踏すぎる」という言い方はあるのだろうか? 「高踏的すぎる」
はあると思うが。広辞苑で「高踏」をひいても、わからない。
「すぎる」を見ても、何について何にはつかないか、わからない。
Google で、 "高踏すぎる" 7件、 "高踏的すぎる" 7540件、 "高踏すぎて" 97件、 "高踏的すぎて" 1250件。 これを見ると、「高踏すぎる」はかなり少数派だ。
漢語であって、「すぎる」を直接つけることはできないが、 「的すぎる」をつけることができるものとしては、 「×代表すぎる」「代表的すぎる」がある。
《伊藤千尋
》と署名あり。
2009-11-11 (3) 23:54:35 +0900
10月24日土曜日づけ朝日新聞大阪本社版 be on Saturday の e1 面、「うたの旅人」
は『唱歌「故郷」』。歌詞が載っている。
一番は《兎(うさぎ)追ひしかの山
》で始まり、
二番は《如何(いか)にいます父母
》で始まる。
これを見て、しばらく考えた。
あれ? 歴史的かなづかいと現代かなづかいが混用されていないか? そうか、
「如何にゐます」じゃないんだ。ずっと誤解していた。
昔の人は父母に尊敬語を使ったんだなあ。
2009-11-11 (3) 23:47:56 +0900
本文ナシ
2009-11-11 (3) 23:34:14 +0900
2009-11-11 (3) 00:15:30 +0900
このパソコン机はそれほど重くはない。 長辺のまん中あたりに立って左右の短辺に手をかけ、 少し持ち上げては、横に少しずらして降ろす、という動作のくり返しで移動できそうだ。 引きずってはいけない。机を傷めるからだ。 しかし、ドアを出るところは、この方法が使えない。 ドアの幅は、この机の短辺の長さよりほんの少し広いだけで、 そこに自分の身体のはいる余地はない。 無理をしながら、半分までをドアの向こうへ出す。 次に、自分がドアの向こう側へ行って、今度は机を引き出すことになる。
この、自分がドアの向こう側へ行くとき。 ドアのまん中には、いま運んでいる机があるのだから、 それを乗り越えるしかない。 最初は、机の上にお尻をついて、足をあげ、向こうにおろして越えた。 二度め、目的の部屋に入れるときは、 進行方向に背を向けて机の上に腰をおろし、 後ろでんぐり返しをすればいいことに気がついた。 もう何十年もしていないので、あまりうまく回れなかったが。
2009-11-11 (3) 00:06:35 +0900
録音したカセットテープを聞くのが、こんなに遅くなってしまった。 ストリーミングで聞けるようになる、翌週月曜日以降に聞くのだと、 録音する意味があまりないのだが、人生、何が起こるかわからない。 できるときにできることはやっておこう。
先月は「日常の出来事を表現しよう」、 今月は「日常とは違う出来事を表現しよう」となっているが、 ディアローグの内容は、先月と今月とで、 どちらが日常でどちらが非日常と決め難いような気がする。 人生って、そういうものだと思うけど。 (この、月ごとのテーマは、毎回ひとつずつ取り上げられる文法事項とは、 特に何の関係もない。)
辞書をひいて知ったが、 club は英語からはいった外来語ということで、 発音例外なのだ。母音は [œ] と発音する。 どうりで、[y] に聞こえないわけだ。
「lui remonter le moral は『彼を元気づける』です」。 この lui は、説明はなかったが、間接目的語の形だったな。 あんまり出てこないから、忘れかかっていた。
avoir le vin triste, avoir le vin gai は 落語でいう泣き上戸、笑い上戸か。それほどでもないのかな。 ほかに、avoir le vin のあとにどんな形容詞がくるのか、知りたいな。 (手元の仏和辞典にはこの二つのみ。)
文法チェック。 先生「二つの文をどうつないで一つの文にするのか、見ていきましょう」。 ミカエルさん 「C'est un ami. + Je fais souvent du tennis avec cet ami.」 先生「その人は友人です。 私はしばしばその友人と一緒にテニスをします。 二番目の文では、共通の名詞 ami, これが先行詞になるわけですが、 これは人ですね。そして、その ami の前に前置詞 avec があります。 この二点に注目して関係代名詞を使って一つの文にするとこうなります」。 ミカエルさん「C'est un ami avec qui je fais souvent du tennis.」 (ミカエルさんのセリフは、テキストから写したので、 下線が引かれたり、「+」が登場したり、太字になったりしている。)
ここの、「二番目の文では」がどれを指しているのかわからない。 関係代名詞でくっつける前の、二番目の文? でも、 その ami が先行詞になるのではなく、一番目の文の un ami が先行詞になる、 んだよな……。 「これが先行詞の un ami と重なるわけですが」 というような説明なら、すっきり理解できる。
dont について「十課でチェックしました」とおっしゃったが、 ここでは「じゅっか」と発音された。
表現練習。 linguistique の -gui- の部分の発音は [gi] じゃないんだったな。 辞書をひいて確認。
「彼の唯一の」を「かれのゆいつの」と発音しておられる。二回とも。
2009-11-10 (2) 22:22:01 +0900
tournoi は「トーナメント」と訳されただけで、どんなものかの説明がなかった。 私は高校野球が採用しているトーナメント形式、 あるいはトーナメント戦と呼ばれるもので「トーナメント」なる語を覚えたので、 ああいう形式での試合の進め方をいう語だとずっと思っていた。 プロ野球の監督などが、シーズンの終盤になって、 一試合でも負けたら目標達成が苦しいという状況になってきたとき、 「これからはトーナメントのつもりで戦います」 と言うことがある。あれは、 「一つ負けたらおしまいというつもりで戦います」ということだろう。 手元の仏和辞典の説明はあまりくわしくないが、 そうではなく、本来の意味らしい。 私自身が理解しているところを述べれば、 一人対一人(あるいは一チーム対一チーム)で戦う競技を、 三人(あるいは三チーム)以上が集まって、 さまざまな組み合わせで戦い、順位を決めるものである。
lequel, laquelle, lesquels, lesquelles と続けて一息におっしゃるときの言い方が、 なぜかかわいらしい。
上で、「文法チェック」の位置が間違っていたので、直した。 (番組の進行順に気づいたことを書いているので、 「文法チェック」と書かれているところからそこの話になります。)
本文の訳のときは、「ゆいいつ」と発音されていた。
表現練習の最後。 「彼の唯一の欠点は整理整頓ができないことです」 「彼の唯一の欠点は完璧主義者すぎることです」。 この二つは、どちらも私に当てはまる。 だから「唯一の」ではないのだが。 私は整理整頓するなら完璧にやらないと気がすまない。 いまはそれだけの時間がないからと、いつも整理整頓ができていない。
2009-11-16 (1) 00:34:41 +0900
テキストの冒頭のト書きには
「トマとカミーユが話しています
」とあるが、
先生は「カミーユとトマが話しています」とおっしゃった。
訳文に「夜中」とあるが、これは「よるじゅう」と読むのだった。 ふつう、「よなか」と読んでしまうだろう。 (私なら「夜じゅう」とする。)
「文法チェック」は「関係代名詞複合形」。
むずかしそうな名前だが、「前置詞のついた関係代名詞
」のことである。
「表現練習」の
「私たちは共通の友人の結婚式のときに知り合いました
」
を、「共通の『友人の結婚式』のときに」と思い込んでいた。
そうではなく、「『共通の友人』の結婚式のときに」である。
un(e) ami(e) commune(e) と、
その友人が男性か女性の単数であることを認識して、やっと気づいた。
音楽が始まり、 終わりのごあいさつが済んでから、 45秒以上ある。
上で『「二番目の文では」がどれを指しているのかわからない』と書いた部分。 先生の説明のしかたでは、いったん un ami avec qui je fais souvent du tennis という形にし、 それを、C'est un ami という文と un ami を重ね合わせることで一つの文にする、 ということなのだろう。 (私が英語の関係代名詞を習ったときの考え方にならうなら、 cet ami が qui になって、それが avec と一緒に前に出て avec qui je fais souvent du tennis となり、 その直前に qui の指す名詞 un ami がくるように第一の文とつなげる、 と考える。)
2011-05-23 (1) 00:57:55 +0900
……感じ取ることはできなかったのだろうか。 冒頭のエレベータのシーンで感じていておかしくないし、 アリーナあたりからは感づいていないほうがおかしいと思うのだが。
それを感じ取ったら、 「アナキンはパドメに対し特別な感情を持っているのでこの任務には不適切です」 と評議会に伝えるべきだろう。
2009-11-10 (2) 00:39:48 +0900
混浴時に限らず、テレビの温泉訪問の番組では、 バスタオルを巻いてはいり、テロップに 「撮影用に特別に許可を得てバスタオルを着用しています」 などと出たりする。 だから、本来はバスタオルはまずいわけだ。 何かうまいものを工夫できないものだろうか。 すだれのようなものを巻きつけてはいり、 肩までつかったらそれはからだからはずして細く巻く、 なんてだめかな?
西洋の湯治場のように水着着用というのは解放感がなくて。
2009-11-10 (2) 00:35:11 +0900
私は自動車の運転免許は持っていないので、これは聞いた話だが、 いまは運転免許取得のための教習所に通うと、最初は本物の自動車には乗らず、 シミュレータで練習すると聞いたことがある。
そういうものがあるなら、 信号のない横断歩道を、道路交通法を順守して通過できるものかどうか、 調べることができそうに思われる。 前にも書いたと思うが、 停止線から横断歩道までの距離のほうが、 横断歩道の端と、運転手から見えないところとの最短の距離よりも大きい横断歩道は、 通過できないのではないかと思うのだ。 もちろん、その見えないところから、 人間としての全速力で走ってくる人間 --- といってもその映像だが --- がいつ飛び出してくるかわからないとして、 それが横断歩道に差しかかったときに、 その横断歩道上の、その人間の前方を通過してはいけない、 というルールで、通過できるかどうかを調べるのである。
2009-11-10 (2) 00:23:28 +0900
人間と同じように二本足で歩き、また、走るが、 人間にできないような速さで走ったり、方向転換したりはしないとする。 その意味では人間並みだが、ただし、人間と違って、自動車と衝突した場合、 運転手の肉体にダメージを与える可能性が高いぐらい、丈夫にできているとする。
こういうロボットができたら、 信号のない横断歩道を横切る自動車の走り方が変わってくるのではなかろうか。
2009-11-10 (2) 00:19:16 +0900
かつて、窓口の上の文字を読んで、 自分の用事はこの窓口だろうと無人の窓口の前に立ったら、 こちらの用事が何なのかも聞かれずに、 向こうへ並んでくださいと言われたことがある。
2009-11-10 (2) 00:14:34 +0900
学部一年生向けのオムニバス形式の講義などで、 「数式をできるだけ使わずに」 自分の研究分野について話せ、と言われるのは、 日本語を使わないで話せ、と言われるよりも難しいだろう。
そういう私は、いまだかつて、 英語で数学の講演をしたことがないのだが。
2009-11-10 (2) 00:08:42 +0900
この句は「ああ友と良き酒を」に続き、 そしてこのあと「飲み明かしたい」と続くわけだが、 ほろ酔い機嫌で Google を検索してみたところ、 どうやら後者が多いようだ。
だが、「憂いて」となるためには、 上一段動詞「憂いる」がなければならない。 四段動詞「憂う」が存在したとしても、 「笑う」と同じ変化だから、「憂って」となり、「憂いて」とはならないのである。
しかし、携帯電話版の広辞苑第六版では、この語は見あたらない。 「憂」の字で始まる語を検索して全部に目を通してみたが、 載っているのは下二段あるいは上二段の「憂う」、 下一段の「憂える」のみである。 岩波古語辞典 --- この辞書は動詞は連用形で載せている --- によれば、「憂ひ」(上二段活用)は鎌倉時代以後に 「憂へ」(下二段活用)からできた語だそうだ。 「憂いて」という形になるのは、古語の「憂ふ」(上二段活用) の連用形+「て」となる。 (その場合、歴史的かなづかいでは「憂ひて」となる。)
それが作者の意図なら、ここは古語を用いたことになり、 「憂いて」は /ure:te/ ではなく /ureite/ と発音せねばならない。 同じハ行上二段動詞「生ふ」の連用形+「て」は「生ひて」であり、 そこには /oite/ と「い」の音が現れるから。
私はずっと「憂えて」だと思って、/ure:te/ と歌っていた。 (私が聞いたのは、かまやつひろしが歌っていたもの。)
付) ほろ酔いだったのは本項の下書きを始めた数時間前のこと。 いまはすっかりさめている。
2009-11-09 (1) 23:50:52 +0900
Google で「我が良き友よ」を検索して初めのほうにでくる、 YouTube の動画を見てみた。 (実際には画像はほとんど動かず、静止画に近い。)
かまやつひろしは「うれえて」と歌っているのに対し、 そのページからリンクがはられていた吉田拓郎が歌う動画では 「うれいて」と歌われていた。
かまやつひろしが、 現代語として“正しい”のは「憂えて」であると考えて「うれえて」と発音したのか、 「うれいて」の「れい」の部分を「れー」と長音で発音したのかは、わからない。
ところで、かまやつひろしの歌うのを聞いているうち、 これがはやった高校生のころを思い出し、感極まってしまった。 この、「やつ」と呼び、「おまえ」と呼びかけているのは、 もしかして、 自分自身、および、 学生時代の夢をそのまま実現していたらなっていたであろうところの自分、 なのではないだろうか? そんなことを考えた。
2009-11-10 (2) 19:29:37 +0900
Count Dooku という名前はまずオープニングに出る。
オビ=ワンが忍者のように悪者たちの会議をのぞき込むシーンでは、 Count という呼びかけだけが出る。 オビ=ワンのコルサントへの立体映像での報告では、 Count Dooku と言っている。 オビ=ワンはドゥークーの顔を知っていた、ということになろう。 (もしあの任務を受けた時点でドゥークーの顔を知らなければ、 当然、調べてから出かけたのだろう。)
最近、全部通して見ていないので、 見落としがあるかもしれないが。
2009-11-09 (1) 23:05:40 +0900
ジオノーシスへ向かって逃げるジャンゴ・フェットと“息子”のボバ。 宇宙船の操縦席で二人はシートベルトをX字状にしめているが、 前から見てジャンゴは「\」が上、ボバは「/」が上である。
なお、カミーノでの雨中の戦いのときは、 操縦席のボバはシートベルトをしめていない。
2009-11-09 (1) 22:39:54 +0900
2009-11-09 (1) 02:58:41 +0900
確かパソコン通信時代に聞いた話だが、 ある大学の数学の先生は、 「新しい概念を学んだら、例を最低でも三つはあげられるようにせよ」 と教えておられたそうだ。
それを「三個の例」と呼ぶとしたら、 「三顧の礼」と同音になる、というだけの話。
2009-11-09 (1) 02:54:35 +0900
NHKラジオ「実践ビジネス英語」で、 インターネットは the Internet と大文字で始められ、 固有名詞であることを知った。
日本語で「インターネット」としか知らなかったときと比べ、 あくまでも一つのネットにすぎないんだな、という感じがしてきた。
2009-11-09 (1) 02:50:59 +0900
もしもファフナーがブリュンヒルデの岩山に近づいてきたら、 ヴォータンは娘との約束として、ファフナーを自らの槍で制したであろう。 しかし、ファフナーが指環を持っていたら、勝てただろうか? 指環の呪いでファフナーが死に至るような気もするし、 ヴォータンはみずからの手で指環をとり返すことができないのだから、 ファフナーの勝ちになるような気もする。
「ジークフリート」第三幕第三場でジークフリートが岩山にきてみると、 すでにファフナーがあたりを荒らしまわっていたことが痕跡から明らか、 なーんてことになっていたらどうする? (ブリュンヒルデは、 甲冑が硬くてファフナーに食われなかったため、 無事そこに横たわっているが、という設定。 (別にそうでなくてもよいのだが。))
2009-11-09 (1) 02:40:20 +0900
子どものころ、 家では誰も酒類を飲まなかったので、 ビール・日本酒・ワインなどには興味がなかった。 存在そのものを知っていたかどうかもあやしい。 が、ラム酒だけは、どんなものか知りたかった。 「宝島」の海賊が飲む酒だったからである。
大人になってから飲んでみたことはある。特に感想はない。
2009-11-09 (1) 02:28:12 +0900
先週の月曜日、 NHKラジオ第一放送の「真打ち競演」を聞きながら第二放送の 「ラジオ英会話」を録音していたときのこと。 何度か、アラーム音のような、 電話の呼び出し音のような音が、どこからか聞こえてくる。 2回聞いたが、どこからなのかわからなかった。 うちの中で何かが鳴っているのか、 このマンションのほかの部屋からなのか。 3回目で気がついた。 「ラジオ英会話」のダイアローグの背景に流れる、 目覚ましの音だったのである。
ある種の音、特にアラームの音について、 どちらから聞こえてくるのかわからないことがある。 片方の耳の、ある周波数帯の聴力が落ちているのではないか、 と想像している。 人の声などは問題なく方角がわかる。
2009-11-09 (1) 02:19:58 +0900
2009-11-08 (0) 02:59:10 +0900
日系人なので名―姓の順に書いている、という設定。 日本式に言えば「つるおか・かおる」。
2009-11-07 (6) 21:09:08 +0900
日本式・訓令式だけでなく、 新日本式ローマ字でも回文になるので、そうしておいた。
2009-11-07 (6) 21:02:49 +0900
「死の告知」といえば楽劇「ワルキューレ」第二幕第4場。
2009-11-07 (6) 20:59:35 +0900
本文ナシ
2009-11-07 (6) 20:57:52 +0900
井町は姓。
2009-11-07 (6) 20:57:09 +0900
回文にはなっているが、会話はかみ合っていない。
2009-11-07 (6) 20:53:56 +0900
牧伸二は実在する漫談家ですが、内容はフィクションです。
2009-11-07 (6) 20:50:13 +0900
あれだけのジャンプ力のあるオビ=ワンなのだから、 アナキンが上を飛び越えようとしたらジャンプすれば切れるのではないか、 と思ったが、オビ=ワンはジャンプしない。 そのことには気づいていたが、 オビ=ワンは地上にいるのだから、立つ位置を変えて、 アナキンの着地地点付近にいて切ることができたはずだ。 それすらしていないのだ。
2009-11-07 (6) 20:40:23 +0900
最初は kôhi は「校費」だったのだが、 変換で出たのでタイトル行のように変えた。
2009-11-07 (6) 18:53:32 +0900
《ローマ字回文>「onaka no naka no」(お腹の中の)》 の、 《変格ローマ字回文>「OK, onaka no naka no ko」(OK, お腹の中の子)》 とは別の拡大である。
2009-11-07 (6) 18:50:53 +0900
実はNHK第一放送の日本シリーズの中継で、 「亀井は、ですから」と言ったのだった。
亀岩は、64 版「ゼルダの伝説」でマップの北東隅にある岩の名。
2009-11-07 (6) 18:43:52 +0900
外来語だから。
2009-11-06 (5) 21:58:00 +0900
本当の初登場はオビ=ワンが上から見下ろしたところでよく見えないが、 すぐそのあとアップになると。 そのあとの、オビ=ワンを尋問するシーンでもライトセーバーが見える。
2009-11-06 (5) 20:33:24 +0900
きょう、挿入ソートを教えた際、 ファイル名は insert.c がいいんじゃないかと思い、 「インサート」のつづり字を教えてやろうと、 教員用のパソコンで「insert」と打って、 それをディスプレイに表示したとたん、 学生一人一人の前にあるパソコンのキーボードに、 Insert と書かれたキーがあるのを思いだした。
かかること、世の中に多かり。
付)挿入ソートは、英語では insertion sort というようだ。
付)昔の 98 では INS と書かれていた。
2009-11-06 (5) 19:51:04 +0900
インチキ直訳英語というのは、 ブッシュスネークで「やぶへび」 --- 「やぶ」が bush, 「へび」が snake --- といったたぐいのものである。 ここでは、さらにそれにダジャレを合成し、 「気配り」を導き出す。
二重引用符で囲むと Google で 166 件。
ほとんどよくわからないが、《蹴谷教授
》という用例があるので、
姓として存在するのかも。
2009-11-06 (5) 19:31:57 +0900
2009-11-06 (5) 02:23:10 +0900
avoir を助動詞にとる動詞の場合、
《直接目的語が動詞より前にあるときに限り、
その直接目的語と性・数の一致をします
》
(NHKラジオ「まいにちフランス語」十一月 5 日放送分テキストより。)
ヨーダは普通の英語を話すが、語順だけが標準と異なる。 そのため、直接目的語と動詞の前後が普通とは逆になり、 通常であれば性・数の一致があるところが一致しなくなる場合、 および逆の場合があるのではなかろうか。
フランス語吹き替え版の「スター・ウォーズ」を見てみればいいのだが。
2009-11-06 (5) 02:18:10 +0900
NHKラジオ「まいにちフランス語」十一月 05 日木曜日放送分に、
《Combien de pays avez-vous visités?
》
という例文があった。
この pays は複数形であり、動詞の前に置かれているので、
過去分詞がそれと性・数の一致をし、visités となっているのだそうだ。
一方、スター・ウォーズのエピソード II,
「クローンの攻撃」の最後に、
「Begun the Clone War has.」
というヨーダのせりふがある。
正しい英語では「The Clone War has begun.」だが、
ヨーダはこのように語順を変えて言うのである。
もしもヨーダがフランス語を話したとし、
上の
《Combien de pays avez-vous visités?
》
でも過去分詞を前に出したとする。
すると、単に語順が変わっただけで
「Visités combien de pays avez-vous?」となるのか、
それとも、combien de pays
は動詞の前に置かれなくなったので過去分詞の性・数の一致はなくなり、
「Visité combien de pays avez-vous?」となるのか、
と考えたのである。
2009-11-06 (5) 20:13:07 +0900
前項に書いた「まいにちフランス語」で、先生が /maneite/ としっかり発音されていたのを聞いて思いついた。
「招く」は四段活用の動詞で、その -te form が「招いて」である。 同じく四段活用の「書く」の -te form は /kaite/ となり、/ite/ がはっきり出る。 だから、「招いて」も /maneite/ と発音すべきであり、 /mane:te/ ではいけない。
ローマ字で書くときも同様。
2009-11-06 (5) 01:55:15 +0900
「Mon copain m'a invitée à diner ....」という文の 「m'」について、 「これはカミーユのことですから女性形ですね」 とおっしゃっておられた。代名詞にも男性形と女性形がある? 私は、 そういう区別はなくて、指しているのが男性か女性か、 だと思っていた。
「文法チェック」。 助動詞が être の場合と avoir の場合とで分類して説明されたが、 この助動詞とは複合過去を作る際の助動詞のこと、という説明がなかった。 (テキストにも放送にも。)
だんだんむずかしくなってきた。 文法チェックの例文を全部暗記し、 表現練習で出てきた単語・熟語も覚えたら、 (私にとっては)かなり勉強になりそうだが、時間が……。
2009-11-06 (5) 01:34:34 +0900
最後の、 ミカエルさんとの自由な会話の中で、 パリで一番古いレストランはどこかと質問しておられたが、 それは「いま営業している中では」の意味だろうか? たぶんそうだと思うけど。
2009-11-10 (2) 19:24:34 +0900
意味の確認の中で。 「デートなんでしょ?」が「デートーなんでしょ?」のようにも聞こえる。
「招いて」を正確に [maneite] と発音しておられる。
2011-05-23 (1) 00:51:11 +0900
2009-11-03 (2) 03:20:54 +0900
10月16日金曜日づけ朝日新聞大阪本社版「声」掲載の、 東京都八王子市の大学生、森澤諒一さんの投書、『「好きな子と同姓』今や夢か」。
《好きな女の子の名をノートの隅に書く。
少しうれしくなった後、
今度はその子の名字を自分の名字に書き換えて……小中学校のころ、
授業がつまらないと、よくしたものです。
「もし結婚したら、あの子の名字が僕のと一緒になっちゃうんだ」
》。
選択的夫婦別姓制度について、悪いとは思わないが、自分のこととなると
《どこか寂しい気がするのです。
いよいよ結婚となって、「名字は別々よね! 今は別姓の時代なんだから」
と言われたらどうしよう
》、
と心配している。
注意深く読んだつもりだが、この、おそらく間違いなく男性である投書者が、
「結婚相手の女性には自分の姓を名乗ってほしい」と希望しているのか、
それとも、
「結婚相手の女性と同じ姓になりたい」
と願っているのか、がわからない。
相手の女性が姓を変えたがらない、ということは、
無視できないほどの確率で起こると思う。
しかし、
それなら自分が相手の女性の姓に変える、と言った場合、
それを拒否する女性はどのくらいいるだろうか? 私は、
これは非常にまれだと思う。
だから、本当に
「もし結婚したら、あの子の名字が僕のと一緒になっちゃう
」
ことがうれしいのなら、妻の姓を名乗ればよいだけだと思う。
小中学生のころ、好きな女の子の名字を自分の名字に書き換えてみたとはあるが、 自分の名前を書いて、 その名字を好きな女の子の名字に書き換えてみたとは書いてないので、 前者なのではないかと思うが、 この投書を選んだ編集部は、どちらだかわかったのだろうか? タイトルは編集部がつけるはずだが、このタイトルは後者のように読める。 前者なら、同じ文字数で『「僕の姓になって」今や夢か』 というタイトルが考えられる。 「好きな子」がはいらないが、 普通に考えれば結婚による改姓を言っていることは明らかだろう。
なお、 《この「いろいろ」で、一般人の投書を取り上げる場合にも投書者名を書く理由》 を参照されたい。
2009-11-03 (2) 02:46:16 +0900
10月12日月曜日づけ朝日新聞大阪本社版社会面 『八ツ場「中止反対」7割』。 八ツ場ダムの建設中止に関する、朝日新聞社の住民アンケートの結果だ。
中止反対の理由の中に、
《「ここまで来て中止では、自分たちの苦労が報われない」
》
があった。
このように考えることは確かにありえる。
それは認めるが、これだけでは理由になっていないように思えるのだ。
だから、これに対しては何か有効な“反論”--- というか、
説得のしかたがありそうな気がする。
付)
《「ダムが完成しないと生活設計が狂う」
》という意見も載っている。
これは、すんなりと理解できる。それが事実なら、
中止する側は「そうですね、ごめんなさい」と謝り、補償を行なうべきだろう。
付)
上との関係はないが、記事冒頭の日本語が少しおかしい。
《前原誠司国土交通相が中止を表明した八ツ場(やんば)ダム
(群馬県長野原町)を巡り
》とあるのだが、
これでは「ダムを中止する」という言い方になってしまう。
2009-11-03 (2) 02:33:34 +0900
Xa7 から Vista マシンへのファイルの移動。 最後に残ったデスクトップの移動も終わり、これで完了か、と思ったら、 Aドライブにバックアップがあるのを発見。 いままでと同じだけの手間・時間がかかるのか!?
(NEC PC-9821 Xa7 なので、 Aドライブはフロッピーではなくハードディスクなのである。 ちなみに、ブートはEドライブからしていた。 内蔵ハードディスクがおかしくなった際に、そうしたのだった。)
2009-11-02 (1) 21:50:41 +0900
Aドライブのバックアップは、フロッピー経由で USB メモリに移し、 ハードディスク内のデータと照合したら消す、ということにした。 意外と、同じ位置にあるファイルが多かった。 このバックアップをとったあと、ファイルの整理をしていなかった、 ということだ。 前にも書いたように、フロッピードライブは少々音を立てる。 照合し削除しては次を移動し、としてゆくと夜中遅くまでかかると気づいたので、 正子ごろまでに USB メモリに移動させて、きょうは終わりとした。 残った分の照合はあす以降に。
2009-11-03 (2) 03:15:43 +0900
メモだけしてここに書くのを忘れていたが、 最初に気づいたとき、489MB とあるのを見て、 こんなにあるのかと、へなへなとその場に座り込みそうになった。 (実際には、すでに座って、作業をしていた。)
よく見たら、 512MB 中 489 MB と表示されているのは「空き領域」であり、 使っているのは 13.1MB だった。 そのため、上述の作業はそれほどの時間をかけずに終えることができた。
2009-11-09 (1) 02:33:57 +0900
古いパソコンのファイルを、とりあえず、 新しいパソコンの一つのフォルダに収めて、 あとで整理しようか、と考えるのである。 しかし、そうすると、「マイ ピクチャ」がその下にあったりする。 本来なら、新しいパソコンの「ピクチャ」に収めるべきものなのだが。
2009-11-02 (1) 21:43:16 +0900
広辞苑第六版によると、「嫌」と書いて「や」と読む場合がある。
2009-11-02 (1) 21:35:43 +0900
全体をかなで書けば「さんびきのこぶたたぶこのきびんさ」。
C言語の実習をしていると、 インデントをタブでなくスペースで行なおうとする学生がいる。 タブなら一つ押すだけで(たとえば)四カラムの字下げができ、 すばやい操作が可能になる。
2009-11-02 (1) 21:30:09 +0900
『使徒』は「使徒行伝」、あるいは「使徒の時代」の意。
2009-11-02 (1) 21:28:48 +0900
「高い」から「高」、「広い」から「広」を取り出して合わせて 「高広」とした名前があるが、「強い」から「強」を取り出し、 「つよ」と読ませる名前はあるだろうか? 「つよし」という名前はあるが。
ないからこそ、「つよかわ」(=強くてかわいい) というような言い方ができたのでは、と想像する。
2009-11-02 (1) 21:15:55 +0900
大町は姓。
2009-11-02 (1) 21:14:35 +0900
自分の母の兄と、父の妹とが結婚してできた夫婦。
男性どうしの親友で、お互いに相手の妹と結婚した、 というような場合である。
2009-11-02 (1) 21:05:47 +0900
思いついたのは「桜子」「櫻子」(さくらこ)、「桂子」(かつらこ)。 いずれも植物名+「子」である。 確か「彼岸過迄」に登場する千代子の妹が「百代子」(ももよこ)。 これは「百代」(ももよ)に臨時に「子」がついたのであるまいか。 大竹しのぶの母親が「江すてる」。これは外国の名前をつけたものである。
男性名では、「高い」「広い」から「高広」(たかひろ) --- 漢字のあて方はまだほかにもある --- など、4モーラ以上のものがたくさんある。 二つの語根を組み合わせてつける場合があるからである。 それに対し、女性名は「広子」のように、語根ひとつに「子」をつけて作る。 「子」はいまではあまり用いられないが、 代わりに「菜」「奈」や「香」「華」がつくだけで、 本質的に変わりはないのでは、と考えてみた。
注)「淳子」(じゅんこ)は四文字だが、 モーラ数は /zju/, /N/, /ko/ の3つである。
2009-11-02 (1) 20:40:46 +0900
広辞苑第六版によると「武者」と書いて「むさ」と読むことがある。 「武佐」という固有名詞と考えてもよい。
2009-11-02 (1) 20:38:46 +0900
私には、小学校で電話番号について習った記憶はないが、 当時はまだ電話のないうちも多かった。(うちもそうだった。)
数の普通の記法としては、 076 --- これは金沢の市外局番である --- という書き方はない。 では、これを何だと教えるか、である。 教えなくてもわかるものなのかな。
付) 厳密にいえば最初の 0 は次からが市外局番であることを示す印であり、 市外局番には含まれない。
2009-11-02 (1) 20:17:08 +0900
メールで、いわゆる市外局番の最初の 0 は 「国内プレフィックス」だ、と教えてくださったかたがありました。 (http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/top/tel_number/shigai_list.html, http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/top/tel_number/fixed.html 参照。)
同じ市外局番の電話間でありながら、 市外局番からダイヤルしなければならない地域 (金沢市と富山市など)の存在も、 前者のページを見るとわかります。 (市外局番は同じだが番号区画コードが異なっています。)
「国内プレフィックス」という簡潔なことばで表現されているなら、 例えばここ金沢の電話番号は 076-... でなく 76-... のように書くことにし、 「(いわゆる)市内通話以外の国内通話には最初に 『国内プレフィックス』 0 をダイヤルする必要がある」 と説明するほうがわかりやすいような気がしてきました。
2009-11-04 (3) 19:59:41 +0900
本文ナシ
2009-11-02 (1) 20:12:47 +0900
固有名詞を並べただけ。
2009-11-02 (1) 20:09:15 +0900
ナシは果物の梨。
2009-11-02 (1) 20:00:19 +0900
次のことがらは、味方の戦艦からも見えたと思うのだ。
テレビのようなものがあの世界にあれば、当然、生中継されたと思うのだが。
2009-11-02 (1) 19:48:00 +0900
1日の日曜日。 雨が降っていたが、いつもの革製ウォーキングシューズで家を出た。 町へ向かう途中、だんだん雨が激しくなり、 靴の中に水がはいって、完全に足までぬれた。 こうなると、靴下に革やジーンズの色がついてしまうのは経験上わかっていた。 でも、それは気にしない。 が、家に戻ってよく見ると、靴下の片方のかかと部分に穴があきかかっていた。 乾いているときは、靴との間がすべるので何ともないのが、 ぬれたので、すべらなくなり、こうなったのだと思われる。
2009-11-02 (1) 19:41:16 +0900
接吻をもってその人がイエスであることを示さなくとも、 捕縛者たちにはどの人物がイエスであるかわかっていたであろう。 では何をしたことでイエスを裏切ったとされるのだろう?
そう思って調べてみたところ、 ルカ 22,6 「ユダ諾(うべな)ひて、 群衆(ぐんじゅう)の居らぬ時にイエスを付(わた)さんと好き機(をり)をうかがふ」 (文語訳)が答えだった。 敵対者たちが民衆をおそれていることは共観福音書すべてにあるが、 「群衆の居らぬ時に」とはっきり書いているのはルカのみである。
2009-11-02 (1) 19:06:42 +0900
Xa7 から Vista マシンへのファイルの移動作業を続けている。 その作業中、LHA を利用した。 複数の .lzh ファイルをまとめて解凍し、中から同じ名前のファイルが現れる場合、 LHA はあとから解凍したほうが新しければ何も言わずに上書きするんだった。
この仕様を忘れていた。 あやうく、ファイルを失うところだった。 自作壁紙の作成過程の .bmp ファイルで、それほど貴重なものではなかったが。
2009-11-02 (1) 18:59:28 +0900
前項に書いた、今回の事件と比べて。 あの話では、ビルのように広い空間で、数十分の間に酸素がなくなって苦しみだす。
2009-11-02 (1) 02:19:44 +0900
転覆した漁船が、運よくおわんを伏せたような形になり、 中の空気で3人が90時間もちこたえ、助かった、というニュース。 うまく棚を作ってその上に横たわり、からだが水につからないようにしていたのも、 助かった要因の一つのようだ。
朝日新聞をざっと見ている限りでは、 どれだけの体積の空気があったのかは報道されていない。 私だったら、酸素がなくなって窒息死するのをおそれ、 外に出ようとしたかもしれない。 しかし、救命ボートのない状態で外に出れば、海水で体温が奪われる。 何時間かの間に発見されなければ、死ぬだろう。 それよりも長い時間、酸素がもつなら、中で待つほうがよい。 捜索隊がきて発見され、助かる可能性がある。 どのみち、助けがくれば助かるし、 助けがこなければ、死ぬしかないのだ。 だったら、長い時間もちこたえられるほうを選ぶのがよい。
だから、どれだけの体積の空気でどれだけの時間、一人の人間が生きられるのか、 を知っておくことは重要だと思われる。
付)タイトル行のかぎかっこの中は、 トルストイの民話「人にはどれほどの土地がいるか」のもじりである。
2009-11-02 (1) 02:04:18 +0900
10月30日金曜日づけ朝日新聞大阪本社版社会面の、この事故に関する記事に、
《居住区は高さ1・7メートル、幅2・9メートル、奥行き2・2メートル
》
とあった。体積は 10.846 立方メートルとなる。
それ以上書いてないので、これだけの空気があったと考えるしかないようだ。
(有効数字を考えれば 11 立方メートルとすべきか。)
また、10月29日木曜日づけ朝日新聞大阪本社版第一面記事には、
《普段は居住区として使うスペースで、高さは2メートルほど
》
とあった。
2009-12-08 (2) 00:51:40 +0900
仮に「鈴木」という姓だとしよう。 鈴木さんという姓の人で、前からの知人がいたとして、 最近、新しい鈴木さんと知り合いになった場合、 その人に向かって「鈴木さん」と呼びかけようとする際、 「いや、まてよ、私は、 前から知っているあの鈴木さんと混同して呼びかけようとしているのであって、 この人は別の姓だったんじゃないか?」 と気になって、自信を持って呼びかけられないことがある。 そういう場合、ファーストネームはすらっと出たりする。 (ファーストネームで呼んで構わない場合はそうしている。)
関係あるかどうかわからないが、 Tコードで(いわゆる)日本語入力をする場合、 第一ストロークが違えば、第二ストロークが同じでも違う文字が入力される。 習い始めのころ、そういう例にさしかかると、 軽いめまいを感じたことがあった。 「違う文字なのに、第二ストロークは同じでいいの?」 と思ってしまっていたのではなかろうか、と想像する。
2009-11-02 (1) 01:08:20 +0900
古くから知っている鈴木さんや、 最近知り合いになった人でもいままでその人と同じ姓の知り合いがいない場合は、 普通に姓で呼べる。
(これを書かないと、単に名前が出てこなくなったと誤解されかねないので。)
2009-11-02 (1) 20:00:19 +0900