《「○○手」と「○○者」の違いは?》 であげた「医者」だが、メールをくださった方が、 これは「患者」と対になることばだ、と教えてくださった。
岩波国語辞典第三版で「患者」をひくと、
「以前は医者から見ての言い方
」と注意書きがついている。
「○○病患者の団体」などという言い方は最近のものなのか。
新明解国語辞典第五版では、定義そのものが、
「その医者にかかって、病気やけがの治療を受ける人
」
となっている。
医者があっての患者なので、医者がいない国・地域では、
いかなる病気の患者もいないということか。
飛んでいる飛行機の中などで、客室乗務員が 「お客様の中に、お医者様はいらっしゃいませんか?」 と叫んで回ることがあるそうだが、 医師であっても、患者に付き添って乗っているなどの場合でない限り、 「医者」ではないということか。 正しくは、 「お客様の中に、医師の方はいらっしゃいませんか?」 と声をかけるべきなのだ。 (これはもちろん冗談で、「お医者様」と言われても、 医師は名乗りを上げると思うが。)
簡単なことばでも、知らないことってあるものだ。
2010-01-12 (2) 23:47:48 +0900
内野手・外野手の“かけもち”でよく覚えているのは、 阪神タイガースのランディ・バースだ。 来日当初は外野手登録で、右翼手をつとめていたと思うが、 1985 年の、阪神の初・日本一の際には、一塁手だった。 同じく阪神タイガースの川藤幸三も、 私が応援するようになってからは守備につくとしたら外野手だったが、 練習時には一塁も守ったという。(Wikipedia による。)
こう考えると、野手は「外野手 + 一塁手」と「内野手 - 一塁手」 に分類するほうがいいような気も……。
2010-01-12 (2) 23:46:31 +0900
2010-01-12 (2) 02:22:20 +0900
ここ金沢では、雪が本格的に降るとしたら冬至をすぎてからだ。 雪の季節はいやだが、夕方の同じ時刻に職場を出ると、 昼間が少しずつ長くなっているのがわかる。それがせめてもの救いだ。
夏の暑さと、夜の長さも同様。
東京に住んでいるときはあまり感じなかったが。
2010-01-12 (2) 02:13:52 +0900
あるところで、こう書いている人を見て、調べてみたもの。
「別条」は、「命に別条はない」「命に別条ありません」専用の語、
と言えるほどなのではあるまいか。
で、「別条」って何? と思い、広辞苑をひいてみたところ、
「普通と違った様子。かわったありさま
」。
命が、普通と違った様子になったり、変わったありさまになったりする?
Google で「命に別条……」のほうを調べた際、 ちらっと見たページでは、手足の機能を失っても、生きていれば 「命に別条はない」になるとか……。 (確かにそうだが。)
これが元ですぐに死ぬことはない、ぐらいの意味で使われているのか?
2010-01-12 (2) 01:54:10 +0900
/tu/ も /wi/ も、日本語の本来のオトではないが、 特殊音として発音できるオトである。 ただ、小書きの「ゥ」のあとに「ウ」がくる、ちょっと珍しい並びになる。
twin を「ツイン」として日本語に取り入れているから、 それにならって「ツイッター」なのだろう。
(どちらがよいかを論じているのではない。可能性だけの話。)
2010-01-12 (2) 01:45:56 +0900
発言の途中であり、話はまだ続く。
2010-01-12 (2) 01:43:30 +0900
字音かなづかいによる回文である。 (佐藤佳代は岡田有希子の本名。)
2010-01-12 (2) 01:38:00 +0900
「しぼ」は漢字で書けば「皺」となるらしい。 「しぼを打つうち」の「を」を省略したものである。
発音が違うのは、「ぼう」を分けて読むか、長母音に発音するか、である。
2010-01-12 (2) 01:34:42 +0900
下品ですみません。(いま、このカナ漢字変換、一発で変換したぞ。偉い。)
2010-01-12 (2) 01:33:09 +0900
…という可能性はないのだろうか。 立って衝突したと認められるから他殺ではありえない、という説があるようだが、 もしも、轢断現場の近くの、東武伊勢崎線のガードから、 縄か何かで総裁の身体 --- 生きているかどうかはわからないが、 気は失っている --- を釣り下げ、 通りかかる機関車に衝突した瞬間に縄を切り、 機関車が身体を轢断したあと、縄は持ち去ってしまった、という可能性。
当然、誰でも気がつくことで、位置関係などから、ありえないんだろうな。
2010-01-12 (2) 01:25:19 +0900
父ヴォータンが第三幕で彼女を罰するのは、 自分の命に背いてジークムントに味方したためだが、 もう一つ、彼の遺体をワルハラへ運べという命令にも背いたことになる。
ヴォータンが馬の背に乗せて運んでいる、という演出はないんだろうな。
2010-01-12 (2) 01:21:39 +0900
2010-01-11 (1) 03:11:24 +0900
10日日曜日づけ大阪本社版トップ記事。
この見出しから私が思い浮かべたのは、次のようなケースである。 ある男性とある女性とが結婚し、子が生まれた。 その後、二人はそれぞれ性同一性障害に気づき、 戸籍上、夫は女性に、妻は男性に、変わった。 そうしたら、生まれた子を嫡出子と認めないと役所が言いだした。---
そうではなかった。
《心と体の性別が一致しない性同一性障害と診断を受け、
女性から男性に戸籍上の性別を変更した夫が、
第三者の精子を使って妻との間に人工授精でもうけた子を、
法務省は「嫡出子と認めない」との見解を示した
》。
性同一性障害を持っていたのは、夫だけではないか。
なんとか工夫できなかったのかな。この見出し。
《上原賢子
》と署名あり。
付)子がいると、戸籍上の性の変更はできないんだっけ?
2010-01-11 (1) 02:57:25 +0900
《プロ野球「球宴」>なぜ守備位置ごとに選ばれ、打順ごとではないのか?》 の追加部分に書いた、メールをくださった方が、 pitcher は「投手」、batter は「打者」であることに関連して、 「手」と「者」の違いについても教えてくださった。 「運転手」「運転者」では、前者が職業として運転する人を指すのに対し、 後者は単に運転する人、の意味である。
しかし、
新明解国語辞典第五版の「者」をみると
「何かをする人、何かの資格の有る人
」とあり、
例に「役者」「医者」「学者」「文学者」もあがっている。
「手」は、
「ある技能を有する人、ある資格を有する人
」と説明され、
「技手」「舵手」「選手」「運転手」などが例に含まれている。
(同辞典は説明文の一部だけを別の句で置き換えて「〜または〜」と読ませる場合、
独特の記号を用いているが、上の引用ではそれは使わず、併記した。)
これを見ると、その境界はあいまいな感じがする。 また考えよう。
付)岩波国語辞典第三版付録の「語構成概説」に載っている例は、 「管理人」「使用人」である。 同じ「人」がつくが、前者は「管理する人」、後者は「使用される人」の意味になる。 こういう場合もある。
2010-01-11 (1) 02:22:26 +0900
「かった」を変換したら「刈田」になった。が、地名のようだ。 「るい」は適当に漢字をあてた。
2010-01-11 (1) 01:52:45 +0900
タトゥイーンでコルサントへ転送したオビ=ワンからのメッセージには、 クローン兵のことは含まれていない。
オビ=ワンはカミーノでクローン兵の姿は見ているが、 それが共和国軍兵士になったことは、聞いていないはず。
ジェダイ対ドロイド兵の戦いの間に、誰かが話したんだろうな。 ウィンドゥとともに駆けつけた大勢のジェダイには、 クローン兵のことは当然伝わっていたはず。
(だから、ジェダイたちも空を飛ぶ乗り物に乗ってやってきて、 三人を助け出してさっと行ってしまえば、 ジェダイに死者は出さずに済んだんだよな……。)
2010-01-11 (1) 01:50:56 +0900
…出る。アナキンのせりふに。 《シスの復讐>ムスタファーでパドメはお腹の中の子を child と単数で言う》 の追加部分に書いた、 あの世界のことばは英語そっくりだが child の複数形は children でなく childs なのでは、 という仮説はこれで崩れ去った。
2010-01-10 (0) 23:51:15 +0900
島に小舟から上陸するシーンがあり、そこには護衛が立っていた。 ということは、あの護衛の前を通り、小舟に乗り込んで宮殿(?)に戻らないと、 宇宙船は出せないはず。
2010-01-10 (0) 23:26:09 +0900
ジェダイは銃弾をよける技術を持っているように思える。 たとえば、II の、カミーノでのオビ=ワン対ジャンゴ。 ライトセーバーを落としたあとも、ジャンゴの弾はオビ=ワンに当たらない。 III の、対グリーバス戦で、駐機場での一騎打ちになったあと、 やはり相手の発射した弾はオビ=ワンに当たらない。
それを思うと、 アリーナでドゥークーの命を狙ってジャンゴに撃ち殺されるジェダイは、 何を考えていたのだろう? ジャンゴの銃の弾に当たってしまうし、 そもそも、 ドゥークーのわきに立ったとき、 まだ剣の刃を出していないではないか? 出していて、立つと同時に切っていたら、どうなっていたかわからない。 (そうしていたら、予知したドゥークーは何かほかの策を講じたのだろう。 自分も剣で応戦するとか。)
2010-01-10 (0) 22:13:30 +0900
ジェダイ評議会の命を受けたアナキンが、 パドメを説得するよう、頼みに行くんだった。 だから、ナブーで何も起こらなかったのは、 シディアスが、何ごとも起こらず二人の間に愛情が芽生えるよう、 賞金稼ぎにナブーへ逃げたことを言わなかったか、 ウソの情報を与えたんだ。(別の星をむだに探しまわるように。)
でも、おれがシディアスなら、適当な強さの敵にパドメを襲わせ、 アナキンに倒させるかも。 そのほうが愛情が芽生えやすいかも知れないからだ。
2010-01-10 (0) 22:04:42 +0900
《シスの復讐>ムスタファーでパドメはお腹の中の子を child と単数で言う》 の追加部分に書いたように、 あの世界の標準語では child の複数形は childs なのかもと思い、 せりふに child または children の現れる箇所を探して、 新三部作を通して見ることにした。
I には登場しない。 (アナキンは boy や son と言われている。)
II で、オビ=ワンが、ジェダイ・アーカイブでカミーノが見つからないので、 子どもたちを訓練中のヨーダを尋ねるシーン。 子どもの一人が正しく答えたのを聞いたヨーダが 「Truly wonderful the mind of a child is.」 と言っている。ここは明らかに単数の child だ。
2010-01-10 (0) 21:47:40 +0900
越えては行けない一線を越えた》は「いけない」では
6日水曜日づけ大阪本社版国際面『「やせ」全盛 待った / 米ファッション界』に
《越えては行けない一線を越えた
》という書き方が見られる。
この場合の「いけない」は「〜してはいけない」の意味だから、
ひらがなで書くのが習慣ではなかろうか。
《ニューヨーク=山中季広
》と署名あり。
2010-01-08 (5) 02:00:20 +0900
たとえば、憲法改正をめざしている政党だが、 今回の国政選挙では憲法改正はめざしません、 それはまた次回以降に、ということを、 はっきりとマニフェストに書いてもよいのではないか。 つまり、この選挙で当選した議員の任期中は、 うちの党から憲法改正は言いだしません、という宣言である。
消費税導入時にマニフェストなるものがあったとして、 マニフェストに「消費税は導入しません」とあったらどうなっていたかな、 などと考えてしまう。
2010-01-08 (5) 01:55:43 +0900
漢字「障」に「障り」という使い方があり、 「じゃま。さしつかえ」の意味がある。 「月の障り」と言えば月経のことだ。(以上、岩波国語辞典第三版による。)
このように、否定的な感じのある「障」の字だが、
「保障」というときの「障」はよい意味だと思っていた。
しかし、岩波新漢語辞典で「保障」を見ると、
《もと、「保」は、「堡」に通じ、とりで。「障」は、隔てさえぎる物
》
と説明されている。
この場合、悪いものをさえぎることで守ってくれるわけだが、
さえぎるという意味そのものは「障り」と言った場合と変わらない。
少し前に気がついて、かなり驚いた。
2010-01-08 (5) 01:41:46 +0900
岩波国語辞典第三版は「障害」「障碍」「障礙」を載せるが、
「障害者」「障碍者」「障礙者」は載せていない。
だから、なぜ「障害者」「障碍者」「障礙者」であの意味になるのか、はわからない。
「障害」「障碍」「障礙」などは《妨げとなるもの
》と説明しているから、
「妨げとなる人」の意味だ、と誤解する人がいないとも限らない。
広辞苑は正しく載せている。
2010-01-08 (5) 01:32:57 +0900
7日木曜日づけ大阪本社版の、「ニュースがわからん!」は 『「障がい」ってなぜひらがな表記?』。
《碍と害は違うの?
》、
《広辞苑をみると、
害という漢字自体には「さまたげ」のほか「わざわい」の意味が含まれる。
一方、碍には「さまたげ」はあるが、「わざわい」はない。
表記見直しを求める人の多くは「障碍」がいいと主張している
》。
ようやく、「碍」という漢字の意味が載った。
なぜ、漢和辞典ではなく国語辞典である広辞苑をひいたのか、 「障碍」がいいと主張する人は 「わざわい」の意味がないからいいと主張しているのか、 という疑問は残るが。
《中村靖三郎
》と署名あり。
2010-01-08 (5) 01:19:19 +0900
ナブーの船が封鎖を突破してコルサントへ向かおうとするが、 その封鎖は、惑星全体から見たらごく一部に集中しているように見える。 なんでわざわざそのまん中を通ったのだろう?
2010-01-07 (4) 23:08:55 +0900
I ではいわゆるNG集としてのおもしろさだけだが、 II では、見慣れたシーンを違ったカメラからとらえていたりして、興味深い。 パドメとアナキンを宇宙港まで送ってゆくバスの中の別バージョン、 吹き替えのドゥークーとアナキンのライトセーバー戦の撮ったままのもの、 渋谷の繁華街(と私が信じている場所) をアナキンが雑踏をかき分けて走ってゆくシーンをアナキンの正面から写したもの、 ドロイド工場で機械の下をぐぐり抜けるシーンと思われるシーンを撮影中のパドメなど。
2010-01-07 (4) 22:30:08 +0900
III ではタイトル7にクローン兵たちの前で踊るヨーダの映像が。
2010-01-13 (3) 20:22:48 +0900
岩波国語辞典第三版で「若しくは」をひくと、
《法令文では「若しくは」を「又は」より下位の結合に使う。
「A又はB――C」はAをBやCに並べ、
「A――B又はC」はAやBをCに並べ
》とあるが、
「下位の結合」「〜や〜を〜に並べ」などの意味がわからないから、
結局、わからない。
広辞苑も似たようなもの。
前者は「A又は『B若しくはC』」、 後者は「『A若しくはB』又はC」のような気がするが、 これだと、演算子の結合順位は「又は」よりも高くなる。
どうして、このようにかぎカッコを使って説明してくれないのか。
生物や図書などを分類するとき、 より細かく分けたほうを下位の分類と言うような気がするから、 それと似た意味で下位なのであろう。
2010-01-07 (4) 21:48:24 +0900
道路交通法による「交通事故」の定義は第六十七条(危険防止の措置)の2だろう。
前項に定めるもののほか、警察官は、 車両等の運転者が車両等の運転に関しこの法律(第六十四条、 第六十五条第一項、第六十六条、 第七十一条の四第三項から第六項まで並びに第八十五条第五項及び第六項を除く。) 若しくはこの法律に基づく命令の規定若しくはこの法律の規定に基づく処分に違反し、 又は車両等の交通による人の死傷若しくは物の損壊(以下「交通事故」という。) を起こした場合において、 当該車両等の運転者に引き続き当該車両等を運転させることができるかどうかを確認するため必要があると認めるときは、 当該車両等の運転者に対し、 第九十二条第一項の運転免許証又は第百七条の二の国際運転免許証若しくは外国運転免許証の提示を求めることができる。
「又は」と「若しくは」が辞書をひいてもよくわからないが、 それはおいておいて、 「物の損壊」も交通事故に含まれるようだ。
一方、 第七十一条(運転者の遵守事項)には次のようにある。(二以下は引用省略。)
車両等の運転者は、次に掲げる事項を守らなければならない。
一 ぬかるみ又は水たまりを通行するときは、泥よけ器を付け、 又は徐行する等して、 泥土、汚水等を飛散させて他人に迷惑を及ぼすことがないようにすること。
「泥土、汚水等を飛散させ
」た結果、
歩行者の服や持ち物が汚れてだめになった場合も、
「物の損壊」に含まれるのだろうか。
本来の用途に使えなくなった場合には、含まれるような気がするのだが。
そうだとすると、その場合も交通事故に含まれ、
長くなるので引用しないが、第七十二条(交通事故の場合の措置)が適用され、
事故として届け出なかった場合は、
第百十九条
(「次の各号のいずれかに該当する者は、
三月以下の懲役又は五万円以下の罰金に処する
」)
の十が適用されるのだろうか? ただし、
第百十九条には、「第七十一条の第一号に違反した者」そのものは載っていない。
もしも上の考え方であっている場合、 かなりの“ひき逃げ”ならぬ“飛散させ逃げ”が見逃されていることになる。 冬の金沢のように、雨や雪が多い地方では。
2010-01-07 (4) 21:15:29 +0900
「高津」「神津」は「こうづ」と濁ることが多い。
「交通事故」では「つう」の部分は /cu:/ と長音だが、 「こうつ・うじこ」だとそこで切れるのがおもしろい。 (交通事故そのものを面白がっているわけではありません。)
2010-01-07 (4) 21:10:39 +0900
そういえば、パソコンから送るとき、 @docomo.ne.jp の前を二重引用符で囲まないと送れない。
心配になって店で聞いたら、あるときに変わったそうで、 でも、すでに使っている人は大丈夫だそうだ。
そういえば、昔は二重引用符で囲む必要はなかったような気も。
2010-01-07 (4) 03:47:36 +0900
通勤の途中、 押しボタン式信号機のついた横断歩道の上で、 猫が死んでいた。頭が割れていて、血の色が見えた。 おそらく、自動車にひかれたのであろう。 反対から渡ってきた女子学生は、驚いて、目をそむけて横断歩道外を渡っていった。
この猫をひいた自動車の運転手は、 人間だったらひかなかったのかな、と少々心配になった。
2010-01-07 (4) 03:44:04 +0900
ベランダに、 学生サークルのコンサートのチケットの半券が落ちていた、と言われた。 そういえば、たぶんそれがはいっていた紙のファイルのほこりを払った記憶がある。 その際、すきまから落ちたのだろう。気をつけよう。
2010-01-07 (4) 03:41:28 +0900
追加後の iro0218.html と、追加前の iro0218.bak は違いがありすぎて比較できないと言われてしまった。 少し考えて、iro0218.html のコピーから追加部分を少し削ったファイル iro0218.mid を作り、 iro0218.html と iro0218.mid, iro0218.mid と iro0218.bak とを比較してみたが、 後者がまだだめ。その間にもう一つファイルを作って、 やっと比較に成功した。
2010-01-07 (4) 03:36:48 +0900
5日火曜日づけ大阪本社版の、
「2010年代 どんな時代に」。「国際化と日本」という見出しもある。
ブロードキャスターのピーター・バラカン氏の話を
《外交・国際エディター・沢村亙
》氏が聞き手としてまとめたもの。
《……数年前から、僕がとても気になり始めたことがある
》で終わっている段落の、
次の段落。
それは日本人のカタカナ英語だ。 僕の番組に出演する日本人ゲストが話す英語が文法的に正しくても発音が極端に分かりづらかったり、 英語のカタカナ表記が間違ったりしていることが多い。 例えば「マネー(金)」は「マニ」、 「モンキー(サル)」は「マンキ」と書くのが実際の発音に近い。 日本が会話よりも文字で西欧文明を吸収してきたのは事実だし、 カタカナがそれに貢献したのも理解する。 それならもっと近い表記に柔軟にすぐ変えればいい。
日本人ゲストの発音が分かりづらいのと、 “カタカナ表記”が間違っているのとの間には、どういう関係があるのか、 それとも、ないのか。 発音がカタカナ英語になっているので発音が分かりづらいというなら、 それはその日本人が英語を話すとはどういうことかがわかっていないだけのことだ。 日本語ではマネーと言うが、 英語の中でマネーの元になった単語 money を発音するときにはそれなりに通じる発音ができるよう、 少なくとも私の世代からあとの日本人は学んでいると思う。
英語から日本語にはいった時のいきさつなどで、 元の発音を日本語として最良に近似してはいない語はたくさんある。 では、英語はどうなのか。 ギリシア語やラテン語からはいった語を、 英語は字面通りに読んでめちゃめちゃな発音をする。 母音の読み方が特にひどい。a をエイ、i をアイ、と読むなどである。 この議論に従うと、 英語は、元のギリシア語・ラテン語の正しい発音ができるよう、 つづり字を変えるべきだ、ということにならないか。 それではつづり字が変わってしまってギリシア語・ラテン語を学ぶ際に役立たない、 というなら、カタカナ英語はいくら覚えても、 つづり字を知らなければ、英語を使うときには役立たないのと同じである。
(ギリシア語・ラテン語でうまい例を思いつかないので、 日本語の単語を英語を読み書き話す人に伝える例をあげる。 それは、「火事」である。kaji とヘボン式ローマ字で書いても、 ji をジャイと発音してしまう人が多く、日本人に通じない。 これでは、火事という緊急事態を発見しても日本人に伝えられないので、 この部分は jee と書いてある、というのである。 ka もそのままではなかったと思うが、忘れてしまった。 確か、梅棹忠夫氏が書いていた話である。)
英語から外来語として日本語にはいった語の日本語の中での発音と、 元の英単語の発音との関係が、理解できていないのではなかろうか。 Wikipedia によると、この方は(古典)ギリシア語・ラテン語を学んだそうだ。 それなら、当然理解できると思うのだが。
次の段落に進もう。
だけど、もっと気になるのが、僕が間違いを指摘しても、 「日本ではこれで通じるから」と軽くいなさらること。 特に固有名詞の発音には無頓着だ。 「陸上選手ボルトの名はウサインではなくユーセイン」とテレビ局に指摘したら、 「決めたことだから、変えられない」。 自分が外国でおかしな発音で呼ばれ続けたらどう感じるだろう。 とくにメディアと教育現場が聞く耳を持ってくれない。
ここで、間違いを指摘することからすぐに話が固有名詞にとんでいるが、 英語としての間違い、 例えば和製英語を英語として通じると思って使っているのを指摘しても、 という意味は含まれているのだろうか? そういう場合は、 ネイティブの指摘にはありがたく耳を傾けるべきである。 それに対し、日本語の中で和製英語を使うことには、何の問題もない。 それはすでに日本語の単語なのだから。
人名については、必ず発音を調べてカタカナで音写する日本と、 ラテン字母以外の文字で書かれる名前については翻字したうえで原綴のまま使う西洋語とで、 やり方が違ってくることに注意が必要だ。 日本人名は、西欧では必ず“正しく”発音してもらえているのか? ge を「げ」でなく「ジェ」と読まれるのがいやで、 自分の氏名のローマ字つづりを gue などとしている人がいることを知っている。
非英語圏の人名には、 英語の標準的発音では原音とかなり違っているものがたくさんある。 アリストテレスは Aristotle(アリストートル)、 ホメロスは Homer(ホーマー)、 エウクレイデスは Euclid(ユークリッド)。 もう少し新しいところでは、バッハ (Bach) がバックとなることがあり、 ゲーテ (Goethe) はエーの部分があいまい母音になる。 アインシュタイン (Einstein) は、英語にも sh の音はあるのに、 アインスタインと発音される。
「日本人同士でわかるのだから、間違ってどこが悪い」 という論理は少し高慢ではないかとすら思う。 つまり英語が世界とコミュニケイションをとる言葉ではなく、 日本人の内輪の世界でしか通用しない記号と化している。 一方で、若い人の日本語の表現力がかなり落ちている。 「リベンジ」ではなく、「復讐(ふくしゅう)」と、 きちんと日本語を使えばいいじゃない。
この冒頭の、「日本人同士でわかるのだから」は、 日本人同士が英語で読み書きをしたり、 会話したりしているときのことを言っているのだろうか? 私のまわりでは、 そういうことをしている日本人はあまり見ない。 私の研究分野では論文は必ずといっていいほど英語で執筆するが、 日本人同士で英語でコミュニケーションしているという人の話は聞かない。 (以前には、 海外ではいわゆる日本語環境が使えないことが多かったため、 電子メールを、ローマ字で書くよりは読みやすいからとの理由などで、 英語で送ってくる人はいた。)
それから、「復讐」は日本語化しているが漢語、すなわち、中国語からの外来語だ。 「あだうち」「かたきうち」ならやまとことばだが。 中国語からの外来語はよいが、英語からの外来語はよくない、ということになるが、 理由はなんなのだろう?
2011年から小学校で英語が必修になるけど、 ちょっと危機感をもっている。 子供のときにきちんとした発音を身につけないと、 一生おかしな英語になってしまう。 日本人が世界と直接コミュニケイションする機会が増えたのに、 使える英語でなければもったいない。
ここは、何がいいたいのかわからない。 小学校で英語が必修になるが、 正しい発音を覚えさせるとは限らないから危機感を持っているのか、 小学生に教えるのは早すぎるから危機感を持っているのか。
もしも、本当に、英語が、 子どものときにきちんとした発音を身につけないと使えない言語であるなら、 国際語として使うことには無理があるのではないか。 子どものころから学ぶことのできた者にしか、 発言権のない世界になってしまうからである。
付)引用部分に「コミュニケイション」とあるが、原文のまま引用したものである。
2010-01-07 (4) 03:29:59 +0900
日本人の英語力がまだまだ低い、という指摘であるなら、 それは謙虚に受け止めなければならないと思う。 ただ、それを言おうとして、上に引用したような発言になったのだとしたら、 話がずれすぎていると思う。
2010-01-15 (5) 23:16:41 +0900
選択肢が逃げないのではない。 5日火曜日づけ大阪本社版トップ記事。
2010-01-06 (3) 01:31:03 +0900
どういう状況を考えるかによるのだが、 前者をA軍、後者をB軍とし、どの砲も、一発だけ弾を持っているとしよう。 A軍が先攻で、B軍の砲一つを破壊する。 次に、B軍の残り九十九砲が、A軍の唯一の砲を狙うが、 おのおのは当たる確率が 1/100 であるから、当たらない確率は 99/100 である。 よって、九十九発とも当たらない確率は (99/100)99 = 0.36972... となる。 全ての大砲を失ったら負けとするなら、 A軍の勝ち残る確率は 0.36972... である。 0.5 よりも小さいのだ。
設定を変え、どちらの軍も、各砲につき百発の弾を持っているとする。 上の状況のあと、A軍が“2回の表”の攻撃をし、B軍の砲一つを破壊する。 B軍の“2回の裏”の攻撃では、B軍の残り九十八砲が、A軍の唯一の砲を狙う。 どれも当たらない確率は (99/100)98 である。 これを、“99回の裏”まで行なうと、 A軍の砲が残っている確率は (99/100)99+98+97+...+3+2+1 = (99/100)4950 = 2.4786...×10-22 と、極めて小さいものになる。
2010-01-05 (2) 03:02:00 +0900
順序対 (a,b) は {{a}, {a,b}} と定義されるわけだが、ということは、 a, b をそれぞれ集合 A, B の元としたとき、 A×B の元を、ベキ集合 2A∪B の部分集合として定義しているわけだ。
大丈夫なのかなあ……。
ベキ集合 2A∪B の部分集合ということは、 2(2A∪B) の元とも言える。
2010-01-04 (1) 22:38:08 +0900
CLR キーを二度、長く押し続けると、全文が消える。 そのあと、もう一度 CLR キーを押せば、保存せずに終了する。 間違えて、まん中のキーを押してしまったので、 全文削除した状態で保存されてしまった。
年が変わったころのこと。前にも一度やったと思う。
2010-01-04 (1) 21:15:07 +0900
「異端」を使った回文はいくつか作っていたが、 これはまだだったようだ。
2010-01-04 (1) 21:12:52 +0900
…言っているな。昨年10月9日金曜日の放送分の、訳文を読み上げる中で。 英単語の communication は正しく発音されている。
《NHKラジオ「まいにちフランス語」2009 年十二月 11 日(金曜日)分》 参照。 この語は、日本語として正しく発音するのがむずかしいのであろう。
2010-01-04 (1) 20:50:52 +0900
……帝国軍兵士が勝手にやったことで、 ベイダーはあとから報告を受けたのか? 後者だった場合、 許可なくして行動したことを怒って、責任者を処罰したような気もする。
ベイダーには、あの夫妻はともかく、 すぐそばにある母親の墓が気になったのではあるまいか。
2010-01-04 (1) 20:00:06 +0900
d %1 >> sunomono\date.txt notepad sunomono\date.txt%1 を追加しただけ。d は、引数として整数をとり、 その日数だけあとのタイムスタンプを出力するように、だいぶ前に改造してあった。 負の値を指定すれば、過去のタイムスタンプになる。
2010-01-04 (1) 02:12:50 +0900
この「いろいろ」のスタイルでタイムスタンプを出力するプログラムは、 ここでは使っていないが、「2010-W01-1」のスタイルでも日付を出力する。 これは、2010 年の第一週の第一日目(=月曜日)という意味である。
きのうは、「2009-W53-7」だったはずだ。 (プログラムに次項のような変更を施して、確かめた。)
週の番号は、international week number に従った。 直訳すれば「国際週番号」だが、ほかの「週番号」を聞かないので、 タイトル行では単に「週番号」とした。)
2010-01-04 (1) 02:08:59 +0900
ここから先は、今夜遅くか、あすの未明にアップロードする。
2010-01-04 (1) 20:21:25 +0900
2010-01-02 (6) 00:11:14 +0900
この例では、明らかに「たいと思い」は余分だ。なくても何も変わらない。
これだと、前者はもうすでに一人暮らしを始めることがほぼ決まっているのに対し、 後者はまだ漠然とした希望を述べている段階である。
2010-01-02 (6) 00:03:23 +0900
バッハの無伴奏バイオリンのためのパルティータとソナタの楽譜を見て驚いたのは、 弾けるように書いてあることである。 つまり、うんと手の大きい人以外は弾けないとか、そういう風には書いてない。 バッハは、その楽器で普通に弾けるものだけを組み合わせて、 あれだけの曲を書いたのである。
で、ふと思ったのだが、後世の人が書いたような、 左手だけでひく鍵盤楽器用の曲を書いていたら、どんなものができただろう?
2010-01-01 (5) 23:59:39 +0900
投手以外の各ポジションからは強打者が出てくることが多く、 いつもは四番を打っている人がかなり下位を打ったりするが、 ポジションごとに選ぶのではなく、打順ごとに選んだらどうか。 たとえば、そのシーズンで、 そこまで二番打者として活躍した人の中から選ばれる枠があると、 バントの名手が選ばれるのではないか。 八番打者だと、上位を打つほどの打力はないが、 「恐怖の八番打者」などと呼ばれる捕手が出てきそうだ。 セ・リーグの九番打者は、投手で最も打撃成績のよい人、となろう。
そして、そうやって選ばれた人は必ずその打順で登場しなければならないとする。 (守備位置で選出されるいまのやり方では、 必ずしもその守備位置につくとは限らない。 打力重視で先発メンバーを選ぶため、内野手が外野を守ったりもする。)
2010-01-01 (5) 23:51:37 +0900
本項に関連して、メールをくださった方がありました。 それを私のことばに直して説明すると、 プロ野球野球選手は「投手」「捕手」「内野手」「外野手」 に分けて登録されているからでは、ということなのですが、 オールスターのファン投票は外野手以外は確かポジション別で、 最近は投手は先発・中継ぎ・抑えと分かれていたような記憶があります。 指名打者という枠があるのはパ・リーグだけだったでしょうか。
それと、どれに登録されているかと、試合に出るときどこを守るかは、 まったく無関係です。 ですから、外野手登録の選手が、 ファン投票で一塁手に選ばれることもあるんだったと思います。 また、一つの試合の中で、守備位置は自由に変えられます。 (投手のみ、制限あり。)
一方、打順は、一つの試合の中では変えられません。
それでも、打順よりも守備位置のほうが根元的なようで、 場内アナウンスが次打者を紹介する時にはポジションをいいますが、 テレビやラジオの中継が、 ファインプレイをした野手のポジションを言うことはあっても、 打順はめったにいいません。
ですから、これは、一つの見方にはなると思いますが、 私はあまり賛同できません。
実際には、打順ごとに選出した選手だけでチームを作ると、 捕手が一人もいなかったりして、現実的でないでしょう。 ただ、たまには「*番打者」でのファン投票もしてみたら、 おもしろいのではないかと思ったのです。
(最近は、 セ・リーグのチームとパ・リーグのチームが戦う交流戦があるので、 オールスターの面白みが減ってきているように思います。 だから、何かアイディアを出して、 いまとは別の選出方法を考えるのもいいんじゃないかと……。)
2010-01-11 (1) 01:59:08 +0900
いま普通に見る地図は Google とかの地図で、 それらにはそういう記号は使われていないような。
2010-01-01 (5) 23:48:58 +0900
在日外国人に地方参政権を与えると、 ある特定の国から、たとえば沖縄に大勢が送り込まれ、 議会で米軍基地廃止が決定され、その国が攻めてきやすくなることがあるのでは、 と心配しているサイトを見た。
それを読んで、私は全く別のことを考えた。 沖縄以外に住む日本人で、自分たちのところに基地がくるのはいやだと考える人が、 大量に沖縄に引っ越しをし、 沖縄の議会で沖縄からの基地移転反対が決議されることを狙う、 ということは起こり得ないのか?
2010-01-01 (5) 23:41:45 +0900
平田オリザは実在の人名。劇作家などをしている人。 オリザは oryza にちなむので、 本人がどういうローマ字表記をしているかはわからないが、 Google で検索すると Oriza のほうが圧倒的に多い。
2010-01-01 (5) 23:20:08 +0900
秋岡は姓。 Akioka を Akio ka とし、「昭夫か」などと解釈してもよい。
2010-01-01 (5) 23:18:12 +0900
意味不明。
2010-01-01 (5) 23:16:55 +0900
本文ナシ
2010-01-01 (5) 23:15:40 +0900
…いないんだろうか? 「It is time I was going.」のような言い方。 これで「おいとますべき時間です」の意味になる。
2010-01-01 (5) 23:09:14 +0900
英語の仮定法は、現在のことを言うのに過去形を使うから。
2010-01-01 (5) 23:08:21 +0900
道路交通法では路面電車と一緒に扱われていることが多いようだが、 路面電車は前と後ろが決まっていない。 終点まで行けば、今度は後ろが前になって走り出す。
2010-01-01 (5) 23:03:17 +0900
本文ナシ
2010-01-01 (5) 22:54:21 +0900
意味不明。
2010-01-01 (5) 22:51:55 +0900
スルメで、切手を貼ってはがきとして出せる、というのを見た記憶が。
2010-01-01 (5) 22:50:33 +0900
本文ナシ
2010-01-01 (5) 22:49:14 +0900
漢字かなまじり文で書けば、「田舎についたとき、御子たち打ち中に」。 以上三つは、 《回文断片「inaka ni tuita toki, ko tati uti naka ni」》 の発展。
2010-01-01 (5) 22:42:41 +0900
漢字かなまじり文で書けば、「田舎についたときの、鬼子たち打ち中に」。
2010-01-01 (5) 22:40:32 +0900
漢字かなまじり文で書けば、 「田舎についたときの愉快 --- 明く夜に子たち打ち中に」。 「明く夜」はやや破格か。
2010-01-01 (5) 22:37:55 +0900
前半は後半を逆から読んだものに無理やり意味をつけただけ。
2010-01-01 (5) 03:03:19 +0900
核兵器は、人間のいるところに対しては絶対に使うべきでないと私は思うが、 国際法上はどうだったのか、という疑問である。
2010-01-01 (5) 03:00:33 +0900
「メンテ中」とだけ出しておいて、事実上廃止になっているサイトもあろう。 もちろん、本当にメンテ中のこともあるけれど。
2010-01-01 (5) 02:57:05 +0900
2010-01-01 (5) 02:56:13 +0900
(A×B)×C の元 ((a,b),c) は、 (a,b) を X とおくと {{X},{X,c}} のことである。 (a,b) は {{a},{a,b}} だから、X をこれで置換して、 {{{{a},{a,b}}},{{{a},{a,b}},c}} となる。
一方、A×(B×C) の元 (a,(b,c)) は、 (b,c) を Y とおくと {{a},{a,Y}} のことである。 (b,c) は {{b},{b,c}} だから、Y をこれで置換して {{a},{a,{{b},{b,c}}}} となる。
やっぱり、違うものなのだな。 (いま、二度とも、間違えずに置換できる自信がなく、メモ帳の置換機能を使った。)
もしも a = b = c だとすると、前者は (a,(a,a)), 後者は ((a,a),a) である。 前者は {{{{a},{a,a}}},{{{a},{a,a}},a}} = {{{{a},{a}}},{{{a},{a}},a}} = {{{{a}}},{{{a}},a}} になり、 後者は {{a},{a,{{a},{a,a}}}} = {{a},{a,{{a},{a}}}} = {{a},{a,{{a}}}} となって、やっぱり違う。
2010-01-01 (5) 02:40:12 +0900
……宿題をやって、さあ遊ぼうと思ったところで死んだ子と比べると、 うーん、やっぱりどっちもかわいそうだ。
2010-01-01 (5) 02:36:20 +0900
たとえば、ジークムントがフンディングの家にたどり着き、 ジークリンデと出会った時点で、 フンディングは邪魔だから殺そうと考え、 ドンナーに命じてまだ帰っていないフンディングの槍に雷を落とさせ、 殺害していたら。 (死んだあともフリッカに訴えることってできるのかな?)
ヴォータンは主神ではあるが勝手に人は殺せない、のだとすると、 第二幕最後でフンディングを殺したのは、娘の反逆に怒っての八つ当たり?
2010-01-01 (5) 02:30:12 +0900
そうすれば、ヴォータンは追ってこられないのであろう。 ブリュンヒルデは助かるし、ジークリンデにしてみても、心強いであろう。
付) 絶対にはいってこられないわけではない。 「ジークフリート」では、さすらい人としてやってくる。
2010-01-01 (5) 02:28:38 +0900
順序対 (a, b) は {{a},{a,b}} として定義される。 だから、(a, a) は {{a},{a,a}} = {{a},{a}} = {{a}} なのだ。
普通に数学をしているときは、順序対 (a, a) を集合 {{a}} のことだとは思わない。 場合によっては、順序対 (a, a) と集合 {{a}} とを別物と思って、 一つの議論の中で扱っていることもあるのではあるまいか。
2010-01-01 (5) 01:58:13 +0900
《数学>冗談>虚数単位 i に空集合を要素としてつけ加えると 3 になる》 で、a が 0 の場合を書いていた。
X として実数体の部分集合 {x <= -1 または x = 0 または x >= 1} を考え、 実数体の通常の位相から相対位相を入れる。 直積空間 X×X の点 (0,0) を考えることがあるだろう。 また、X の点 0 の開被覆 {{0}} を考えることがあるだろう。 それらが同じで、いいのかな? 後者はさらに {1} に等しい。 (実数体の 0 や 1 は、(拡張された)自然数の 0 や 1 とは異なる、 という見方もあるな。)
2010-01-01 (5) 21:57:16 +0900
タイトル行では長さの関係で省略したが、 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」である。 28日月曜日の夜から翌日未明にかけて。 冒頭のファンファーレは、前奏曲冒頭部分。 床の中で聞いていた。
2010-01-01 (5) 01:50:34 +0900
職場が休みにはいった29日火曜日になっても、まだ書く意欲がわかない。 でも思い切って起き、 机の上を整理しようとしたら、昨年の年賀状の返事を書いた時のままだ。
なぜか、いつからか、職場でも自宅でも自分の机の前に座れない性格になってしまい、 いまも別の場所で、イスの上にノートパソコンを置き、 自分は正座してこれを打っている。
だいぶ遅くなってから着いた返事については、 住所録にマークをつけていなかったような気がして、 結局、昨年の年賀状すべてについて、住所録と突き合わせてチェックした。 (確かに、ついていないのもあった。 早く整理して、捨てるか、まとめてどこかにしまうかしておくのが普通だろう。)
書くのはほとんどあて名だけなので、書き始めてからは、数時間で済んだ。 とはいえ、この日 --- 正確には30日水曜日未明 --- には全ては書き終わらず、 あと十数枚のところで、入浴・洗髪。3時半ごろ床についた。
30日水曜日は、12時に起きて残りを書けば間に合うとわかっていたのだが、 9時にいちど目が覚めたら、もう眠れない。 間に合うかどうか、心配なのだ。 ふだんは一度目が覚めてもすぐにまた眠りに落ちてしまうのに、 こんなときに限って。 からだは疲れているはずだからと、床の中でじっとしていた。 そうしたら、11時半ごろ、眠ってしまった。 12時にアラームが鳴ったのをとめ、12時半に再セットして、さらに眠った。
起きて、食事後、残りを書く。 例年は、額面の下に「年賀」と赤インクで書くのだが、 きょうの最後の便で出すのだから、年内についてしまうことはあるまいと考え、 書かずに職場の郵便局へ。 そうしたら、あす着いてしまうといけないのでと言われ、 「年賀」と書かれたハンコを借りて、全部押すことに。 ちょっと疲れた。
将来、時間に余裕のある年があったら、 表に押す「年賀」の印を、自分で彫ってみようか。
2010-01-01 (5) 01:37:33 +0900
火曜日、29日夜から翌日未明にかけての放送だった。 いよいよ年賀状を書かねばならず、解説と、各幕の初めと終わりだけを聞くという、 いわば「キセル」観賞になってしまった。
冒頭のファンファーレは死の動機。
「ブランゲーネ」を「ブランケ゜ーネ」と鼻濁音で発音するのはやめてほしかった。
2010-01-01 (5) 01:33:58 +0900
前々項では、table を作るにあたって、 三つのものを並べ替えて得られるものを、全て書きあげるという操作を行なった。
いずれも、一度の cut & paste で済んだ。 何個あってもこうなる?
2010-01-01 (5) 01:28:26 +0900
英単語 quick を日本語に取り込んだ語を、 私は「クイック」と書くが、「クィック」という表記も見かける。 カナを用いた日本語の特殊音の書き方は、 「一文字めの子音の部分+小書きされた二文字めの表す音」 だと思うので、 これだと、「キ」とは違って口蓋化されていない [k] に [i] がついた音となり、 それは、英単語 kick を、「キ」の子音を口蓋化させずに日本語に取り込んだ音、 となろう。(そのように発音する習慣は普通ないが。)
2010-01-01 (5) 01:19:55 +0900
小姓は、若い男性を女性が演じているのである。 「アルトの声」は声だけの役。 花の乙女たちは魔法で生み出された存在である。
人間が一人も登場しない、「ラインの黄金」にはかなわないが。
2010-01-01 (5) 01:07:21 +0900
《「〜するのだらしい」は破格だと思うが、検索するといくつか見つかる》 の続きである。
これがおかしいのは、助動詞「だ」と「らしい」の順序が正しい文である 「らしいのだ」と逆だからである。 では、わざとこのように助動詞の順番を変えて、おかしな言い方を作れないだろうか。
「されたらしい」を考えてみよう。 これは下一段動詞「される」の連用形「され」に過去の助動詞「た」の終止形がつき、 さらに推定の助動詞「らしい」がついたものである。 この「た」と「らしい」の順序を逆にすると、 「されるらしかった」となり、意味は違ってくるが、破格ではない。 (「されたらしい」は、過去のことについて現在の時点で推定しているもの。 「されるらしかった」は、過去の時点で、そのとき推定したことを述べるもの。)
(一瞬、「らしいされた」かと考えたが、それは間違いであった。)
今度は、「殺されたらしい」を考える。 四段動詞「殺す」の未然形「殺さ」に受け身の助動詞「れる」の連用形「れ」がつき、 さらに過去の助動詞「た」の終止形がつき、 最後に推定の助動詞「らしい」がついている。 助動詞は三つあるから、元の文も含めて、3! = 6 通りの文章ができる。
れる | た | らしい | 殺されたらしい |
れる | らしい | た | 殺されるらしかった |
た | れる | らしい | ×殺した-られるらしい |
た | らしい | れる | ×殺したらしい-られる |
らしい | れる | た | ×殺すらしい-られた |
らしい | た | れる | ×殺すらしかった-られる |
接続しようにも、接続するための活用形を欠いている場合は、適当に接続した。 例えば、「れる」「られる」は未然形につくが、「た」の未然形は 「う」に接続するための「たろ」のみである。 だから、無理やり、終止形「た」に「られる」をくっつけた。 そういう箇所には、ハイフンを入れておいた。
最後の例は、「られる」の代わりに受け身をあらわす下一段動詞「される」を使い、 「殺すらしかったされる」としたほうが、意味が推測しやすいかも知れない。
初めの二つは、どちらも正しい日本語で、意味が異なる。 破格の四つは、どちらの意味になるとすべきであろうか?
人形劇やアニメで、破格の話し方をする人物が登場することがある。 しかし、このように、助動詞の順序を逆にする話し方は、聞いた記憶がない。 日本語の普通の話し手にとって、理解できないからだろう。
付) 上で「た」に無理やり「られる」をつけたが、 「た」の語源は、などと考えれば、もっとうまい解答が得られるかもしれない。
2010-01-01 (5) 00:37:06 +0900
初めて写真を見た人は、絵とはまったく異なり、本物そっくりであることに、 驚いただろうと思う。その驚きに当たるようなものが、今後できるとしたら、 何であろうか?
きのうの朝、目覚めているでもなく、眠っているでもない状態のとき、 兵馬俑のような写実的な三次元の像を一瞬にして作る装置ができたら、 驚くのではないか、と思った。
ただ、問題は、像が大きく重すぎるので、 どれだけの人がそういうものをほしがるか、であろう。 どちらから見ても完璧な立体映像ができれば、そのほうが便利かも。 いらないときはスイッチを切っておけばいいのだから。
あと、知らない人に写真を撮られるのもあまり気持ちよくはないが、 こうやって三次元の像を作られて、それをなで回されているかと思うと、 かなり気分が悪い……。
2010-01-01 (5) 00:03:30 +0900
本文ナシ
2009-12-31 (4) 23:55:02 +0900
「エジソンの師で」「エジソン熨斗で」と解釈したほうがよかったか。
2010-01-01 (5) 23:30:46 +0900
前項の続き。 もしも敵が、ライトセーバーと普通の剣の二刀流でジェダイに戦いを挑んできた場合、 ライトセーバーには正しく反応できても、普通の剣には反応できないのでは、 とも思えてしまう。
III の、ウータパウでのオビ=ワン対グリーバスでも、 グリーバスは、剣を持ったまま手首から先を切り落とされた腕を、 遊ばせておかないで、殴る・先で突くなどしていたら、 戦いは変わっていたかも知れない。
2009-12-31 (4) 23:45:49 +0900
冒頭の議長救出作戦の中で、 オビ=ワンがドゥークーにフォースで首をつかまれるところ。 ドゥークーは、後ろへ向かって蹴ることで、背後のアナキンを追い払っている。 剣がくるとわかれば剣で受けるジェダイである。 足がきても剣で受ければ、足を切って勝てるのではないのか?
その後、怒りに燃えたアナキンがドゥークーを蹴り落とすところも同様である。
2009-12-31 (4) 23:42:57 +0900
そうしたら、 私も元号の印刷された年賀はがきを使おうという気になるかも知れない。 いまの規則では、投函後に改元が行なわれた場合、 出した年賀状を取り戻さねば、 間違った年の印刷された年賀状が着いてしまうことになる。
配達先の局では、前もって、届け先の家ごとに --- 厳密にはポストごとにかも --- 年賀状を分けていると聞いている。 その状態からでも取り戻せるのだろうか? 無理な気がするのだが。
2009-12-31 (4) 23:34:56 +0900
パドメが C-3PO を伴って出した船に、 オビ=ワンが隠れて乗っていたことを C-3PO が知らなかったとしよう。 パドメが船外に出てしばらく経っても帰ってこなければ、外へ出てみるだろう。 すうすればパドメが倒れているのを見つけ、収容するはずである。 その後、すぐに船を出発させ、 コルサントかナブーにパドメを連れ帰って医者に見せる、 という行動をとるだろう。
そうではなかったということは、 ムスタファーに着いて、 アナキンとパドメの前に姿を見せる前、 オビ=ワンは C-3PO に、自分が乗ってきたこと、 パドメや自分が戻るまで、コクピットから動かないこと、 などを命じたのではあるまいか。
付)もしも C-3PO がオビ=ワンを置き去りにして出発してしまったら、 彼はアナキンの乗ってきた船で、R2-D2 と一緒に帰ったことだろう。
2009-12-31 (4) 23:24:34 +0900
ここでいうウソとは、悪意のあるものではなく、ジェダイたちをかくまうために、 やむなく言った、事実に反することがらである。
パドメは死亡してしまったので、彼女に関しては、 どんなウソをついても大丈夫である。 たとえば、 「意識を失いかけた状態で緊急信号を発していたので、 私の船が近くまでいって収容し、手当をしたが助からなかった、 C-3PO の記憶はそのときすでに消されていた、 何らかの事情でパドメが消したのかもしれない」など。
しかし、アナキンは、オビ=ワンが倒したと思っていたが、 実は生きていた。ヨーダがそれに気づいて、 オーガナにしっかり注意してあればよいのだが。 うっかりしたことを言うと、帝国側に、ウソをついていることがばれてしまう。
ヨーダとオビ=ワンが船に乗っていることは、もちろん、極秘だったはずである。
2009-12-31 (4) 23:08:37 +0900
本文ナシ
2009-12-31 (4) 23:06:46 +0900
ベートーベン「交響曲第九番」の第四楽章のティンパニは、 ずっとニ調(ニとイ)に調律されたままだ。 トルコ風音楽になるところは変ロ長調で、そこではティンパニは完全に沈黙する。
しかし、絶対に使えないというわけではない。 ニは変ロ長調の第三音だし、イは第七音である。 前者は主和音などで、後者は属和音などで使える。 全体を長二度下げて、 変イ長調の箇所でハ調に調律されたティンパニ(ハとト)は使えるか、 と考えてみると、ベートーベンは「交響曲第五番」の第二楽章で使っている。 初めのうちは変イ長調の部分ではティンパニは沈黙しており、 ハ長調になったところでのみ音を出すが、 終わり近くでは、変イ長調の部分でもハの音(第三音)で参加する。
ベートーベンの「ミサ・ソレムニス」の第五楽章、 アニュス・デイは変ロ調に調律されたティンパニ(変ロとヘ)を用いるが、 曲はニ長調で結ばれる。だから最後はティンパニは沈黙するが、 ティンパニをニ調に調律し、変ロ長調のところで使うことは可能なわけだ。 しかし、あそこでは変ロとヘに調律されたティンパニを使いたかったのだろう。 いわばソロなのだから。
2009-12-31 (4) 22:40:56 +0900