乙一 10 | ||
さみしさの周波数 |
刊行から一年も経ってようやく読んでみたが、『失はれる物語』が刊行されなければまだ読まなかったかもしれない。読み終えて、ひたすら不明を恥じるのみである。本作から、「手を握る泥棒の物語」と「失はれた物語」が『失はれる物語』に再収録されている(「失はれた物語」は「失はれる物語」に改題して収録)。
裏表紙の「未来予報」の紹介文は、僕の先入観と見事に一致していた。本作を読むのが遅れた一因だが、今となっては言い訳というしかない。ただでさえ僕はラブストーリーが苦手なのに、こりゃないよなあ…。主人公を小一時間問い詰めたい。というか、こんな話を書いた乙一氏を問い詰めたいぞ。
一連の作品群にあって、数少ないハッピーエンドを迎える「手を握る泥棒の物語」。彼が描き出す"切なさ"は、悲劇と表裏一体の関係にある。それだけに、この微笑ましい作品が占める位置は大きいと思う。全体の印象が和らぐと同時に、読者にほっと息をつかせる好編。こういうシチュエーションをどうやって思いつくんだ?
「フィルムの中の少女」のようなホラー作品も、本作にあって決して浮いていない。一口にホラーと言っても、このような美しさ漂う作品から、「SEVEN ROOMS」のような純粋に怖がらせる作品までを手がけられる手腕はどうだ。とはいえ、結末に向けてじわじわと高まる緊張感は見事。某作品(伏せておこう)よりずっとうまい。
ラストを飾る「失はれた物語」は、"切ない"と言うには重いテーマを持つ。同じような境遇を経験する人は多いだろう。僕自身がそうだった。主人公が下した決断に胸が苦しくなる。同時に、彼の家族の気持ちはよくわかる。こんな胸が苦しい作品を書いてしまう乙一氏が憎い。『失はれる物語』の装丁はあまりにもリアルだ。
読み終えて、僕はページと閉じると同時に目を閉じた。椅子にもたれて、しばらくそうしていた。通勤電車の中で読むのは禁物だ。