書いてみると、特別なことではなくて、考え方によっては当然の権利だったりもします。でもなぜかその背後にちょっとしたご親切とか、担当者の働いているお姿を感じて、覚えているのですね。
1978年頃ですが、前年に発売されたDD13を走らせすぎて、台車のギヤが欠けてしまいました。初めのうちは自分でギヤを作ったりして修理していましたが(昔から無謀です)、それでも具合悪くなり、メーカーにギヤ1個を部品請求してみました。1ヶ月くらいかかりましたが、見積書が送られてきて、切手で代金を送るとプラ製のギヤが2個、封筒に入って届きました。おかげでDD13は復活し、30年たった今でも元気に動いています。
その翌年、分解掃除中にバッテリーボックス(キャブ脇のランボード上の小箱)をなくしてしまいました。今ならプラ板を使って自分で作ったでしょうが、当時はできず、またメーカーに相談してみました。すると…やはり1ヶ月くらいしてから見積書が届き、同じようにして部品を1個だけ買うことができました。ちっぽけな部品ですがありがたいものです。今はどうかわかりませんが、当時はこんな小さい単位の部品でも分けてもらうことができました。
だいぶあとの話で1995年頃です。買ってきたディーゼル機関車にナンバープレートが付属していません。まあ特に急いではいなかったので、メーカーに手紙で部品不足を連絡しました。急いでいないとはいっても、電話のほうがよっぽど簡単なのにヒマなもんです。しかし1ヶ月経っても返事が来ません。仕方ないので「まだ返事をいただけませんが、使えないのでとても困っています」という内容の手紙(また手紙!)を出したところ、鬼のような早さでナンバープレートのパーツを2両分送っていただけました。不足分が届くのは当たり前ですが、催促したあとの16倍速業務にちょっと感動しまして。ありがとうございます。
一時期、近所に取り扱い店がなかったため、大山店の通販ばかり利用していました。このときのルールでは、事前にハガキで在庫を確認することになっていました。すると折り返し、別のハガキで見積もりが届くのです。いつも余った年賀ハガキで在庫確認していたのですが、何度も利用した頃に「(実は)在庫確認は往復ハガキでお願いします」とのメッセージ。気にはなっていたので(どちらからも出しているのでコスト的にはフェアなんですが、昔は返事がほしい問い合わせは、往復ハガキや切手付き返信用封筒でするのが一般的でした)、次回の注文時にそれまでの返信ハガキの代金を全部含んで送金しました。すると、「お気遣いありがとうございます、往復ハガキのご利用は次回からということで、頂戴した代金はお返しします」とのお知らせ。ハガキ代は全部返してもらえました。その頃は、すでに組みたいキットの大部分は組んでいたので、その後あまり利用せずに終わってしまいました。
10年近く前、D51スーパーなめくじが出たときです。アリイの蒸機にしては珍しく、走りがぎこちないと思って裏返してみると、動輪を押えている床板のネジが1本ありません。新品不良なのでメーカーに送れば交換されたと思いますが、送るのも梱包などが面倒なので、メーカーに相談してみたところ、ネジを1本だけ送ってもらえました。欠品なので今でもそれくらいはしてくれるかもしれませんが、「ネジ1本でも」というのは言葉にもしやすいですし(ありがちですが)、何か嬉しいもんです。
ついでに鉄道模型以外ですが…。
1970年に買った初期のラジカセをずっと使っていたところ、10年過ぎたころにテープの走行がフラフラと安定しなくなり、酔っ払ったような音しかしなくなりました。当時流行っていたYMOなんかを聴くとヘロヘロ(笑)。分解してみると、テープを走行させるベルトが伸びてしまい、テンションローラーも効かなくなっていました。当時はもう高機能ステレオラジカセの全盛期です。メタルテープだ、フェザータッチだの時代に、もう修理もしてくれないだろうとは思いましたが、裏蓋をあけた様子をスケッチして、このベルトはありませんかと手紙を書いてみました。
1ヶ月ほどして、分厚い手紙が届き、なんとそのベルトが同封されていたのです。設計開発されたという部門の方からで、文章がたいへん素敵でとてもここでご紹介できません。部品はとっくにないのですが、何とかならないかと倉庫を探したら、試作機が1台出てきたので、それから外して送ってくださったとのこと。しかも、近所のシャープの販売店に紹介状も書いてくれ、お客さんから依頼があったら無償で取り付けてあげるようにという内容が書かれていました。10年以上も製品を使っていることに対する感謝の言葉ばかりで恐縮してしまいました。
私が今までで最も印象に残っているのはこのシャープのサポートです。でもそのあとシャープ製品を差し置いてビクターのビデオを買ったり、日立のテレビを買ったりしたので心が痛みます(笑)。
汽車の写真はほとんど撮ったことがありませんが、白黒写真の現像もプリントも全部自分でやっていました。お金がないので現像タンクが買えず、フイルムのパトローネをドンブリに入れた現像液にドボンと漬けるずさんなものです(たいてい、ちゃんと現像できます)。
さて、1980年頃、使っていたミノルタXDというMF一眼レフカメラの、フォーカシングスクリーン(ファインダーのピントを合わせるためのすりガラスのような部品)を傷つけてしまいました。結構高い部品のうえ過失によるものですが、メーカーに送ったところ無料で交換してくれたのです。しかも、急いで使う予定があったため、電話でその旨相談してしまったのですが、快く対応してくださいました。と、ここまではいいのですが、何と戻ってきたカメラのフォーカシングスクリーンを、また同じように過失で傷めてしまい(どアホ〜!)、恥をしのんで再度依頼したらまたも無料で直してくれました。本当に感激しました。
そのとき、カメラは一生ミノルタにしようと誓ったのですが、他社からいい一眼レフデジカメが次々出てくるようになっても、ミノルタから決定版が一向に発売されませんでした(APSには力が入っていましたが)。買いたくても買えず、そのうち我慢できずに他社のカメラを買ってしまいました。すみません…。
残念ながら逆の意味で心に残ってしまうようなサポートもたくさんありますよね。いわく付きの店はともかく、有名メーカーや有名販売店の対応であっても、人によって評価が全然違ったりしますね。「こんな奴がいるところから二度と買うか」などと心の中で悪態をついてしまったり、それまで抱いていたプラスのイメージが一瞬にして消滅したり…。これは寂しいです。