勝利教会インターネットチャペル

若い母親のあなたへ2


  まずご主人を愛する


 ある時、子どもが激しく泣き始めました。いったいどうしたのでしょうか?しかられたのでしょうか?そうではありません。目の前で両親が争ったのです。
私たち大人は案外、子どもへの配慮を欠くものです。このような環境では情緒の豊かな子どもは育ちません。私たちの神さまは夫婦(両親)が互いに愛しあうことを望んでおられます。愛のあるところには、立派に育つ子どもが与えられるからです。
それでは愛とはいったいどのようなものなのでしょうか。神さまのお考えはどうでしょうか?
「私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んで下さったことにより、神は私たちに対する御自身の愛を明らかにしておられます。」(ローマ5:8)
この御言葉から愛の持つ特性を学ぶことができます。
「私たちがまだ罪人であったとき、・・・・・・愛を明らかにしておられます」とは、愛とは、愛する対象に条件を付けないということです。
「もし立派な夫だったら」「夫が先に愛してくれるなら」そんな条件が整ったら愛してあげる。これは愛の正しい形ではないのです。あなたはこのことを理解しようと思われますか?
 もしあなたがいつまでも待つことなく、今愛し始めようと思うのなら、次のことを学んでください。そして実行してください。このことによってあなたの子どもは、母親であり妻であるあなたから得られた祝福のゆえに、後になってあなたの勇気をたたえるに違いありません。

第1に、愛は成長していくものです。

「私はイエスさまを信じたのに、夫にも子供にもうまく接することができません」と訴える方がいらっしゃいます。白己嫌悪に陥っているのです。これは愛についての誤解から生まれるものです。イエスさまは愛ですから、イエスさまを受け入れたということは、同時に愛を受け入れたことでもあります。これはちょうど運転免許証を初めて交付してもらったようなもので、すぐに車をうまく運転できるわけではありません。
「地は人手によらず実をならせるもので、初めに苗、次に穂、次に穂の中に実が入ります」(マルコ4:28)
 この御言葉にあるように成長過程が愛にもあるのです。赤ちゃん、子ども、青年というように、次第に大人になっていくのです。
 愛が成長していくためには、愛すること、つまり与えることとセットになっています。「受ける」ことができなくてはなりません。受け方が上手でないと与え方も上手にはなりません。「私を愛してくれない!」そのように悩む人ほど愛を受けることを知りません。たとえば、あなたがほめられたとします。このとき素直に「ありがとう」と言うことができないとしたら、あなたは受けていないのです。相手が投げてきたボールを受け取らず、はね返してしまっているのです。そして、人はやがてボールを投げなくなってしまいます。そしてあなたは「愛してくれない!私は愛されていない!」と嘆くのです。愛を受けていないから当然です。
「ありがとう」と言うことは愛の受け方の基本です。あなたが素直に受けているならば、相手もボールを投げることを楽しむようになってくるのです。誰でも愛を受けることぐらい心地良いことはありません。
 親が受け上手になれば、子どもも上手になります。妻は夫から愛を受けることを学ばなければなりません。

第2に、愛は親切で優しいものです。

 すぐに怒る母親や、小さなことをいつまでも執念深くこだわる母親に育てられた子どもは、ゆがんで育つ可能性が大きいのではないでしょうか。愛とは親切で優しいものでなくてはなりません。もし私たちが小さなことを適切に処理できず、そのたびに感情的になっていたとしたら、大きなものを神さまから任されることもありません。
「あなたはわずかなものに忠実だったから、私はあなたにたくさんのものを任せよう」(マタイ25:21)
 たとえ小さなことであっても私たちは丁寧に処理していくべきです。特にご主人への態度について考えてみましょう。
「無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、一切の悪意とともに、みな捨て去りなさい。お互い親切にし、心の優しい人になり・・・・・・」(エペソ4:31〜32)
夫に対して親切で、優しい妻が、母親として祝福を受けるのです。子どもに口で説教しても多くの効果は期待できません。むしろ子どもをさばき、迫いつめてしまいます。人は聞くより見ています。あなたの子どもは見ています。母親の父親に対する評価の言葉を聞き、態度を見ているのです。そこから彼らは学んでいるのです。
「お父さん、今日も遅いわね。きっと外で遊び回ってるのよ!」
「お父さんって、だらしないわねー!」
 こんな言葉を口にするとき、子どもは親切と優しさを学んでいません。
 あなたの親切と優しさを子どもに学ばせることのできることばを教えましょう。人に対して使って、それが子どもの目に見えたら、あなたは愛の人です。
 これらのことは小さなことと思われるでしょう。
1.「はい」(人から頼まれたり、呼ばれたりしたときに)
2.「ごめんなさい」(いつでも、気楽に)
3.「ありがとうございます」(給料など、いただいたときに)
こんな小さな当たり前のこと、と思われるかもしれません。しかしここに祝福があるのです。チャレンジしてください。

第3、愛は告白するものです。

 これを多くの夫婦がサボっています。
「そんなこと分かっているはずだ!」
 いいえ分かっていないのです。だから間題なのです。子どもとの関係でも同じことが言えます。
「もう勉強したの!」
 子どもを愛すればこそ言うのです。しかし、あなたの言葉から愛を感じ取ってはいないのです。私は子どもによくこのように言います。
「お父さんはね、○○ちやん大好き!イエスさまも大好きだって言ってるよ」
 心が元気になっていくのが手に取るように分かります。人は好きになってくれる人を好きになり、期待にこたえようとするものです。あなたのご主人にもこのようにしてみてください。
「あなたを愛しています!」
「あなたって男らしい!」
告白の言葉には力があります。
「口で告白して救われるのです」(ローマ10:10)
ご主人は喜んで、子育てに力を貸して下さるでしょう。

第4、許し、赦すことです。

「神がキリストにおいてあなたがたを赦して下さったように、互いに赦しあいなさい」(エペソ4:32)
 私たちがどうしても見たくなるものが、人の短所です。そして注目すればするほど苦しくなります。いい方法をお教えしましょう。人の長所を探し、ほめる習慣を持つことです。信仰を持ってほめ続けたら、必ず長所は伸びて、短所は減って行くのです。
神様の助けがあなたにありますように。(つづく)

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