勝利教会インターネットチャペル

十代の子を持つあなたへ


10.今や自立の時(1)


 親の任務は、子どもを自立させることです。
 自立とは、自分自身で物事を考え、決断し、出てきた結果に対して責任を取り、出会う問題を解決できるようになることです。
 「男はその父母を離れ……」(創世記2:24)
 今から述べるいくつかの提案に、注目してください。
 自立への応援歌、親がいなくても祝福される人生を生きられるための知恵です。このシリーズを終えるに当たって、ふさわしいテーマであると思います。

ユーモアのセンスを持ち、楽観的に生きる


 第一に、愛してくださる神さまがおられるなら、何事にも楽観的であってほしいし、たとえ困難に出会っても、ユーモアや冗談を言って、暗い気持ちを吹き飛ばして生きていってほしいものです。
 「あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださる」(ピリピ1:6)
 こんな話があります。ヘルムという町から、ほかの町に行った旅行者が、自分の町のラビの自慢をしました。
 「うちの町のラビ(キリスト教でいう牧師のこと)は、とっても神を敬う心が強くて、過越の祭りの前には二週間も断食をする。普通のラビは、だいたい数日しか断食をしないだろう。しかし、二週間というのはたいへんなもんだ。やはりうちの町のラビが、いちばん神を敬う心が強い。」
 すると、その町の男が反論しました。
 「おれは、ヘルムヘ3日前に行ったばっかりだ。そしたら町の食堂で、その、おまえのところのラビが、食事をしているのを見たぞ。」
 「あたりまえだ!」
 ヘルムからの旅人は憤然として言いました。「うちのラビは、どの町のラビよりも謙虚なんだ。二週間断食をしていることを誇ったり、人に見せびらかすことはしない。むしろそれを隠すために、みなに見えるところで食事をしていたのだ。」
 これは、『ユダヤジョーク集』(実業之日本社)から拾ったものです。
 ユーモアやジョークとかを解する者は、一般的に知性的と言われますが、またその意外性の中から新しい発想を、たとえ無意識のうちにでも汲み取り、発展家そして楽天家であるとも言えます。
 神さまに選ばれたユダヤ人は、たえず迫害にあってきましたが、戦時下でもジョークは忘れませんでした。
 テルアビブは、イスラエルの最大都市。交通渋滞は東京並。駐車場などいくらあっても、すぐに満車になるという状況で、市長はいつも苦情に頭を抱えていました。
 イラクからミサイルが飛んでくるという情報を聞き、市民が不安と恐怖でパニック状態になった時、市長のS・ラハトウ氏が、次のように言って人々を笑わせたそうです。
 「通常、ミサイルがイラクからテルアビブまで飛んでくるには、たった5、6分ですが、彼らも駐車場を見つけるのにたいへんでしょう。まず2時間はかかりますからご安心ください。」(『ユダヤ人に見る人間の知恵』マネジメント社)
 神さまは、この世界を創造されたとき、それを最初の人間(アダム)に破壊されてしまいましたが、決して諦めず、第二のアダム(イエス・キリスト)の登場と起用を考え出されました。
 楽観性とは、神さまの属性です。どんなときにも諦めずに前進する。疲れた心を癒し、常に新しい可能性を考える。そのための自由な発想は笑いから。
 笑いはゆとりを生み、苦しいときの慰め、そして孤独を和らげる効用があります。まず親であるあなた自身が、ユーモアのセンスを持ち、楽観的に生きてください。
 「そのとき、われらの口は笑いで満たされ、われらの舌は喜びの声で満たされた」(詩篇126:2)

 つぎに、第二のことは、

自己表現の能力を磨き、知恵を多く身につける


 です。日本の学校で私たちが受けてきた教育は、多くの場合、一方通行でした。先生が教え、話し、生徒が聞いて、ひたすらノートをとるというような。
 良い面もありますが、一個人が自分の考えを表現する能力を、養ってはくれなかったように思います。
 また伝統的な日本の社会の中では、年長者がその責任において年少者を理解してくれるという期待や、思いが強いので、この文化がそのような面を助長していたとも言えるでしょう。
 時代は急速に変わりつつあります。昔は「弁明をするな!」とよく言われましたが、自分の考えを表現できない者は、無能力な者として軽く扱われてしまう時代が、いまや来ています。
 もっと自分の考えや、気持ちを正確に伝えたり、場合によっては説得できる能力が求められています。
 また現代は、あまりにも知識量が多くて、私たちは覚え切れません。昔は必ず町内に、物知りのおじさんの一人や二人はいたものですが、そのような人の出番は少なくなっているでしょう。
 ちなみに、読売新聞1991年10月25日号「CDーROM活用広がる」という記事によると、
 「CDーROMのディスクは、A4版の用紙に換算して13万5000ページ、新聞なら朝夕刊合わせて2年半分、広辞苑では18冊分(50キロ)の情報を収録できる。1枚当りにかかるコストは数百円程度。必要な情報は、パソコンのCDドライブを通して、瞬時にディスプレーに読みだすことができる。」
 と言います。
 「仏教伝来、ゴミヤサン(538年)」
 と、かつても今も続けていることですが、もはや丸暗記の量(つまり知識の量)を誇ることのできない時代になって来ています。誇ってみても、「だからどうした!?」と言われるのが関の山です。
 聖書は、「知恵」を重要視しています。CDーROMのディスクは知識であって、その知識を使いこなす知恵があって初めて、それは有用なものとなるのです。
 「幸いなことよ。知恵を見いだす人、英知をいただく人は。それの儲けは銀の儲けに勝り、その収穫は黄金にまさるからだ。知恵は真珠よりも尊く、あなたの望むどんなものも、これとは比べられない。
 その右の手には、富と誉れがある。その道は楽しい道であり、その通り道はみな平安である。知恵はこれを堅く握る者にはいのちの木である。
 これをつかんでいる者は幸いである。主は知恵を持って地の基を定め、英知を持って天を堅く立てられた。」(箴言3:13〜19)
 知識を縦横無尽に駆使して、問題解決をはかり、未来に対する見通しを立て、よりよい人生を横築する、これを「知恵」と言います。
 またそれとは別に、人との対話やスピーチが適切に出来るように訓練することも、必要でしょう。
 そのためにはまず、人の話が聞けることです。まず聞いて、その後に話します。
 このようなことばのキャッチボールが、できるようにしましょう。冷静に相手の目を見て、できるだけ論理的に。
 また、文学を学ぶようにも指導しましょう。同じ一つのことでも、実にいろいろな表規ができるものです。
 美しいことばを話し、多くの語句を駆使し、多様な表現ができれば、人々から尊敬を受けることができます。私たちの先祖は「すべての民に好意を持たれた。」(使徒二・四七)のです。
 神さまのご栄光を現わすことを期待されている者として、自由に表現できる者でありたいものです。「あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」(ヨハネの福音書8:32)

(つづく)



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