10 どうしたら人を赦すことができるか
この罪の世界に私たちが生きている限り、人からひどい目に会わされるという経験を避けることは難しいでしょう。しかもとっても親しい人によってということもあります。私たちの心には二つの思いが生まれるでしょう。「憎い!」、そして「赦さなければ……」。この二つが戦います。最初の方が勝つときには人は決して幸福ではありませんが、後の方が勝つときには幸福になることができます。
人の幸せは決して物質で決めることはできないものです。たとえばチャンネル争いをしていてテレビが壊れたとしても、その家庭に不幸がやって来たとは言いません。でももし私たちが心を壊してしまうなら、不幸がやって来たということができます。
今回はどうしたら人を赦すことができるか、ご一緒に考えましょう。まずマタイの福音書18章21節から35節までをお読みください。
赦さないでいると神に裁かれることを知りましょう
さて、憎んで怒っている人の状態や生活はどのようなものでしょうか。心の中では赦さなければという思いと、赦すことはできないという思いとが激しく戦っています。 そして後者が勝っています。でも良心のある人間には罪責感がありますから、その心の中の状態が顔に素直に表われます。ことばも汚くなります。胃が痛くなるというの は初歩的なもので、ある人たちは大病にさえなります。医者は言います、怒っている人の体内では毒物が実際に製造されていると。
さらに、周囲の人は憎んでいる人から 発散される嫌なにおいをかぎつけるので段々近寄らなくなります。こうして人間関係 もどんどん悪化します。今まで述べた状態や生活は、生きてはいても死んでいると表現しても構わないでしょう。
しかしもっと恐ろしい罰があります。それは地獄です。聖書には「罪の支払う報酬は死である。」(ローマ6:23)とあります。肉体の生命が終了したときにその罪のゆえに人は地獄へ行かなければなりません。以上の事を 知って人を赦して行かなければなりません。34節と35節をもう一度お読みください。
神はあなたが赦すことのできる人をあなたの周囲に置くことを知りましょう
確かにひどい人が世間にはいるものですね。同情します。しかしあなたを愛してくださる神さまは愛するゆえにこそあなたを訓練されます。子ども時代に全く我慢する事をしなかった人は成人した後に大変な困難を感じます。
聖書はこう言います。
「神は真実な方ですから、あなたがたを耐える事のできないような試練に会わせるような事はなさいません。」(第1コリント10:13)
「主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」(ヘブル12:6)
神さまは今あなたを訓練なさっているのです。
しかし・・・とあなたは言われるでしょうか。続けて聞いてください。「すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく 、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。」(同12)
今のあなたの困難は神さまがあなたを愛しておられる証拠です。訓練に耐えてあなたの器が大きくなればなる程神さまのくださる祝福は大きくなります。小さな器では入れることのできる量にも限りがあるというものです。
あなたの罪が神によって赦されたことを知りましょう
イエスさまは十字架の上でこう言われました。
「父よ。彼らをお赦しください。 彼らは何をしているのか自分で分からないのです。」(ルカ23:34)
イエスさまを 殺す彼らには確かに大きな罪があります。でもそのことが彼らには分かりません。そし て、実は彼らとは私たち自身でもあるのです。
私たちの罪が……マルコの福音書 7章18節から23節にはこうあります。
「外側から入ってくる物は人を汚すことができない。・・・人から出るもの、これが人を汚すのです。内側から、すなわち人の心から出てくるものは悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな内側から出て人を汚すのです。」
この罪が・・・イエスさまを十字架にかけたのです。
あなたはこれを信じますか。でも神さまはとっても優しい方です。あなたの罪を完全に赦してく ださったのです(マタイ18:27)。このことの意味が良く分からないしもべは 1万タラントを免除してもらったのに100デナリを勘弁してやることができないのです。全く人間とは厄介な生き物です(1デナリを1万円とすると、1万タラントは6000億円になります。)。どうか神さまに罪を赦していただいたことを感謝してください。あなたの心の中の重荷はとっても軽くなることでしょう。
イエスと親しい関係に入り、それを続けましょう
イエスさまは十字架の上であなたの罪を引き受けて、あなたの代わりに罰を受けられました。もしあなたが今導かれるなら、「どうかご猶予ください」(同18:26)とイエスさまにおっしゃってください。つまり「ごめんなさい」とおっしゃってください。この時あなたの中にイエスさまが住み始められます。これからはいつでもイエスさまと一緒の生活です。
「朱に交われば朱くなる」と言いますが、イエスさまのご人格に触れ続ければ、私たちは人を赦すことがいつでもできます。どうぞお祈りをしたり、みことばを読んだり、礼拝を欠かさないようにしたり、イエスさまとの交わりを大切にしください。
最後に一言。人を赦すということは真の意味において生まれながらの人間には決してできないものです。神さまに期待して参りましょう。
「神にとって不可能なことは一つもありません。」(ルカ1:37)
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