次に目覚めたのは、もう日も高くなってからだった。 結局あのまま眠ってしまったらしく、俺と英昭はくっついてソファで丸まってた。 もう10時だけど、ヒーセはまだ起きてこない。 「あれ・・・今日、仕事ってどうなってたんだろ」 確か昼頃に、ギター雑誌の取材が一本入ってたような気が。 うわ、まずい。 用意しなきゃ。 ばたばたとシャワー浴びて髭剃って、服に悩んで・・・と、活動し始めた俺の所為でか、英昭も目を覚ました。 「エマぁ・・・どっか行くの?」 眠い目を擦りながら後をついてくる。 「あー・・・あのさ、仕事でちょっと出かけるんだ。ヒーセ起こしといで。それで遊んでもらってな」 英昭の顔が曇った。 あ・・・そうか。この子、今、誰かが傍にいなくなることを怯えてるんだった。 こんな言い方じゃいけないんだよね。 えっと、俺が安心する言葉は・・・。 「あのね。夕方には帰ってくるよ。帰ったらちゃんと英昭の傍にいるから、安心していいからね」 ちゃんとおまえの傍にいるからね。 ・・・・と。 それは俺が大好きな言葉。 『エマがいらないって言っても、俺はエマの隣にいるよ』 吉井がいつも言うその言葉が、本当は大好きなんだと、また思い出す。 でも子供の英昭にはその言葉のあったかさは、まだ充分判らないらしく、ぐずりやまないのを、いつの間に起きたのか、ヒーセが抱き上げた。 「英昭のことは任せといて、早く行ってこい。帰りに夕飯の買い物してこいよ」 まるで俺が奥さんみたいなその横柄な口ぶりに、思わず吹き出した。 ヒーセもそれに気付いて笑う。 「っと、今のはロビンには内緒だな。殺されっちまうよ」 その名前に、俺の笑みが止まる。 いけない。 ヒーセに気付かれる・・・。 「心配しなくても、絶対こんなの聞かれたら怒るから、安心してろ」 囁くように言ったヒーセの言葉に、俺はびくっと顔を上げる。 「喧嘩したんだろ?」 「・・・・・・・・知ってた・・・?」 ヒーセは片腕で英昭を抱っこしたまま、俺の頭をぽんぽんと軽く撫でた。 「5歳の頃から変わらねぇわがままキングが、不機嫌ならともかく、落ち込むのは誰かさんの所為でだけだってことくらい、気付かない俺だと思ってたかい?」 取材は順調に終わって、約束どおり、夕方には撮影も難なく終了した。 「なんだかちょっと顔色悪いですね」って言われて、久しぶりに濃い目にファンデーション塗られて、それは気になったけど、ヒーセひとりに英昭を任せてきたことを思うと、ゆっくりメイクを落としてる暇もなく、スタジオを飛び出す。 ・・・っと、買い物してこいとか言ってたっけ。 スーパーに寄ろうとして、流石にメイクが気になったけど…いっか。ファンデーションだけだし。 誰も見てない、見てない。 グラサンだけかけて、マンションから手近いスーパーに入る。 でも、そこで思いがけない人に会うとは、思ってもみなかった。 「・・・菊地くん?」 声をかけられて、相手を認識した途端、俺は激しく後悔した。 「・・・・・・・・・か、川上さん・・・」 それは、かの中学時代の思い出の彼女だった。 「まさか、こんなところで会うなんてね」 そりゃそうだろう、俺だって、この近くに住んでるなんて知らなかった。 しかもこんなところ・・・スーパーの青果コーナーなんかでさ。 過去にあんなに俺を嫌っていたのに、今、穏やかに彼女は微笑む。 あの同窓会のときより、更にふっくらした印象の川上さんは、食材のいっぱい乗ったカートを押していた。 「どうしたの、その顔」 やっぱり気付いたか。 「や、あの・・・さっきまで雑誌の取材で」 「ああ、そうよねぇ。菊地くん、芸能人なんだもんねぇ」 ゲイノウジンっていう言われ方には軽く抵抗があるんだけど、そこは流す。一般の人にはどうでもいいことだ。 急いではいるんだけど、なんとなく「それじゃ」って立ち去ってしまいづらい雰囲気で、そうこうしてるうちに世間話が始まってしまう。 なんでTHE YELLOW MONKEYのEMMAともあろうものが、近所の奥さんよろしく、スーパーで立ち話・・・とも思ってしまうのは仕方ないだろう。 このあいだ北嶋くんと会ったのよ、俺も一昨日いっしょに飲んだよ、なんて、どうでもいい会話をしてるうちに、ふと、川上さんのカートの中のそれに気がついた。 「・・・苺」 「え?」 「ううん。なんか懐かしくて」 川上さんの思い出といえば、例のケーキが一番に思い浮かぶから、それにまつわる苺を、今日も彼女が買っていくのが、ちょっと可笑しくて笑ってしまった。 「ああ、苺ね。明日、上の娘の誕生日なのよ。ケーキ焼いてあげようと思って」 ふふ。やっぱりケーキなんだ。 これで川上さん=ケーキのイメージは一生ものになっちゃったな。 そんなことを考えてたら、川上さんがふと目を細めて俺を見た。 「あのさ、菊地くんにずっと謝りたかったことがあるのよ」 「え?」 思いがけない話題転換。・・・なんだろう? 「菊地くん、本当は私のケーキ嫌だったんでしょ?」 ――――――・・・? 「中学生の頃ね、菊地くんの誕生日にケーキあげたじゃない。そのあと、なんか避けられてるみたいで、気になってたの」 あの頃は男の人は甘いものが得意じゃない人が多いなんて、思ってもみなかったから。と、彼女は言った。 今になって思うと、手作りってのも重いわよねぇって。 「私ね、勝手に菊地くんと、お互いに好きあってるんだと思ってたのよ。 だから、喜んでもらえるとばかり思ってたの。 だって子供が作ったにしては、不味くないケーキだったのよ? なのにあなたが私を避け始めて、すっごく腹立ったのよね。」 「違うよ」 「いいってば、気を遣わないで。 だからあなたのこと、嫌いだって思うようになっちゃったの。 嫌われたと思うのが怖かったから、自分から嫌いになってごまかしたのよ」 「・・・・・・・・・・。」 「幼いって嫌よね。自分のことばっかり甘やかして、相手のこと考えないんですもの。ごめんね?」 自分のことばっかり甘やかして、相手のこと考えない・・・か。 実は俺、今もそのままなんだよ。あの頃、俺が避けたことによって川上さんが傷ついてることなんて、思いもしなかった子供の俺と大差ない。 俺のほうこそごめんね。 あなたが俺を想ってくれてた気持ちを無碍にしたのに、そのことにすら罪悪感を覚えてなかった。 今、この瞬間まで。 「あのさ」 「ん?」 「川上さんの娘さん、幸せだと思うよ」 「どうして?」 「こんな素敵なお母さんに、小さい頃から誕生日のケーキ焼いてもらって、幸せなんだよ」 謝る代わりにそれを告げると、彼女は本当にキレイに微笑んだ。 その後、手早く簡単に作れるもの、っていう観点から川上さんに付き合ってもらって買い物を済ませ、車に乗り込んだ頃には、もう日が暮れていた。 大急ぎでマンションに戻りながら、ふと、この間の夜を思った。 あの日、俺はイライラと車を走らせて、吉井のことをずっと悪く思ってた。 吉井の意味不明な憤りは、訳のわからないことを言う、あいつ自身が悪くて、俺は振り回されてるんだと思ってた。 でも本当はその前から、ずっと心臓の辺りが、チクチク痛かった。 なんであんなに痛かったんだろう。 周りが大人になっていく中で、本当にもういい年なのに大人になれない自分がもどかしかったから? その「大人」って何だったんだろう? それは、普通に無難な恋をして、祝福されて結ばれて、子を成して老いてゆく、そんな人生を送る人のことを言うのだろうか。 俺は、そうしたかったのに、そうできなかったから周囲に苛立っていたんだろうか。 それも、それすらも吉井の所為だと思っていたんだろうか。 ―――――でも、大人って、そういうことじゃない。 「幼いって嫌よね。自分のことばっかり甘やかして、相手のこと考えないんですもの」 川上さんの言った言葉が、きっと、正解なんだ。 大人だとか、子供だとか、それは自分を取り巻く環境によって定義される価値じゃない。 吉井は昔、「エマは大人だ」ってよく言ってた。 それは、俺たちの関係が恋人という範疇に入る前のこと。 まだ遠慮のあった間柄の吉井に、俺はあの頃、確かに気を遣っていた。 その気遣いは、距離を置くためのものではなく、純粋にあいつのことを考えての行動だった。 それができなくなったのは、いつからだろう。 吉井に身体を開かれた、あの日じゃない。 あの振る舞いを許せなかった時期のことじゃない。 一度は嫌いだと思った吉井に惹かれていることを、認めたくないと思いながら自覚してからなんじゃないか? 愛してるっていう囁きに、頷いたあの日からなんじゃない? あの日。 一年前の・・・あの、日。 ――――…あ。 思い出した・・・。 この間の夜が、何の日だったのか。 あれは去年、初めてオマエの「愛してる」っていう囁きに、俺が応えた日だったんだね。 ちょうどツアーの最終日で、打ち上げの時に、俺たち、 誰にも見つからないように秘密の乾杯したね。 「まさか・・・そんなこと?」 もしそれが本当に原因だったとして、吉井があれほどまで怒ったとしたら、 ちょっと・・・かなりくだらない。 そんなに怒ることか?大の大人が。 呆れてしまう。 馬鹿らしい。 そんなコトで振り回されたんだとしたら、俺の方こそ怒りたい。 と、思うのに。 確かにそう思うのに。 でも・・・。 ごめんね、吉井。 あんな些細な記念日を、オマエが大事にしてるなんて知らなかったんだよ。 思いもしなかったんだよ。 俺はそんなもの、すこしも大切に思ってなんかいなかった。 そんなものを大事にしたら、もう取り返しがつかないと思ってた。 だって怖かったんだ。 素直になるのが怖かった。 踏み込んだら、二度と引き返せない沼地に身を落としそうで、その覚悟ができていなかったから。 多分、俺の思う大人になるということは。 その覚悟を決めることなんだ。 俺の抵抗は、それに対する、馬鹿みたいに純粋な恐怖に他ならなかったんだ――――・・・。 |
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