VOL 14 -EMMA side- |
数年ぶりに訪れた、地方の小さな街は、 記憶の中のそこよりも、ずっと簡素な淋しいところだった。 遠い海の音。 ―――懐かしい。 ずっと昔、どうしても一人になりたくて やっぱり行方を眩ませたとき、ここを訪れた。 なんの変哲もない、寂れた海辺の田舎町。 暫く、ここで波音を聞きながら、 何にも邪魔されることなく、吉井との記憶に遊びたかった。 冬とはいえ、ひと気のない砂浜で 俺は暮れていく薄闇に自分が溶けていくのを感じた。 ねえ、吉井…こんな季節だったっけ。 初めて、ステージ上じゃなくキスしたのは。 もう何年前なんだろう。 あの頃、俺は自分のプレイがどうしても気に入らなくて それが自分の腕の所為なのかバンドとの相性の所為なのかわかんなくて その日のライブの後の打ち上げで、ヤケ酒の挙句に 『もう、こんなバンドなんかやめる!』 って言って、店を飛び出した。 そうしたら、お前、大慌てで俺を追ってきて 店の外の公園でぼんやりしてた俺を捕まえた。 …だけど何も言わなくて。 ただただ息を切らして、俺の肩を掴むばかりで、 イライラした俺が、更に悪言雑言を浴びせるのを黙って聞いて… 流石に言葉尽きて、バツが悪くなってきた時、 不意に顎を持ち上げられて…キスをした。 『…な、なに…?』 俺、面食らったよ、あの時。 だってここにはオーディエンスなんかいなくて 何のために吉井がキスしたのか、全然わかんなくて。 『もう、ね。わかったから。 エマが苦しんでるの、充分判ったから。 だからね?上手くいかないの、自分の所為だなんて思わなくていいから。 だから…もうエマはずっと俺の隣にいなさい』 『……?』 お前から、やっと出た言葉がそれで…俺はびっくりしたよ。 てっきり、『もう辞めていい』って言うんだと思って聞いてたから。 それに俺、『お前の歌が下手な所為で、俺のギターが映えない』って言ったのに どこをどう聞いたら、俺が俺の所為で辞めたがってるって思うんだ、ってね。 『だって、エマは俺の歌とギターが合ってないって思うんでしょ? THE YELLOW MONKEYは、俺がいなくちゃダメだし 合わないって思ったから辞めたいんでしょ? でもね、俺はこれからどんどん上手くなるし、 俺と一緒だったら、日本一になれるんだよ。 だから、エマは安心して俺の側にいればいいんだよ』 …ふふっ…吉井。馬鹿な自信家。 全然売れてもない時で、その自信はどこから来るんだって、呆れちゃった。 だけどあの時、俺―――お前に参ったのかもしれないね。今思うと。 この人について行こう、なんて馬鹿なことは思いもしなかったけど 結局、俺はお前と共にいることを選んだ。 俺――――あのキスを、どうしても忘れられない。 必要とされてると思った。 その後、お前は俺を求めはじめて……愛されてると感じた。 ―――――――どうして。 どうしてあの頃のままでいられなかったんだろう。 吉井とたくさんのキスと駆け引きを交わして………純粋に楽しくて… どうして身体を重ねたりしてしまったんだろう。 求めてしまえば、受け入れてしまえば お前を愛さずにいられないことは、最初のキスで判りきっていたのに……………! 嘘をついた。 お前なんか愛してないと。 お前が何をしていても、俺は平気だと。 求められたから受け入れた。 ただ、それだけだと。 悔しいから…お前が俺の想いに、自信を持つのが悔しかったから…。 本当は、最初にお前に抱かれたときに感じてた。 俺は、お前を、愛してるということ。 それを認めるのに、何年もかかって…あの、事故のとき 薄れていく意識の中で、やっと思い知った。 ―――――吉井、俺は酷いヤツなんだよ。 あのね、お前と暮らした数ヶ月間…苦しかったけど、幸せだった。 現実味なんてまるで無くて、 ままごとみたいな虚構の世界の中で 俺は、馬鹿みたいに幸せだったんだ。 刺すような冷たい風に、俺は自分が今、一人なんだと感じた。 吉井…今、何してる? 今ごろ。 もしかして―――苦しんでるかもしれない。 俺の選択は、またしても間違っていたかもしれない・・・。 吉井。 今もあの部屋にいるの? あのベッドで・・・俺を想ってくれてる? それとも・・・もうとっくに家族の元に帰って 今度こそ俺のことを見限ってしまっただろうか。 ―――――1週間。 そう、あれからまだ1週間。 俺はまだ平気になれない。 退路を断ったのは、間違いなく俺で 本当にお前は何一つ悪くないというのに お前の腕の中が恋しくて、抱かれて眠る胸の温度が恋しくて 弱い俺が何度も「帰ってしまえ」と叫ぶ。 だけど、帰るだけの勇気が無いんだ。 それは、あの優しい空間にではなく、 もう一度、叶わない望みを繋ぎつづけて苦しむ、遠い日常への怯え。 ずっとお前を独り占めにしてて忘れかけてたけど お前は俺のものではないんだ、ということを もう一度思い知るのが怖い。 そのときに・・・俺が笑えるのかどうか・・・。 コートの端を、ぎゅっと握り締める。 吉井のコート。 身に纏った、吉井の香り。 ―――-吉井、吉井…………! 何年も愛されてるフリをして、 愛してないフリをしてた。 そして、今…俺はお前の気配を身に纏うことで お前に抱かれているフリをする。 到底癒すことの出来ない餓えを、無理矢理に宥めるために。 お前の香りは、自然とお前の指を捜す。 掌で、腕で、抱きしめられる感覚を求める。 目を閉じて、指先で、自分の胸のあたりを辿ってみた。 お前はこんな風に…俺を触るね。 最初は冷静に、そしてだんだん熱を帯びて… キスが、やがて俺に降り注ぐ。 唇に、瞼に、頬に… 首筋、胸――― 熱い舌が、全身を這うんだ。 俺の意地も、プライドも、何もかも押し流す温度で…。 ――――――――っ! 一陣の強い風に、不意に我に返った。 波の音が、激しく耳を刺す。 「………あ……………」 潮の香りに、吉井の香りが消えてしまう。 冷たい風に、吉井の温度が消えてしまう。 やだ……………いやだ、吉井…………! やっぱり、俺…どうしてもお前を忘れられない。 お前と離れて、平気でなんか生きていけない。 なんの迷いも、なんの痛みも無かった頃に戻して。 そして 今すぐ、ここに来て、平気で笑いあえた頃の俺を抱きしめて……… 淋しい。 一人は、淋しいよ。 判ってる。これは俺が選んだこと。 部屋を出たことじゃない。 今までの全ての嘘は、俺が選んできたこと。 この、歓声にも似た、波の音に溶けてしまえば、もう淋しくないだろうか…。 ざらり、と 足の下で砂が動く。 別の生き物のように、足が音に引き寄せられる。 何もかもを手に入れたかった。 お前の全て。 髪の一筋から、爪の先まで、全て俺のものにしたかった。…それが、俺の罪。 ざらり。 濡れた砂が、靴の中で水とあいまって流れる。 ざらり。 水は冷たくて、波は激しくて 激痛が次第に足元から込みあがって来た。 ―――膝から肩へ…苦しさを越え、歓びになる… お前がそう歌った声が、耳にの中で響く。 はやく…はやく溶けたい…………………………………………… 腰の辺りまで水に浸かったとき、ポケットに入っていた 吉井の煙草が流れて、波に飲まれた。 「よし………いっ……」 またひとつ、吉井を失ったような気がして、喉元から嗚咽が込み上げる。 愛してる。 愛してる、吉井――― このまま俺はここで溶けて、もう二度とお前に会えない――――――――? 「や………だ。いや…………」 溶けることさえも、俺には選びきれない。 終わりにさえしてしまえない。 俺はどうやって結論を出して、どうやって、どこへ進むつもりなんだろう…。 『兄貴は帰ってくるよ。絶対、帰ってくる。 兄貴はどうしたって、音楽から…俺たちから離れられないんだよ』 一週間前、街を出た夜明け。 英二に言われた言葉が、不意に蘇った。 『誰にも言わない…兄貴の行き先は誰にも言わないから… だから、約束して。 絶対帰ってくるって…!』 吉井の寝顔を見つめて部屋を出て、 英二の制止を振り切って街を出た。 英二……俺は、一体、どこへ帰ればいいんだろうね……。 なにひとつ纏まらない、 なにひとつ掴めない、自らの手で締めた見えないロープがどんどん首に食い込んで、 俺は水の中に身を浸して 長い間、声を上げて、泣いた。 |
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