vol.15-LOVIN side-  

『THE YELLOW MONKEY ギタリスト失踪!

ロックバンド・THE YELLOW MONKEYのギタリスト
菊地英昭が失踪したとの情報が先ごろ入った。
近しい関係者の話によると
数年前から、ヴォーカルの吉井和哉と菊地の間では確執が絶えず、
菊地は吉井とのトラブルを、しばしば周囲に洩らしていたということだ。
一部では、金銭トラブルや、音楽性の違いによるものと見て
脱退・解散の可能性も考えられるという。
実際、THE YELLOW MONKEYは、夏のツアー後、
何の発表もないまま活動を停止しており、この関係者の談話は
気になるところである。
同バンドは、89年の結成以来――――――――――……………』




「何だよ、これ!」
無責任な、何の根拠もないその記事を見て、ヒーセが怒鳴る。

事務所は、急な報道に対する問い合わせや、
ファンの、悲鳴のようなメッセージ、
物見高い取材依頼の電話で溢れ返っている。

俺たちは堂々と外を歩くこともできず、
ひっそりと事務所に集まっては、頭を抱え込んでいた。

「オマエらに確執があったなんて、誰が思うって言うんだよ!
 音楽性だとか…まして金銭トラブルだとか
 一体、どこにそんなタネがあったっていうんだよ!」
「ヒーセ。落ち着け。
 こういうことはしばしば起こるものなんだ。
 オマエらが取り乱したら、返って噂を煽るようなものだぞ」
「でも…社長…」
「冷静に対処しないと、どうにもならないものなんだ」


俺には、この騒動が、まるで何か他人事のように思えていた。

誰かの悪意なのか?
それとも、エマ失踪の信憑性をつけるために、わざとこんなことが書かれたのか?
いや。
そんなことはどうでも良かった。
事実が全然違うところにあるのは、誰よりも俺が知ってるから。
それよりも、エマがこの報道を聞いて、一体どんな気持ちでいるかのほうが重要だった。

ただでさえ―――――エマは、傷ついているんだ。
苦しんでいるんだ。
苦しめたのは俺で。
紛れもなく、俺で。
なのに、こんなふうに取り沙汰されて………

そのきっかけを作ったのも、きっと俺だ。
エマがいなくなってしまって、俺は何も取り繕うことなく、エマを探し回った。
色んな店や、エマの昔の女や…
誰彼ともなく、「エマを知らないか」と聞きまわったのは、俺だ。
こうなることを、予測もせずに――――。

俺は一体、どれだけエマを傷つけるんだ。
遂に、ヒーセやアニー、事務所やスタッフ…関係者すべてを巻き込んでしまった。
そして。
俺自身も、一体どれだけ自分を傷つけているんだろう。

エマ。
抱き締めてやりたくても、エマはいない。
俺の知らない、どこかに行ってしまったまま。


「――――吉井」
名前を呼ばれて、やっと俺は我に返った。
「どうするんだ」
視線の先には、厳しい面持ちの社長がいた。

「放っておけば治まるものでもないぞ。
 いや、騒動は治まる。
 けれど、ファンは待っていてくれないぞ。
 ファンは何も知らないんだ。表に出た報道を信じてしまう。
 事実、お前宛に非難の声が上がっているのも事実だ。
 放っておけば…消されるのは、お前らだ」

びくり、と。
俺たちは身を竦ませた。

お前次第だ、と。
社長の目は、そう言っていた。













「あのさ」
ずっと黙っていたアニーが、やっと口を開いたのは、
事務所を出て、駐車場に着いてからだった。
もう誰もいない。
誰もいなくなるのを見計らって、アニーはそれを告げた。

「兄貴さ、K市にいるんだよ」
「………おまえ…知ってんのか!?」
「極秘で、銀行に調べてもらったんだよ。
 …K市のキャッシュサービスで、兄貴の口座から、先週と今週、2回現金が引き出されてる。
 それも、同じところからね。
 兄貴の暗証番号って、普通じゃわかんないから
 本人が引き出したのに、まず間違いない」
「アニー…」
「昔もね、兄貴が一人になりたくなって
 行ったことがあるところなんだ。
 だから、多分……そこに、いると思う」
「………そっか」
「え?」
「いや、とりあえずさ。エマ、無事なんだと思って…。
 ちゃんと、無事なんだって…………わかっ・……て………」

悪いことばかり、考えてた。
振り払っても振り払っても湧き上がってくるその不安を、ずっと打ち消せずにいた。

エマは、ちゃんと、この大地のどこかに立って
呼吸しているんだと確信できて、俺は涙が頬を伝うのを止められなかった。

「まだ、泣いてるときじゃないってば。
 俺ね、本当は兄貴が出て行ったの知ってたんだよ
 ――――あのとき、出て行った日、兄貴、1回家に帰ってきたから」

「―――――え?」

「パスポートでも取りにきたみたい。物音で気付いて、兄貴の部屋に行ったら、
 泣きながら兄貴が探し物してた。
 『パスポートなら、俺が持ってるからそこには無いよ』って声をかけたら
 凄い目で俺を睨んで…でもすぐに諦めて出て行こうとしたんだ。
 俺、今行かせたら二度と会えなくなるような気がして、あわてて押し留めて…。
 でも、兄貴は何を聞いても理由は言わなかった。
 『英二、ごめんね ごめんね』って泣きながら、俺にしがみつくばかりで。
 長いことそうしてて。
 兄貴がやっと言ったのが、『一人になりたい』だったんだ。
 何かあったんだって、思うしかなかったよ。
 ロビンが絡んでるんだろうってことは、なんとなく気付いてた。
 ………俺ではどうにもしてやれないんだってこともね。
 だから、俺―――その時、約束したんだ。
 絶対に、兄貴がどこに行ったか、誰にも言わないって。
 ……実際、どこに行くってことは、確信としてはわからなかったんだけど。
 でも、そう約束したんだ。
 だから、絶対帰って来いって。
 兄貴は……『うん』って言ったよ。絶対帰ってくるから、捜さないでほしいって。
 あとは、さ。
 『吉井のこと、お願い』って、そればっかり」

「――――――っ………」

「だから、さ。
 ホントは何もかも判ったとき、一瞬お前のこと
 どうしようもなく憎んじゃったんだけど…。
 兄貴が、そんな状況になっていたのに『吉井をお願い』って言ってた…ってことは。
 少なくとも、お前のことを…お前のしたことを…お前との関係を、さ、
 受け入れてたんだよ。
…それに………話を聞いて、判ったことがあったんだ。
 馬鹿だよ、お前。
 俺にすら判ったのに。
 …………………………兄貴が、本当に記憶が無くてお前と居たと思うのか?」
「………どういうこと、だよ?」
「兄貴は何も言わなかったけど、俺も確信があるわけじゃないけど、
 兄貴さ、本当に記憶を失っていたとしても…多分、暫く前から思い出してたんじゃないかな。
 何もかも」





――――――――――――――――――――え?




何を…アニーは…何を言って…………


「じゃ、なかったら……あの時、兄貴が俺に電話かけてきたの、おかしいだろ?
 記憶が無かったのなら、あの時、確実に知ってる人っていうのは
 お前だけなんだよ?
 手当たり次第に電話かけてたのならともかく…誰もそんなこと言ってなかっただろ?」

「だって…エマは自分の名前はわかってた…
 だから、同じ名字のお前にかけたんだと…俺は………」

アニーは呆れたように溜息をついた。
そして、肩を竦めて言った。

「兄貴の携帯の登録に、俺の名字は入ってないよ。
 『英二』って名前だけ。
 しかも、『自宅』ってのも入ってるよ。『事務所』も『ヒーセ』も、『親父』も。
 兄貴はあのとき、俺にだけ電話をかけた。
 はっきり俺を選んでかけてきたんだよ。
 …………わかるか?この意味」

水を浴びたような感覚と、込み上げてくる震え。
それは―――――じゃあ、エマは…………

「兄貴が記憶を取り戻したのは、出て行く直前じゃない。
 ずっと判ってたんだよ。少なくとも、あの時点で。
 だけど、どこにも行かずに、お前の帰りを待ってた。
 それは―――-つまり…」


つまり―――-………なんだよ。


水を浴びたような感覚がした。
思考が上手く働かない。
徐々に震えが這い登ってくる。


つまり。
…………そういうこと、か?  エマ?

「兄貴は、自分の意志で、お前と何ヶ月も居たんだよ」

アニーの声が、俺の懐疑を決定づけた。


じゃあ、エマは……
何もかも、判ってて?

何処にでも行けることも、ずっと判ってて?

それでも、記憶喪失のフリをして俺と居ることを、望んだと…
アニー。
お前はそう言うのか?

でも――――――それじゃ、何のために?

何のために記憶喪失のフリなんか…?

そんなことをしなくても、俺はずっとエマの側にいるというのに―――――
エマが望むのなら、ずっと、ずっと
片時も離れず、側にいるというのに…………



その時、俺は不意に、エマのガラスの瞳を思い出した。
あの事故の夜に見せた、虚ろな、ガラスのような瞳。

その瞳を知っていると、あの時、俺は思わなかったか?

そして、俺はそれを、どう判断した?



「もしかして、エマは俺を愛していない?」―――-と。


エマ は 俺を 愛しては いない   と。


だからこそ、俺はエマを攫った。違うか?
自己正当化も、今は捨ててしまえ。
記憶が無くて行くところの無いエマを守ろうとしたのか?
違うだろ。
あのとき、エマを攫ったときの本当の理由は………


エマを、俺だけの世界に閉じ込めてしまえば、今度こそ全てを手に入れられる と。

俺が犯した罪。
エマが犯した罪。
挙句の身体の関係。
そして…手に入らない、エマの本当の心。

それらをすべて「0」にして、最初から、無垢になったエマを手に入れようと…。

だけど、アニーの話が本当なら、本当にそれが真実なのなら、
エマも俺と同じ気持ちだったというのか?


愛してなかったんじゃない。
本当は、俺と同じように、愚かな選択をしたのだというのか…?



待ってくれ。
そんなの、俺の都合のいい思い込みじゃないのか?
俺はまだ、自分がエマを追い詰めた罪に向き合うことから逃げようとしているんじゃないのか?


アニーは、そんな俺に薄く笑った。
泣いてるのかと思ったけど、そうでもなかった。

「しっかりしろよ、吉井和哉。
 兄貴をなんとかできるのは、お前だけだろ?
 俺はね、ただ単に、その場の勢いでこんなこと言ってるんじゃないんだよ。
 本当は何回も、兄貴に『吉井と別れろ』って言ったよ。
 今もね、ちょっとそう思ってる。
 お前、馬鹿だし
 兄貴も馬鹿だし
 二人ともお互いを追い詰めて、ホント、馬鹿だよ。
 崇高な思いで相手の幸せを望むんなら、さっさと別れろよ。
 どうしても相手が欲しいんなら、くだらない遠回りしてんじゃねーよ。
 ホント…お前も…兄貴も…馬鹿………」

言い残して、車に乗り込もうとしたアニーの腕を引っ張った。

「心あたり、あるんだろ?お前。エマどこだよ」
「……聞いてどうすんの?」
「決まってんだろ。迎えに行くんだよ」

今度こそ、アニーは疲れたような溜息をついて、天を仰いだ。

「どこまで馬鹿だよ、お前。
 何て言って迎えに行くんだよ。
 『全部わかったから、エマさん、帰ろう』って?
 ばーか。
 何で兄貴がお前から逃げたと思ってんだよ。
 兄貴は、お前と違って、お前が自分のこと、心底愛してることを知ってんだよ!
 迎えに行ったら、また行方をくらますか、
 仮に素直に帰ってきても、いつかまた同じように、
 気持ちの中で堂々めぐりを繰り返すか―――――
 解決しねーんだよ!
 ――――兄貴が、自分の意志で帰ってこない限り!
 それに、俺だって絶対そこにいるって場所は判んないんだよ。
 そこにお前が、やたら目立つ有名人のロビンが
 K市まで行って兄貴を探し回ったりしたら、余計に噂を煽るだろ!」


………じゃあ、どうしろって言うんだよ。
ただ待ってるなんて、今の俺にできると思うのか?
しかも、俺たちを取り巻く状況は、刻々と悪くなってしまうというのに。

………だけど、…そうだ。
アニーの言うことも、判らないでもない。
確かに、噂を煽ってしまう。
俺の勝手な行動で、いよいよバンドがダメになってしまったりしたら、
今度はメンバーや事務所だけの話では済まない。確かに、俺は慎重にならなければいけないんだ。

しかも。
そんなことになったら…いよいよ、エマの帰るところは無くなってしまうじゃないか。
それより何より
エマは…エマなら、自分自身で納得しない限り、無理矢理連れ戻してもダメだろう。


…・…!?

がやがやと、集団が近づいてくる気配がした。
アニーも気付いて、通りのほうを見る。
ヤバい。芸能記者だったりしたら、今は、凄くまずい。

目配せをして、アニーは車に乗り込んだ。
ドアが閉まる寸前、俺はまだどうするのか決定できないまま伝えた。

「明日、2時、事務所!」
「ん」

アニーは携帯を2、3回振って了承を伝えた。ヒーセにも連絡しておくということだろう。


俺たちは車を出すと、それぞれに走りだした。



さあ、どうしようか、エマ?
どうしたら、お前は俺の腕の中に帰ってくる?
俺はどうしても、お前に今すぐ伝えたい。

俺がどんなに愚かでも
お前もどんなに愚かでも
もしも、俺たちがお互いに馬鹿な罪を重ねていたとしても。



それでも、エマ。
お前を愛してる。
いつまでも側にいたい………と。

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