VOL.18-EMMA side-  

「俺は・・・ずっと大切に思ってきた人を、
 長年にわたって傷つけていたことを、つい最近になって知りました。
 そのことに頭が一杯で、周囲に対する配慮が足りなくて
 今回の騒動を引き起こしたんじゃないかと思っています」





吉井が公共の電波に乗せたそれは、
間違いなく、俺に向けての言葉だった。
カメラを見据える吉井の瞳は、まっすぐに俺の瞳を見つめていた。


……な…なんだよ、これ…。

それを捉えるや否や、俺は振り返ってサトシを探したけれど、
先刻出て行ったサトシは、やっぱりそこにはいないままだった。

俺がこれを見るのを、確信したかのような発言の数々。
明らかに、判っていてTVをつけたサトシ。

吉井は、知ってる。
俺がどこにいるのかを。
場所は知らなくても、俺がこうやって帰れずにいることを、知ってる。



心臓が、痛いほどに早鐘を打った。

―――――まだ、待っててくれてると思って…いいの?

動揺は、けれど徐々に増していく。



「イエローモンキーの誕生日にライブをします」


ライブ…?年末のライブ?
それにあわせて、帰って来いってこと?
俺がこの番組見てなかったらどうするつもりなの?
見てても帰らなかったら、どうするつもりだよ?
帰ったところで、俺、もうずっと弾いてない。
こんなのでライブなんてできないよ。

滅茶苦茶だ。吉井、無謀だよ。その計画。

それとも、俺が帰らなかったら代役でも立ててやる気なのかな。
もしそうだったら、俺は…どうするんだろう。



ブラウン管の中の吉井は言った。
「エマは、すぐそばに、います」


馬鹿…。
俺の退路を断つ気なんだ。
公にこう宣言したら、もう俺じゃなきゃできない。
そういう計略なんだ。

なんて、強引。
なんて…………なんて……吉井――――――!


吉井の発するひとつひとつの言葉。


「すぐそばに、います」

嬉しいのか、口惜しいのか、俺には自分のその
単純な気持ちの推移さえ判らずに、俺はその声音に浸った。



…吉井の声―――――話す声、………歌声。

そのすべてが
俺に、「帰っておいで」と囁く。

歌う吉井の指先が、仕草のひとつひとつが、俺をあの胸に誘う。

ライブのときのように、頬に吉井の指が触れたような気がした。
俺は、こんなにも吉井の声、吉井の佇まいに飢えていたことを思い知る。



「Happy birthday」と吉井が言った。

12月7日――――ああ、今日は…俺の誕生日。

忘れてた。
もう…すっかり…。


くすっ、と笑みが浮かぶ。
その笑みは、なんだか切なく俺の胸を刺した。

誕生日の、密やかなメッセージ。
去年まで毎年、プレゼントや、半ば習慣と化したデートで
無意味に飾り立ててた誕生日。
ともすれば、そんな日を大切にしてしまいそうな自分が凄く嫌で
お前からのプレゼントは、必要以上に粗末に扱ってきた。

「Happy birthday」
この一言を、こんなに素直に嬉しく思ったことなんて無かった。

これも狙って、この番組にしたの?吉井?
どんなに苦しい状況になって、追い詰められても、やっぱりロマンティストだね。
それとも、策士っていうのかな。
お前のそういう演出に、「こいつ、どこまでが本気なんだろう?」って
何度疑ったか知れない。
なりふり構わずに追いかけてくるわけじゃない、そんなお前に
真剣に愛されてる自信なんて、持てやしなかった。

持ちたくなかった。

だけど。

一緒に暮らした数ヶ月、お前は本当に真摯だったね。
苛立ちや葛藤を、何もかも呑みこんで、ひたすら俺だけを見てた。
そして、遂にそれが限界に達して逃げそうになったとき、
お前はちゃんとそれを乗り越えて、そして俺の元に帰ってきた。
安心させようとか、そんな欺瞞に満ちた言い訳をすることもなく
「逃げそうだった」と言って。

どんな甘ったるい言葉より、俺、本当に嬉しかった。




今なら、まだ、間に合う?
お前の差し出してきた、この指先に誘われるままに戻れば、まだ間に合う?
この慕情に突き動かされるままに、もう一度お前の側で――――――――。






これは、恐怖だ。



あまりにもリアルに湧き上がってきた、それは恐怖だった。
さっきまでの、許されないことに対する畏怖とは違う、極端な怯え。


俺は、既に信じてしまっている。
吉井のことを。
吉井の愛情を。
確かな質感を持った、手ごたえを感じて。

今まで、吉井との関係は『いつか終わるもの』として扱ってきた。
それに傷つかないように、防御線を常に張って。
…いや、吉井だけじゃない。
俺は今まで、不変の愛情なんて、信じたこと、無い。

どんな恋人も、一時は俺を求め、俺も心から求めても
いつか終わりが来て、去っていった。
俺の中から愛情が消えて傷つけたこともあったし、
逆に相手から愛情が消えて傷ついたこともあった。
でも、どんな傷も、新しい恋愛や、時の流れが、その痛みを拭い去ってくれた。


ほんの子供じみた頃から、恋愛はそういうものだと知っていた。
そして「大人」と呼ばれる年齢になる頃には、自分で自分を護ることを覚えていた。
それで当たり前だと思っていたし
それでいいと思っていた。



―――――――けれど、今度は?


今のこの感情の向かう先を、俺は知らない。


俺の罪を許そうとする吉井を、
吉井の今の気持ちを、『永遠に変わらないもの』として扱おうとしている。
無防備に、全てを吉井と分かち合いたいと願っている。

今までなら良かった。
いつか吉井が目をそらしても、「やっぱりね」と溜息をつく自信があった。

でも、吉井の向けてきたまっすぐな瞳に、まっすぐな愛情に
こんなにも全身を浸して、……俺は?


今度のことで、吉井との恋が新しい局面を迎え、
退路を完全に断った上で、その瞳をそらされたら、俺は今度立ち上がれるのか?
男女ではない、確かなゴールのないこの恋愛で
こんなにも求めてしまって、もしも吉井が変わってしまっても
俺はもう…変われない。


変われないんだよ!


――――――――――――――――――怖い…………。












「まだいたのか?」

サトシの声に我に返った。
気付けば、TVは既に砂嵐になっていた。

「…帰らないのか?東京に…バンドに――――――いや、吉井さんのとこに」
「……サトシ!?」

吉井のところに……?

「サトシ、もしかして俺たちのこと………?」

サトシは、疲れたように苦笑をもらしながら、
キッチンからジンの瓶を取り出すと、俺の隣によいしょ、と座った。
差し出されたグラスを少し躊躇うと、「別に今夜帰れとは言わないよ」と笑った。

暫く、俺たちは黙って飲んだ。
冬の空が遅い夜明けを迎える頃、漸くサトシは口を開いた。

「英昭とこの街で会ったとき、お前、不自然なほど明るかっただろ。
 流石に子供の頃からのつきあいだから、何かあったな、と思うのは当たり前だよ。
 まして、お前、嘘下手だし」
「……ん………」
「その上で、自殺未遂。
 気がついたとき、おまえ寝惚けて俺と誰かを間違えたよな」
「……そ、だっけ?」
「そうだよ。
 お前、キスしてきたんだよ?俺に。覚えてないだろ」
「うん」
「それで、恋愛絡みだってことは確信したね。
 さあ、それから俺はどうしたでしょう?」
「吉井に、言ったの?」
「まさか。相手が吉井さんだとは思わないもん。
 英二に連絡したんだよ。それですっかり―――――聞いた」
「……そっか」

再び沈黙が落ちる。
サトシに出て行けって思われても、仕方ないな。
いい年して、愚かな恋愛絡みで死のうとまでして、まして、相手が男…なんてね。

「誤解すんなよ?」

俺の自嘲の笑みを見て、サトシが言った。

「男と恋愛してるとか、そんなことは俺にとって、たいした問題ではない」
「……ん」
「おいおい、変なところで拘るな。
 違うよ。俺が許せなかったのは、吉井さんの態度と、お前の態度」

「え?」

「ここまで追い詰めて、迎えにも来ない吉井さんと
 そこまで思いつめて、それでも素直にならない英昭と。
 どこまで馬鹿なんだ、って、正直一瞬ムカついた。
 ―――――でもさ。ほら。週刊誌。
 あれ、見てね?
 お前たちって、俺には想像もつかないような
 重たいもの背負ってたんだなって…判ったんだよ」

「―――――………」

「そういえば、普通の恋愛でも難しいんだよなー…って思い出してさ。
 ほら、俺、家庭壊しちゃったし。
 オマエらにムカついた自分に、逆にムカついてさ。
 だから、お前に無理に帰れとも言えなかった。
 ―――英二から、今夜のTVを見せろって連絡もらったときも
 もう一度、英昭にそんな苦しい思いをさせるんなら、シカトしようかとも思ったんだよ」

カーテンを開けて、すっかり明けた空をサトシが睨む。

「………どうするんだ?帰らないのか?」

「――――――――わかんな…い。
 今すぐにでも帰りたい気もする…。でも…帰れば………」

「もう一回、現実を見なきゃいけなくなるわけだ」

「………現実……」

そうだね。
言わば、俺は現実から逃げてるんだ。

このまま帰らなければ、吉井の中の俺は、色褪せることなく、愛されつづけるから。


「ま、気の済むまで悩め。
 まだ、もう少し時間はあるんだ」

二時間たったら、会社に行くから起こせ、と言い置くと、
俺の頭をくしゃくしゃと撫でて、サトシは寝室に消えた。











秒針が時を刻む音が響く。
時間は流れている。
1秒、また1秒。
俺に決断の時が迫る。


1秒…2秒…3秒……………
命が尽きるまで、その秒針を眺めていたかった。


秒針に、鼓動が混じる、リズム。
そのリズムに、「吉井」と呼ぶ旋律。

脳裏に浮かぶ、吉井の強い瞳。笑顔、吐息。
――――熱を、身体に感じた。


この秒針が何万回か回って、それでもここにいたら
このまま座っていれば、タイムリミット。
何もかも、終わる。


それで、もう、二度と会えない。


「いや…だ………、よし…い……嫌……」

二度と会えないなんて、嫌だ。
そんな苦しみに、俺は耐えられない。
もう、それに耐えられるほど、俺は強くなれない。――――ひとりで、いられない。


鬩ぎたてられるように、俺は車の鍵を掴んだ。


「サトシ!」

眠っていなかったサトシは、俺の呼びかけにすぐ寝室のドアを開けた。

「俺、帰る」
「そうか。…頑張れるんだな?」

俺の肩に手を置くと、優しくサトシがそう言った。
俺は頷こうとしたけれど、
その優しい声音に、堰を切ったように嗚咽が込み上げてきて、

「わかんな…い。そんな、頑張れるか、どうか…なんて…。
 ただ、ただ、俺は……」

自分に禁じていた悲鳴が流れ出るのを止められなかった。


「会いたいだけなんだよ。吉井に……吉井に、会いたいんだ……!」

 
そう…会いたいんだ。吉井…。

愛してる。
心の底から、吉井だけを。
いつか、この恋が終わるようなことがあったとしても。
滅茶苦茶に傷ついてしまう日が来るのかもしれないけれど。


それでも、吉井。

俺に見える真実は、たった一つだけ。
お前を誰よりも、何よりも愛しているということ。


サトシはそんな俺の髪を、長いこと撫でて、
やがて小さく背中を押した。

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