vol.4 -EMMA side- 


そのとき世界は白く染まり、
ガラス越しに、見開かれた吉井の目と、目があった。
あっと言う間もなく衝撃が全身を走った。
墜落感と共に意識は薄れ、「エマさんっ!」と呼ぶ吉井の声を遠くに聞いた。

吉井の匂い。
・・・温かい。
泣きながら、吉井が俺を抱きしめてる・・・・・・・・。






PM5:30――――

最終日の公演は間近に迫って、会場は、内からも外からも熱が湧き上がっていた。
忙しく立ち回るスタッフたち。
楽器と衣装の最終確認に余念のないヒーセ。
吉井の姿は・・・楽屋にない。
俺は、無意識に吉井の姿を探していた。

「兄貴」
「え?」
英二が鏡越しに覗き込んできた。
「跡・・・隠した方が良くない?」
すこし不機嫌そうに、英二の視線が胸元に注がれる。
見れば、ボタンを留めていない衣装の胸元には
今朝の跡が思いっきり残っていた。

今更とは言いながら、肉親にSEXの―――-しかも同性との―――名残を見られる
気恥ずかしさと、拭えない罪悪感に、
俺は赤くなりながらボタンを留めた。

英二は、周囲を見回しながら、
誰も注目していないことを確認して続けた。
「あのさ、言いにくいんだけどさ
 兄貴、ロビンとのこと、どうするつもりなの?」
「何が?」
「このままずっと、その関係続けるの?」
「――――――・・・英二・・・!」
「俺、知ってるよ。昨夜もロビンのとこに泊まっただろ?
 別にさ・・・兄貴のことだから、悪いとは言わないよ。
 ただ・・・俺には、ロビンと兄貴の関係は、兄貴の負担が大きすぎるような気がする」

負担?
負担って何だ?
俺は吉井とのSEXを楽しんでるだけで、別に負担なんて感じてない。

「何が言いたいの?お前」
「ロビンがさ、兄貴だけだってんなら、俺、何にも言わないよ」
「お前には関係ないよ」

いくらか冷たくなったしまった口調に、英二は口をつぐんだ。
英二の言いたいこと、解らないでもない。
ただ、口を挟まれたくなかった。

・・・だって、今朝から、
自分で自分の気持ちさえ、図りかねてるんだ・・・。

今朝、自覚してしまった自分の中の刺。
それが何によるものか解らないけれど、
吉井との関係に、何らかの限界を感じているのは確かだった。
―――何に?

答えの出ない、葛藤。

昔、吉井と関係を持った頃
2人とも、ただただお互いに溺れていた。
実際、吉井と寝るまでにも
男と寝たことはあったし、もちろん女は絶え間なく存在した。
でも、吉井との感覚は、俺がそれまで味わったことのないものだった。
お互いの中にある、思想や音楽。
差異はあっても、根本的に惹かれるものがあったそれらと、
同性の無理を超えて、それなりに良かった身体の相性も。

あの頃、俺たちは夢中でお互いを貪っていた。
俺にはそれが新鮮だった。

恋愛感情なんて、あろうがなかろうがどうでも良かった。
と、いうよりそんなものが存在していたとは思えない。
切なさなんて、感じる暇もなかったから。
共鳴と快楽という絆の中には、お互いしか存在しなかったのだ。

それから今まで・・・・・・
関係は変わることなく続いて――――――――――
いた、筈だ。

いつからだろう?俺がこんなになったのは?

「あー・・・やだ・・・」
口をつけば否定的な感嘆詞。吉井のことを考えるときはいつも、そう。
きっと英二は、そんな俺を見てるんだ・・・・・・・・。

吉井が戻ってきた。
俺に、一言の言葉をくれる間もなく、ライブが始まる。



胸元には、昨夜と今朝の刻印。
それを隠す為の、長いスカーフ。
その間には、思いついて取り出した、ちいさな銀のペンダント。

なんだか女のように、見苦しく吉井の影に支配され、
それだけは絶対に認めたくない言葉が、脳裏を掠める。
打ち消すように、アクションは大きくなる。

客席には、恍惚の表情を浮かべた群集。
吉井の統治する世界に傾注した彼らの、
激しく、甘い情熱が、
孤独な独裁者を包み込む。


右側が熱い。
ピックを握る、指が。


その熱に流されて、俺はスカーフを外した。


「エマさん、俺、今日調子良いんだ」
アンコールの出待ちの時、
俺がぐちゃぐちゃ悩んでたことも知らず、吉井は嬉しそうに言ってきた。
「エマさんのおかげかも」

結局、そういうことだ。

昨夜、吉井は目を覚ましたとき、
「何故、部屋に呼んだか解るだろう」と言った。
例によって、何かに思い悩んだ挙句、
俺を抱くことに救いを求める。

そして溜まった鬱積を俺の中に吐き出して、
吉井は嬉しそうに快楽に飛翔する。

俺は、心で別のものを欲っしていることを伝えられないまま、
与えられることによる快楽を呑むのだ。


――――――――吉井 ほんとうは 俺じゃなくても いいの?


このところ、俺に癒しばかりを求める吉井。
そして、俺の憂鬱には気付かないんだね。

もしも俺の指が音を奏でなかったとしたら?
もしも俺よりももっと凄いギタリストがお前に賛同したとしたら?

お前は俺を、今と同じように求めるだろうか?

吉井が慣れた手つきで腰を抱いた。
体温に、少し泣きたくなる。
なんだって、俺はこんなに吉井のことばかり考えてしまうんだろう。
英二に言われるまでもなく、
吉井にとっての唯一の存在でないことは
嫌というほど解ってるのに。

まるで、吉井に恋をしているみたいだ。


ステージ・ライトがついた。
洩れる光に、顔を上げた吉井を見上げる。
吉井は、アーティストの表情になっていた。
苦もなく、易々とその空気を纏える吉井に距離を感じて・・・・

「吉井・・・」
思わず呼び止めた。
今にも飛び立とうとしていた鳥を、不意に地上に引き戻すように。
そして鳥は飛べないことに苛立ちを見せた。
それを見た途端、例の刺が、俺の中で暴れた。

―――――――やだ。このまま ステージに上がるのは。

人目も構わず、首に手を回し、
いつものように俺のほうから口づけた。
吉井からは絶対にくれようとしない、
本当は、SEXよりも欲しい、優しいキス。

苦しいんだと喚く俺の、それは精一杯のSOSだったのかもしれない。
だけど、俺は一体何に苦しんで、本当は何を求めていたのだろう。

吉井は、俺のキスを極めて自然に受け流し、
吉井のもっとも相応しい場所・・・ステージに還った。



やがてステージは果て、熱が冷めて静寂が戻る。


普段は打ち上げでも早く帰ってしまう吉井だが、
今日はファイナルということもあって、なかなか開放してもらえずにいた。

「勘弁してくださいよ。俺、今日は帰るんだから」
「え?ロビン帰るの?」
「帰りますよ。ツアーの間、全然帰んなかったんですよ。いい加減、忘れられると困るし」

スタッフたちと、そんな風に笑う吉井。

・・・・・・・・そうだ。
ツアーの間は、吉井は他の誰でもなく、俺の隣に。
でも。
ツアーが終われば、吉井は家族の元に帰ってしまうんだ・・・。

「英二」
「何?兄貴」
「俺、帰るね」
「え?早いじゃん。家帰るの?」
「・・・・わかんない」
 
吉井を見ていたくないからこの場を離れたいだけ。
あいつが「家に帰る」というのを聞くのが嫌だから・・・
どこか、女のとこにでも行こうかな・・・
それで、この不自然な衝動を打ち消すことができればいいのに。

英二が、そんな俺を訝しそうに窺っていたが、俺はその場を逃げた。

今までさして気にもしていなかったそれらが、
急に俺を苦しめ始めている。

英二の言う通り、こんなことは終わりにした方がいいのかもしれない。
ただの「仲のいいメンバー」でいた頃に戻れたら・・・

駐車場まで歩きながら、
いっそ別れてしまおうかと思いついていた。

吉井 と 別れ る。

ひとことづつ、脳の中で反芻してみた。

あの温度を手放して、普通に笑って会えるようになれるか?

しんどいな。そんなの。
だけど、今なら間に合うかもしれない。
このままこの関係を続けていたら、今度こそ間違いなく吉井を愛してしまう。
この刺は、そのことに対する警告なんだ。きっと。


ポケットから鍵を取り出した途端、
軽く眩暈を感じてよろめいた。
そのとき、鍵がひっかかって
そんな俺の気持ちを象徴するかのように
首元のペンダントが切れた。

「あ・・・っ」

シャラッと微かな音がして、チェーンが足元に滑った。
コイン型のトップが、転がりながら離れていく。

不意に鼓動が大きくなった。

・・・やだ。
失いたくない。
あのときのペンダントも、吉井も。
側にいたいんだ。愛してるとか、そんなじゃなかったとしても…。

立ちくらみのあとの視界の暗さに、
コインの行方を見失った。
俺は思わず、コインの転がった方向に走り出た。



――――――――――― そのとき。


世界は白く染まり、
ガラス越しに、見開かれた吉井の目と、目があった。
あっと言う間もなく衝撃が全身を走った。
墜落感と共に意識は薄れ、
「エマさんっ!」と呼ぶ吉井の声を遠くに聞いた。

感触だけが俺に残された。
この世の誰よりも、よく知った胸に抱かれる感触。

ファーレンハイトと、軽い煙草の香りに包まれて、
俺はなんだか、ここ最近味わっていなかった
圧倒的な安堵感と、泣きたいほどの幸福感を得ていた。

そのとき、漸く解った。
俺は、とっくに 吉井を愛してたんだ。

なんで今まで、俺は自分を誤魔化してたんだろう。
今、初めて解った。

愛してる。
吉井、愛してる。
茶化さずに、真面目にはまだ言ったことのない言葉が、胸に溢れる。
SEXの後、「やだな」って呟いてたのは、
吉井が嫌なんじゃなくて、この男が、俺だけのものじゃないのが嫌だったんだ。

「エマ!お願いだから・・目を開けて!」
吉井は涙声だ。
泣かないで・・・と言いたい。
すぐに目を開けて安心させてやりやいのに、俺の瞼はぴくりとも動かない。
「病院・・・病院に行かなきゃ・・・」
呟きながら俺を抱き上げて、吉井が車に戻る。
助手席に横たえられたから、運転席に向かう吉井と身体が離れた。

やだ、吉井・・・。
病院なんて行かなくていいから抱いてて欲しい。
なんだか
今はお前の体温だけが欲しいんだよ・・・。

目を開けて、また埒の無い葛藤に思い悩むよりも
お前の匂いの中で 漂って 全てを忘れたいんだ。




すべてを わすれたい ん だ … … …

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