千葉県流山市諏訪神社の万葉歌碑
千葉県流山市諏訪神社の万葉歌碑を訪ねてきました(2010/5)。まるで深い森の中にいるような気持ちになる境内で、その中に、万葉歌碑が4基、そのほか童謡、俳句等、多数の歌碑があります。
「つぎねふ・・」
先ず、下の写真の歌碑には、夫と妻のお互いを思いやる気持ちを表した問答歌二首が刻まれています。歌と大意は写真の下に書きます。なお、問答歌としては四首で構成されています。
つぎねふ 山背道(やましろぢ)を 他夫(ひとづま)の 馬より行くに 己夫(おのづま)し 徒歩(かち)より行(い)けば 見るごとに 哭(ね)のみし泣かゆ そこ思(も)ふに 心し痛し たらちねの 母が形見と 我が持てる 真澄鏡(まそみかがみ)に 蜻蛉領巾(あきづひれ) 負(お)ひ並(な)め持ちて 馬買へ我が背(せ) (巻13-3314) ← 歌をクリックすると注釈へジャンプします。
(大意) 山城道を他所の夫が馬で行くのに、自分の夫が徒歩で行くのを見るにつけ泣けてしまいます。それを思うと心が痛みます。母の形見として私が持っている鏡と布を負って持っていって馬をお買いなさい。わが夫よ。
馬買はば 妹(いも)徒歩(かち)ならむ よしゑやし 石は踏(ふ)むとも 吾(あ)は二人行かむ (巻13-3317) ← 歌をクリックすると注釈へジャンプします。
(大意) 馬を買ったら、妻は徒歩になろう。いいよ。石を踏んでも私たちは二人で行こう。
「銀も・・」
下の写真の歌碑には、山上憶良の歌が刻まれています。この境内には童謡の石碑も多く、この歌の選ばれた理由は納得できます。
銀(しろかね)も 金(くがね)も玉も 何せむに 勝(まさ)れる宝 子に及(し)かめやも (巻5-803) ← 歌をクリックすると注釈へジャンプします。
(大意) 銀も金も玉もなんの役に立とう。優れた宝も、子供に及ぶことなどあろうか。
「行こ先に・・」
下の写真の碑には二首が刻まれています。右側の首は妻と児を後に残して旅に出た心境を詠った歌です。左側の首は、愛する人への思いを詠ったものです。
行(ゆ)こ先(さき)に 波なとゑらひ 後方(しるへ)には 子をと妻をと 置きてとも来(き)ぬ (巻20-4385) ← 歌をクリックすると注釈へジャンプします。
(大意) 行く手に大波よ立つな。後(あと)には子と妻を残してきたのだから。
鳰鳥(にほどり)の 葛飾(かづしか)早稲(わせ)を 饗(にへ)すとも その愛(かな)しきを 外(と)に立てめやも (巻14-3386) ← 歌をクリックすると注釈へジャンプします。
(大意) 葛飾の早稲を神様に供える夜は身を慎まなければならないのだけれども、あのいとしい人が来たら外に立たせたままにすることができるでしょうか。とてもできません。
「いざ子ども・・」
次の歌碑は、藤原仲麻呂の作による、廷臣らを鼓舞した歌です。何故この歌がここにあるのか、仲麻呂との関係など把握できていません。なお、この歌碑の前に車が止まっていたため、斜め方向からの写真しか撮ることができませんでした。
いざ子ども 狂業(たはわざ)なせそ 天地(あめつち)の 堅(かた)めし国そ 大倭(やまと)島根(しまね)は (巻20-4487) ← 歌をクリックすると注釈へジャンプします。
(大意) さあ人々よ。たわけたことをしてはいけない。大和の国は天地の神々の固めた国であるぞ。
所在地
千葉県流山市駒木657
行き方
東武野田線豊四季駅の北西400mほどのところにあります。東武野田線の線路の近くです。下の地図のマークは諏訪神社の境内の位置です。四つの歌碑はこの境内の中に散在しています。