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群馬県高崎市山名町石碑之路金井沢に放置された万葉歌碑

群馬県高崎市山名町の高崎自然歩道で、石碑之路(いしぶみのみち)を金井沢側への下り道の七曲から平地に出て小さな川(金井沢川)を渡ったところから下流に、数十mおきに、建設途中で放置された万葉歌碑が5基ありました(2010/5)。下のガイドマップの左側(西側)にある金井沢碑の南西側で、新道と金井沢川の間の細い道にあります(このページの最後に、YAHOO!のマップを附けてあります)。

石碑之路を作られた故信沢さんが亡くなられて放置されていたもののようです。それを、近くの高崎商科大学「国際・地域交流センター」のゼミの皆さんが、地元の方達の協力も得て、碑面を表に出し、清掃し、文字を解読し整備したのだそうです。未だ、倒れた状態ではありますが、碑文を読むことができますし、また、解説板が立てられています。

なお、これらの歌碑は、故田村泰秀氏の「萬葉千八百碑」に、「山名貯水池付近の道路脇に転がっている・・」と記載されている歌碑に当たるものと思われます。ただし、山名貯水池はこの地点からは、1km以上離れています。

群馬県高崎市山名町石碑之路のガイドマップ

以下、順に、歌碑の写真とそれに刻まれている歌を記載します。揮毫者は解説板に従っています。

 

その1 「あしひきの」

金井沢に放置された万葉歌碑 その1

金井沢に放置された万葉歌碑 その1

あしひきの 山のしづくに 妹(いも)待つと 我れ立ち濡(ぬ)れし 山のしづくに (巻2-107) ← 歌をクリックすると注釈へジャンプします。

(大意) 貴女を待ってずっとたたずんでいたら、私は山のしずくにすっかりと濡れてしまった。

(揮毫者)大澤 雅休

その1の歌碑は、歌番号2-108の 金井沢碑新道入口の歌碑と揮毫者が同じです。歌も、2-107は大津皇子から石川の郎女に贈った歌、2-108は石川郎女の返答歌、とペアになっています。当初の計画では、近くに設置することを想定し同時に作られたものと思われますが、両碑の現状での扱いには大きな差があります。悲運の大津皇子は今もまだ。。。 

 

その2 「伊香保(いかほ)ろに」

金井沢に放置された万葉歌碑 その2

金井沢に放置された万葉歌碑 その2

伊香保(いかほ)ろに 天雲(あまくも)い継(つ)ぎ かぬまづく 人とおたはふ いざ寝(ね)しめとら (巻14-3409) ← 歌をクリックすると注釈へジャンプします。

(大意) (伊香保の山に天雲が次々とからみつくように)しきりに、さあ寝させよ、と皆が言い騒ぐ。

(揮毫者)加藤 恵秀 

 

その3 「難波道(なにはぢ)を」

金井沢に放置された万葉歌碑 その3

金井沢に放置された万葉歌碑 その3

難波道(なにはぢ)を 行(ゆ)きて来(く)までと 吾妹子(わぎもこ)が 付(つ)けし紐(ひも)が緒(を) 絶(た)えにけるかも  (巻20-4404) ← 歌をクリックすると注釈へジャンプします。

(大意) 難波へ行って帰って来るまでといってわが妻が着けてくれた紐が切れてしまった。

(揮毫者) 小暮 青鳳

 

その4 「巌(いわほ)ろの」

金井沢に放置された万葉歌碑 その4

金井沢に放置された万葉歌碑 その4

巌(いわほ)ろの 岨(そひ)の若松(わかまつ) 限りとや 君が来まさぬ 心(うら)もとなくも (巻14-3495) ← 歌をクリックすると注釈へジャンプします。

(大意) (大きな岩の重なる断崖に生える若松のように)これを限りと、貴方はいらっしゃらないのでしょうか。私は待ち遠しく思っています。

(揮毫者) 櫛淵 蓬山

 

その5 「一嶺(ひとね)ろに」

金井沢に放置された万葉歌碑 その5番

金井沢に放置された万葉歌碑 その5番

一嶺(ひとね)ろに 言はるものから 青嶺(あをね)ろに いさよふ雲の 寄(よ)そり妻はも  (巻14-3512) ← 歌をクリックすると注釈へジャンプします。

(大意) 検討中。

(揮毫者) 日比野 五嵐

 

所在地

群馬県高崎市山名町。

行き方

上信電鉄根小屋駅の南南西1km程。金井沢碑入口からは西南西200m辺りです。自動車道路から分かれて入る金井沢川のほとりの細い道に沿って200m程に渡って置かれています。逆方向からのアプローチは、石碑之路の七曲を下りて小さな川(金井沢川)をまたいだ辺りから下流へ200m程度の間に当たります。

下の地図のマークの辺りに、「その1」の歌碑があります。「その2」以降は、そこからさらに、川沿いの細い道を西南西に200mほど進む間にあります。