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茨城県那珂市静神社の万葉歌碑

 茨城県那珂市(なかし)の静神社(しずじんじゃ)の境内にある万葉歌碑を見てきました(2014/5)。この歌碑には、万葉集巻20-4372の「足柄の神の・・」という長歌が刻まれています。

下の写真の大鳥居をくぐり石段にかかる辺りの右側に説明板があり(さらに下の写真)、文字が欠け落ちて読みづらいのですが、静神社は東国の三鎮護神とされていたこと、常陸国(ひたちのくに 茨城県)の一の宮鹿島神宮についで二の宮と言われていたことなどが書かれています。

那珂市静神社

 

那珂市静神社

そこから長い石段(下の写真)を登ると神門があり(更に下の写真)、向かって左手前の狛犬のさらに左側に歌碑があります。

那珂市静神社

 

那珂市静神社

横に長い長方形の碑に、防人、倭文部可良麿(しとりべのからまろ)の長歌が刻まれています。「これから、防人として、足柄峠を越え、不破(ふは)の関(せき)(岐阜県関ヶ原)を越えて行くのだ。故郷の人たちの無事を祈る」という歌です。歌の説明は下に書きました。倭文部可良麿についての確たる伝承はないようですが、彼が常陸国久慈郡(くじのこほり)の出身との説もあり、ここ静神社に歌碑があるようです。

那珂市静神社

また、歌碑の向かって左横に常陸国風土記の碑があり、「(久慈の)郡の西 □里に静織(しどり)の里がある。昔、綾(しず)を織る機(はた)の使い方を知る人がいなかった時に、この村で初めて織った。それに因んで名づけたもの」という趣旨が記されています。なお、碑では距離が「□里」とブランクになっていますが、岩波の日本古典文学大系では「十里」となっています。和名抄を参考に割り出した距離のようです。いずれにしても、昔ここが織物の里であったことは確かです。

那珂市静神社

次の写真が拝殿です。天保12年(1841)の火災で、徳川光圀が造営した社殿が焼失していますが、現在の本殿・拝殿は、水戸家9代藩主斉昭が再建したものです。

那珂市静神社

 

足柄(あしがら)の み坂たまはり 顧(かへり)みず 我(あれ)は越(く)え行く 荒(あら)し男(を)も 立(た)しや憚(はばか)る 不破(ふは)の関(せき) 越(く)えて我(わ)は行く 馬(むま)の蹄(つめ) 筑紫(つくし)の崎に 留(ちまり)居て 我(あれ)は斎(いは)はむ 諸(もろもろ)は 幸(さけ)くと申す 帰り来(く)まてに (巻20-4372) ← 歌をクリックすると注釈へジャンプします。

(作者) 倭文部可良麿(しとりべのからまろ)

(大意) 足柄峠を越える許可を賜り、私は、振り返ることなく峠を越えていく。勇猛な男でも立ち止まって躊躇うであろう不破の関も私は越えて行く。馬の蹄を筑紫の崎にまで進めてそこで留まり、私は潔斎しよう。人々が無事でいてくれと祈るのだ。帰って来るまで。

 

所在地

住所は、茨城県那珂市静2 です。下の地図のマークの辺りです。