JH2CLV's Topics & Memorandam / March 2008

Mar 30. 2008 諸々の課題を片付ける
昨日新に発生した文豪ワープロのプリンタ不具合は、前述しているが実は今朝の作業で原因が分かり対応した。こんなモノ何時まで使うのかと笑う御仁の声が聞こえそうだが、物持ちの良さと愛着心は容易には崩れない。復旧早々に写真の如くラジオのレタリングを行なった。各ノブやジャックに名称を振り、ダイアルにはローカル局のコールサインを入れた。さて、お年玉年賀状の当選番号が発表されて久しい。放置されたままだったハガキのチェックを行うと4等が7枚あった。これでやっとハガキを片付ける事が出来る。また昨年の6月以来溜め込んでいた缶詰の缶や瓶を整理。ところがその中あった茶筒が何かに使えそうでゴミに出来ない。それで思い切ってハンダゴテ台に変身させてみた。怪しいコテ台を使っての作業は安全上問題があるし、コテ先の管理にも有効だと思う。オンマウスすると見えるが中々の出来だと自己満足。その頃自作ラジオが宇治山田商業と和歌山智弁学園の対戦を伝えていた。その好ゲームについ力が入ってしまった。その後、四ツ居の業務スーパーへ行くついでに足を伸ばし、河増のJA9FS川口OMのクワッドを見物してきた。それにしてもばかデカイ。その他、久し振りに部屋に掃除機を掛け心機一転の一日だった。

Mar 29. 2008 再び文豪ミニ7RXワープロ(1990年製)の修理
単身赴任先に持ち込んだ文豪ミニ7RXの調子がおかしい。昨年暮の年賀状シール印刷は快調だったのに、年が明けたら電源が落ちるようになった。最近はスイッチオンでパイロットランプが一瞬点くだけだった。気になってはいたが、ついに重い腰が上がる事になった。何て事はない、過去の経験から電源ユニット不良と容易に想像出来る。分解して電源を取り出し様子をみる。負荷をオープンにすると立ち上がるが、一定時間が経つと落ちる。電源を分解してみると液漏れしたケミコンを発見。これかぁと新品に交換すると見事回復。早々に組み戻し電源を投入するが時々立ち上がらない。再び分解して様子をみると発振が凄くクリチカル。もしやとテスタで制御回路を当ると、動作してはいけないミュート回路が働いている。これも過去幾度か経験しているがフォトサイリスタの不良だ。動作回避をジャンパー線で行ない復旧。ワープロは自作SCSIカードにつながるHDで素早く立ち上がりアプリもOK。やったね!と思った。ところが今度はプリンタの動作が変だ。ヘッドが左端に寄りガリガリ音。また余計な仕事が出来てしまい、なーんてこったぁ!だったが、後でプリンタボードとマザーのコネクタ接触不良と判明し現用復帰でホッ。それにしても良くやるよ。

Mar 22-23. 2008 帰省・・・自作のラジオと共に
21日の勤務終りが22時頃になった。この日の帰省は諦め早々に床に就く。翌22日、3時過ぎにはアパートを出発。せっかくの長距離ドライブ、作り掛けたバラック状態のラジオをダッシュボードに乗せた。アンテナは無いがJOFGがガンガン入る。福井ICから北陸道を南進。武生近くまでは聞こえていたがそれから先はさっぱり。アンテナが無いから当然と思いながら車載ラジオを聞くが、山間部に入ると外国電波の影響でローカル放送が聞き取り難くなる。内容がとれるのは再送信をしているトンネル位だ。敦賀近くになると敦賀局が受信出来るようになるが海外電波も強い。滋賀県に入り木之本IC辺りまで来ると日の出前だがJOCKが聞こえる。周波数を上手にプリセットしておかないと切り替え操作が大変だ。岐阜養老SA辺りまで来ると自作ラジオでも聞こえ岡崎IC辺りまで続く。その先は再び車載ラジオにお世話になり、牧の原SAでJOPKが聞こえ出し清水の実家まで続く。静岡ICの先右手に送信ANTが見える頃は最高潮だが、車載に比べてAGCレンジが大分狭い。それにしても、自作ストレートラジオをバラックで積んで長距離を走る人もそうは居ないだろうと物好きさ加減に呆れる。写真は牧の原SAの朝6時半過ぎのスナップ。朝日が眩しい。

Mar 20 富山県氷見市を訪ねる
富山の氷見に所用があり出掛けた。しらさぎは琵琶湖の強風で遅れていた。10時15分頃乗車、富山の高岡で11時25分頃下車。マイクロバスで庄川の土手を下り約30分。川と別れると海が見えだす、富山湾だ。湾を右に見ながら北上すると反対側に立山連峰が見えるはずと地元の同僚。ところがこの日は船が出せない程のしけ、空模様も怪しく残念ながら立山方向は視界ゼロ。目的地に着いたのはお昼過ぎだった。およそ3時間で所用を済ませ帰路に就く。来た道を戻るのは芸が無いので、来る途中視界に入り気になっていたJR氷見線に乗ってみた。氷見線は高岡までの単線だ。氷見から乗って暫くすると海岸に出る。富山湾の向こう側に立山が見えるんだがと想像しながらの車窓になった。海岸が見える時間はそんなになく、間もなく町の中を走るが気がつくともう高岡だった。写真は氷見駅を出発してしばらくした時の運転席。オンマウスは海岸沿いの眺望。鉄道は見ているだけで旅情をそそる。乗ってみると乗客や駅に車窓、それぞれに生活感があって楽しい。色々に思いを馳せながら16時23分のしらさぎに乗ったが、夢見心地でウトウトすると福井を通過。鯖江往復のおまけ付きで福井着は18時過ぎだった。楽しい一日だった。

Mar 16. 2008 AMストレートラジオと戯れる
ラジオを作るなんて何年ぶりの事だろう。子供達に作ってあげたゲルマニュームラジオ。キットで作ったストレートラジオとスーパーラジオetc・・・記憶を辿ると20年近くの間に10台程作っている。その中で気になっていたデバイスがあった。あるキットで使われていたトランジスタ風3端子デバイスのLMF501Tがそれだ。最初はHi-hfeのトランジスタ?と思った位で、およそICとは言い難いシロモノだった。ところが使ってみる大変な能力を持っている事が分った。キットにはICの詳細説明は無かったので全くブラックボックスのままだったが、最近になって内部構造を知るに至った。そして幾つかの類似品もある事も分かった。写真はLMF501Tを使用して製作したAMストレートラジオ。放送局の到着電界に差あると、最強局の分離が悪くなるストレートラジオ特有の癖があるが、慎重に同調操作を行うと各局(JOFG/FC/PR)がアンテナ無でも良好に受信できた。出力にはLM386Nによるパワーアンプを配しスピーカーをガンガン鳴らしている。毎朝、自作ラジオから流れる音楽やニュースで目覚める・・・中々素敵で贅沢な楽しみと言えないだろうか。そう言えば20日の未明、落合恵子さんが「ラジオは軽やかだけど軽んじてはいけない」と唱えていた。

Mar 9. 2008 住まいの掃除洗濯とシャックの整理
昨日今日と久し振りに福井は晴天。特に今日は気温も上がり絶好の掃除洗濯日和。とこが布団を取り上げたら絶句。万年床の敷布団と畳にカビ。噂には聞いていたが本当だ!。慌てて掃除機と雑巾をかけ誤魔化そうとしたが痕跡が畳に…。部屋の掃除など思い起こせば昨年の11月23日、カミサンが来る時にやったきり。万事がこんな調子だ。窓を開け放ち空気を入替え一日中乾燥を試みた。それに平行して、ゴチャゴチャだったワークスペースの整理を行う。写真がその結果。この週末に製作したブリキ缶の同軸スイッチを右上に設置、HFアンテナ2本とダミーロードを切替える。左上の同軸スイッチ(WELTZ)はトランシーバの切替え用。このスイッチ間にBIRD4410ARFサンプラ(測定出力用)を挿入。ローターリーエンコーダによるスクローラーはディスプレイ前に堂々と鎮座、DDS-USBでKWM-2AのPTO代り。左下も自作の制限増幅器で入力にDTMFマイク。出力は上段のIC-756とKWM-2Aへ分配。ディスプレイ前に貼り付いた小箱はATUのリモコンSmartLock。右の電鍵は転勤祝いに貰ったハイモンドMK-706。両端のスピーカーはソニー製で入力2系統をミキシング出来る優れ物。キーボードを起こせば食卓に早変わり。これでも単身赴任の城だ。

Mar 4. 2008 永杉喜輔先生の思い出
社会教育者で群馬大学名誉教授の永杉先生が2月6日に亡くなられたのを本日知った。98歳だった。 1975年12月、第8回静岡県青年の船の事前研修が山中湖の清渓寮で行われた時に初めてお逢いした。白髪姿はお爺さんにも見えたが、青年の話になると熱弁に変わった。「平凡道を非凡に歩め・・・考え方の違う人間が同じ事をする素晴らしさ・・・永遠のテーマだ」青年達はその言葉に大きな刺激を受けた。私もその中の一人だった。実家近くの清水区杉山地区。先生はこの地を良く御存知で、夜学校を中心とした青年活動は全国のお手本と我々を励ましてくれた。下船した1976年、清水市教育委員会の招きで講演をされた時お逢いしたきりだった。友人達が先生を慕って埼玉のご自宅に押しかけたり、月刊「煙仲間」を発刊したりあの頃が懐かしい。志を共にしていた下村湖人や青年の父と言われ静岡に縁の深い田澤義鋪の話を良くされた。後輩K君が私の結婚祝いに下村湖人全集を送ってくれた。下村湖人の著書「この人を見よ」は田澤が主人公だった。先生を清水に結び付けたのは私の先輩、静岡県青年団連絡協議会の団長だった興津の伏見氏だった。青年の船から32年余、歳月を感じながらも北陸福井から御冥福をお祈りしている。

Feb 29 - Mar 2. 2008 帰省
実家で所用があり1月29日の深夜に帰省した。この日は仕事が空けた19時過ぎ、帰路のスーパーで購入したお寿司の夕食後、20時頃福井を発つ。途中武生〜敦賀にかけて雨に降られたが、その後は順調で24時前に実家着。郵便物やメールのチェックをして25時床に就く。3月1日はHanaの散歩の後、ポンカンの剪定作業。84になる親父が「剪定や接木は俺の世界」と言わんばかりに講釈をのたもうている。フムフムと聞きながら自分なりに理解して剪定ばさみやノコギリを操る。日当たり、果樹のなり、芽の状態、作業性などを考慮しながら大胆に枝を落としていく。様々な組み合わせがあるから、これで無ければいけないなんてルールは何も無い。親父とカミサンと3人で作業している所へ姉夫婦が加勢。夜は昔からの寄り合い「きのいねさん」の当番で、自宅に隣組が集まった。恒例の報徳訓の読み合わせと近況報告などの情報交換が24時頃まで行われた。かつては農家ばかりの集まりだったが時代が変わり様子は変わった。自分の子供達を見ると、何時まで続けられるのだろうかと思ったりする。報徳の村でもこうした寄り合いは珍しいのではと思う。今や貴重なコミュニケーションの場である。2日は12時に実家を発ち15時半福井に戻った。