Huanying xinshang Ding Fengzhang de zhuye
野馬台詩



 
 
              
          野馬臺詩  
                       寶誌


        


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野馬臺詩

                       
 
(以下、横書きに改める)
東海姫氏國,
百世代天工。
右司爲輔翼,
衡主建元功。
初興治法事,
終成祭祖宗。
本枝周天壤,
君臣定始終。
谷填田孫走,
魚膾生羽翔。
葛後干戈動,
中微子孫昌。
白龍游失水,
窘急寄故城。
黄鷄代人食,
黑鼠喰牛腸。
丹水流盡後,
天命在三公。
百王流畢竭,
猿犬稱英雄。
星流飛野外,
鐘鼓喧國中。
靑丘與赤土,
茫茫遂爲空。


東海  姫氏の國,
百世  天工に代る。
右司  輔翼と 爲り,
衡主  元功を 建つ。
初めに 治法の事を 興
(おこ)し,
(つひ)に  祖宗を 祭るを 成す。
本枝  天壤
(てんじゃう)に 周(あまね)く,
君臣  始終を 定む。
谷 填
(うづ)まりて  田孫 走り,
魚膾  羽を 生じて 翔
(と)ぶ。
葛後  干戈
(かんか) 動(はたら)き,
中微  子孫 昌
(さかん)なり。
白龍  游びて 水を 失ひ,
窘急
(きんきふ)  故城に 寄る。
黄鷄  人に 代りて 食
(は)み,
黑鼠  牛腸を 喰
(くら)ふ。
丹水  流れ 盡
(つ)きて後,
天命  三公に 在り。
百王の  流 畢
(をは)り 竭(つ)き,
猿犬  英雄を 稱す。
星流  野外に 飛び,
鐘鼓  國中に 喧
(かまびす)し。
靑丘  と赤土と,
茫茫として  遂
(つひ)に 空(くう)と 爲(な)らん。

*****************

情報をお願いいたします
読者の海村政義氏より次のようなお便りと写真がありました。
「この掛け軸は私の曾祖父が福島県より北海道へ入植した際に持っていた物の一つということです。…」「書体などから、いつ頃、どのような人物の書なのか、分からないものか…」
と思われていらっしゃいます。お気づきの点がございましたら、どうか御聯絡下さい。海村氏への連絡先はこちらです





◎ 私感註釈

※野馬臺詩:〔やまたい し;ye3ma3tai2 shi1〕やまとの詩、邪馬臺(やまたい・やまと)の詩。『魏書』『後漢書』の「邪馬臺」に拠った命名(後述)。中世の日本に流行った、日本の国についての預言詩という。これは、井沢元彦著『逆説の日本史・太平記と南北朝の謎』(小学館)による。面白いのでとりあげた。それによれば、この詩は中国の寶誌(同書や、『江談抄』巻三の原文では「宝志」とする。)という禅僧が作ったものとされ、次のような伝説が伝わっている。嘗て吉備真備が、唐へ留学したおり、唐人が真備の学識を試そうと「この詩(上掲青字のもの:本物と同じく縦書き表記をしている)が読めるか」とせまったというのである。この詩は「暗号文」となっており、字の配列を、意味が取れないように、変えてあったのだ(上掲青字)。吉備真備は、このままでは日本の恥になると、解読に取りかかったが、どうしても読めない。悩んだ挙げ句、故郷大和国の長谷寺の観音様に祈ったところ、突然蜘蛛が上から降りてきて、上掲の中の図(緑字)のように詩文の上を歩み始めた。それで読むことができ面目をほどこした、という話である。内容は、わが日本国に対する預言の詩という。以上のようなことが、載せられているので、御参照を乞う。以下の註釈も、それを参考にした部分もあるが、なかなか歴史上の推理が面白く、「それならば」と、自分なりの解釈を大いに加えていった。何如。なお、『江談抄』の原文は次の通り。上掲書は、やや本文を簡略化しているのが判る。『江談抄・卷三・雜事・吉備入唐間事』「(然又鬼來云:)今度有議事、我力不及。高名智德行密法僧寶志
令課,鬼物若靈人告カトテ令結界,文貴下セント云事アリ。力不及,吉傭術盡居之間,如案下樓,於帝王前令讀其文,吉備目暗,凡見此書字不見。向本朝方,暫訴申本朝佛神神者住吉大明神,佛者長谷寺觀音也,目頗明シテ文字許無可讀連樣,蛛一俄落來干文上天イヲヒキテツヽクルヲミテ讀了。仍帝王并作者モ彌大驚テ,如元令登樓弖,偏不與食物慾絶命。自今以後不可開樓ト云々。」さらに、『江談抄・卷五・源中將師時亭文會篤昌事』には「寶志野馬臺讖天命在三公,百王流畢竭,猿犬稱英雄タリ。王法衰徴,憲章不被許之徴也。豫答云:件讖何事起乎。被命云:未被知歟如何。答云:不知候。被命云:件讖者是我朝衰相候也。依之將來號讖書也。仍爲之日本國云野馬臺。又渡本朝有由緒事也。」とある。なお、この詩は梁の寶誌(同書:「宝志」「寶志」)が作ったとされるが、下記「◎構成について」にも触れたとおり、押韻の様式は、どう見ても日本人のものである。また、「喰」という国字(日本漢字)が使われている点も面白い。梁(502年~557年)⇒吉備真備(693年~775年)⇒中世日本(『江談抄』(平安末期))と大きく飛躍して、実にスケールの大きい、夢のある詩である。本ページでは国史(日本史)に詳しい中世の日本人が作ったものとして、次のように憶測を逞しくした。これと似たものに、『天王寺未來記』(『太平記』卷六)があり、「當人王九十五代,天下一亂而主不安。此時東魚來呑四海,日沒西天三百七十餘箇日。西鳥來食東魚,其後海内歸一三年。如猴者掠天下三十餘年,大凶變歸一元。云云。」がある。
  以下、蛇足になるが、この12世紀後半の『江談抄』で、日本のことを「野馬臺」〔ye3ma3tai2〕としていることは、興味深い。当然『魏書』『後漢書』の「邪馬臺」〔ye2ma3tai2(xie2ma3tai2は誤)〕に基づくのだろうが、「やまたい」⇒「やまと」の意識があったのだろう。正史の外にも『資治通鑑・隋紀五・煬皇帝上之下』「倭國在百濟、新羅東南,水陸三千里,於大海之中,依山島而居。都於
邪靡堆,則魏志所謂邪馬臺者也,在會稽之東,…一名日本,自云國在日邊,因以爲稱,,烏禾翻(わ;we)。」とあり、ともに日本を表すに「邪…」の字を充てている。『資治通鑑』では、更に「邪」のみならず「靡」を使い、吉祥字である「臺」を避けて、「堆」を使う。「邪靡堆」は、当時の中国人にとっては、より適切な文字遣いであったのだろう。なお、『資治通鑑』では、「邪靡堆」は、倭国が都をおいた所の名としており、『魏書』『後漢書』等の史書が記す「其大倭王居邪馬臺國」とは異なる位置づけである。更に蛇足:『江談抄・卷三・雜事・吉備入唐間事』では、なおも、陰惨な対日交流姿勢、いじめ殺された阿倍仲麻呂(史実とは異なる)や、いじめ抜かれた吉備真備のことを述べている。これは、謂ってみれば前出『資治通鑑』『隋書』にある「遣帝書曰:『日出處天子致書日沒處天子無恙。』帝覽之,不悅,謂鴻臚卿曰:『蠻夷書無禮者,勿復以聞。』」といったことの裏返しのようなもので、相互に硬直した時期のものか。以和爲貴!

※寶誌:梁の高僧。僧倹に師事して、禅業を修め、預言を善くした。衆を惑わすものとも、敬事ともされた。保誌とも書く。『江談抄』では寶志(宝志)。

※東海姫氏國:東の方にある姫氏の國である女性が治めた日本の国では。 ・東海:中国から見て、日本のある方位を指す。 ・姫氏國:女性が治めた国。天照(アマテラス)大神が治めた日本の国。或いは梁の寶誌の作ならば、周王朝に関聯の国。また、『山海經・第十六』に「有女子之國」、『山海經・圖讚・女子之國』「簡狄有…女子之國浴于黄水乃娠乃字生男則死」とある。『史記・卷四・周本紀第四』に「周后稷,名。其母有氏女,曰姜原。…飛鳥以其翼覆薦之。姜原以爲神,遂收養長之。初欲之,因名曰。…帝舜曰:「,黎民始飢,爾后稷播時百穀。」封,號曰后稷,別姓
姫氏。」とある。日本との関聯を無理に探すと「尹佚筴祝曰:『殷之末孫季紂,殄廢先王明德,侮蔑神祇不祀,昏暴商邑百姓,其章顯聞于天皇上帝。』於是武王再拜稽首…」になるが、ここの「天皇」は我が国の皇室とは関係の無い語で……。

※百世代天工:百代に亘る天皇が、天の行うべき職務を代わりに行ってきた。 ・百世:天皇の御代百代。 ・代:代わりにする。代理する。 ・天工:天の職務。天が行うべき職務。

※右司爲輔翼:天を祭る役所が輔弼して。 *天孫である天津日高日子番能邇邇藝能命(天津日子番能邇邇藝命)(アマツヒコヒコホノニニギノミコト:アマツヒコホノニニギノミコト)が天壌無窮の神勅を奉じて降臨したときに、従って案内した五柱の神々(=五伴緒(イツノトモノヲ)の働きを指す。五柱の神は、道案内役の田毘古命(サルダビコノミコト)を始めとした、天兒屋命(アメノコヤネノミコト)、布刀玉命(フトダマノミコト)、天宇受賣命(アメノウヅメノミコト)、伊斯許理度賣命(イシコリドメノミコト)、玉祖命(タマノオヤノミコト)になる。『古事記』上巻「天孫降臨」の条。 ・右司:天を祭る役所。 ・右:天の助け。 ・爲:…となる。…たり。 ・輔翼:天子を補佐する大臣。たすけまもる。翼で覆うようにして護る。『史記・世家・魯周公』に「周公旦者,周武王弟也。自文王在時,旦爲子孝,篤仁,異於羣子。及武王即位,(周公)
輔翼武王,用事居多。」とある。

※衡主建元功:聯盟の中心である(神武天皇)は、日本をひらいた功労者である。 *「衡主」とは神武天皇=神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイハレヒコノミコト)か倭建命(ヤマトタケルノミコト)か。大伴氏か物部氏か。「衡:たいらか、平衡」とすれば、平家の棟梁となる。或いは、その祖の桓武天皇? ・衡主:聯盟の主。とりまとめた勢力の中心人物。 ・建:法律を定めて国を治める。 ・元功:元勲。

※初興治法事:法治主義(or仏法の精神)の精神で国を治め。 *聖徳太子の事績。冠位十二階、憲法十七条などを指す。 ・治:国を治める。 ・法事:仏事。この法事を政治と見て、官位十二階の制や十七条憲法、大化の改新の詔…その後の幾多の律令=法治主義とも考えられる。

※終成祭祖宗:ついには、皇祖皇宗の祀りや祭り事をもするようになった。

※本枝周天壤:本来の大樹である系統と枝の系統が天地の間に普く満ちて。 *天智天皇系と藤原鎌足一族の勃興。 ・本枝:本筋の血統。直系。奔流。⇔連枝。傍流。 ・周:あまねし。 ・天壤:天地。

※谷填田孫走:「谷」が埋もれて、天孫が逃げていった。 *「田孫」≒「天孫」。有馬皇子の変?、壬申の乱?、「谷:や?」長屋王の変?。「谷:や≒伽耶」白村江(はくすきのえ)の戦い?。 「谷填」たぶれの城壁? ・走:にぐ。逃げる。

※魚膾生羽翔:魚のナマス(蘇我(の)いるか)が、(首を切られて)羽を生やして天翔(がけ)た。 *「魚膾:いをくゎい=いるか」。大化の改新で蘇我入鹿が斃されて、首をとられたこと? 詩詞では、故郷の味の意で使われる。 ・魚膾:魚のなます。

※葛後干戈動:身内同士の擾乱では、武力が動員された。藤原仲麻呂の乱の後では。 *「葛(ふぢ)」≒「藤(ふぢ)」として、藤原仲麻呂の乱。弓削道鏡を除こうとした。 *「葛」〔ふぢ〕:大阪の藤井寺市に奈良時代の密教寺院「葛井(ふぢゐ)寺」がある。最近(平成16年10月)、西安で井真成の墓誌が発見されたとの報道があったが、或いはここの葛井氏ともいう…。 ・葛後:葛藤の後。争いの後。 ・干戈:武器。転じて戦闘。

※中微子孫昌:中ほど衰えたが、子孫は、昌(さか)んになっていった。 *藤原氏の再興を指す。 ・中微:中ほど衰える。『史記・楚世家』の家系を表すのに「之先祖出自帝高陽。…昆吾氏之時嘗爲侯伯,之時湯滅之。彭祖氏之時嘗爲侯伯,之末世滅彭祖氏季連生附沮,附沮穴熊其後
中微,或在中國,或在蠻夷,弗能紀其世。」とある。  ・昌:盛んである。

※白龍游失水:称徳天皇が、弓削道鏡に譲位しようとしたこと。或いは、南宋皇帝が拉致された靖康之変をいうか。 ・白龍:白い龍。天帝の使い。『神仙傳』「太眞王夫人王母小女,乘一
白龍周游四海。」(勢いの衰えた)帝。 ・游失水:泳いだために水が飛び散って無くなった。水がなくなった(湖)で泳ごうとした。

※窘急寄故城:あわてふためいて、宇佐八幡宮に使いした。 ・窘急:〔きんきふ;jiong3ji2●●〕行き詰まって困る。和気清麻呂の行為。 ・故城:宇佐八幡宮。或いは平城京。中国が舞台とすれば、南京(建業、金陵)。

※黄鷄代人食:酉年生まれの人物の平将門が天皇に代わって國を治めようとした。 ・黄鷄:酉年生まれの人物で、平将門というが…。「黄鷄代人食」で、モンゴルが、金に替わって華北に侵入して、漢人社会を脅かしたことではないか。 ・食:(やまとことば)おす。統治する。動詞。『古事記』では「食國」と書いて「をすくに」と読み、「天皇がいらっしゃる国、しろしめす国、統治する国」の意。

※黑鼠喰牛腸:黒いネズミが牛の腸を食らった。 *「黑鼠喰牛腸」は、黒的(人名。黒的については『元史・外夷・高麗/日本』の条参照)が元朝(牛腸=西方異民族の象徴)の禄を喰(は)む、ではないか。この詩は中国の梁代の宝誌の作とされるが、「喰」は国字(日本漢字)になる。『詩經・魏風・碩鼠』では鼠の食べるものを「碩鼠碩鼠,無食我黍。三歳貫女,莫我肯顧。逝將去女,適彼樂土。樂土樂土,爰得我所。    碩鼠碩鼠,無食我麥。三歳貫女,莫我肯德。逝將去女,適彼樂國。樂國樂國,爰得我直。    碩鼠碩鼠,無食我苗。三歳貫女,莫我肯勞。逝將去女,適彼樂郊。樂郊樂郊,誰之永號。」 と詠っている。 ・黑鼠:害をなす人を指す。子年生まれの人物で、平清盛というが…。黒的。『宋史』に「淳熙五年八月,淮東通、泰、楚、高郵黑鼠食禾既,歳大饑。」とある。 ・喰:はむ。くらう。国字(日本漢字)。 ・牛腸:西胡をイメージする語。

※丹水流盡後:赤い血が流れ尽きた後に。 *一ノ谷、屋島、壇ノ浦の戦いの流血後。

※天命在三公:天命は、三人の大臣に下った。 ・三公:『江談抄』巻五にもある詩句なので、我が国の太政大臣、左大臣、右大臣になる。『野馬台詩』では源氏三代(頼朝、頼家、実朝)をいうか。

※百王流畢竭:百代に亘る天皇の皇統も尽き果て。 *『江談抄』巻五にもある詩句で、王統が百代で終わる。ここでは、皇統が百代で終わる。前出『逆説の日本史・太平記と南北朝の謎』では、百代めの天皇は誰になるのかをとりあげて、中世の皇統譜である『本朝皇胤紹運録』に拠れば、後円融天皇になるという。

※猿犬稱英雄:二流の(血筋)の人物が天下統一の英雄となった。 *『江談抄』巻五にもある詩句で、文字通りに読めば、猿や犬の如き人物が英雄と称するようになった。『野馬台詩』でいいたいのは、延元の代の中心人物を指す。後醍醐天皇になる。延元の代の中心人物が革命的な事業に取り組んだ。「猿犬(ゑんけん)」≒「延元(えんげん)」。その場合、文字遣いが気になる。或いは、前出「黄鷄」「黑鼠」を十二支とみるならば「猿犬」は「申」「戌」になる。勿論、文字通りに読めば、猿や犬の如き人物が英雄と称するようになった。

※星流飛野外:星が五丈原に隕ちた。諸葛亮同様の軍師である楠木正成が亡くなったこと。

※鐘鼓喧國中:南北朝の争乱が全国に広まった。 ・鐘鼓:軍隊の前進や後退の合図のための鐘や太鼓の音。

※靑丘與赤土:双方とも。 *大覚寺統と持明院統と。或いは南朝と北朝と。或いは、芳野山と中央である京都と。或いは、青垣山こもれる大和と赤埴と。或いは、墓所。或いは、荒蕪地と焦土と。 ・青丘:九尾の狐の棲むところ。『山海經・圖讚・九尾狐』に「青丘奇獸九尾之狐有道翔見出則銜書作瑞周文以標靈符」『山海經・海外東經』に「青丘國其狐四足九尾」とある。禹が行った東の所の名。日出、九津、青羌の野や鳥谷、青丘の郷や黒歯の国か。日本のことではないのか。 ・丘:墳墓。

※茫茫遂爲空:(双方とも)はてしない(歴史の流れの中では、)ついには、空しいものとなっていくだろう。 ・茫茫:(水が)はてしなく続いているさま。広々としているさま。往事茫茫。

               ***********




◎ 構成について

韻式は「AAAABBCBAAAA」。換韻の様式ではない。韻脚は、上平一東(中終雄空公功工)と、下平七陽「翔昌腸」と、下平八庚「城」が混じっている。これが『詩經』時代のものならば交韻ともいえるが、日本人による日本語式発音による混在と見るのが自然だ。「喰」は国字(日本漢字)。次の平仄はこの作品のもの。

○●○●●,
●●●○○。(韻)
○●○●●,
○●●○○。(韻)
○○●●●,
○○●●○。(韻)
●○○○●,
○○●●○。(韻)
●○○○●,
○●○●○。(韻)
●●○○●,
○○●○○。(韻)
●○○●●,
●●●●○。(韻)
○○●○●,
●●×○○。(韻)
○●○●●,
○●●○○。(韻)
●○○●●,
○●○○○。(韻)
○○○●●,
○●●○○。(韻)
○○●●●,
○○●○○。(韻)
平成16.7.19
      7.20
      7.21
      7.22完
      7.24補
      9.23
     10.31
     11. 8
平成17.1. 7
平成19.4. 7写真
      5.26
      6.24



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