Wang Changling漢詩 王昌齢
出塞
唐 王昌齡
秦時明月漢時關,
萬里長征
人未還。
但使龍城
飛將
在,
不敎胡馬渡陰山。
**********************
出塞
秦時の 明月 漢時の 關,
萬里 長征 人 未だ還らず。
但だ 龍城に 飛將をして 在ら使
(し)
めば,
胡馬をして 陰山を 渡ら敎
(し)
めず。
******************
私感訳註:
※王昌齢:盛唐期の詩人。700年?(嗣聖年間)~755年?(天寶年間)。字は少伯。京兆の人。七言絶句に秀で、辺塞詩で有名。
※出塞:『從軍行』ともされる。本サイトで王昌齢のこの関聯作は『従軍行』としている。この詩とともに、『春怨』「音書杜絶白狼西,桃李無顏黄鳥啼。寒鳥春深歸去盡,出門腸斷草萋萋。」
を『雜曲歌辭』として蓋羅縫の作とする。似たイメージの詩に唐・嚴武の『軍城早秋』「昨夜秋風入漢關,朔雲邊雪(邊月)滿西山。更催飛將追驕虜,莫遣沙場匹馬還。」
がある。なお、この詩と正反対のことを詠うのが無名氏の『胡笳曲』「月明星稀霜滿野,氈車夜宿陰山下。漢家自失李將軍,單于公然來牧馬。」
になる。また、漢魏・蔡文姫に『胡笳十八拍』(我生之初尚無爲)第一拍~第六
、『胡笳十八拍』(日暮風悲兮邊聲四起)第七拍~第十二
、『胡笳十八拍』(不謂殘生兮卻得旋歸)第十三拍~第十八拍
と、『悲憤詩』一(漢季失權柄)
、『悲憤詩』二(邊荒與華異)
、『悲憤詩』三(去去割情戀)
、『悲憤詩』七言騒体(嗟薄
兮遭世患)
と匈奴に拉致された悲しみを詠う。また、宋・辛棄疾は『滿江紅』で「漢水東流,都洗盡、髭胡膏血。人盡説、君家飛將,舊時英烈。破敵金城雷過耳,談兵玉帳冰生頬。想王郞、結髮賦從戎,傳遺業。」
と詠い、漢の李広の偉業を称える。
※秦時明月漢時關:秦の時代の明月は、(変わることなく)漢の時代の関を照らして。 ・秦時明月:秦の時代の明月。秦の時代も明月は(この関を照らし)。 ・明月:澄み渡った月。月影の描写は暗に人を偲ぶことを示す。 ・漢時關:漢の時代の関(せき)。
※萬里長征人未還:遥かに遠く遠征した人はまだ帰ってこない。 ・萬里長征:遥かに遠く遠征すること。 ・人未還:遠征した人はまだ帰ってこない。 ・還:(出発したところへUターンをして)もどる。
※但使龍城飛將在:ただ(朔北の地)龍城を、「飛将軍」李廣に守備をさせれば。 ・但使:ただ…でさえあれば。 ・龍城:匈奴の長が会合して天を祭る処。転じて、匈奴の地。広く朔北の地を指す。『史記巻一百十・匈奴列傳五十』に「歳正月,諸長小會單于庭,祠。五月,大會龍城,祭其先、天地、鬼神。秋,馬肥…」とある。 ・飛將:前漢の李廣。しばしば匈奴を破り、匈奴より「飛将軍」と呼ばれた
。 ・在:いる。存在する。ここでは守備をさせる、籠城をさせる。
※不敎胡馬渡陰山:匈奴の軍馬に(中原の北の要害である)陰山を通り過ぎさせるようなことはしない。 ・不教:…に…をさせない。使役の「敎」は平声。蛇足になるが、現代語(北京語)では(〔jiao1〕という平声があるとはいうものの)使役表現では去声の〔jiao4〕を使う。 ・胡馬:匈奴の軍馬。匈奴の軍隊を指す。西北方に住む異民族。
・渡:わたる。通り過ぎる。通り過ぎて(中原へ入る)。 ・陰山:内蒙古自治区南部、呼和浩特市の北100キロメートルの大山脈。崑崙山の北の支脈。中原の北側の要害の地。『中国歴史地図集』第五冊 隋・唐・五代十国時期(中国地図出版社)42-43ページ「唐 関内道北部」にある。『史記巻一百十・匈奴列傳』に「築長城,自代並陰山下,至高闕爲塞。」とある。
◎ 構成について
韻式は「AAA」平声韻。韻脚は「關還山」で、上平、十五刪。この作品の平仄は次の通り。
○○○●●○○,(韻)
●●○○○●○。(韻)
●●○○○
●,
●○○●●○○。(韻)
(「將」は両韻で、「軍を率いる人」の場合は去声。例外は「將軍」の將は、平声。ここは、去声。)
(「敎」は両韻で、使役の動詞(助動詞)の場合は古語では、平声、現代語では、去声。動詞の場合は平声。名詞の場合は去声。ここはそれゆえ、平声。)
2001. 7.15
7.16
7.17
7.19
7,20完
7.22補
2003.12.16
2010. 3. 1
2012. 1.15
8.14
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