不到嵐山已五年, 萬株花木倍鮮妍。 最忻阿母同衾枕, 連夜香雲暖處眠。 |
嵐山に 到らざること 已(すで)に 五年,
萬株の花木 倍(ますま)す鮮妍たり。
最も忻(よろこ)ぶ 阿母 衾枕を 同うし,
連夜 香雲 暖かき處に 眠る。
◎ 私感註釈 *****************
※頼山陽:安永九年(1780年)〜天保三年(1832年)。江戸時代後期の儒者、詩人、歴史家。詩集に『日本樂府』、『山陽詩鈔』(写真:下)などがある。
※奉母遊嵐山前此丁外艱尋西遊不遊五年矣:母親に従って嵐山に出かけた。先だって父親が亡くなり、(広島での三回忌の法事後、)ついで九州へ旅行したので、(嵐山に来なくなって)五年ぶりになる(補筆済み)。 ・奉母:母を奉じる。母に対する敬語表現。 ・嵐山:京都西郊の名所。 ・前此:これに先だって。 ・丁:遭う。あう。当たる。 ・外艱:〔ぐゎいかん;wai4jian1●○〕父に死なれること。 ・尋:ついで。まもなく。「…尋西遊不遊…」の意味分かりにくい。〔ここの分かりにくさを伊勢丘人先生は、次のように御指摘なさり、整理をして下さった。とてもよく分かった。〔『頼山陽詩鈔』卷之五(写真:右)の三行目の「己卯」とは文政二年(1819年)のことで、頼山陽の父春水は、文化十三年(1816年)に死亡しました。満2年後の文政元年(1818年)、山陽は春水の三回忌に広島へ帰り、法事後に「西遊」しました。赤間関を見、九州へ渡りました。九州旅行は楽しかったようです。例の「雲か山か呉か越か」という詩もこのときの作です。「尋西遊不遊五年」「ついで西遊し」というのは、このことかと思います。山陽の母が、始めて嵐山などを見て回ったのは、その翌年の文政二年(1819年)のことです。春水死後、満3年しか経っていませんが、これが詩人の度胸なのでしょう。(以上伊勢丘人先生:2007.7.4)これに基づき、文章を補足訂正しました〕。 ・西遊:ここでは九州旅行のことをいう(補筆)。 ・五年矣:五年になる。五年にもなる。(前出・伊勢丘人先生の御指摘の「足かけ四年のまる三年」ということの概数的表現)。ここは「…になる」といった動詞的な表現で、「五年である」といった体言的な表現ではない。 *詩題がなければ、誤解をしかねない表現である。
※不到嵐山已五年:嵐山に行かなくなってから、もう五年になる。 ・不到:到らない。 ・已五年:すでに五年になる。前出「五年矣」と同様、動詞的な表現で五年になる。五年にもなる。ここは「…になる」といった動詞的な表現。 ・已:とっくに。すでに。
※萬株花木倍鮮妍:極めて多くの本数の花樹は、ますますあざやかで美しい。 ・萬株:極めて多くの本数。 ・花木:花の咲く木。花樹。また、花と木。ここは、前者の意。 ・倍:〔ばい;bei4●〕ますます。王維の『九月九日憶山東兄弟』に「獨在異ク爲異客,毎逢佳節倍思親。遙知兄弟登高處,插茱萸少一人。」とある。 ・鮮妍:〔せんけん;xian1yan2○○〕あざやかで美しい。
※最忻阿母同衾枕:最もうれしいことは、お母さんと一緒に寝ることで。 ・忻:〔きん;xin1○〕よろこぶ。わらいよろこぶ。たのしむ。≒欣。 ・阿母:お母さん。母を親しんで呼ぶことば。 ・阿-:名などの上に附け、親しみを表す語。「お……」「……さん」。 ・同:共にする。 ・衾枕:〔きんちん;qin1zhen3○●〕掛け布団とまくら。温庭の『更漏子』に「玉爐香、紅蝋涙。偏照畫堂秋思。眉翠薄、鬢雲殘。夜長衾枕寒。 梧桐樹。三更雨。不道離情正苦。一葉葉、一聲聲。空階滴到明。」とある。この場合は愛しい人と一緒になれないで独り寝の寂しさを詠っている。
※連夜香雲暖處眠:毎晩、(お母さんの)髪の毛の香りのするところのやわらかであたたかいところで眠っている。 ・連夜:毎夜。 ・香雲:女性の髪の形容。 ・暖處:やわらかであたたかいところ。
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◎ 構成について
韻式は「AAA」。韻脚は「年妍眠」で、平水韻下平一先。次の平仄はこの作品のもの。
●●○○●●○,(韻)
○○○●●○○。(韻)
●○●●○○●,
○●○○●●○。(韻)
平成19.7.2完 7.4補:伊勢丘人先生 |
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