軍船の遭難 村民を愕かし、
乗員を助んとして 献身を伝ふ。
兵は幽明を別ちて 悲史に記し、
国は朝夕を違ふも 旁隣の若し。
曾て微志を澆いで 年を経て忘れ、
今は深慈と化して 応報は巡る。
惻隠綱常は 正に陰徳、
徳は銀翼と成って 邦人を送る。
*********
・違朝夕: 日本とトルコの両国が離れていること。
・旁隣: となり。
・微志: 和歌山県串本の村民の行為(謙譲語)。
・深慈: 曾てトルコ政府が行った我が邦人の救出への配慮。
・応報: ここでは微志が深慈となったことを言う。
・惻隠: いたわしく思うこと。
・綱常: 人の守り行うべき道義。
・陰徳: 本来の意味は人に知れないように施す恩徳。
・送邦人: 「送」はトルコ政府の立場で。
絶句「土耳古軍艦遭難慰霊碑」参照 。
<解説> 同題の絶句に詩意がこめられなかったのでこの律詩を作る。
1890年和歌山県串本大島の辺りの沖で、トルコの軍艦エルトウールル号が遭難し、村民が生存者を救助し また水死者を丁寧に弔った。この救出行動は困難を極めたであろう。これを契機に日本とトルコ両国の 親善友好関係が深まった。
時は流れて1991年湾岸戦争が始まり、その戦闘地域附近に取り残された多くの邦人のために、トルコ政府が
飛行機を用意して下さり、無事に帰国できたことはまだ記憶に残っている。
古来我国には”貸した金は忘れても、借りた金は忘れてはならない”という言葉があるが、トルコ政府は正に行動で もって模範を示された。しかし人の心は移ろいやすく忘却されつつある。わたくしが偶然に2月下旬の新聞で、沈没 した軍艦の遺品を一部引き揚げたとの報道を見て、この史実を思い出し、一詩にまとめようと思ったのが発端である。
|