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博多櫛田神社社頭石碇即事



碧波萬里東瀛邊,
玄海落暉見渡船。
異國丘虚遺石碇,
弘安銀杏復何言。




櫛田神社の表門 扁額には「威稜」(みいつ)とある 櫛田の銀杏(いちょう)と碇石(いかりいし)
根元に横になっているのが碇石 櫛田の銀杏(いちょう)と碇石(いかりいし)
博多にわかの実演
                                                                                                                      
碧波(へきは) 萬里  東瀛(とうえい)の邊,
玄海の落暉(らっき)に  渡船 (あらは)る。
異國の丘虚(きうきょ)に  石碇(せきてい)(のこ)すを,
弘安の銀杏((いてふ))  ()た何をか言はん。

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  (十月十一日から十三日の三連休を利用して鹿児島へ行った。)


  十一日(土)は、鹿児島市内(の城山・鶴丸城址一帯を廻り)、翌十二日(日)、台風の襲来が確実なので、予定していた南部の知覧行きを取りやめ、九州北端の博多に脱出することに決めた。(宿舎の人は、「知覧に出かけて、台風のため動きが取れなくなった時には、救助する」と昨日言ってくれていたのだが…)

  朝、鹿児島の宿舎をキャンセルし、直ちに新幹線に乗って、風雨の中、鹿児島を脱出。(線路上に風で飛ばされたもののために運行が阻碍され、駅でストップしたままだった。調整のためか、乗車した列車から他への乗り換え要請があった。)
  昼、苦難の末、博多に到着。雨風は無い。(延着のため、6150円の払い戻しがあった。疲れが消し飛んで、喜びに変わった)。宿舎を苦労の末見つけ、一安心。
  その後、宿舎周辺を散策。櫛田神社を見つけ、詣った。境内には樹齢千年の大銀杏があり、その根元には元寇の際の元(蒙古)軍の碇石(いかりいし)があるのを偶々見つけた。感慨無量。この詩はその時のもの。
  その後、博多俄(はかたにわか)の実演を見た。なかなか面白かった。


  翌十三日(月)、(JR西日本は在来線の運行を停止するというので)早朝、風雨とともに博多を発ち、東に向かった。姫路辺りでは、落ち着いた天候になり、大阪では、少し陽が射していた。駅では、テレビカメラが慌ただしく通る乗客を撮影する準備が完了していた。
  正午前、無事に帰宅。
  その夜、八時前、台風の中心がちょうど我が家の上を通過していった。が、一同、無事。(五時、十一時…散歩)
  疲れた……。

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石碇(せきてい) 碇石(いかりいし)(げん)(モンゴル=蒙古)軍軍船の碇石(いかりいし)。弘安四年、元の軍勢十四万が博多の港に侵攻したものの鎌倉武士の奮戦と神風のため全滅した時、 敵の軍船が遺棄したもの。石材の材質は、外つ国の××産に該るとのこと。
・弘安: 弘安四年(1281年)の元寇・弘安の役のこと。前記・元(モンゴル)の二度目の来寇の年。
・銀杏: 櫛田神社境内にある樹齢千年の大銀杏を指す。
  

平成二十六年十月十二日




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