紀州舊礮臺址憶國難 | |
水仙花滿巖頭叢, 海峽礮臺明治風。 坂上白雲人望處, 何時剋難見興隆。 |
レンガを敷いた道を行く。曾て砲弾が運ばれた道。 | トンネルの右側に溝のようなのがあるが… |
溝ではなくて…、 | |
弾薬庫の入口だった。 | 弾薬庫の中は…、 |
こんなのだった。 | 圧倒されて、砲台から海の方への坂を登ると、 |
紀淡海峡が望めた。水仙の花の下が弾薬庫。 |
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加太の淡嶋神社。人形供養の神社。 | 何だか、迫ってくる感じで…。 |
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紀州の加太にある砲台跡を見た時の詩。はじめは、砲台があるとは知らなかったが、(結果として貴重な偶然で)、予定外だが行ってみた。そこは、とても重厚な雰囲気を漂わせていた。掲示板によると、明治二十五年(1892年)に作られた、とあった。テレビ映画化された小説『坂の上の雲』の中の描写を借りれば、秋山真之海軍少尉が北洋艦隊を率いた丁汝昌提督に会った(?)明治二十一年(1888年)のすぐ後のことである。当時の日本は風雲を察知して既に建設中だったことだろう。外寇から瀬戸内海や大阪湾を防禦するためという。 今また国難に際し、感じるところがあり、これを作った。 ----再び坂の上の雲を目指して、登っていこう。 (写真のできあがりが暗い。天気も、世の中の出来事も、わたしたちの心も、みんな暗い……。(この場所、女の人にはちょっときついところのようだった。途中で、パスされた。 記録:→墓参→淡嶋神社→加太→砲台跡→宿泊(&地ビール:ナギサビール ペールエール)→根来寺の桜→粉河寺の巫女舞→華岡青洲の里→) |
平成二十三年四月二日 |
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