蜡餘忽夢大同時, 酒醒衾寒自嘆衰。 與我周旋最親我, 關門還讀自家詩。 |
己亥 雜詩
蜡餘 忽 ち夢む 大同の時,
酒醒 め衾 寒くして自 ら衰 へを嘆く。
我と 周旋して 最も我 と親しみ,
門を關 して還 た讀む 自家の詩を。
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◎ 私感訳註:
※黄遵憲:1848年(道光二十八年)〜1905年(光緒三十一年;明治三十八年)。字は公度。別号は人境廬主人(この別号は陶淵明の『飮酒二十首』・其五の「結廬在人境」から取っているのだろう)。広東嘉応州(現・梅県市)出身。清朝の衰退期に富裕な官僚地主家庭に生まれる。二十歳代末に挙人となり、外交官僚として、明治維新後の日本に渡る。そこで、当時の日本の諸多改革を目の当たりし、日本の近代化や資本主義の発展を具に体験した。そこから生まれた日本の朝野の人士との交流を深めて通じての豊かな日本についての知識、幅広く、歴史から風俗に亘り、大量の資料に基づき、研究を深めた。同時に日本に対して、中国の古代文化の紹介にも努めた。黄遵憲は、近代中国の日中文化交流の巨人である。1885年(光緒十一年)の八月、彼が日本滞在期の資料に基づいた『日本國志』、詩集『日本雜事詩』がある。
※己亥雑詩:己亥(きがい=つちのとい)の年に作った雑多な詩。 *龔自珍:〔きょう・じちん;Gong1 Zi4zhen1〕の『己亥雑詩に基づく命名。 ・己亥:〔きがい;ji3hai4●●〕十干と十二支の組み合わせで、六十までの序列表示の方法で、三十六番目(つちのとゐ)のこと。歳次が己亥年は、作者の時代では、己亥の年は、1899年(光緒二十五年)。主な出来事は、義和団の乱(=北清事変)。なお、龔自珍:〔きょう・じちん;Gong1 Zi4zhen1〕の場合の己亥の年とは、その六十年前の1839年(道光十九年)。
※蜡余忽夢大同時:陰暦十二月の末に、急に大同(公正、平等で平和な社会)を夢見た時。 ・蜡余:陰暦十二月の末。 「蜡」:〔さ;cha4●〕陰暦十二月に行うまつりの名。秦では蜡(さ)。陰暦十二月の別名。 ・忽:たちまち。 ・夢:夢見る。ゆめむ。動詞。 ・大同:天の公理に基づき、人心が和合し、よく治まった、あらゆる差別のなくなった至公無私の平和な社会。『禮記・禮運篇』に「大道之行也,天下爲公。選賢與能,講信修睦,故人不獨親其親,不獨子其子,使老有所終,壯有所用,幼有所長,矜寡孤獨廢疾者,皆有所養。男有分,女有歸。貨惡其棄於地也,不必藏於己;力惡其不出於身也,不必爲己。是故謀閉而不興,盜竊亂賊而不作,故外戸而不閉,是謂大同。」とある。
※酒醒衾寒自嘆衰:酒はさめ、かけぶとんは寒々として、我が身の衰えを嘆(なげ)いた。 ・醒:さめる。 ・衾:〔きん;qin1○〕かけぶとん。しとね。
※与我周旋最親我:(わたしは)わたしと追いかけあって、一番にわたしと親しい(ので)。わたしの一番の親友はわたしである(ので)。 ・与:…と。ここでの用法はwithの意であって、andの意の用法ではない。 「与我-」:わたしと(…をする)。with me。 ・周旋:追っかけあう。つきあう。とりもつ。めぐる。「与我周旋」:『世説新語』品藻第九に「桓公少與殷侯齊名,常有競心。桓問殷:“卿何如我?”殷云:“我與我周旋久,寧作我。”」(中華書局版493ページ6行目)とある。『左傳』僖公二十三年に「『若不獲命,其左執鞭、弭,右属櫜,鞬,以與君周旋。』」(岳麓書社版156ページ16行目)とある。 ・親:したしむ。動詞。通常は平声。(ただし、去声(親戚の家の意)としてもあり、)詩の格律から謂えば、ここは去声(仄)とすべきところ。ただし、句の「●●○○○●●」を「●●○○●○●」としても可なので、「与我周旋最親我」で、可。
※関門還読自家詩:門を閉(し)めて、なおもまた、自作の詩を読んでいる。 ・関門:門を閉(し)める。門を閉(と)ざす。 ・還:なおもまた。なお。また。 ・自家:自分。自身。
◎ 構成について
2016.5.21 5.22 5.23 5.24 5.25 5.26完 2017.5.24補 |
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