憶亡友雲井龍雄 | ||
谷干城 | ||
墨田花可醉, 蓮湖月可吟。 想昔連騎豪遊日, 櫻花爛漫月沈沈。 錦城春暗辛未年, 人生浮沈是天然。 若有孤心徹亡友, 感涙爲水到九泉。 |
墨田 花は 醉ふ可く,
蓮湖 月は 吟ず可し。
想ふ昔 連騎 豪遊せるの日,
櫻花 爛漫として 月 沈沈たり。
錦城 春は暗し 辛未の年,
人生の浮沈 是れ 天然。
若し 孤心の 亡友に徹する 有らば,
感涙 水と爲りて 九泉に到らん。
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◎ 私感註釈
※谷干城:(たに たてき、たに かんじょう)江戸末期〜明治時代の軍人、政治家。天保八年(1837年)〜明治四十四年(1911年)。通称は守部。号は隈山。土佐藩出身。戊辰戦争に参加。後、藩政改革に参与した。更に、兵部大丞、熊本鎮台司令官となる。征台の役、西南戦争で活躍した。
※憶亡友雲井龍雄:死んだ友人である雲井龍雄を憶(おも)いだして。 ・憶:おもう。おもいだす。 ・亡友:死んだ友人。 ・雲井龍雄:弘化元年(1844年)〜明治三年(1870年)。米沢藩士。本名は小島守善。通称は龍三郎。雲井龍雄は変名。薩摩藩の専横を不満として、新政府の転覆を計劃するが、逮捕されて処刑された。詩に『釋大俊發憤時事慨然有濟度之志將歸省其親於尾州賦之以贈焉』に「生當雄圖蓋四海,死當芳聲傳千祀。非有功名遠超群,豈足喚爲眞男子。俊師膽大而氣豪,憤世夙入祇林逃。雖有津梁無處布,難奈天下之滔滔。惜君奇才抑塞不得逞,枉方其袍圓其頂。底事衣鉢僅潔身,不爲鹽梅調大鼎。天下之溺援可收,人生豈無得志秋。或至虎呑狼食王土割裂,八州之草任君馬蹄踐蹂。君今去向東海道,到處山河感多少。古城殘壘趙耶韓,勝敗有跡猶可討。參之水 駿之山,英雄起處地形好。知君至此氣慨然,當悟大丈夫不可空老。」や、『題客舍壁』「欲成斯志豈思躬,埋骨山碧海中。醉撫寶刀還冷笑,決然躍馬向關東。」 や、『辭世』「死不畏死,生不偸生。男兒大節,光與日爭。道之苟直,不憚鼎烹。眇然一身,萬里長城。」などがある。
※墨田花可醉:隅田(川の堤の桜の)花は、(花見酒で)酔うのが相応(ふさわ)しく。 ・墨田花:隅田川の堤の桜。吾妻橋から桜橋までの桜の名所。現・東京都台東区浅草附近の堤。 ・可醉:酔って…のが適当だ。 ・可:べし。できる。よい。みとめる。さしつかえない。可能・許可の意を表す助字。それに対応する国語(日本語)の文語助動詞「べし」としては、(漢語同様に)可能の意を表す「…のことができるだろう(…のことができそうだ)」よりも、ここでは、(国語(日本語)助動詞「べし」の)適当の意を表す「…のがよい。…が適当だ」として使われていよう。
※蓮湖月可吟:(上野の)不忍池(しのばずのいけ)に出る月影は、(観月会で)詩歌を口ずさむのに相応(ふさわ)しい。 ・蓮湖:〔れんち;lian2chi2○○〕はす池。ここでは、現・東京都台東区上野にある不忍池(しのばずのいけ)のことになる。 ・吟:〔ぎん;yin2○〕うたう。吟じる。詩歌を口ずさむ。
※想昔連騎豪遊日:昔を思い出せば、騎馬を連ねて盛んに遊んだ日々であって。 ・連騎:〔lian2ji4○●〕乗馬を連ねる。騎馬を連ねる。「騎」は〔き;ji4●〕(名詞)騎馬、乗馬、馬に乗ること。〔き;qi2○〕(動詞)馬に乗る。ここは、中国の旧詩(漢詩)の用例(平仄と意味)から見て前者の意。「連騎」の意は「騎馬(名詞)を連ねる(動詞)」であって、「連なって(副詞的)乗馬する(動詞)」(○○)という用法ではない。但し、この詩のこの句は○○すべきところで、「連騎」の用法では○●(で●●とすべきところの語)となる。 ・豪遊:贅沢に遊ぶ(こと)。盛んに遊ぶ(こと)。大尽遊び。 ・日:日々。
※櫻花爛漫月沈沈:(当時の)桜の花は咲き乱れて、月影は深く静まりかえっていた。 ・爛漫:〔らんまん;lan4man4●●〕花が咲き乱れるさま。また、光り輝くさま。あふれ散らばり消えること。ここは、前者の意。中唐・韓愈の『山石』に「山石犖确行徑微,黄昏到寺蝙蝠飛。升堂坐階新雨足,芭蕉葉大支子肥。僧言古壁佛畫好,以火來照所見稀。鋪床拂席置羹飯,疏糲亦足飽我飢。夜深靜臥百蟲絶,清月出嶺光入扉。天明獨去無道路,出入高下窮煙霏。山紅澗碧紛爛漫,時見松櫪皆十圍。當流赤足蹋澗石,水聲激激風吹衣。人生如此自可樂,豈必局束爲人鞿。嗟哉吾黨二三子,安得至老不更歸。」とある。 ・沈沈:深く静まっているさま。静まりひっそりしたさま。奥深く静かなさま。 かくれるさま。夜の更けていくようす。静まりひっそりしたさま。北宋・蘇軾の『春夜』に「春宵一刻値千金,花有C香月有陰。歌管樓臺聲細細,鞦韆院落夜沈沈。」とあり、北宋・秦觀の『如夢令』に「遙夜沈沈如水,風緊驛亭深閉。夢破鼠窺燈,霜送曉寒侵被。無寐,無寐,門外馬嘶人起。」とあり、金・宇文虚中の『在金日作』に「遙夜沈沈滿幕霜,有時歸夢到家ク。傳聞已築西河,自許能肥北海羊。回首兩朝倶草莽,馳心萬里絶農桑。人生一死渾闔磨C裂眥穿胸不汝忘。」とあり、清・龔自珍の『冬日小病寄家書作』に「黄日半窗煖,人聲四面希。餳簫咽窮巷,沈沈止復吹。小時聞此聲,心神輒爲癡。慈母知我病,手以棉覆之。夜夢猶呻寒,投於母中懷。行年迨壯盛,此病恆相隨。飮我慈母恩,雖壯同兒時。今年遠離別,獨坐天之涯。~理日不足,禪ス詎可期。沈沈復悄悄,擁衾思投誰。」とある。
※錦城春暗辛未年:花の都(江戸が改まった東京)の明治四年(1871年)の春は、(前年の暮に、友人の雲井龍雄の刑死があったので)暗澹としたものとなった。 ・錦城:立派な城市。立派な城郭。大阪城などを謂うが、ここでは、江戸の街を指す。「花のお江戸、花の都」。また、錦官城の略称で蜀の成都のこと。小城に錦を管理する役所があったところから、こう呼ばれるようになった。ここは、前者の意で使われる。 ・辛未:〔しんび;xin1wei4○●〕かのとひつじ。ここの辛未年は、明治四年(1871年)のことになる。雲井龍雄の刑死は明治三年(1870年:庚午年)。
※人生浮沈是天然:人生の栄枯盛衰は、。人の力ではおよばないことである。 ・浮沈:人生の栄えることと衰えること。浮き沈み。浮いたり沈んだりすること。盛衰。南宋・文天祥の『過零丁洋』に「辛苦遭逢起一經,干戈寥落四周星。山河破碎風飄絮,身世浮沈雨打萍。惶恐灘頭説惶恐,零丁洋裏歎零丁。人生自古誰無死,留取丹心照汗青。」とある。この部分、作者は、或いは文天祥のこの『過零丁洋』を意識したかも知れない。 ・是:…は…である。これ。主語と述語の間にあって述語の前に附き、述語を明示する働きがある。〔A是B:AはBである〕。 ・天然:人工の作為が加わっていない自然のままの状態。人の力ではおよばないこと。偶然に起こるさま。
※若有孤心徹亡友:もしも(君を失った私の)孤独な心が亡き友にまでとどくのならば。 ・若有:もしも…があるのならば。中唐・李賀に『金銅仙人辭漢歌』「茂陵劉カ秋風客,夜聞馬嘶曉無跡。畫欄桂樹懸秋香,三十六宮土花碧。魏官牽車指千里,東關酸風射眸子。空將漢月出宮門,憶君C涙如鉛水。衰蘭送客咸陽道,天若有情天亦老 。攜盤獨出月荒涼,渭城已遠波聲小。」があり、現代・毛澤東は『人民解放軍領南京』「鍾山風雨起蒼黄,百萬雄師過大江。虎踞龍盤今勝昔,天翻地覆慨而慷。宜將剩勇追窮寇,不可沽名學覇王。天若有情天亦老,人間正道是滄桑。」と使う。なお、『桃花源記』「晉太元中,武陵人捕魚爲業,縁溪行,忘路之遠近,忽逢桃花林。夾岸數百歩,中無雜樹。芳草鮮美,落英繽紛。漁人甚異之,復前行,欲窮其林。林盡水源,便得一山。山有小口。髣髴若有光。便舎船從口入。初極狹,纔通人。復行數十歩,豁然開焉B土地平曠,屋舍儼然,有良田美池桑竹之屬。阡陌交通,鷄犬相聞。其中往來種作,男女衣著,悉如外人。黄髮垂髫,並怡然自樂。見漁人,乃大驚,問所從來。具答之,便要還家。設酒殺鷄作食。村中聞有此人,咸來問訊。自云:先世避秦時亂,率妻子邑人來此絶境,不復出焉。遂與外人間隔。」とあるのは、用法・意味が異なる。 ・若:もし。もしも。 ・孤心:ひとりぼっちの心。作者・谷干城の思い。 ・徹:〔てつ;che4●〕つきとおす。つらぬく。とおる。とどく。
※感涙爲水到九泉:感泣して流す涙は、(深く強い地下)水脈となって黄泉に辿り着くことだろう。 ・感涙:感泣して流す涙。うれし涙。ここは、前者の意。 ・爲水:川の流れとなる。地にしみ込んでいく水となる。 ・九泉:〔きうせん;jiu3quan2●○〕大地の下。地の底。墓。冥土。黄泉。
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◎ 構成について
韻式は、「AABBB」。韻脚は「吟沈 年然泉」で、平水韻下平十二侵と下平一先。この作品の平仄は、次の通り。
●○○●●,
○○●●○。(A韻)
●●○◎○○●,
○○●●●○○。(A韻)
●○○●○●○,(B韻)
○○○○●○○。(B韻)
●●○○●○●,
●●○●●●○。(B韻)
平成22.3.28 3.29 3.30 |
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