聞青嶋陷沒 喜賦 | ||
大正天皇 |
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未過旬日陷堅城, 殉難偏憐將士情。 忽向都門傳捷報, 砲聲變作凱歌聲。 |
未 だ旬日 を過 ぎざるに堅城 を陷 れ,
殉難 偏 へに憐 れむ將士 の情。
忽 ち都門 に向かひて捷報 を傳へれば,
砲聲變 じて凱歌 の聲と作 る。
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◎ 私感註釈
※大正天皇:第百二十三代天皇。明治十二年(1879年)〜大正十五年(1926年)。幼称は明宮(はるのみや)。諱は嘉仁(よしひと)。第百二十二代天皇・明治天皇の子で、第百二十四代天皇・昭和天皇の父。
※聞青嶋陷沒喜賦:青島(チンタオ)(要塞)が陥落したということで、喜びの詩を作った。 *同じ主旨詩にの『青嶋敵軍降服因有此作』「敵國方降服,風霜肅殺時。日臨青嶋靜,壘破白旗欹。重義偏除禍,同盟已出師。勳功真可愛,奏凱自天涯。」がある。 *大正三年(1914年)、第一次世界大戦時、ドイツ等の同盟国側と、イギリス・フランス・ロシア…側の聯合国とが対戦。日本は、日英同盟の情誼のため、聯合国に属して参戦することを決意。日本は、東アジアよりのドイツ軍艦の退去と、山東半島にあるドイツの膠州湾租借地を中華民国に還付することを要求した。しかし、ドイツ政府は、この要求を無視し、青島(チンタオ)の要塞を死守したため、日本は八月、ドイツに宣戦を布告した。日本軍は、十月には赤道以北のドイツ領南洋諸島を、十一月七日には膠州湾にあるドイツの根拠地青島を占領した。この詩は、その大正三年(1914年)十一月の作。 ・青嶋:青島(チンタオ)。山東半島にあるドイツの膠州湾租借地・青島にある青島要塞。 ・陷沒:城や帝都がおちいる。また、地面が落ち込む。ここは、前者の意。 ・賦:詩を作る。
※未過旬日陥堅城:まだ十日も経(た)たないうちに、守りがかたく容易におちない城(=青島(チンタオ)要塞)が攻めおとされた。 ・旬日:十日。十日間。また、わずかな日数。 ・陥:せめおとされる。 ・堅城:守りがかたく容易におちない城。
※殉難偏憐将士情:国家の危難を救うために、命をすてた将兵の思いをひとえに憐れむ。 ・殉難:〔じゅんなん;xun4nan4●●〕 国家の危難を救うために命をすてる。=徇難。 ・偏:ひとえに。 ・憐:あわれむ。気の毒に思う。いつくしむ。 ・将士:将校と兵士。大将と兵卒。
※忽向都門伝捷報:たちまちのうちに都に勝利の知らせが伝わって(きた)。 ・忽:たちまち。 ・向:…に(向かって/おいて)。 ・都門:都の門。都の入り口。都。 ・捷報:〔せふはう;jie2bao4●●〕勝利の知らせ。戦勝の報告。=捷聞。
※砲声変作凱歌声:砲声が戦勝を祝う歌となった。 ・変作:変化して…になる。 ・凱歌:戦勝を祝う歌。かちどき。
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◎ 構成について
韻式は、「AAA」。韻脚は「城情声」で、平水韻下平八庚。この作品の平仄は、次の通り。
●◎●●●○○,(韻)
●●○○●●○。(韻)
●●○○◎●●,
●○●●●○○。(韻)
平成28.4.23 4.24 |
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