後夜聞佛法僧鳥 |
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空海 | ||
閑林獨坐草堂曉, 三寶之聲聞一鳥。 一鳥有聲人有心, 聲心雲水倶了了。 |
閑林 獨坐す草堂 の曉 ,
三寶 の聲一鳥 に聞く。
一鳥 聲 有り 人 心 有り,
聲心 雲水 倶 に了了 。
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◎ 私感註釈
※空海:平安初期の僧。日本の真言宗の開祖。諡号は弘法大師。宝亀五年(774年)〜承和二年(835年)。讃岐の人。延暦二十三年(804年)、最澄らとともに入唐し、長安の青龍寺惠果に学ぶ。翌々年の806年に帰朝し、高野山金剛峰寺を開く。三筆の一。
※後夜聞仏法僧鳥:夜明けの勤行で、「ブッポウソウ」(と鳴く)鳥(の声)が聞こえる。 ・後夜:〔ごや;hou4ye4●●〕夜中から朝にかけてを謂う。ここでは、夜中から朝にかけての勤行。特に、夜明け頃の勤行。 ・聞:(受動的に)聞こえる。耳に入る。なお、(意識的に/注意して/きこうとして/聴き耳を立てて)きく意では、多く「聽」を用いる。 ・仏法僧鳥:フクロウ科の鳥コノハズク。茶褐色で、頭に耳状の羽毛がある。鳴き声が「ブッパフソウ(ブッポウソウ)」と聞こえる。なお、現代(中国)語でも「仏法僧科」の「三宝鳥」と言う。
※閑林独坐草堂暁:ひっそりとした林に一人だけで坐っている、自分の修行の堂の明け方(のことだ)。 ・閑林:ひっそりと静かな林。 ・独坐:一人だけで(静かに)坐っている。独りぼっちで坐る。盛唐・王維の『竹里』に「獨坐幽篁裏,彈琴復長嘯。深林人不知,明月來相照。」とあり、北宋・蘇舜欽の『中秋夜呉江亭上對月懷前宰張子野及寄君謨蔡大』に「獨坐對月心悠悠,故人不見使我愁。古今共傳惜今夕,況在松江亭上頭。可憐節物會人意,十日陰雨此夜收。不惟人間重此月,天亦有意於中秋。長空無瑕露表裏,拂拂漸上寒光流。江平萬頃正碧色,上下CK雙璧浮。自視直欲見筋脈,無所逃遁魚龍憂。不疑身世在地上,祗恐槎去觸斗牛。景C境勝返不足,嘆息此際無交游。心魂冷烈曉不寢,勉爲此筆傳中州。」とある。 ・草堂:草ぶきの家。わらや。草屋。また、自分の家を謙遜していう。 ・暁:夜明け。早朝。あかつき。「暁」は、韻脚でもある。盛唐・孟浩然の『春曉』の韻脚は「春眠不覺曉,處處聞啼鳥。夜來風雨聲,花落知多少。」。
※三宝之声聞一鳥:三宝(=「仏」・「法」・「僧」)の鳥の鳴き声が聞こえる。 ・三宝:仏教用語で、「仏」・「法」・「僧」の三つ。前出・鳥の「仏法僧」の鳴き声を謂う。「仏」とは、悟りを開いた人(釈迦)。「法」とは、仏の説いた教説。「僧」とは、仏の教えに従って悟りを目ざして修行する出家者の集団。
※一鳥有声人有心:その鳥(にとって)は鳴き声だが、人(=作者・空海)(にとっては)心に感じ覚るところがある。 *「一鳥有声人有心」の句は「一鳥・有声+人・有心」という「SVO+SVO」という構成になっている。
※声心雲水倶了了:(鳥のブッポウソウ)という)鳴き声と人(=作者:空海)の心と、(そして)流れ行く雲と流れる水とは、ともに明らかに(悟り)わかった。 ・声心:ここでは、鳥の鳴き声(=ブッポウソウ:仏・法・僧)と人(=作者:空海)の心とを謂う。また、心の底からの声。熱い願い。ここは、前者の意。 ・雲水:雲と水。流れ行く雲と流れる水。禅宗の行脚(あんぎや)僧。晩唐・項斯の『日東病僧/日本病僧』に「雲水絶歸路,來時風送船。不言身後事,猶坐病中禪。深壁藏燈影,空窗出艾煙。已無ク土信,起塔寺門前。」とある。 ・倶:ともに。ここでは「声心」と「雲水」とを指す。 ・了了:明らかなさま。明白にわかる。はっきりわかる。
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◎ 構成について
韻式は、「aaa」。韻脚は「暁鳥了」で、平水韻上声十七篠。この作品の平仄は、次の通り。
○○●●●○●,(韻)
○●○○●●●。(韻)
●●●○○●○,
○○○●●●●。(韻)
平成29.2.13 住 2.20 2.22 2.23 |
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