偶成 | ||
河上肇 |
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形容枯槁眼眵昏, 眉宇纔存積憤痕。 心如老馬雖知路, 身似病蛙不耐奔。 |
形容枯槁 眼 眵昏 ,
眉宇 纔 に存 す積憤 の痕 。
心は老馬 の如く路 を知ると雖 も,
身 は病蛙 に似て奔 るに耐 へず。
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◎ 私感註釈
※河上肇:明治十二年(1879年)〜昭和二十一年(1946年)。マルクス主義経済学者。山口県の人。東京帝国大学卒業後、大学教授となり、次第にマルクス主義に近づき、やがて、新労農党、共産党と活動して、治安維持法違反で検挙された。主義のため、信念を貫くために地位と名誉を捨てた。詩作は検挙後に始めたというが、その詩は、作者の専門外とはいうものの、宋詩・宋詞の影響を受けた見事なものである。詠物、叙景の詩が文人の作詩の主流となっている現代日本詩では異色であり、興味をそそられる慨世の作品群を遺している。
※偶成:たまたま出来上がった詩。副題を「對鏡似田夫」とする。「鏡に向かえば(自分の容貌は)農夫に似ている(/似ててきた)」。副題の「對鏡〜」は、後出・「時把劍,頻看鏡,徒自苦,拳破裂,眼眵昏。」を踏まえていようか。そうであるならば、この詩は無限の憤りの詩、ということになろう。
※形容枯槁眼眵昏:(江潭を流離う屈原のように)身なりや容儀が痩せて色つやが無くなって、めやにでよく見えなくなった(が)。 ・形容枯槁:(江潭を流離う屈原のように)身なりや容儀が痩せて色つやが無くなって。 *汨羅に身を投げた憂国の士・屈原を詠った『楚辭』・『漁父』中の言葉。 ・形容:身なりや容儀。 ・枯槁:〔こかう;ku1gao3○●〕かれる。水気が無くなる。ひからびる。痩せて色つやが無くなる。痩せ衰える。『楚辭』・『漁父』に「屈原既放,游於江潭,行吟澤畔,顏色憔悴,形容枯槁。漁父見而問之曰:「子非三閭大夫與?何故至於斯?」屈原曰:「舉世皆濁我獨C,衆人皆醉我獨醒,是以見放。」漁父曰:「聖人不凝滯於物,而能與世推移。世人皆濁,何不淈其泥而揚其波?衆人皆醉,何不餔其糟而歠其釃?何故深思高舉,自令放爲?」屈原曰:「吾聞之:新沐者必彈冠,新浴者必振衣。安能以身之察察,受物之汶汶者乎?寧赴湘流,葬於江魚之腹中,安能以皓皓之白,而蒙世俗之塵埃乎?」 漁父莞爾而笑,鼓竡ァ去。乃歌曰: 「滄浪之水C兮,可以濯我纓,滄浪之水濁兮,可以濯我足。」遂去,不復與言。」とある。 ・眵:〔し;chi1○〕目やに。目くそ。なお、現代(中国)語では「眼眵」(yan3chi1)と言う。 ・昏:くらい。 ・眼眵昏:めやにでよく見えない。 *ここの読み方について『河上肇詩注』(一海知義著 岩波書店)で、安田徳太郎氏の文章を引用し、作者(=河上肇)が安田氏に宛てた手紙にこの句についての読みを述べている、という。曰く:「眼(まなざし)眵昏(シコン)」(めやにでよくみえぬ)とのこと。ただ、現代(中国)語では「眼眵」(yan3chi1)で、「めやに」の意なので、中国人はこの部分は「眼眵・昏」と読むかも知れない。ただし、「…昏哭英魂。此恨誰知者,時把劍,頻看鏡,徒自苦,拳破裂,眼眵昏。…」の詩句を踏まえていれば、「眼・眵昏」になる。恨みを籠めたことばになる。
※眉宇纔存積憤痕:眉のあたりに、わずかに長年積み重なった憤(いきどお)りのあとかたが残っている。 ・眉宇:〔びう;mei2yu3○●〕眉宇。眉のあたり。また、顔かたち。ここは、前者の意。 ・纔:〔さい;cai2○〕(副詞)わずかに。…だけ。また、やっと。ようやく。ここは、前者の意。 ・積-:長年積み重なった…。 ・痕:あと。傷あと。あとかた。
※心如老馬雖知路:心は、老いた馬のように(いつも通る)路は知ってはいるものの。 *作者(=河上肇)のことばで、ここの句は、愛国詩人と謂われた陸游の『自述』に因ったとのこと。陸游の『自述』に「早畏危機避巧丸,長安未到意先闌。心如老馬雖知路,身似鳴蛙不屬官。濶柴車無遠近,旋沽村酒半甜酸。群兒何足勞情恕,胸次從初抵海ェ。」とある。 ・-雖:…ではあるが。けれども。いえども。 *〔主語+雖+用言…,…〕の形をとることが多い。
※身似病蛙不耐奔:身は病気のカエルのように、駆けることに耐えられない。 ・蛙:カエル。前出・陸游詩で「身似鳴蛙」と出たため。 ・不耐:持ちこたえられない、意。 ・奔:〔ほん;ben1○〕駆ける。速く走る。
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◎ 構成について
韻式は、「AAA」。韻脚は「微飛薔」で、平水韻上平五微。この作品の平仄は、次の通り。
○○○●●○○,(韻)
○●○○●●○。(韻)
○○●●○○●,
○●●○●●○。(韻)
令和元.11.14 11.15 |
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