守居園池雜題・望雲樓 | |
北宋・文同 |
巴山樓之東,
秦嶺樓之北。
樓上卷簾時,
滿樓雲一色。
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園池に守居しての雜題 望雲樓
巴山 は 樓の東,
秦嶺 は 樓の北。
樓上 簾 を卷くの時,
樓に滿 つ 雲一色。
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◎ 私感註釈
※文同:北宋の文人。詩文・書画を善くした。天禧二年(1018年)〜元豐二年(1079年)。字は与可。号して笑笑先生、錦江道人。人は石室先生と呼んだ。梓州永泰(現・四川省綿陽市塩亭の東)の人。皇祐年間の進士。官は湖州の知州に至ったので世に「文湖州」と呼ばれた。竹の墨絵を得意とした。蘇軾の従兄。
※守居園池雑題 望雲楼:庭と池に居座り続けての(詩題の)いろいろ入り混じった作品群の一つである「望雲楼」。 *この詩に対して、蘇軾は和して『和文與可(文與可=文同)「洋川園池」・望雲樓』「陰晴朝暮幾囘新,已向虚空付此身。出本無心歸亦好,白雲還似望雲人。」がある。この詩、「樓」の語(字)を意図的に重ねて使った面白い詩なので、とりあげた。似た趣のものに晩唐・李商隱の『夜雨寄北』「君問歸期未有期,巴山夜雨漲秋池。何當共剪西窗燭,卻話巴山夜雨時。」や中唐・劉禹錫の『竹枝詞』の「楚水巴山江雨多,巴人能唱本ク歌。今朝北客思歸去,回入那披漉。」がある。 ・守居:ずっと居座り続ける。 ・園池:庭と池。 ・望雲楼:知州として洋州(現・陝西省洋県)に在任していた時の作で、任地の居宅内にあったたかどのの名。唐代に徳宗が行幸したところでもある。北宋・蘇軾もここの望雲楼を詠じた
※巴山楼之東:大巴山は、たかどのの東の方にあり。 ・巴山:〔はざん;Ba1shan1○○〕大巴山のこと。現・陝西省の漢中盆地から四川省四川盆地にかけての省境にある大巴山(白帝城の北・80キロメートルのところ)。また、現・四川省通江県にある山の名。また、巴(は)(四川東部から東北部)の地方の山。『中国歴史地図集』第五冊 隋・唐・五代十国時期(中国地図出版社)52−53ページ「唐 山南東道 山南西道」には巴山は無い。『中国歴史地図集』第六冊 宋・遼・金時期(中国地図出版社)29−30ページ「北宋 成都府路 梓州路 利州路 夔州(きしう)路」にも巴州はあるが、巴山は無い。晩唐・李商隱 『夜雨寄北』「君問歸期未有期,巴山夜雨漲秋池。何當共剪西窗燭,卻話巴山夜雨時。」とあり、中唐・劉禹錫の『竹枝詞』の「楚水巴山江雨多,巴人能唱本ク歌。今朝北客思歸去,回入那披漉。」は、「巴の地方の山」の意。
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※秦嶺楼之北:秦嶺は、たかどのの北の方にある。 ・秦嶺:山脈名。長安の南側にあって、東西に横たわる大山脈。現・陝西省南部。終南山もこの山脈中にある。中唐・白居易の『初貶官過望秦嶺』に「草草辭家憂後事,遲遲去國問前途。望秦嶺上迴頭立,無限秋風吹白鬚。」とあり、中唐・韓愈の『左遷至藍關示姪孫湘』に「一封朝奏九重天,夕貶潮州路八千。欲爲聖明除弊事,肯將衰朽惜殘年。雲横秦嶺家何在,雪擁藍關馬不前。知汝遠來應有意,好收吾骨瘴江邊。」とある。
※楼上巻簾時:たかどのの上層階で、(窓の)カーテンを巻き上げれ(ば)。 ・楼上:たかどのの二階(上層階)。たかどのの上部。 ・巻簾:(窓の)カーテンを巻き上げる。
※満楼雲一色:たかどのいっぱいに、雲の一色(が満ちてきた)。 *盛唐・杜甫の『望嶽』に「岱宗夫如何,齊魯青未了。 造化鍾神秀,陰陽割昏曉。盪胸生曾雲,決眥入歸鳥。會當凌絶頂,一覽衆山小。」とある。
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◎ 構成について
韻式は、「aa」。韻脚は「北色」で、平水韻入声十三職。この作品の平仄は、次の通り。
○○○○○,
○●○○●。(韻)
○●●○○,
●○○●●。(韻)
2012.5.25 5.26 5.27完 2014.6. 6補 |
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