西湖竹枝歌 | |
楊維楨 |
勸郞莫上南高峯,
勸儂莫上北高峯。
南高峯雲北高雨,
雲雨相催愁殺儂。
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西湖竹枝歌
郞 に勸 む上 る莫 れ南高峯 ,
儂 に勸 む上 る莫 れ北高峯 。
南高峯 は 雲北高 は 雨,
雲雨 相 ひ催 して儂 を愁殺 す。
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◎ 私感註釈
※楊維楨:〔やうゐてい;Yang2 Wei2zhen1〕元末の文学者。1296年~1370年。維楨とは、楨(もと)を維(つなぎとめ)る意。字は廉夫。号は、はじめ梅花道人、また鉄崖、東維子、鉄笛道人、抱遺老人等。会稽(現・浙江省諸曁)の人。官は建徳路総管推官に至る。元末文壇の領袖で、一代の詩宗とされ、大きな影響力を持った。その楽府は李賀に学び、その艶冶な詩体は鉄崖体と呼ばれた。詩を論じて気の趨くままを強調し、「詩品は人品に異なるなし」とした。音楽・詞曲に精通し、南戯の曲調に改良を加えて「崑山腔」を作った。著書に『東維子文集』、『鉄崖先生古楽府』がある(中国歴史文化事典)。
※西湖竹枝歌:西湖の風情(ふぜい)を民謡風に歌った歌。西湖の風光を詠いながら、男女関係を詠い込んだもの。 ・西湖:〔せいこ;Xi1hu2○○〕浙江省杭州にある湖。後出・蘇堤のあるところ。 ・竹枝歌:竹枝詞のことで、蜀(や各地各地)の風俗、人情を詠じた民謡・民歌のこと。竹枝詞とは、民間の歌謡のことで、千余年前に、楚(四川東部(=巴)・湖北西部)に興った歌といわれる。唐代、それらを採録し、修正したものが劉禹錫や、白居易によって広められた。形式上は七言絶句に似ているが、(文字で表すことを旨とした詩ではなく、)声に出して歌う歌なので、(七言絶句に比べ、繰り返しの表現もあり)リズミカルで歯切れがよい詩歌。(表現を換えれば、伝統的な七言絶句に比べて俗っぽく、格調高くはない。)今に至るも、世に「○○竹枝」として広く詠われる(○○は地名)。
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※勸郎莫上南高峰:あなた(=男性)に、南高峰に登らないようにおすすめします。 ・勸:〔かん;quan4●〕勧告する。説得する。忠告する。いさめる。(人物)に…をすすめる。 ・郎:〔らう;lang2○〕彼。あの人。男。主人。夫。女性側から男性をいう言葉。中唐・劉禹錫の『竹枝』に中唐・劉禹錫の『竹枝』に「楊柳靑靑江水平,聞郞江上唱歌聲。東邊日出西邊雨,道是無晴却有晴。」とあり、同じく劉禹錫の『竹枝』に「山桃紅花滿上頭,蜀江春水拍山流。花紅易衰似郞意,水流無限似儂愁。」とある。 ・莫:なかれ。禁止を表す語。 ・上:のぼる。あがる。動詞。 ・南高峰:西湖の南側の高い山。南屏山。現代の杭州・西湖岸の南南西(「花港観魚」の岸側で、于謙の墓の奥)2キロメートルの位置に(千人洞のある)「南高峰」という名称の山がある(2006年版『杭州詳図』『浙江図』の二種の地図)が、この名称の起源や時期は不明。
※勸儂莫上北高峰:わたしも北高峰に登らないようにしようと思います。また、あなた(=男性)に、北高峰にも登らないようにおすすめします。 *「勸郎莫上南高峰,勸儂莫上北高峰」のように、竹枝詞で同一聯の上句・下句で繰り返しのようにするのに、中唐・劉禹錫『竹枝』「白帝城頭春草生,折鹽山下蜀江淸。南人上來歌一曲, 北人莫上動鄕情。」がある。 ・儂:〔どう、のう;nong2○〕人称代詞。詩詞では、あたし。わたし。われ。女性の自称。「我」の俗称。また、あなた。『呉方言詞典』(呉連生等著 漢語大詞典出版1995年新華路200号)289ページには「1.我。清・翟灝《通俗編》卷十八:“《樂府》子夜等歌,用儂字特多,若‘郞來就儂喜,郞喚儂底爲’之類。案呉俗自稱我儂,指他人亦曰渠儂。……《…》註:‘呉人率自稱曰儂。同我。…。2.你。…」とあり、同様に、『簡明呉方言詞典』(閔家驥等著 上海辞書出版社1986年上海)174ページには「[noŋ13]代詞。1.你。……。2.舊時蘇州等地中老年婦女稱“我”爲“儂”。…」とある。これらの呉方言辞典」の内容を要約すると「基本的には『わたし』の意であるが、『あなた』の意の場合もある」ということ。一般に詩詞では、あたい。あたし。わたし。われ、といった女性の自称。「我」の俗称とする。船中曲 清・呉嘉紀 儂是船中生, 郞是船中長。 同心苦亦甘,弄篙復蕩槳。」とある。 ・北高峰:西湖の北側の高い山。鳳凰山。現代の杭州・西湖岸(「双峰挿雲」の)西北西4キロメートルの位置に(テレビアンテナや天下第一財神廟のある)「北高峰」という名称の山がある(2006年版『杭州詳図』『浙江図』の二種の地図)が、この名称の起源や時期は不明。 ・勸儂:わたしは…ようと思う。また、あなたにおすすめする。この「勸儂」の部分を「勸郞」とする場合がある。竹枝詞にはよくあるタイプで、「勸郞」としても「勸儂」としても、意味は同じ「勸你」の意とする。
※南高峰雲北高雨:南高峰は雲で(満ちており)、北高峰は雨(で満ちており、)(そのため)。 *「南高峰雲北高雨」は句中の対で「南高峰・雲」「北高・雨」。「南高峰雲北高雨」の句での「雲」や「雨」の意が動詞(=「くもが出る」「あめふる」)ならば、「南高峰雲北高雨」は「南高峰は雲・北高は雨」となる。「雲」や「雨」の意が名詞(=「くも」「あめ」)ならば、「南高峰雲北高雨」は「南高峰の雲・北高の雨」となる。「雨」:〔う;yu3●〕名詞で、〔う;yu4●〕動詞と、区別される。
※雲雨相催愁殺儂:(南高峰の雲と北高峰の雨とが一緒になると)雲雨(うんう)の情(=男女の交情)が起こってきて、わたしを困らせることとなる。また、「雲雨」は無情であってわたしを悲しませるのだ。(「『雲雨』無晴」の意で、「『雲雨』は無情」のこと)。 ・雲雨:雲と雨のことだが、男女間の情愛、交情を暗示して謂う。楚の襄王が高唐に遊び、夢で巫山の神女と契った時、神女は朝は巫山の雲となり夕べには雨になると言った故事に基づく。宋玉『高唐賦』によると、楚の襄王と宋玉が雲夢の台に遊び、高唐の観を望んだところ、雲気(雲というよりも濃い水蒸気のガスに近いもの)があったので、宋玉は「朝雲」と言った。襄王がそのわけを尋ねると、宋玉は「昔者先王嘗游高唐,怠而晝寢,夢見一婦人…去而辭曰:妾在巫山之陽,高丘之阻,旦爲朝雲,暮爲行雨,朝朝暮暮,陽臺之下。」(巫山の北に住んで、朝には朝雲となり、夕暮には雨となると称する女性に昼寝の夢の中で会い、契りを結んだ)という「巫山之夢」に基づく。因る。李白の『清平調』「一枝紅艷露凝香,雲雨巫山枉斷腸。借問漢宮誰得似,可憐飛燕倚新粧。」や、同・李白の『襄陽歌』「此江若變作春酒,壘麹便築糟丘臺。千金駿馬換小妾,笑坐雕鞍歌落梅。車旁側挂一壺酒,鳳笙龍管行相催。咸陽市中歎黄犬,何如月下傾金罍。君不見晉朝羊公一片石,龜頭剥落生莓苔。涙亦不能爲之墮,心亦不能爲之哀。清風朗月不用一錢買,玉山自倒非人推。舒州杓,力士鐺。李白與爾同死生,襄王雲雨今安在,江水東流猿夜聲。」や、劉希夷(劉廷芝)の『公子行』「天津橋下陽春水,天津橋上繁華子。馬聲廻合青雲外,人影搖動綠波裏。綠波蕩漾玉爲砂,青雲離披錦作霞。可憐楊柳傷心樹,可憐桃李斷腸花。此日遨遊邀美女,此時歌舞入娼家。娼家美女鬱金香,飛去飛來公子傍。的的珠簾白日映,娥娥玉顏紅粉妝。花際裴回雙蛺蝶,池邊顧歩兩鴛鴦。傾國傾城漢武帝,爲雲爲雨楚襄王。古來容光人所羨,況復今日遙相見。願作輕羅著細腰,願爲明鏡分嬌面。與君相向轉相親,與君雙棲共一身。願作貞松千歳古,誰論芳槿一朝新。百年同謝西山日,千秋萬古北邙塵。」 とある。また、「『雲雨』無晴」の意で、「『雲雨』は無情」のこと。中唐・劉禹錫の『竹枝』に「楊柳靑靑江水平,聞郞江上唱歌聲。東邊日出西邊雨,道是無晴却有晴。」とある。 ・相催:うながしてくる。 ・催:〔さい;cui1○〕うながす。もよおす。せきたてる。 ・愁殺:〔しうさつ(しうさい);chou2sha1○●〕悲しませる。「-殺」は強調の助字。
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◎ 構成について
韻式は、「AAA」。韻脚は「峯峯儂」で、平水韻上平二冬。韻字の「峯」や「儂」が何度も出てくるが、この作品は絶句ではなくて、竹枝詞ゆえのもの。この作品の平仄は、次の通り。
●○●●○○○,(韻)
●○●●●○○。(韻)
○○○○●○●,
○●○○○●○。(韻)
2011.1.24 1.25 |
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