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帝駕幸新豐湯泉宮獻詩三首之一 | |
上官婉兒 |
三冬季月景隆年,
萬乘觀風出灞川。
遙看電躍龍爲馬,
囘矚霜原玉作田。
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帝 新豐湯泉宮に駕幸す 獻詩三首之一
三冬の季月 隆なる年を 景ぎ,
萬乘 風を觀んと 灞川を出づ。
遙かに看る 電躍するは 龍を 馬と爲し,
囘矚すれば 霜原 玉を 田と作す。
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◎ 私感註釈
※上官婉兒:〔じゃうくゎん・ゑんじ;ShàngguānWǎn'ér〕「上官」は複姓の一。664年(麟徳元年)~710年(景龍四年/唐隆元年/景雲元年)。唐代の女官。唐・中宗の時、昭容の職位に就く。陝州陝県(現・河南省)の人。上官儀の孫で才媛。後に、政変のため殺された。『中国大百科全書 中国文学Ⅱ』693ページには「Shangguan Wan'er」と載っている。(蛇足になるが、中国映画『武則天』では、則天武后は上官婉兒を「ShàngguānWǎr」と呼んでいた)。)
※帝駕幸新豐湯泉宮獻詩三首之一:天子が新豊の温泉宮に行幸された際に献上した詩。全三首あってこれはその一。 ・帝:詩の序でも「景龍三年十二月十二日,中宗皇帝 …」とあるように景龍三年(709年)は則天武后の没後四年めで帝とは、中宗皇帝のこと。 ・駕幸:天子が行幸する。 ・新豐:地名。長安の東30キロメートルのところで、驪山の麓、華清宮のあるところ。『中国歴史地図集』第五冊 隋・唐・五代十国時期(中国地図出版社)40-41ページ「唐 京畿道 関内道」にある。唐・王維の『少年行』「新豐美酒斗十千,咸陽遊侠多少年。相逢意氣爲君飮,繋馬高樓垂柳邊。」や白居易の『新豐折臂翁』に「新豐老翁八十八,頭鬢眉鬚皆似雪。玄孫扶向店前行,左臂憑肩右臂折。問翁臂折來幾年,兼問致折何因縁。翁云貫屬新豐縣,生逢聖代無征戰。慣聽梨園歌管聲,不識旗槍與弓箭。無何天寶大徴兵,戸有三丁點一丁。點得驅將何處去,五月萬里雲南行。聞道雲南有瀘水,椒花落時瘴煙起。大軍徒渉水如湯,未過十人二三死。村南村北哭聲哀,兒別爺孃夫別妻。皆云前後征蠻者,千萬人行無一廻。是時翁年二十四,兵部牒中有名字。夜深不敢使人知,偸將大石槌折臂。張弓簸旗倶不堪,從茲始免征雲南。骨碎筋傷非不苦,且圖揀退歸鄕土。此臂折來六十年,一肢雖廢一身全。至今風雨陰寒夜,直到天明痛不眠。痛不眠,終不悔,且喜老身今獨在。不然當時瀘水頭,身死魂孤骨不收。應作雲南望鄕鬼,萬人冢上哭
。老人言,君聽取,君不聞開元宰相宋開府,不賞邊功防黷武。又不聞天寶宰相楊國忠,欲求恩幸立邊功。邊功未立生人怨,請問新豐折臂翁。」
宋・陸游の『桃源憶故人』題華山圖「中原當日三川震,關輔回頭煨燼。涙盡兩河征鎭,日望中興運。 秋風霜滿靑靑鬢,老却新豐英俊。雲外華山千仞,依舊無人問。」
と使う。 ・湯泉宮:新豊は、驪山の麓で、玄宗の時華清宮が建てられた。華清宮/華清池
。
※三冬季月景隆年:冬の三ヶ月の最後の月である十二月の(この詩で頌え揚げるような)盛んな年を仰ぎ慕う(=寿(ことほ)ぐ、祝う)=景隆年(景龍三年)に。 ・三冬:冬の三ヶ月。初冬(=孟冬。陰暦十月)・仲冬(陰暦十一月)・季冬(陰暦十二月)。 ・季月:一年の最後の月。十二月のこと。また、四季の終わりの月。ここでは、十二月を指す。 ・景:仰ぐ。慕う。めでたい。 ・景隆:〔けいりゅう;jing3long2●○〕盛んなさまをめでたく思う意と、元号「景龍」〔けいりゅう(りょう);Jing3long2●○〕とのかけことば。「景龍」は、中宗の景龍元年(707年9月~)~景龍四年(710年5月)の実質三年間。詩の序でも「景龍三年十二月十二日,中宗皇帝駕新豐温泉宮」とあり、年号は正確に記されており、書き間違いや誤植ではなく、かけことばであることが分かる(写真:右)。この詩は全て対句で構成されており、「三冬季月景隆年,萬乘觀風出灞川。」は「三冬の季月隆なる年を景ぎ,萬乘風を觀みんと灞川を出いづ。」と「三冬の季月景隆の年, 萬乘風を觀みんと灞川 を出いづ。」とも謂える。対句は読み下しも対にすべきだが、掛詞のある場合は難しいものがある。(蛇足になるが、現代の日本人の感覚からすると、元号を使ってかけことばをし、更にそれを天子に献げるという感覚は、理解できない。上官婉兒は、それが許される位置にいた、というのがよく分かる象徴的な詩作。)
三冬季月景隆年, 萬乘觀風出灞川。
※萬乘觀風出灞川:天子が諸国の風俗を観察するために、灞水(はすい)を東に渡った。 ・萬乘:天子を謂う。「一天萬乘」の君。周代の制で、天子は戦時に兵車万乗を有したところから謂う。上官婉兒の『九月九日上幸慈恩寺登浮圖群臣上菊花壽酒』に「帝里重陽節,香園萬乘來。卻邪萸入佩,獻壽菊傳杯。塔類承天湧,門疑待佛開。睿詞懸日月,長得仰昭回。」とある。 ・觀風:風俗を観察する。諸国の政令の善悪を見る。 ・灞川:〔はせん;Ba4chua1●○〕灞水(はすゐ;Ba4shui3)のこと。押韻のため、「-川」とした。陝西省に源を発し、長安附近を流れて、渭水(ゐすゐ=いすい)に注ぐ。前出・『中国歴史地図集』第五冊 隋・唐・五代十国時期(中国地図出版社)40-41ページ「唐 京畿道 関内道」にある。
※遙看電躍龍爲馬:遥か遠くに見える、(天子一行の)極めて速く進むさまは、龍を馬として使っているからで。 ・遙看:遥か遠くに見る。 ・電躍:極めて速く進む。 ・龍爲馬:龍を馬として使う。
※回矚霜原玉作田:来た(西の)方をふり返って見つめてみると、霜が降りた原野は、宝玉を田圃に敷きつめている(かのようである)。 ・回矚:〔くゎいしょく;hui2zhu3○●〕ふり返って注視する。 ・霜原:霜が降りた原野。 ・玉作田:宝玉を田圃に(敷きつめて)いる。ここも対句なので、
の部分は、「遙かに看る 電躍 龍を馬と爲なし,囘矚すれば 霜原 玉を田と作なす。」を、「遙かに看れば 電躍 龍を馬と爲なし,囘りて矚れば 霜原 玉を田と作なす。」とする方がよいか。
遙看電躍龍爲馬 回矚霜原玉作田
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◎ 構成について
韻式は、「AAA」。韻脚は「年川田」で、平水韻下平一先。この作品の平仄は、次の通り。
○○●●●○○,(韻)
●○○○●●○。(韻)
○◎●●○○●,
○●○○●●○。(韻)
2008.12.14 12.15 |
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