Bobby Vinton International Fan Club of Japan newsletter: Bobby, number 21 |
All time memorable hits〜あの曲〜
My heart belongs to only
you/Warm & tender(Epic 5-9662)('64)
(F.Daniels-D.Daniels)Arr.& cond. by Stan Applebaum, Prod. by
Bob Morgan
最高位 9位 邦題:ブルーハート
ビートルズが破竹の勢いで米国のヒットパレードに君臨しても相変わらず高い人気を保っていたボビー。
このナンバーはLP”There I've said it again"の中でも、できがよくすでにDJの間では発売前からオンエアー
されていた。’64年3月22日ボビーはこの曲をひっさげてエドサリバンショウに出演。チャートでは翌週の3・29と4.4に第9位まで上昇した。オリジナルはBetty
McLaurinという女性歌手の録音だがJune Christy盤がヒットパレードに登場した。”君は僕の魂の歌さ。どうしてメロディーが老いてしまうものか。僕はずっと自分の心を君だけに
捧げるものであることを知っている。”といった内容の熱烈な愛のバラード。ボビーのボーカルは説得力に富みこの時期の傑作と言える。裏面の“ウオームアンドテンダー”は自作曲でこちらも好唱である。
From the Billboard magazine, Hot 100, Apr. 4, 1964 1
Can't buy me love/Beatles |
Bobby and his rivals〜~ボビーと好敵手たち〜
Gene Pitney(1941・02・17〜)
ジーンはコネティカット州ハートフォードの出身。1959年からレコーディングをはじめソングライターとして
"He's a rebel""Rubber ball""Hello Mary
Lou"など発表しながら自身のヒットレコードも数多く1961年の
"I wanna love my life away"や"Town without
pity"('61)"Liberty Balance('62)"Only love can
break a heart('62)"
"It hurts to be in love('64)""I'm gonna be
strong('64)""Last chance to turn
around("65)""She's a heartbreaker
('68)"など60年代を通じてコンスタントヒットさせ計34曲のヒットレコードをチャートインさせた。レーベルはMusicorで
カントリーウエスタンやカンツオーネなど幅広いレコーディングでファンを楽しませた。当初からイギリスを筆頭に
ヨーロッパで高い評価を得て,本国以上の歓迎をうけていて現在でもツアーを敢行し大きな反響をえている。
日本でも“ルイジアナママ”をはじめ“リバティバランスを射った男”などオールディーズとして人気が高い。
ボビーは1977年に"Only love can break a heart"を1982年には"It
hurts to be in love"を録音するなど彼との関わりは深い。
CDs by Gene Pitney
More greatest hits/Varese VSD5569('95)
Many sides of/Only love can break a heart _Seque NEM CD 888('98)
Being together/Country side of_Sequel NEM CD 892('98)
Sings Bacharach/Today_ Sequel NEM CD 896('98)
Just for you/World wide winners_Sequel NEM CD889('99)
Italiano/Nessuno mi puo giudicare NEM CD894('98)
Blue Gene/Meets the fair young ladies NEM CD890('96)
Young warm & wonderful/Just one smile NEM CD895('97)
Golden greats/This is NEM CD897('98)
Great recordings/Tomato R2 71732('95) 2CD set
コンサートリポート
ショウの後,楽屋には10数名のファンと会話を交わしたボビー。気取りのないスターらしくない、近所の
知り合いというような雰囲気でボビーは次のコンサート会場レイクタホーに向かった。さてこの時期ここラスベガスには他にシカゴ、ヴィッキーカー、エバリーブラザースなどがヘッドライナーショウを持っていたことを
付け加えておこう。もうひとつ今回このホテルで判明したことがある。ボビーが’73年に発表した"If
that's all I can"のオリジナルがフランスのJean-Francois
Michaelの"Adieu Jolie Candy"であること。
というのは、コンサートの前にフレンチポップスが流されていれ確認してわかった次第。ボビー盤とは異なった魅力を放っていた。
Paris Hotel, Las Vegas |
コンサートプログラム (ショウタイム9:00−10:30PM)
オープニング、トウナイト
涙の紅バラ
パロマブランカ
ヒットメドレー: ブルーオンブルー,涙のくちづけ、テルミーホワイ、こんなに愛して
いるのに
ブルーファイアー
楽器演奏(ピアノ,サックス,トランペット,クラリネット)ハーレムノクターン、聖者の
行進、ラプソディインブルー
ポルカメドレー
アニバーサリーソング
ハーツ(ボビーアンドロビーヴィントン)
ミスターロンリー
メドレー: 生命をかけて、さらばふるさと、アイルランドの瞳、ハバナギラ
サンライズサンセット,悲しき天使(ボビー,ロビーアンドジェニファーヴィントン)
ブルーベルベット
オールディズメドレー: スプリッシュスプラッシュ、レッツツイストアゲイン,ハウンドドッグ
クライング
グレンミラーメドレー(楽器演奏)
愛のメロディー
クロージング
All time great albums〜この1枚〜
Serenades of love/ABC ABCD 957('76)
Save your kisses for me, Lady of the house, Paloma blanca, Let me down easy, I cross my fingers, Moon- light serenades, Waltz medley, Jenny, Elise, Penny, Lemondrops, lollipops,& sunbeams, Another without you day 日本盤 ABC YX8052(’76) 愛のセレナーデ 制作: ボブ・モーガン |
ABCレコードにおけるボビーの第4作目のアルバム。日本ではここから“パロマブランカ”がシングルカットされ
ヒットした。アメリカでは“想い出のラストキッス””ムーンライトセレナーデ”がシングル発売されイージーリスニング
部門で大きな成功をおさめている。アル・キャップス、アーニーフリーマン、ジョーレイスマンなどのアレンジャーが
ボビーのボーカルをうまくサポートしている。“心のジェニー”ではバラードにおける深みのある表情がでているし、
テンポのある曲でもリズム感よく乗って歌いこなして、この時期におけるベスト作品といえる。アルバムチャートにランクされずに終わってしまったのはあまりプロモートされなかったからであろう。この時期の録音は現在、ボビー自身の管理下にありMCA系列からリリースされるlことはボビーが許可しない限りありえない。それだけに貴重な作品と言える。
ニューリリース
CD
涙の紅バラ、ミスターロンリー、ブルーファイアー ブルーベルベット、涙のくちづけ、ブルーオンブルー いつまでも愛して、テルミーホワイ、ブルーハート こんなに愛してしるのに、愛はいつまでも、 カミングホームソルジャー、二人の青い鳥、 虹のパラダイス、涙の太陽、愛のメロディー 全16曲 二人の青い鳥のみモノラル録音 |
|
Best of Bobby Vinton | SMSP AS27260('99) |
Albums from around the world〜世界の珍しいアルバムから〜
ミスターロンリー、ブルーベルベット、ブルーオンブルー いつまでも愛して、涙のサテンピロウ、砂遊びした頃 涙の紅バラ、涙のくちづけ、こんなに愛しているのに、 逢ったとたんに一目ぼれ、虹のパラダイス、二人の 青い鳥、愛はいつまでも、心の痛み |
|
Gold Disk | Epic ECPN21('74) 日本 |
これまで世界で発表されたアルバムのなかでも豪華な装丁でファンを十分
納得させるディスクでシリーズで発売されたうちの1枚。発売当時残念ながら
セールスはそれほど伸びなかったそうでいまでも中古市場でもなかなか入手
が困難となってしまっている。見開きの写真、対訳付きの歌詞,選曲などどれを
とっても素晴らしい。不満を探すなら、曲数が14と少ない事。ヒット曲、名唱の
数からいって不十分な数だろう。過日,米国の友人にこのLPを送った際にも,大変感謝
されて珍ずらしがっていた。“心の痛み”はここで初めて日本で紹介された。
何はともあれファンならこのアルバムは持っているだけで価値となるだろう。
編集後記
会報Web版で登場しました。ご意見お寄せください。
3月に初めてボビーのラスベガスでのショウに接することができた。ショウの後,楽屋では10数名のファンが
ボビーとの会話を楽しんだ。このホームペイジにも目を通していてくれて”Great”と一声かけてくれたし、
“僕のショウを見るためにわざわざ日本からきてくれたファンクラブの代表をご紹介します。”とその場でアナウンス
されたのには驚いた。アメリカのファンクラブの代表、これまでにボビーのショウを1000回以上見ているという男性もいてわずか10数分の出来事だったが、いまでも鮮明に蘇ってくるこの上ない幸福なひとときだった。
テレビで放映中のA&E biographyにボビーがこの5月に登場する予定で、ボビーは楽しみにしている様子だった。あとは日本公演を実現させることが残された課題だろう。ボビー自身は乗気だがあとは日本のプロモーター
との交渉次第だが来年の夏まではすでに米国国内での日程が決まっているようだ。
戸惑いもありましたが,今回の会報楽しんでいただけましたか?次回までビッグニュースをお待ちください。
Bobby Vinton International Fan Club of Japan, newsletter, no.
21
(c) Joji Tsukada 塚田譲治
20010410発行