勝負は勝たなきゃ意味が無い!
2002.10.8
「参加することに意義がある」って言葉、誰でも知ってるよね。確かに聞こえのいい説得力のある言葉だと思う。
だけどね、勝負って勝たなきゃ意味が無いと思うのよ。よし、やるぞ!っていう気持ちを持つって言う事気合もね!
あれは私が中学2年生の時だった。私は卓球部のレギュラーだった。小さな大会から勝ち進んで県大会に出場出来る事になり、みんな必死で練習していた。
そんなある日の夜、事件は起こった。
父がうんざりした様子で近くの中学校の英語の先生の家から帰ってきた。おかえりなさいと言う前に、「お前の部活の先生は・・・」と話し始めた。
父の話によると、どうもその県大会の事から話がこじれたようだ。英語のN先生と談笑していたら、卓球部の顧問のT先生が来て3人で飲みながら話していたらしい。
父が「県大会に行くんだったら、絶対優勝してきてくださいよ。」って言ったらT先生が「参加することに意義があるんです。出場出来るだけでいいじゃないですか。」と。そしたらN先生が「参加する事ももちろん大事だが、勝つという気持ちも無きゃ駄目だぞ。」
その上、父が「勝負に行くんだったら、優勝を目指すのは当たり前のことですよ。わざわざ負けに行く人なんて居ない。」ときりかえしたもんだから、T先生むきになって「貴方は間違ってる。勝ち負けにそんなにこだわったら生徒の指導は出来ません。」とか何とか言ったようだ。
そこで父は「別にそんないに勝ち負けにこだわってる訳じゃない。やるんだったら、勝つぞ!って言う気持ちで一生懸命やればいいじゃないか。じゃ、何で毎日毎日、夜遅くまであんなに練習してるんだ!勝ちたいからじゃないのか。そんないいかげんな事だったらもう、娘に練習はさせん!」と・・・
そしたら、いきなりT先生に衿をつかまれて、小柄な父は宙に浮いたそうだ。・・・結局、N先生(柔道部顧問)が大外狩りかなんかで投げ飛ばし、「君は何て事をするんだ!自分の意見が通らないと暴力に走るのか。いくら立派な事を言っても行動が伴なっていなきゃいかん。」 そして、父にN先生が申し訳ないと謝ったそうだ。
父も剣道はかなりの腕前だったが、そんなことで手をかけられるとは思ってもみなかったようだ。武道は喧嘩に使うものじゃないが、N先生が助けてくれなかったら大怪我したかもしれん・・・なんてぼそっと言っていた。
父は何でも一番ということが大好きだった。走るのも、成績も、その他いろいろ。私と弟はいつもそんな父に叱咤されながら育ったんだと思う。
「2番なんていらない。2番はビリと一緒だ。勝つということは、それだけ素晴らしい事なんだ。経験したものでしか解らん!」などと言いながら「勉強しろ。」とは言わなかった。
父に言わせると、勉強は学校でするものなのだそうだ。実際、家で勉強するといい顔をしなかったので、授業中は必死だった。おかげで集中力だけは人一倍育ったような気がする。(苦笑)
まあ、そんな父の影響を多々受けつつ大きくなり、父の言った一番の意味も良く解ったつもりだ。
私は思う。
勝負はやっぱり勝たなきゃね!
勝って初めて勝利の気分も味わえるし、やってきた事にも満足出きる。
仮に、負けたとしてもそれまでのいろいろな努力の積み重ねは、ある日突然違う意味の勝利となって自分に戻ってくると思う。それは、各々感じる所が違うのでどんなものだか分からない。しかし、努力した事は必ず結果となって出てくるのだ。
何でも目標を持って、勝つという気持ちでやらなきゃ駄目だよね。参加するだけじゃつまらない。どうせやるならとことんやって、爽やかな汗を流したい。
人間やる気があれば大抵の事は出来る。勝とうと思う気持ちが強ければ強いほど辛抱強くなれる。努力出来る。勝負するって事は、ある意味自分との戦いなんだよ。自分に負けたらおしまい・・・・・
だから、やっぱり 勝負は勝たなきゃ意味が無い!なんだよね!
親父さんの大勝負!
あれは私が高校生の最後の年だったと思う。
爽やかな秋晴れの日も暮れかかる頃、一人の年配の男性が訪ねてきた。
家にみんな居たので日曜日だったんだろう。玄関に出た私は、あれ知ってる人だ・・誰だったけと思いつつ座敷に通した。
「K原です。おとうさんはいらっしゃいますか。」
あ、とすぐに分かった。昔うちに仕事に来ていた人だ。「お久しぶりです。京子です。お元気そうですね。」
「いや〜、京子ちゃん、大きくなったね。」などと挨拶を交わし父を呼びに行った。
私がかなり幼かった頃、毎日のように仕事が終わると夕飯を終えて父がいなくなる。怖い父が家に居ないというのはある意味嬉しくもあったが、寂しくもあった。
毎日何してるんだろう・・・と子供心に疑ってみたりもしたが皆目見当がつかなかった。
確か2年くらい続いたと思う。
大きくなったある日、ふっと思い出し母に聞いた。聞いて驚いたね。
K原さんはお酒が好きで毎日かなり飲んでいたらしく、ついに強度のアルコール中毒になったらしい。奥さんにも子供にも逃げられて一人で酒に溺れる毎日。もう、どうにでもなれと自暴自棄になり、殆ど素面になることも無くすごしていたようだ。田舎の事、時代も時代だし、専門医なんていない。
父がK原さんと、どういう経緯で知り合ったか忘れたが、その事を知った父は、これは何とかしなきゃと思ったそうだ。母に話して、K原さんの家に通うことにしたらしい。そこで何をしたのか、何があったのかは詳しい事は分からない。たまに父がかすり傷程度の傷をつけてくることはあったが・・・・
思えば、中毒症を治すのにきっと二人とも必死だったのだろう。2年と一口に言ってしまえばそれだけだが、かなり長い。2年も一人の他人のために自分の時間を裂き、毎日のように説得に行けるものなのか・・・私には出来ない。どうやってアルコール中毒を治したんだろう。
確か、私が小学校の頃、K原さんはうちで暫らく働いて大阪に引っ越していった。あれは中毒が治ってからだったんだろう。
お茶を運んでいくと、「あの時、旦那さんに助けてもらってなかったら今の私はありません。お蔭様で人間として再出発し、今は元気にやっております。」と深々と頭をたれるK原さんの姿を見た。
「いやいや、あれは私の力じゃないですよ。K原さんが死ぬ思いで頑張ったから今があるんですよ。」と父は目を細めて言っていた。
ねえ、これって凄い勝負じゃない?!父とK原さんの。
私が父を尊敬しているのはこういう やると決めたらとことんやるって思う気持ちとやり遂げるパワーを持った人だったからなんだよね。
結局、父は自分に負けなかった。自分に負けたらK原さんもあの後どうなっていたか分からないし、父は自己嫌悪に陥ってその後何かが違っていたかもしれない。
親父さんもK原さんも自分自身に勝ったんだよ!凄いね〜!
私は上京してしまったので会えなかったが、その後、毎年大阪から一年に一回は必ず父に会いに来ていたそうな。
「これは私の旦那さんに対する感謝と、自分が生きている事の証なんです。」と。
きっと、K原さんて人間的に素晴らしい人だったんだなと思う。アルコール・・・怖いね。どんなにいい人でも・・・・
気をつけなきゃね。