故きを温ねて新しきを知れば以って師たるべし-論語

第一回「三國志」


−参考文献−

「三国志」全4巻 吉川英治
マンガ「三国志」全60巻 横山光輝
「三国志の人物学」 守屋洋
「<三国志の謎>徹底検証」 加来耕三
「司馬仲達」 松本一男
「人間三国志軍師の采配」 集英社
「中国五千年」上下2巻 陳舜臣
「読切り三国志」 井波律子
「三国志縦横談」 丘振声
「諸葛孔明」上下2巻 陳舜臣
「三国志と人間学」 安岡正篤
「反三国志」 周大荒
歴史と旅「三国志英雄伝」 秋田書店
歴史と旅「治乱興亡三国志」 秋田書店
歴史読本ワールド「諸葛孔明の謎」 人物往来社
歴史読本「三国志諸葛孔明の戦い」 人物往来社
歴史読本ワールド「三国志の謎」 人物往来社
歴史群像「三国志」上下2巻 学研



日本で流布している「三国志」の殆どは、羅貫中の「三国志演義」を参考にしている、吉川英治の
「三国志」もそうである。私も色々読んでしまった関係で、正史と、演義が一緒になってしまった。
ただ、よく知られている「桃園の義」は、正史には無く現在の歴史資料の中には、見当たらないら
しい。ただ、三人の関係と性格をよくあらわしており、この後の歴史的事実を理解しやすくしてい
るように、おもう。
 三国志と言えば、曹操と劉備であるがこの二人本当に対照的である。劉備は、「情の人」、曹操は、
「冷酷の人」が定着している。が曹操ほど人材を欲した人物も少ない、人物としては、三国志の中
で一番魅力的かもしれないと思っている。魅力的だからこそあれだけの人材があつまったのだろう、
軍師としては、たしかに劉備には、諸葛孔明がいるが、曹操には、荀イク、荀攸、賈ク、程c、司馬
仲達がおり曹操を助けている。

 さて、漢と言う時代は前漢約204年、後漢約195年でおよそ400年続いた。中国史上もっとも
長い、宋が約319年、唐が約289年、清が約279年、明が約268年(ちなみ春秋約366年、
戦国時代が約182年、実際は解らないが周が約366年)。日本では、平安時代が約400年続いて
いる。

 長く続いた漢も後漢中期には、幼弱な皇帝が相次いで即位し、皇后の一族(外戚)が権力を握ってい
た。そして皇帝側に一番近い存在、宦官が皇帝の意を体して外戚と対立するようになる、この宦官
勢力も最初は良かったのだが権力を握ると権力を乱用するようになる。
外戚と宦官の権力闘争は、後漢末まで続き、こうした状況を憂えた勢力が中小豪族出身の知識人「清
流」とよばれる人々だった。漢の正規のルールで官僚となったかれらは、外戚、宦官を「濁流」と呼び
非難した。しかし、こうした運動は、やはり、宦官勢力の反発を招き、「第一次党錮の獄」といわれる
大弾圧を受けた。さらに、169年第二次党錮事件がおき、「清流派」数百余人が処刑され、数百人が
追放された。
 これにより、宦官勢力が宮廷を席巻し張譲(チョウジョウ)を筆頭に「宦官十人組」をつくりやりたい放題であった。曹操の父曹嵩が一億銭で大尉の位を得たのも、この頃のことである。
皇帝の霊帝も政治を省みず、全て宦官にまかせっきりであった。それに加え、連年の災害によって
農民は、大飢饉に見舞われ社会不安が増大していった。こうした状況下で民衆の中に勢力を広げっていったのが、太平道と言う宗教であった。
 指導者の張角(チョウカク)は、「大賢良師」と自称し、各地に弟子を派遣して教えを広めた。またたくまに
信徒数がふえ「蒼天すでに死す 黄天立つべし 歳、甲子にあり 天下大いに吉」を旗印に一斉蜂起し
ようとしたが、決起を前に計画が発覚。宮中での加担者をはじめ信徒数千人が処刑された、張角は即
刻各地に蜂起を命じる。決起した農民が頭に黄色い布を巻いて目印にしたため、「黄巾軍」と呼ばれ
た。
官軍は、当初なす事も無く敗北していたが、張角が病死してしまった事もあり黄巾軍は壊滅。
しかし、完全に消滅することはなく、農民反乱は各地に発生した。
黄巾討伐で、劉備がとりたてて戦功をあげた訳ではない、曹操とて勝利をおさめてはいるが大したこと
はない。しかし、黄巾討伐に挙兵した功績により、劉備は中山群安喜県の警察署長に任命されている
(中国では群が県より上の単位である)しかし、劉備は、すぐに辞めてしまう。

宮廷では、黄巾軍が平定されるとまた宦官と外戚の対立が激化する。霊帝には二人の皇子がおり、
一人は何皇后が生んだ弁(何皇后の兄は、大将軍の何進)と、王美人の生んだ協であるが、死期を
悟った霊帝は協を、宦官で上軍校尉のケンセキ(字が出ない)に託した。これにより、宦官のケンセキ
と外戚の何進との対立が深まった。この対立により最初外戚にケンセキが処刑され、つぎに宦官に
何進が斬られてしまい、この騒動のあと西北の前将軍董卓が宮中の実権をにぎってしまう。


歴史年表(三国時代)
中国
人物
日本
世界
107
後漢105〜106年頃「蔡倫」紙を発明 倭国王帥升(すいしよう)
が後漢に奴隷を献じる
ローマ帝国全盛
118キリスト教徒迫害
155
後漢
曹操沛国に生まれる。
エジプト暴動
156
後漢
孫堅、呉群富春県に生まれる。
ガンダーラ美術興隆
161
後漢劉備生まれる。
162
後漢関羽この頃生まれる。(張飛?)
パルチア、ローマに対し
宣戦布告
166
後漢党錮の獄
ローマ皇帝マルクス=アウレリウスの
使者、漢に来る。
パルチア戦争ローマの勝利。
ペスト大流行。
172
後漢魯粛生まれる。

174
後漢諸葛瑾生まれる。

175
後漢孫策産まれる。

181
後漢諸葛亮産まれる。

182
後漢孫権産まれる184年頃倭国大乱が続く
187
後漢張角挙兵、(黄巾の乱)。

189
後漢董卓、献帝を起てる。
ローマで天然痘大流行
192後漢呂布董卓を殺す
ローマ皇帝コンモドゥス暗殺
200後漢官渡の戦い(曹操対袁紹)

207後漢劉備,孔明を軍師とする
200年頃大乗仏教大成
208後漢 曹操丞相
劉表没。劉備,曹操に襲撃され
るが長阪で張飛の活躍により
何とか逃亡。趙雲、劉備の子
を助け、武勇を絶賛される。
この年112月、孫権、劉備
と協力して赤壁に曹操を破る

209後漢劉備、孫権の妹を娶る

213後漢曹操魏公となる。

214後漢




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