ハードボイルド未満

 

東京からは少し離れた一地方都市。深夜に近い時間帯ということもあり、すでに人通りのなくなった商店街を二つの足音が走り続けていた。そして、少し遅れて何人分かの足音。そして時折、こんな静かな夜には不似合いな拳銃の発射音が響く。

「だから、おまえの頼みを聞くのは嫌だったんだ。いつも変な騒ぎに巻き込まれるんだから」

二つの足音のうちのひとつの主が切れ切れに隣へ文句を言った。

「なんだよ、これってば、みんな俺のせいかよ?」

「少なくとも、俺のせいじゃねぇ」

走る足だけは緩めずにそんな言葉を交わす。まだ拳銃の射程圏内には入っていないらしい。しかしその音は、追われるものにとってはかなりの恐怖になる。その上、この土地が追われるものにとっては不案内だったりすれば、尚更だ。

「大体あっちばっか撃ってんのってずるくねぇ?俺にも拳銃渡せ!」

声を出せば息苦しくなるのはわかっていた。けれども、そうでもしなくては恐怖が同じように呼吸を邪魔してしまいそうで、そんな無駄口を叩く。隣も同じようで、すぐさま言葉を返してきた。

「撃てるのか?」

「いや」

「木村、おまえ私立探偵だろ?撃ててもいいんじゃねぇ?」

「ばか、日本の私立探偵にそんな権限はねぇよ。それよか、中居、ミステリー作家なんだし、ハワイとかで射撃ツアーなんて参加してねぇ?」

「してねぇよ」

「残念」

そう言いながら、木村と呼ばれた男は、となりを走る中居と呼ばれた男の様子をうかがう。どちらかと言えば短距離向きの中居は、すでにかなり苦しげだ。

「中居、大丈夫?」

「・・・・あぁ、けど、これだけの騒ぎになってんのに、どうして警察は出て来ねぇんだよっ!」

「いや、何か遠くにサイレン聞こえてきた」

問題は自分たちが撃たれるのが早いか、警察が駆け付けるのが早いかと言うことだ。実際にはほとんど撃ったことがないのだろう、追っての射撃の腕は余りよいとは思われなかった。けれども、だからといって絶対に当たらないと言う保証はどこにもない。

「中居、この先だけど、飛び込むぞ?」

「えっ?」

「昼間見ただろ?川!!ちょっと汚かったけど、深さはかなりあったから」

冗談じゃないと中居は思う。中居は自他共に認めるプロ野球ファンだ。それでも、古くは阪神ファンの道頓堀への、近くはダイエーファンの那珂川への飛び込みだけは、信じられないと思っていたのだ。どんにハイテンションだったとしても、あんな町中の綺麗とは言い難い川なんかには飛び込みたくなんてない。けれど、追ってくる足音は有無を言わせなかった。発射音に少し遅れて、頬を灼くようにかすった熱に木村は改めてぞっとし、中居を促した。

「いい?」

「よくねぇっ!」

言いながらも中居は木村と共に橋から川へと飛び込んだ。そしてそのまま潜って流れを下っていく。銃弾が川面にいくつかの輪のような痕を残して、撃ちこれる。息が苦しくなって無意識に浮かび上がろうとする中居を木村が引きずり下ろす。もう少し川下まで行かなくては、橋から狙われるのは間違いないと思われた。

息苦しさで、ぐわんぐわんと鳴り続ける頭を抱えながら、繰り返し中居は思う。

「だからこいつの頼みなんか聞きたくなかったんだ」

 

「なぁ、中居、ちょっと手伝ってくんねぇ?」

「いやだ」

高校入試で前後の席に座って以来の腐れ縁、今では亡き祖父の探偵事務所を引き継いだ私立探偵、木村拓哉がいつものごとく中居のマンションにやってきたのは一週間前のことだった。呑気そうな顔をした木村の訪問に中居は不機嫌な声で応えた。大体あまり人気のない事務所で、せいぜい持ち込まれる仕事と言ったって、浮気調査だの、迷子の犬猫探しだの、その程度だ。なのに、何故か木村の仕事を手伝うと妙な事件に巻き込まれることが多くて。中居にとって、木村の手伝いというのは最近では最大級の鬼門になっていた。それに大体時期が悪い。

「・・・・やだって、・・・・なんだよ、冷たくねぇ?」

「次の締め切りまで10日しかねぇんだ、おまえに付き合ってる暇なんかねぇよ」

「大変じゃん、人気作家さんは」

いたって人ごとと言った様子で(確かにそれは事実に違いなかったけれど)、木村は言い、

「そんなに時間とらないし、弱小貧乏事務所のこと、助けて?」

と、上目遣いに中居を見つめた。

「あのなぁ、ほとんど書けてねぇの。やばいの」

中居は最近人気のでてきたミステリー作家だ。その人気は、まだ仕事を選べるほどではなくて、だからどうしてもかなり忙しい毎日を送ってしまうことになる。

「今度の話ってどんなの?」

「交換殺人。一見、まったく接点のなかった二人がお互いの相手を取り替えて殺すわけ」

「ふぅん、それで?」

「・・・・それだけ」

「はぁ?」

「ほとんど書けてねぇ、っつたろ?大体まったく接点のなかった二人、がどんなことで接点ができたのかすら浮かんでねぇんだよっ!!」

中居は大きく溜め息をついた。

「じゃさ、それのアイディア出したら、手伝ってもらえる?」

「え?・・・・まぁアイディアにもよるけどな」

「うんとね・・・・」

木村はテーブルの上の中居のパソコンを指さした。

「ネットで知り合ったって言うのはどう?」

「ネット?」

「そう、インターネットのとあるサイトで知り合った、なんてどう?」

どう?と言われても、中居自身はあまりネットに詳しくはない。それを告げると木村は驚いたように中居を見た。

「えーーっ、じゃあ、パソコン何につかってんの?」

「原稿と、原稿を送るためのメール」

そのメールだって、本当に原稿がぎりぎりになってしまった時の非常手段としてしか、使われてはいない。中居には、インターネットというのはどうにも向いていないと言うか、肌に合わないと言う気がする。

「勿体ねぇ。こんな最新型のノートなのに」

木村はもう一度パソコンに視線をやり、心底残念そうに言った。

「じゃあさ、ネットのこと色々教えてやるから、その代わりに俺のこと手伝って?」

にっこりと笑って首を傾げる木村に凶悪なものを感じながら、それでも中居は首を縦に振った。背に腹は代えられない。そんな言葉がふと中居の頭に浮かんだ。

そして、その時感じた中居の嫌な予感は、多分間違いではなかった。

80000人突破記念に続く・・・・