コラム 3 −脱・ブランクダイバー−
(1)ブランクダイバー/ペーパーダイバーができるわけ
高い器材をそろえても10本程度でダイビング人生が終わる。こういう人が余りに多い。
しかし、そこまで気合を入れて買ったはずの道具。終わらせてしまうのには訳がなくてはならない。
ところが、その理由は実際てんこ盛りなのである。
・一人では出来ない
たとえダイブポイントを熟知していたとしても、決して一人での潜水は出来ない。二人以上という制約が、付きまとってしまう。
・海が近くないと、現地まで向かうのが結構骨。
9時前後現地集合というパターンが多い。もちろん昼からも可能だが、帰りの大渋滞で疲労度倍増。
・季節要因!
当たり前だが、わざわざ寒い時期に海には浸かりにいかない(ドライスーツがあるにはあるがこれが高い)。夏限定の趣味にしては高すぎる。
・とにかくお金がかかる
器材のメンテナンス/消耗品の買い替え/現地までの交通費・・・。普通の趣味より数倍お金がかかる。しかもたいていは物が残らない。
・晴れでも出来ない?!
海況次第ではピーカンの空模様でもダイビング中止となることも。たまの日曜日にそんなことばかり続いたら…。せっかくの予定もパー。
・目的を途中で見失う
「何がしたいのか」が分からなくなっていく。かくいう私も休止期間中はこの状態。ほとんどの初心者はこの状態からフェードアウトしていくと見られる。
・いやな思い出がよぎる
「中性浮力が出来ない」「ボート上で船酔いする」「イントラにおんぶに抱っこ」…恥ずかしさとつらさでいやになってしまう。
・「面白い」と思えなくなる
「目的がなくなる」のとほぼ同じ。海の生物との一期一会を「楽しみ」と考えられない。また、イントラ/ガイドがそれを伝えようとしないことも原因か?
・・・・・・・・・・・・。
うーむ。こんなにネガティブな要素満載。これではダイビングはただの苦行以外の何者でもない(しかもガイドさんにお金を払ってまで!!)。
人間はつらいことや苦しいことからは逃避するように出来ている。立ち向かうことがストレスになるからである。
つまり、初心者のうちは、何をするのもストレスになってしまうのである。これだから、長続きしないのである。
(2)目的を見出すために・・・ダイビングとどう向き合うか?
ダイビングは、非日常を体験できる反面、「なくても支障ない」趣味とも言える。
この、「なくても支障ない」ということが、丘に上がってしまうレジャーダイバーを海から遠ざけてしまう。
実際、趣味として入り口に立った初心者ダイバーが必ず通るのが「ブランク」「スランプ」という時期である。
そして残念なことに、大半のダイバー諸氏は、それらを克服することなく、ダイビング人生を終えてしまう。
それは無理からぬことなのである。なぜならば、「目的」を見出せていないからである。
ではブランク期間をおかない何か方法はあるのだろうか?
実は簡単である。「毎年1回は潜ればいい」のである。
1回でいい、といったのには理由がある。「また行きたくなるから」である。
つまり、回数を重ねるうちに、目的というものは見つかっていくものなのである。
たとえば中性浮力という、一番のダイビングの基本中の基本と言える技術の取得も回数こそが教科書である。
1回潜ることによって、できないところや不完全なところを見つけ出す。このことだけで、目的ができるわけである。
つまりは「行けばよい」のである。
何かしたくて行くのも必要だろうが、「行く」ことを第一義の目的にするダイビングもあっていいと思う。
(3)目的を見出すために・・・ショップ/イントラの役割を考える
目的を見失うダイバーが、結果的にダイビングをやめてしまうことについて書いた。
とはいえ、その責任の一端は、実はショップやインストラクターがわにもあるのである。
どうしてか?ショップ/イントラ側が「この人にとって何が重要なのか」をヒヤリングしないからである。
もっと端的な言葉で言えば「コミュニケーション不足」がダイバーの向上心を削いでしまっているのだ。
であるならば、ショップやイントラは、来てくれたダイバーたちに話しかけるべきである。
ただのゲスト、一ダイバーという見方を捨てて、積極的に話を聞くべきである。
よくよく考えると、海中でのコミュニケーションツールとしてのスレートは、イントラからの一方通行。
こちらはうんうんうなづく程度。これでコミュニケーションが成立していると勘違いされがちである。
そう。陸に上がってからの会話こそ、今までイントラ/ショップがなおざりにしてきている部分なのだ。
そしてここでの会話こそが来てくれたダイバーに新たな目標や目的を作り出すトリガーになりえるのである。
潜ってしまえば終わり、人付き合いもそこそこでは、せっかくの貴重な体験も効果半減である。
(4)初心者に続けてもらうための店側の施策
せっかくCカードを所得しても、それ以降潜っていない、だからカード所得のために使った器材をオークションに出品、という方を多く見かける。
彼らにとって器材は「買わされた」モノでしかなく、カード所得のための道具と割り切って考えないと納得できないのであろう。
実は、器材購入を猛烈に勧める店の考え方は「器材買ったのだからがんがん潜りにいきましょう」と生徒である客に刷り込ませることも含んでいる。
しかし、その器材購入が大きな負担になっている事を店は知らない(そんなはずはないが方針なので知らん振りをする)。まさに逆効果である。
であるから、私は常々、器材をそろえて講習開始、は趣味の入り口としては余りほめられた手法ではないといい続けている。
むしろ、「買わせる」事以外にも店やイントラたちがしなければいけないことは山ほどあると思うのである。
私は、初心者に対するアフターケアこそ店/イントラ/ガイドのなすべき仕事だと思っている。
海の良さ・すばらしさを知ってこの業界に入っているのだから
そのことを伝播できる/その資格があるのは彼らを置いて他にはいないからである。
どの店も資格を取らせることに傾注するばかりにこのことをおろそかにしがちである。むしろ手が回らないというのが本来のところだろう。
初心者は、自分のことで精一杯。実際に潜ると海の良さより、自分のふがいなさのほうが先に立ってしまう。カードを手にしたとしても
「これでいいや」と目的達成したと思い込んでしまう。結局カード所得以降潜らない「ペーパーダイバー」だけが増加してしまう。
これこそが、業界のパイが増えない(むしろ減少している)要因だと考えている。
初心者ダイバーに続けてもらうには、店側の不断の努力が必要だと思う。極論すれば、店側が招待してでもつなぎとめるくらいの気概が必要である。
なんとなれば、海の良さを分かる=周りが見えるようになる のは少なくとも10本過ぎたあたりから。人によっては20本は必要になってくるはずである。
そこまでにやめてしまう人が余りに多い。たとえ趣味が自由意志だといっても「もうこねーよ」という人ばかりを量産するのは具合が悪い。
招待が無理なら、料金半額やレンタル無料くらいの出血はあってもいい。いや、むしろ将来の良客つくりにこれくらいは必要経費だろう。
つまり「潜る本数を安価に提供する」ということだけで「海のすばらしさを知る」レベルに近づけることが可能になり、その人はダイビングを趣味として捕らえられるようになる。
こういうシステムを採用しているお店こそ、「未来の趣味人」を育てようとしていることの現われである。なかなか無いんですがね。
(5)『料金の違い』を意識する必要
世の中、余り景気が良くない。かといって趣味を我慢することは難しい…。そうなると出費を抑えることが肝要になる。
ここでは、「都市型ショップvs現地サービス」の料金比較を考え、どちらがとくかを明らかにしたい。
まず、現地サービスを利用する場合。車両は自己所有と仮定すると、
総額出費 = 現地サービス利用料 + 往復のガソリン代/有料道路代
となる。レンタカー利用の場合はその利用料金もプラスされる。
これが都市型ショップとなると、いわゆる「送迎込み料金」として計算される。ここが味噌なのである。
高速料金の休日定額割引がなくなった今、その状況はどう変わったのか?再度計算してみたい。
なお、ETC割引を考慮するとかなり面倒くさいので、高速料金はいわゆる正札価格で計算したい。
定額料金制でなくなったため行き辛くなった徳島・牟岐行きの、神戸市内のショップでの料金比較である。
まず、ツアー価格は23000円。往復の高速料金は、5200×2=10400円。残りは12600円で、明らかに赤字覚悟のツアーといえる。
個人で向かうとすると、高速料金に加えガソリン代、ダイビングフィーが必要。軽く3万円近くかかってしまう。レンタカーが要るのなら4万円程度もかかってしまう。
そう!価格設定のミスに付け込んだ今がお買い得なのであるww本来ならば29000円前後が適正価格だと思うのだが…
では高速料金があまりかからないところならどうだろうか?同じショップが出している価格で確認。
香住を選んだとすると、高速料金はどんなにかかっても片道2000円。23000円のうちの高速代4000円を差っぴくと19000円。ウン。これなら少しは利益が出そうである。
一方個人予約の場合、2ボートとして15000+4000+ガソリン代 となると23000円に少し足が出るくらいでさほど変わらない。
たまたま『間違い探し』みたいになってしまったが、牟岐ツアーの価格の安さは交通費などを勘案しても飛びぬけている。
もちろんETCによる料金減額がないと厳しいわけ(土日半額を利用しているからこの価格がでる)だが、それでもかなりの価格であることは間違いない。
意外や意外、ショップもがんばっているのである。
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