第1 本件の争点
 1 本件の概要
 本件は、新聞記者が自己のホームページで、記者や新聞社の在り方を具体的に論じたことにより、取材源を明らかにしたことが会社の編集方針に反したなどの理由で、2週間の出勤停止処分と、それに続く懲罰的配転を受け、退職に追い込まれたことにつき、処分の取消と未払い賃金の支払い、慰謝料の支払いを求めているものである。

 2 言論の自由に関する主要な争点
 本書面では、会社が処分の理由とした点を逐一批判し、処分理由がないことを明らかにするが、本件では、以下のような言論の自由の根幹に関わる事項が問題とされている。

 1.会社が個人のホームページ作成を規制することの可否
 2.新聞記者の自社批判の自由の有無
 3.取材源の秘匿とは何か
 4.新聞社がなすべき情報公開
 本件では、元新聞労連委員長で現在「サンデー毎日」編集長である北村肇氏、読売新聞社記者で活発なマスコミ批判を行っている山口正紀氏、元共同通信社記者で現在同志社大学教授である浅野健一氏による実体験と本件の証拠を踏まえた貴重な意見書が提出されているので、主要な点を引用した。


第2 処分に至る経過
 1 原告がホームページを作るに至った事情
 (1)ホームページ作成の動機
 原告は、慶応義塾大学総合政策学部出身であるが、同学部では大学教育の一環として学生全員に電子メールアドレスとホームページ(以下HPと略記する)を持たせ、電子メールを使ってレポートの提出をさせたり、HPを通じて情報を発信させるなどの指導を行っていた。電子メールやHPなどがまだ世間一般に認知されていない当時としては画期的な試みのもと、慶応義塾大学総合政策学部に所属する学生達は、情報発信とコミュニケーションの手段として電子メールやHPを使いこなしていたのであり、原告もその一人である(原告本人尋問調書(以下「原告本人」と略記)1頁、甲23号証・浅野意見書16頁)。
 このように、原告は学生時代よりHPを作成し、大学に提出したレポートや書評、旅行記、日記等を掲載し、これらのHPを通じて友人や教授と意見交換をするなど、表現活動及び情報交換の手段としてHPを利用していた。原告にとって、HPや電子メールは、通常の会話や電話、手紙と同じように情報交換及びコミュニケーションの手段であり、自己表現の場としては、それ以上の手段であった。
 原告は、1996年4月に被告会社に入社した後も、自己のHPを通じて表現活動及び情報交換を続けた。特に、原告の配属先は被告会社の西部支社(福岡)であったため、学生時代の友人はおろか同期すら周囲にいない職場環境であり、加えて新聞記者という職業上勤務時間は極めて不規則にならざるをえず、原告にとって、HPは友人や同僚とのコミュニケーション及び自己表現のための有効かつ唯一の手段であった。
 そして、原告のHPの内容としては、仕事に携わる時間が多くなるにつれ、必然的に仕事の感想・批判等が増えていったのである(以上、原告本人2〜4頁)。
 (2)原告のHPの内容
 原告は、2回目に問題とされた1999年1月時点でA4に換算して441頁もの文章をHPに掲載していた。旅行記(文書数31、ページ数74)、書評(文書数42、ページ数157)等様々な文章が掲載されていた。この時点でも、仕事とは関係のないものが半分以上を占めていたのである(原告本人4頁、甲17号証の1)。
 最初に問題とされた時点では、仕事とは無関係のものが占める比率はさらに高かった(原告本人5頁)。

 2 HP閉鎖命令に至る経過
 1997年4月頃、原告の学生時代の指導教授である草野厚教授が「週刊朝日」の記者に原告の「メディア批判活動」を話したため、「週刊朝日」1997年5月2日号に原告のHPが紹介された(乙3号証)。西部支社守屋林司編集部長(以下「守屋部長」という)は原告を直ちに呼び出し、会社の許可なく週刊誌の取材に応じたことを問題とし、「つながらないようにしろ」とHPの全面閉鎖を命じた(原告本人5頁、甲17号証の2、118頁、乙7号証の2、守屋証言17頁)。
 守屋部長は、この際、原告がHP上で会社批判、取材先や取材過程などの取材活動を記載した点を抽象的に批判した。これに対し、原告は、何が問題なのか具体的に指摘してほしい、部分的に削除の上掲載することも考える、と提案した。守屋部長はこれを拒絶し、個人のHPの全面閉鎖を命令した(原告本人6〜7頁)。
 守屋部長自身も、原告を最初に呼びつけたときはまだ原告のHPを入手していなかったこと(守屋証言14頁)、その後指摘した際もプリントされたものを示し具体的に指摘したのではなく、あくまで頭の中で考えていることを言っただけであることを認めている(守屋証言15頁)。仮に、この時点で、どの文章がどのように問題かという議論が具体的にあったならば、原告はその場でも当然反論したであろうし、その指摘された問題点及び反論を詳細に自己の文章として残し、後にHP等に掲載していたであろう。
 原告にとって、前述の通りHPは自己表現及びコミュニケーションのための大切な手段であり、このような個人の表現活動を会社によって禁じられることは、重大な市民権の制限であり大変不当であると感じた。しかし、守屋部長は、「私の言うことを聞かないならば、2年後の君の人事異動で支援できない。」などと述べたため(原告本人7頁。守屋部長も、証言16頁で「異動先について」、「いろんな行動・・話をしなければならない」、とHPを閉鎖しなければ、そのことを異動の際に不利な事情として話すという趣旨のことを述べたことを認めている。)、原告としては、「言論の自由を侵害している、何なら良いのか、明確な基準を会社として作って欲しい。」と基準の作成及びHPの再開条件を明らかにすることを要請した上でHPを閉鎖した(原告本人7〜9頁)。原告がこのような条件を呈示したことは、乙25号証、26号証さらに守屋証言16頁からも明らかである。
 さらに、守屋部長は、原告がHPを閉鎖する際に「閉鎖中です」という文字及び連絡先としての原告のメールアドレスを画面上に出したことに際し、再度このような文言の抹消を命じ、「まったくつながらない状態にしろ」と強制した(原告本人9頁、甲17号証の2、122頁、乙9、10号証参照。これは当時メーリングリストに載せたものである。乙28号証・守屋陳述書3頁)。

 3 HP全面閉鎖後からHP再開まで
 原告は、基準・規則に基づかない会社のHP閉鎖命令を不当と考えていたが、上記のような経過で、人事権を使って脅されたため、いわば基準を作るまでの暫定的処置としてやむをえずHPを閉鎖した。
 もちろん、自己がHP上で問題にしていた「記者クラブ制度」や「取材のあり方」「新聞社のあり方」等に対する問題意識は持ち続けており、社内において部長やデスクには常に疑問をぶつけ、研修でも編集局長に意見を出していた(甲17号証の2、150頁「研修の感想」等)。
 しかし、社内における議論の場は決して多くなく、原告の問いかける問題に対するデスクや部長の反応は決して満足できるものではなかった(甲17号証の2、239頁等)。原告としては社内同期の友人や更には広く社外の友人に対し問題を提起し、自己の意見を表明し、議論をしたいと考えたが、HPの作成を禁じられていたため、そのような表現活動をも禁止されたに等しい状態であった。
 そこで、原告は守屋部長に対し、人事面接の時などに「いつになったらHPを再開できるか」「何なら良いのか」と尋ねたが、「黙って仕事をしていればよい」というだけで、議論の経過も今後の見通しさえも示されなかった(原告本人10頁、乙25、26号証)。
 ちなみに、原告は、通常業務を人並み以上にこなしており、守屋部長も原告の業務成果等について、「平均的な評価」「AかABかどちらか」という評価であったことを認めている(守屋証言12頁)。
 このような状況が1年余り続き、原告にとっては、これ以上待っても進展はないと感じられた。そして、原告は会社が個人の表現の自由を踏みにじる姿勢に憤りを感じ、1998年5月にHPを再開した。
 守屋部長は、原告が最初にHPを閉鎖する際に述べた「HPのルールを作って欲しい」という要望を、現場レベルで隠蔽し、本社人事部に上げていなかった。佐々証人は、HP規程の制定を担当したが、西部支社からそのような要望があったことはなく、原告が規程の作成を求めていたことも知らなかったと証言している(佐々証言12頁)。

 4 HP続行から発覚までの間について
 1999年1月中旬頃、会社は原告がHPを再開したことに気づいた。守屋部長は再度全面閉鎖を命令した。この時も、閉鎖の理由、特にどの頁が具体的に問題か、何故問題かといった点についての具体的な説明は一切なかった(原告本人11頁)。
 原告は翌日より通常の記者業務からはずされた。
 1月13日に、守屋部長から反省文を書くように命じられたが、この際「事情聴取」と呼べるようなものはなかった。このとき書いた「反省と釈明」(乙25号証)には「すべてのネット上のファイルを撤去する」と記載されているが、これは「そのような内容にしないと受け付けないからな」といわれてやむなく記載したものである。同号証にあるように、原告は一貫して、表現の自由を一方的に侵害する行為に異を唱え、話し合いを求めて来たのであり、検討さえしない被告の不誠実で強権的な対応を批判していたのである。
 1月22日に、原告は守屋部長から「まだ消えていない」と言われたが、事情を聴かれるようなことはなかった。1月26日付の「誓約書」(乙26号証)についても守屋部長から書くように一方的に命じられただけであり、この際「事情聴取」はなかった。
 以上のように、会社は原告に対し具体的にHPの内容を指摘することなく、原告から十分に事情を聴取しないまま、再度HPの全面閉鎖を命令したのである。

 5 99年2月17日の事情聴取について
 (1)事実
 1999年2月17日午後から、所属部の守屋部長、編集局総務の丹羽某と法務室の森次長が原告を編集部の隣にある応接室へ呼び出した。
 この日に、初めてプリントアウトされた実物を見せながら口頭にてHPの具体的内容についての指摘がなされた。これに対しては、原告は、表現の自由を侵害する被告側の問題点を指摘した。しかし、丹羽らは原告に対し、「懲戒免職か依願退職の二者択一だ」として辞表を書くよう勧めた。原告が「懲戒免職だと脅して辞表を書かせるなんて、一方的押しつけだ。全くおかしい。」と主張したのに対し、丹羽らはあくまで辞表を書かせようとするやりとりが長時間続いた。退職を受け入れない原告に対し、丹羽らは、「上申書を書かないと懲戒免職だ」と書面の作成を強要し始めた。このような長時間の押し問答により、思考力が低下したこともあって、結局、原告は上申書を書くこととなった。
 ところが、守屋部長等は、原告が作成した「上申書」及び「顛末書」の内容を5、6回にも渡って添削し、結局原告の真意ではない社長宛「上申書」と、事件の経過を記した「顛末書」が作成された。乙30号証及び31号証は、守屋部長らが何回も添削した後に作成されたものであり、さらに添削されたうえで、乙第1、2号証が作成された。
 このような経過の後、原告が解放されたのは翌18日午前2時半頃であり、所要時間は12時間を超えていた。

 (2)被告の反論とその検討
 守屋部長らによるこのような長時間に渡る脅迫的・高圧的な態度について、会社は否定し、原告から弁明の時間を十分に取り「事情聴取」を行った、所要時間としては2時30分から7時30分までと、夕食をはさんで9時30分頃再開し0時過ぎに終了したと主張する(被告準備書面1)。
@ しかし、「事情聴取」の所要時間は、原告が2月17日の「事情聴取」の直後に書いた電子メール及び「機密文書」と題する文書においても明らかな通り、昼過ぎから始まり深夜2時半近くまでかかっていた(甲17号証、原告本人12頁、甲8号証の1、8号証の2)。
  甲8号証の1の友人宛電子メールは、「事情聴取」後に帰宅してから直ちに書いたものであるところ、その送信時刻は「18 Feb 1999 03:27:04」つまり翌18日午前3時半近くであるから、帰宅時間が午前3時過ぎになっていたこと、原告の当時の自宅が会社から車で20分程度であったことから、「事情聴取」の終了時間が午前2時半近くであったことが推認される。また、この電子メール(甲8号証の1)及び「機密文書」と題する文書(甲8号証の2)は、事情聴取の後に帰宅してから直ちに、つまり原告の記憶の新しいうちに書かれたものであるところ、甲8号証の1には「12時間ほど説教されたり顛末書と上申書(社長宛)を書いたり」とあり、甲8号証の2も、「こんなやりとりの繰り返しが12時間。解放されたのは深夜2時半でした」とあり、この程度の時間が費やされたことが認められる。
A また、同様に原告が事情聴取の直後に書いた文書は、原告に強く印象付けられた当日の出来事が何であるかを示している。「ひたすら辞表を書かせようと薦めてき」た、「懲戒免職か依願退社の2者択一になりそう」だったこと(甲8号証の1)、「君も辞表を書くべき」「2者択一になったらどうするんだ。懲戒免職と依願退職の」という脅迫・退職強要があったこと(甲8号証の2)は明らかである。守屋部長は陳述書において、2月17日の話し合いの中で、丹羽某らが「『懲戒解雇だってありうるぐらいのことはやっている』『会社の温情で依願退社になることもありうる』」と原告を説得したことを認めており(乙28号証7頁)、法廷でも、「退職してはどうかというような話」は出なかったか、という質問に対し、「その種の例示をする中でそういうことがあったかと思います」と退職勧奨した事実を認めている(守屋証言18頁)。
B 守屋部長は顛末書については「少し直すよう注文をつけた」、上申書については「3回ほど書き直し」た、と書き直しの回数を意図的に少なく陳述している(乙28号証)。しかし、会社自身、上申書を書き始めたのが6時頃で(準備書面1、7頁)(なお、正確には一連の書き直し作業が始まったのが6時頃である)、その後深夜過ぎまで時間を費やしたことを認めており(原告はこの間夕食すらとっていない)、新聞記者がA4やB5で1、2枚程度の文書を書くのにこのような時間が必要なはずはなく、原告の言うように5、6回、細かいものを含めれば10回以上の書き直し作業等がなされたことは明らかである。
 (3)評価
 以上のように、本件懲戒について、会社は原告に対し、十分な弁明の機会を与えていないどころか、守屋部長らは「懲戒免職か依願退職だ」と脅迫して原告に辞表を書かせようとし、辞表を書かない原告に対し、「上申書」等を何回も添削した上で作成させたのである。
 「会社側の3人と大学を出て3年目の記者である原告との力関係を想像したい。(中略)限られた空間で、たった一人で被告会社と対峙しなければいけなかった」のである(甲23号証・浅野意見書22頁)。
 このような経緯で作成させられた「上申書」「顛末書」が、原告の真意を表明したものではなく、上記のような応答が適正な弁明の聴取といえないことは言うまでもない。

 第3 懲戒処分
 1 処分の内容
 (1)上記の経過で、会社は1999年3月9日、原告に対し、同年3月10日から同月26日までの2週間の出勤停止処分を言い渡した(甲第1号証)。
 (2)会社は、出勤停止を理由に、原告の1999年3月分の賃金のうち、15万3118円及び1999年夏期一時金のうち、7万2044円を不払いとしたため、合計22万5162円が未払となっている(甲第3、4号証)。
 (3)処分の公表
 原告に対する処分は公表され、辞令という形で張り出された他、各部で月1回程度開かれる部会において、各従業員に「HP上で記載してはいけない内容のものを掲載したため」というような形で説明された(佐々証言15頁)。ある部会での説明状況については、甲第20号証に報告がある。ここでは部署・氏名は明らかにされなかったというが、社内ではすぐわかることである(原告本人16頁)。

 2 処分の理由
 (1)処分理由の不明確性
 会社は原告に対して、処分時には、原告の照会に対し就業規則の条項を示したものの、何がそれに当たるかという具体的な理由は明示しなかった。
 原告は、事情聴取時点で会社側が口頭で一方的に述べていた主張が処分理由になったものと理解していたが、訴状で記載したように、記者クラブ批判などが問題にされたものと思っていたなど、不明確なままであった。このため、原告は、在職中の1999年9月21日、被告に対し処分根拠を明らかにするよう求めた(甲10号証)。被告はこれに答えずに、上申書を付した回答書を送付したのみであった(甲第11号証)。
 会社が唯一処分根拠を記したものは、佐々人事部長作成の、原告の父親にあてた「渡邉正裕の懲戒処分についての通知」(乙24号証)である。この通知には、被告が本訴で主張していない「会社の業務または自己の職務を利用して私利をはからないこと」との理由が挙げられている。
 佐々証人によると、この意味は、「仕事上で知り得た技術や知識を喧伝することによって自己満足を得たり友達からの支援を受けること」が「私利」をはかることになるというのである(佐々証言13頁)。日経では、「オレはこんなスクープを取ったんだぞ」と飲み屋で友達に自慢すると懲戒理由になるらしい。本訴では、さすがにこのような馬鹿げた理由は外されている。逆にいえば、処分理由なるものがいかに一貫性のない、いい加減なものであったかが良くわかる。
 原告は、個人でプロバイダー料金を支払い、個人の責任で運営しているのである。本件で原告は、個人のHPで利益を得るなど私利を図った事実は全くない。

 (2)会社が本件訴訟で初めて明らかにした具体的な処分理由
 会社は準備書面1において、「原告はインターネット上の自らのホームページにおいて、取材上知り得た事実や会社に対する批判、会社の機密などを掲載して、上司の再三の注意にもかかわらず掲載を続行したのであって、これらの行為は就業規則71条1号『就業規則、あるいは付属規定に反し、または責任者の命に従わないとき』に該当する。」とした上で、具体的には、@「上司の再三の注意にもかかわらず自己のホームページ上へ掲載を続行した事実」が責任者の命に従わないとき(71条1号)に該当し、A特定のHP上の文章が就業規則33条1号2号、35条2号に該当するとしている。
 就業規則の該当項目は以下の通りである(甲2号証)。
「第十一章 処罰
  第七十一条 従業員が次の各号の一に該当する行為をした場合は、審査の上その軽重に応じ、けん責、減給、出勤停止、職務転換、役付きはく奪、解雇などの処分を行う。
      一、就業規則、あるいは付属規定に反し、または責任者の命に従わないとき
  第七十二条 前二条の処分は、次の方法によって行う。
      三、出勤停止は、けん責の上十四日以内で出勤を停止する。出勤停止期間中の賃金は支給しない。
 第五章 服務
  第三十三条 従業員は、特に次の各号を守らなければならない。
      一、会社の経営方針あるいは編集方針を害するような行為をしないこと
      二、会社の機密をもらさないこと
  第三十五条 従業員は、会社の秩序風紀を正しくよくしていくために次の各号を守らなければならない。
      二、流言してはならない。」
 会社は準備書面1において、各条項に当たるとするHP上の文章を列記している。以下、これらの処分根拠について、まず総論的に、ついで各論的に批判を加える。



第4 処分理由批判総論
 1 会社は個人のHP作成を規制できるか
 (1)原告にとってのHPの意味
 情報社会においてHP開設は重要な言論表現の1つである。原告にとってHPがいかに重要なコミュニケーション手段であったかは、第2、1に記載したとおりである。これを制約するには憲法上の権利を規制するに足りる合理性が必要とされる。

 (2)全面的閉鎖命令の違法性
    被告守屋部長は、原告に対しHP自体の全面閉鎖を二度にわたって命じたが、これは、コンテンツの内容を規制しうると仮定しても過剰な規制である。1999年1月の二度めの閉鎖命令の時点で、コンテンツは、文書数で441もあった。被告が本訴訟で指摘してきたのは18の文書のなかの一部の箇所だけである。実に全体の4%に過ぎない。残りの96%は、争いがないものであるにもかかわらず、削除を命じられている。しかも、原告がHPを開設した当時も本件処分時も社内規定さえなかったのであるから、かかる規制は私生活上の行為の規制として違法なものである。

 2 新聞記者の個人的意見公表の自由
 日本国憲法21条は次のように定めている。「@集会結社及び言論出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。A検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。」
 世界人権宣言(1948年12月・国連総会採択)19条はこう述べている。「すべて人は、意見及び表現の自由に対する権利を有する。この権利は、干渉を受けることなく自己の意見を持つ自由並びにあらゆる手段により、また、国境を越えると否とにかかわりなく、情報及び思想を求め、受け、及び伝える自由を含む。」
 「言論・表現の自由」は新聞社やメディアの独占物ではない。原告は新聞の発行を主たる業務とする被告に所属する者であったが、それをもって、被告が、被告以外のあらゆるメディアにおける原告の「自己の意見を伝える自由」(言論・表現の自由)を剥奪ないし制限する権利を有するという法的根拠はない。

 3 新聞記者の自社批判の自由
 事実に基づき自社の方針を批判するのは、当然の権利であり、公共性の高い新聞社は社内批判に寛容でなければならない(後掲山陽新聞社事件判決参照)。
 そもそも原告がHPで展開した内容は必ずしも「自社批判」とは言えない。確かに一部、上司などへの直接的批判はあるが、総じて言えば、現在マスコミが抱えている本質的な問題点を指摘しているものである(甲18号証の1・北村意見書3頁)。
 新聞記者がマス・メディアのあり方をテーマ・対象とした言論活動を行えば、当然自分の勤務する新聞社の報道も、批判的検証の対象に含まれる。また、それらの記事・論文・著書を書くにあたっては、自分自身の取材・報道体験や新聞社内での体験、新聞社内の実情に触れざるを得ないし、そうでなければ説得力がない。
 読売新聞社の山口正紀記者は、社外メディアで現在のマスコミのあり方を厳しく批判する活発な言論・表現活動を行っているが、読売新聞社はそれに関して、その中止を求めるような指示・命令または何らかの「処分」を行ったことはない(甲21号証3〜4頁)。浅野健一教授も、共同通信記者時代に約10年間、自分の名前を明らかにして「記者活動で知りえたことも含めて、メディアが抱える諸問題を論評してきた」が、「編集局幹部や直属の管理職に呼ばれて話し合ったことはあるが、一度の処分も受けなかった。始末書も書かされたこともない」(甲23号証・浅野意見書20頁)のである。それは、「言論・表現の自由」を自らの存立基盤とする新聞社・通信社として、当然かつ賢明な対応である。
 原告の論述は、山口正紀記者により「体験的メディア批判として、非常に鋭い指摘に満ち、かつ高い説得力をもった優れた論文集である。」と評価されている。「まず、誰よりも報道活動に携わる記者すべてに読んでほしいと思った。」「また、一般市民にとっては、日本のマス・メディアの抱えた問題点を知るための貴重な資料である。」ともされる(甲21号証4頁)。
 情報公開は、民主主義社会にとって不可欠であるが、それは新聞社も例外ではない。市民がマス・メディアの問題点や実態を知り、それに基づいてメディアの発信する情報に対する的確な判断力を持つことは、近年、日本でも重視されるようになった「メディア・リテラシー」(読者がメディア情報を読み解く力を高めること。菅谷明子『メディア・リテラシー』岩波新書2000年等参照)の向上に大きく資するはずである。それは記者の緊張感を高めてメディアが発する情報の質を高める役割を果たす。
 原告がHPに記載した内容の多くは、新聞記者の多くが知っており、またその理不尽さを実感している事柄である。それは、北村肇氏が「私が新聞労連委員長時代に作成した『新聞人の良心宣言』に照らし合わせても、原告の主張は的を射ている部分が多い」(甲18号証の1・北村意見書3頁)というものである。しかし、メディアの問題点について、何らかの批判的な見解を社外のメディアで公表する新聞記者は少ない。社内人事での不利益が予測されるからである。多くの記者が、そうしてマス・メディアの抱える病弊を知りながら口を閉ざしてきた。
 そんな中で、原告はあえてHPを開設し、自らの属する新聞社も含めてメディアに対する批判的かつ的確な提言を行ってきたのであり、これに加えられた処分を許すことは、内部からこうしたマスメディアの病弊を改善する機会を失わせることになり、公共の利益にも反する。法の許すところではない。

 4 HPをどうとらえるか
 (1)原告のHPの読者は限定されていた
 HPは確かに多数の人に情報を伝えうる可能性のあるメディアではあるが、実際にそれを読む人は限られている。インターネットの利用や技術は日進月歩であり、現在の検索エンジンの利用状況をもって3年以上前のことを判断することはできない。
 原告は1996年4月に日本経済新聞社に入社してからもHPを利用して、メディア現場で思うことを伝えていた。しかし、会社がこれに気がついたのは、1年以上後に「週刊朝日」1997年5月2日号に載ったときが初めてである。大学時代の友人とその周辺の限られた人たちしかHPも見ていなかったのであり、その後も実態は変わっていない。
 原告は一度閉鎖し、アドレスを変更して、98年5月にHPを再開したが、被告がHP再開に気づいたのは1999年1月6日だった。実に8カ月も気づかなかったのである。これは「HPでの発信はマスメディア報道とは次元が違う」(甲23号証・浅野意見書16頁)ことを端的に表している。被告は「隠れて」行ったとでも言うようであるが、逆に言えば、ひろく宣伝するようなものではなく、知人の間で、自分の考えを知らせたいという利用法だったのである。

 (2)実害はなかった
 原告のHPにより、会社に実際に「害」と認定され得る事実は一切、発生していないことについては争いがない。被告は、1999年9月に処分理由を尋ねた原告の質問状に対しても「害」について答えられなかった。

 5 これまでの裁判例の検討から
 (1)山陽新聞社事件
 山陽新聞社の労組が経営方針を批判するビラをまいたことを理由に組合役員が解雇された事件に関する広島高裁岡山支部昭和43年5月31日判決は、報道機関において会社の信用を害する内容のビラを配布してもその内容が労使関係に関し真実を伝える限り正当な組合活動といえるとして、解雇を無効とした。そこでは、「企業が公共的性格をもつ場合にはその営業方針は直接・間接に国民生活に影響を与えるものであり、その企業内事情を暴露することは公益に関する行為として、それが真実に基づくかぎり企業はこれを受忍すべきである」と判示されている(判例時報547号89頁)。
 組合が配布したビラには見出に「真実の報道を要求しよう」と書かれ、@ 経営者は(新聞作成上)「少々かなづかいがおかしくてもほっておけ」「読者へのサービスが低下してもいたしかたない、紙面もいいかげんでいいといっている」、A 百万都市推進の宣伝をくる日もくる日も気狂いのように続けている、B 記者の書いた原稿を書きなおし、白を黒にしたウソの報道をしたり、百万都市や一月大合併への皆さんの疑問や反対の声を正しく伝えることをこばんでいる、C 独占本位の三木県政のご用をうけたまわる広報紙になりさがつている、D 良心的な記者が不当な配転を押しつけられている、E 山陽新聞を兵営や刑務所のようにしようとするファッショ的な就業規則、などと記されていた。
 原告は、公共性の高い全国紙において、実態を改善すべく批判活動を行っていたものであって、書かれたことは真実である(被告も内容の真実性は争っていない)。原告の受けた処分は無効である。

 (2)三和銀行事件
 三和銀行事件判決(大阪地裁平成12年4月17日判決・労働判例790号44頁)は、都市銀行に勤務する組合員らが銀行における労基法違反の実態等を記した書籍を出版したことが、「故意又は重大な過失により銀行の信用を失墜し、または銀行に損害を及ぼしたとき」「銀行・役職・・に関する事実を歪曲して流布し、その名誉または信用を傷つけたとき、あるいはこれにより職場の秩序を乱したとき」「職員は銀行の信用と利益を保全する義務があるものとする」に当たるとしてなされた戒告処分を懲戒権の濫用で無効であるとした。
 形式的には懲戒事由に該当するとしても、主として労働条件の改善等を目的とする出版物については、当該事実が真実である場合、真実と信じる相当の理由がある場合、あるいは労働者の使用者に対する批判行為として正当な行為と評価されるものについてまでこれを懲戒の対象とするのは相当でないからである。
 判決は、出版物の内容(甲27号証に表紙と目次を掲げた)を詳細に検討し、要旨次のように述べる。
@原告らが差別があると信じたとしても相当の理由が有る。
A被告の経営理念や経営姿勢(運用によって労働強化につながると認定)の批判は、労働者の批判行為として正当である。
B被告の労務政策批判は正当である(サービス残業や男女差別自体は認定しないものの、時間外記入を妨げる事実、男女賃金資格の格差を認定。不当配転自体は認定しないものの、活動と関連性を一般的に否定できない時期のものについては不当な異動と信じても相当な理由が有る。)
C表現行為は、誹謗中傷とまでいえず、常套文句にすぎない。
 問題となる部分は僅かであり、大部分の記載は自ら体験した事実をもとに記載している。上記事実について会社の経営方針等に反対する活動を長年行ってきた原告なりの評価記載である。
 表現には「社畜」「人間の仮面をつけた鬼」といった不当な部分があることを併せ考慮しても、問題とすべき部分は僅かである(被告が問題とする217項目中の1割程度)。
 これらの判示は、本件を判断するにも参考になる。原告は、自らが体験した事実に基づいて、あるべき新聞のあり方を念頭に批判を加えている。その内容は真実であり、批判内容は、多くの新聞記者が感じていながら口に出せずにいるものである。
 また、被告が問題と認識した文書は、HPの全441文書のなかでマスコミを論じた3つのカテゴリー「新人記者の現場から」「ベンチャー記者の現場から」「経済記者の現場から」に属するが、これらは計87文書(99年1月時点)あった(甲17号証の1)。被告が問題としたのはこのなかの7文書、つまり8%程度のなかの更に一部の箇所である。被告が問題視しているその他11文書と合わせても全体の2割程度にすぎず、残りの8割は全く問題がないことになる。「被告が18の文書だけを取り上げて非難するのは、重箱の隅を突いたものであると言えるだろう」(甲23号証・浅野意見書15頁)との指摘通り、仮に一部の表現に過剰なものが見受けられると仮定しても、それをもって全体の意図や正当性、公共性を否定するのは間違いである。

 6 内部批判は果たしているか
 佐々証人は、その陳述書において、原告の批判活動は会社に隠れてなされた陰口の類だと酷評する。
 しかし、原告は、公私混同を改めさせるためデスクと論争したり(甲第17号証の2、239頁)、社内の研修の感想文でもHPでなしたような批判は直接に記載し、上部に伝わるよう努力もしている。これは佐々証人も認めざるを得ない事実である(佐々証言10頁)。
 会社は、このような原告の活動につき、誠実に対応しないばかりか、「態度が悪い」「ひどい内容だ」として、そのようなことをいわないよう指導するだけだったのである(守屋陳述書・乙第28号証4頁)。
 そもそも批判活動は内部だけでなさなければならないものではないが、「総じて言えば、現在マスコミが抱えている本質的な問題点を指摘しているもの」(甲18号証の1・北村意見書3頁)に対し、上司がこのように批判に全く耳を貸そうとしない中で、原告が対外的にも開かれている手段で批判活動を行ったとしても非難される点はない。むしろ、一般市民のメディアへの積極的参加を進める上でも、「メディアのなかで批判的な視点で仕事をして、社外に連帯を求める原告のような記者をつぶしていはいけない」(甲23号証・浅野意見書21頁)のである。

 

 第5 処分理由批判各論
 1 責任者の命に従わないとき
 被告は原告がHPを全面閉鎖しろという守屋部長の指示に従わずにHPを再開したことが、就業規則の「責任者の命に従わないとき」という条項に該当すると主張する。
 しかし、この規定に基づき、処分が許されるのは「責任者の命」が法律上有効な場合に限られるところ、守屋部長の命令は以下の理由により違法である。

 (1)HP閉鎖命令の違法性
    そもそも会社は個人がHPで言論活動を行うことを無制限に規制することはできないから、会社のHP閉鎖の業務命令は、憲法21条に反する不当・違法な命令であり、無効である(第2で詳論した)。
    被告が問題とするHPの文章は、現場の記者として、全てジャーナリズムの本質、新聞社のあり方などを問う正当な表現活動の一環として作成されたものである。そもそもこのような正当な言論活動を会社が禁止することは、表現の自由を侵すものとして違法である。
    仮に、個人の表現の自由も会社との関係で一定の制約を受けるという立場をとったとしても、それは必要最小限度におさえるべきことは当然である。ところが、本件では、守屋部長は、制限範囲を限定するどころか、このような原告の提案を拒絶さえしたのである(原告本人7頁)。

 (2)社内規定の不存在
    当時、会社には従業員の個人のHPを規制する「HPに関する規則」はなかった。会社は本件処分後である1999年9月に、「業務外のホームページ等に関する規定」を作成・施行した(甲7号証)。この規定の内容の合理性は問題であるが、これによって以前の行為を規制できないことは当然である。原告に対するHP閉鎖命令及びHP再開に対する再度の閉鎖命令は、このような明確な規定もない状況下におけるものであった。原告は守屋部長が「基準を作る」という条件に基づき閉鎖したが、1年以上たっても、会社はこのような基準を作らず、約束を反古にしていたためHPを再開したのであるから、HPの再開をとがめるのは不当である。

 2 会社の編集方針違反
 (1)被告の主張
 被告は、原告に対する処分理由の一つとして、「会社の編集方針違反」を挙げている。被告は、「準備書面1」11頁以下で、「オーナー企業」「社内的立場」の文章の一部分が、「取材源を秘匿するという会社の編集方針を害している」とし、「捏造記事」という文章の一部分が、「真実を報道するという会社の編集方針を害している」とし、これら3つの文章が、就業規則33条1号「会社の経営方針あるいは編集方針を害する行為をしないこと」に該当するとしている。

 (2)「会社の編集方針」とは何か
@ 被告は、「会社の編集方針」なるものを明示したことはない。文書になったものは被告企業内のどこにも存在していないし、原告は見たことも見せられたこともない。
  毎日新聞には、定款に編集方針が記載されているが、それは「言論の自由、独立と真実の報道を貫く」といった大まかで抽象的な方針を定めたものである(甲28号証177頁)。
A「取材源の秘匿」は「編集方針」なのか
 本訴では、被告は、会社の編集方針の一つとして「取材源の秘匿」を挙げ、全ての取材源の秘匿が被告会社の絶対的編集方針であるかのように繰り返し述べているが、そのようなことが文書で説明された事実は一度もなく、文書もない(佐々証言14頁)。(4)で詳述するように、その内容も人によって異なっており、一貫していない。
   B原告は、記者教育の中で、被告の「編集方針」を教育されたことはなく、被告の理解する「取材源の秘匿」を教育されたこともない。被告が自己の「編集方針」を懲罰をもって徹底しようとするのであれば、明示は最低限の要件である。もちろん、その内容が憲法違反であるか否かは別問題である。

 (3)取材源の秘匿は記者の鉄則か
   @ 処分時の会社の認識とその誤り
 被告は、「取材源の秘匿」は、明示の規定や教育を待つまでもないことだと考えているのかもしれない。
 現に守屋陳述書では、守屋部長が「HPの大半は業務に関するもので、取材源の秘匿に反する」(乙28号証3頁)、丹羽総務が「ニュースソースの秘匿という新聞記者の原点を犯す」(7頁)と原告に対して説明したという。被告は、社内規定以前の問題として、取材源を全面的に秘匿することが「本来守るべき記者の鉄則」(被告準備書面1)、つまり記者という職業にとっての普遍的なルール・原則である、との認識を持っていたようである。その証拠に、取材源をなるべく明示すべきといった考えは、処分前、処分時、本訴における佐々証言、そして守屋証言(Bで後述)前の準備書面においても、一度も示されていない。
   A 取材源は明示するのが国際原則
 しかし、当時の被告の「取材源の秘匿」についての考えは、むしろ国際的な記者のルールに反するもので、普遍的なものではないから、原告にその認識を期待するのは相当ではない。
 欧米のメディアでは、『情報源(取材源)の明示』こそが原則であって、『情報源(取材源)の秘匿』は例外とされている」のである(甲21号証・山口意見書5頁)。たとえば、ワシントン・ポストの記者ハンドブック(甲24号証)は「取材源を特定することが取材源の安全を危険にさらさないかぎり、すべての情報源を公表することを旨とする」とし、「情報源を明記するため適切なあらゆる努力」をし、これが不可能な場合は、「情報源の身元を明記できない理由を求め、これを記事に入れることを相手に告げなければならない」としている。AP通信社加盟の編集局長会綱領も取材源の扱いに関してほぼ同様の内容を定める(甲25号証)。いちいち紹介しないが、これらの規定はインターネットで瞬時に取ることができる(前澤猛『新聞の病理』甲26号証199頁参照)。「公正な報道のためには情報源(取材源)の明示は不可欠、というのがジャーナリズムの国際的な常識」なのである(前澤猛・甲12号証)。
 その理由は、山口意見書においても述べられている通り(甲21号証5頁)、情報源の明示はその記事の「信用性」に関わるからである。読者は情報源の明示によって、記事に書かれた情報の取材過程を知り、情報の「確度」を知りうるのである。公正な報道のためには情報源の明示は不可欠なのである。北村意見書においても「『関係者』などといった表現は読者にとって分かりにくく、また記事の信頼性を疑わせることにもなる」と情報源を明示しない記事の問題を指摘している(3頁)。浅野意見書も同様に、「情報源の明示は、外国のジャーナリズムでは重要な原則とされている客観報道(objective reporting)の主要な要素」(甲23号証19頁)として、取材源の公開・明示こそが原則であることを指摘している。
 そこで日本のジャーナリズムにおいても、日本新聞労働組合連合(新聞労連)は「秘匿の約束がある場合のみ」に守秘義務を負い、それがない限り取材源は明らかにすべきとの見解をとっている(甲6号証15頁)。
 共同通信社が98年10月に発行した「STYLE BOOK」第5条の「情報源」でも、「例外を除いて、通信社の記事は、適切な人物あるいは情報源を明示して、信用できることを立証する必要がある」と定められており、これは「世界中のまともな報道機関の決まり」(甲23号証・浅野意見書19頁)なのである。
 昨今、インターネット上の掲示板サイトなどで、匿名による情報源も明示しない無責任な情報が氾濫し社会問題となっているが、取材源を明らかにして情報発信者が氏名を名乗った上で事実を基に論じるという国際的なジャーナリズムのルールが守られれば、風説の流布や名誉毀損といった問題も発生を防げるのであり(前澤猛『新聞の病理』甲26号証84〜97頁参照)、原告はそれを実践したのである。
   B 会社も認め始めた開示の原則
 守屋証人は、証言において、「(取材源を)公表してもいいというような考え方もあるようですけれども、この点については被告会社としてはどのような考え方でいるわけでしょうか」との質問に対し、「新聞記事でニュースソースを明らかにするということは非常に重要なことだと思います。新聞記事の中でソースをきちんと明示するということは非常に重要なことだと、それは我々も認識しております。」として、取材源を特定することの意義・重要性を強調し、被告会社としても取材源明示という考え方を支持する趣旨の証言をしている(同証言19頁)。これは、それまでの準備書面での主張、つまり「全面的な秘匿こそ鉄則」との考えとは、明らかに矛盾している。
 一方で、佐々証人は、当時、人事部長という重職にありながら、国際的な常識を全く理解しておらず、守屋証人とは認識が異なる(佐々証言14頁)。
 このように法廷では、被告でさえも取材源の秘匿が「記者の鉄則」「記者の原点」であるという処分当時の主張を維持できなくなっているのである。これは、取材源の秘匿が「会社の編集方針」として一貫して存在しているものではそもそもなく、個人によって考え方はバラバラであり、したがって、ある一つの考え方に反したからといって処分される根拠がないことを意味している。明文化された明確な基準など、社内のどこにも存在していなかったのである。
   C 取材源を秘匿すべき場合
 もっとも、情報源を例外的に秘匿すべき場合がある。それは「公開すると情報源に不利益が及び、将来、市民の知るべき情報提供を求められなくなる可能性がある場合」や、「情報源(取材源)の秘匿を条件に取材した場合」という限定された場合である(山口意見書、北村意見書、浅野意見書)。「新聞人の良心宣言」が、「権力・圧力からの独立」の項で記載するように、権力犯罪の告発者を守ることを目的として「情報源の秘匿を約束した場合はその義務を負う」のである。
 この点から検討しても、「情報源の秘匿はジャーナリストの義務であるが、それは対権力との関係において、人民にとって必要で大切な情報を得るために配慮すべきこと(例えば内部告発者の情報源秘匿)であって、本件で被告が指摘している原告の文書には、秘匿すべき情報源は全く存在していない」(甲23号証・浅野意見書19頁)のである。
   D新聞紙面に載らなかった取材源は全て秘匿しなくてはいけないのか
 被告は原告への反対尋問の中で取材源が明示されなかった記事について聞いている。しかし、記事の中に取材源が明示されなかった場合が全て「取材源を秘匿すべきだと会社が判断した場合」になるわけではない。会社は日本のジャーナリズムの悪しき慣行に従い、取材源の明示を怠っただけなのである。
 そもそも取材源は公開が原則であるのだから、Cで示したような内部告発や権力犯罪の場合や秘匿の約束をした場合でもない限り、秘匿義務に違反することはない。後述するとおり、本件ではそのような例外に当たるものはない。
 現役の読売新聞記者である山口正紀氏は、取材源を明示した上で、多数の著書を発表している(甲21号証3頁)し、浅野健一氏も共同通信記者時代に、約10年間にわたって、取材源を特定した著書を10冊以上発表している(甲23号証20頁)。取材源が記されていない情報は信憑性が低いため、説得力のある文章を書こうとすれば明示するのは当たり前であり、それは議論をすること自体にほとんど意味がないくらい明白なことである。被告社内においても、田勢康弘氏などの現役記者・論説委員等が新聞以外のメディアで取材源を特定した(できる)文章を書いている。これは、そもそも新聞とそれ以外のメディアを分けて論じることが、被告社内でも意味をなしていないことを示している。被告は、田勢氏がなぜ新聞以外のメディアで堂々と取材源を特定し、取材プロセスなどを批判しているにもかかわらず全く罰せられていないかについて、何ら理由を示せていない。理由がないからである。
 新聞紙面で特定しない取材先を特定したことをもって「取材源の秘匿」違反とするのは「被告のジャーナリズム機関としての認識不足」(山口意見書6頁)であって、鉄則ではない。「本件のような場合に『取材源の秘匿』を持ち出すのは、いいがかり」(北村意見書4頁)というべきである。

 (4)「編集方針を害する」とは何か
@ 被告が被告の発行する媒体において、秘匿の判断をどのようにするかは自由であるかもしれない。しかし、個人で運営しているHPにその方針が及ぶと考えるのは不適切である。「原告は被告の新聞にこの記事を書いたのではないのだから、会社の経営方針あるいは編集方針を害することにはならない」(甲23号証・浅野意見書4頁)。
A 原告の行為は侵害行為ではない
  3で述べたように、こうしたコンテンツをより多くの記者や市民が読むことは、「被告新聞社も含めて、マス・メディアに対する市民の信頼も高まり、結果的に被告新聞社の利益につながる」「記者の緊張感を高めてメディアが発する情報の質を高める役割を果たし、やはり結果的に社の利益にもつながる」(甲18・山口意見書4頁)のである。「事実に基づき自社の方針を批判するのは、当然の権利である。それどころか、むしろそうした行為は、結果として『社の利益』に結び付く可能性がある」(甲18号証の1・北村意見書2頁)のである。

 (5)原告のHPの内容は「会社の編集方針を害している」ものではない。
 以下、被告が問題とした原告のHPの内容を具体的に検討する。
@「オーナー企業」(甲17号証の2の126頁、乙第11号証)
 この頁は、取材の体験を踏まえて、新聞記事を読む上でその情報源などに注意すべき点を書いているものである。
 これに対し、被告会社は、原告が情報源を実名で掲載した点について「取材の過程を、取材相手の実名」で「詳細に公表しており、取材源の秘匿に反する」「取材源を秘匿するという会社の編集方針を害している」(準備書面1、4頁)とする。
 しかし、ここでとりあげられたオーケー食品工業の経営企画部長との間に取材源の秘匿約束はなく、国内外のジャーナリズムの常識(被告会社においても否定されていない考え方)に従えば、本件のような場合に取材先を保護する理由はない。また、オーケー食品工業の経営企画部長としては、記事になっても良いという考えのもと新聞記者に接しているはずであり、オフレコあるいは取材源を秘匿しておきたいときにはそのように条件をつけることもできるのである。そのような条件をつけずに、平然とオーナー社長の批判をしたのは、原告も証言するように経営企画部長は「西日本銀行から送り込まれ」た人物であり、「オーナー社長よりも全然権力が上の人」だからであろう(原告本人24頁)。
   A「社内的立場」(甲17号証の2の137頁、乙第14号証)
 この頁は、事業部長が原告に記事の情報を提供したところ、広報部の許可を得ていないことなどから、社内で問題となったため、原告自身が謝罪文を書いたという体験を踏まえ、「「書かれる側」「取材される側」の痛みを知ってどこまで書くか、いつの段階で書くかを真摯に考え」(甲23号証・浅野意見書6頁)た上での問題提起である。
 これに対し、被告会社は、「凸版印刷」「九州事業部長」という取材先を記載したことについて、「取材の過程を、取材相手の実名やあるいは特定できるような表現で、詳細に公表しており」「取材源を秘匿するという会社の編集方針に反する」(準備書面1、4頁、11頁)とする。なお、被告は準備書面1において「D部長」は「HPではいずれも実名」とするが、HP上は実名ではなく「九州事業部長」という役職名である(甲17号証の2の138頁)。これは証人尋問のなかで認めたが(守屋証言8頁)、肝心の処分理由の重要な点について認識に誤りがあったことを示している。
 しかし、前記の国内外のジャーナリズムの常識(被告会社においても否定されていない考え方)に従えば、取材源は明示すべきものである。
 また本件では、取材先会社においても、「九州事業部長」というのは記事の取材源として特定されており、既に解決されたことを、いわば体験談として書いたものであり、新たな不利益は発生していない上、取材源保護の問題は生じない。そもそもこれは取材後の後日談を書いたにすぎず、「取材の過程の詳細な公表」という指摘はあたらない(原告本人25頁)。
 むしろ、この頁で新聞社として問題をとりあげるべき点は「キャップに『計画がある、というだけでニュースなんだから、書け。書ける時に書くんだよ』と脅されやむを得ず書いた」という点であろう。このキャップの言葉の方が「会社の経営方針あるいは編集方針を害する行為」と言えよう(浅野意見書4頁)。しかし、守屋部長らがこうしたキャップの発言を問題視して調査した形跡はない。
   B「捏造記事」(甲17号証の2の183頁、乙18号証)
 この頁は、筋書き通りに現実をあてはめて強引に記事を作るという新聞社の慣習を、自らの体験を踏まえて批判しているものである。
 これに対し、被告は原告自身が「哲雄」という名前を創作した点のみをとらえて「真実を報道するという会社の編集方針を害している」とする。
 しかし、そもそもこの記事全体の趣旨は、前述のように新聞社が載せたいと思っているネタを無理に記事の形にあてはめる「捏造」ともいうべきやり方を批判するものであり、この一部だけ引用して原告を批判することは不適切である。このような意図的要約自体がまさに「捏造の見本」と言える(山口意見書6頁)。
 上司の圧力によって時には捏造に近い記事が書かれているという取材現場の実態を公開したことは、まさに真実を報道したことになる。問題なのは、原告の行為ではなく、予定した記事にあてはめたり、あるいは上司が記者のとってきたコメントを勝手に改ざんする行為である。それこそ、まさに「記者の倫理」に反する捏造行為である(前澤猛『新聞の病理』甲26号証50〜54頁も参照)。
 しかし、被告会社は、そのような新聞社の日常的「コメントの捏造」は問題にせず、何ら実害のない「人名の創作」(仮名であっても何の支障もなく、原告が記事に書いた名も、記事中で「仮名」としておけば、何の問題にもならなかったはず)を、「人名の捏造」「編集方針を害している」と決めつけた。
 被告会社が、原告の上司の行為を「編集方針を害している」とせずに、原告の行為を処分するのは著しく不当である。

 (6)その他取材源秘匿違反と指摘された文章について
 なお、「会社の編集方針を害している」との関係では直接の処分根拠となっていないが、被告会社が取材源秘匿に反し問題があると指摘した文章について、念のため論ずる。
   @「夜回り」(甲17号証の2の206頁、乙第19号証)
 この頁は、夜回り取材の概要を紹介し、県警幹部の私邸に疑問なく情報を取りに行くという記者の姿勢を批判したものである。
 これに対し、被告会社は、原告が「捜査二課長」への取材であったことを明らかにした点について、「新聞紙面では特定しない取材先を特定しており、取材源の秘匿に反する」(準備書面1、2頁、守屋証言3頁)と指摘している。
 しかし、そもそも前記の国内外のジャーナリズムの常識(被告会社においても否定されていない考え方)に従えば、「捜査二課長」という取材先は、「本来は記事の中で明示されるべき情報源」(山口意見書5頁)であり、「本来、公表すべき事案である」(北村意見書3頁)。「被告の新聞社が取材先の県警幹部を『紙面で報じない』ことこそが、事実の正確な報道という新聞倫理に違反している」(甲23号証・浅野意見書10頁)のである。
   A「しばり」(甲17号証の2の268頁、乙第23号証)
 この頁は、報道内容に関する取材先からの条件「しばり」についての問題を論じたものであり、じん肺訴訟における和解の経緯を例に挙げている。
 これに対し、被告会社は、原告が「弁護士の実名をあげて和解成立に関する事前取材の経緯を暴露」(準備書面1、2頁)しており「取材源の秘匿に反する」、また「本社として伏せておきたい事柄を勝手に公表」(守屋証言5頁)としている。
 しかし、この弁護士名に関しては、弁護団団長として「実際に関連記事その他でたびたび報道されているものと推測され」(甲23号証・浅野意見書11頁)、弁護士の実名を秘匿する意味はなく、取材源保護の問題は生じない。
 また、取材過程を明らかにすることは、読者にとって必要な情報公開である。記事にする際には約束どおり「しばり」にしたがった報道がされているのであるから、取材先も後日に過程が明らかにされることは甘受すべきである。
   B「誤報の裏で」(甲17号証の2の266頁、乙第22号証)
 この頁は水道料金の値上げ金額に関し、誤報が生じたことについてその原因につき分析を加えたものである。
 これに対し、被告会社は、原告がHP上で「水道局の営業課長」と取材先を特定したことについて、「福岡市役所の担当者の間違った説明によると情報源を特定しており、取材源の秘匿に反する」(準備書面2頁)、また「新聞紙面には公表しない取材先を特定する形」で書いており「本社として伏せたい事柄を勝手に公表している」(守屋尋問調書5頁)ことが問題だとしている。
 しかし、そもそも前記の国内外のジャーナリズムの常識(被告会社においても否定されていない考え方)に従えば、「水道局の営業課長」という取材先は、「本来は記事の中で明示されるべき情報源」(山口意見書5頁)であり、「値上げについて知っているのは水道局の営業担当者であり、この文書が『取材源の秘匿に反する』というのは全く言い掛かり」(浅野意見書12頁)である。取材源が担当者であることは誰でもわかることであり、原告は個人名を出して攻撃しているわけではない。
 原告はこの文章において誤報の真の原因を分析し、「スクープ合戦」が繰り広げられ、「権力からのリーク」の結果として誤報が生じたとしても、「リークした側も報じた側も責任をとらない権力に都合の良いシステム」の問題を論じているのである。取材先(肩書きである)を明らかにしなければ、その問題点は明らかにならない。このような原告の誤報の原因を分析し、報道のあり方に問題を投げかける姿勢は、「本社として伏せたい事柄を勝手に公表している」とはいえないはずである。
   E「社畜直し」(甲17号証の2の133頁、乙第12号証の1)
 この頁は、自己が新聞記事として書いた文章のうち、デスクによって一定の文言が削られたことを書いたものである。
 これに対し、被告会社は、原告が自己の記事を引用し、「と話すのは創立120周年を迎えた鳥越製粉の山下義治社長」と記載した点に関し「取材源の秘匿に反する」(準備書面1、4頁)、「取材相手を特定」し「取材過程の裏側を詳しく公表している」(守屋証言7頁)としている。
 そもそもここで取り上げられた「と話すのは創立120周年を迎えた鳥越製粉の山下義治社長」という部分は、実際に原告が新聞記事にした部分であり、しかもこれは被告会社の九州経済面の「顔写真付きでトップが話したことを掲載するコーナー」における記事であるから、当然名前を出すことを前提として取材をしていたはずであるから、取材相手を特定している点は問題とならない。
 この頁では、編集過程を問題としているが、「取材過程の裏側を詳しく公表している」ことは問題とならない。削除されたという編集過程を話すことすらけしからんというのであれば、被告会社の記者に言論の自由はなくなるであろう。
   F「賄賂」(甲17号証の2の135頁 乙第13号証)
 この頁は、取材先からの商品授受や接待とジャーナリズムの問題をとりあげたものである。
 これに対し、会社は、「取材先企業などを具体的にあげ、取材過程を公表しており、取材源の秘匿や社内規定に反している」(準備書面4頁)、「取材先企業の実名を挙げて、これも取材過程の裏側をいろいろ書いている」(守屋証言8頁)点が問題だとする。
 しかし、原告が問題としたのは取材先からの「商品授受」「接待」であり、これを「取材過程を公表」「取材源の秘匿」に反するというのは的はずれな指摘であろう。
 原告はHP上で取材先の企業名を挙げているが、企業が経済新聞社の取材先となることは通常であり、単に取材先の名前を羅列してあるだけであれば何の問題もないはずである。守屋部長らが問題だと感じたのは、むしろそのような「商品授受」「接待」の事実を暴露したこと、「商品授受」「接待」の事実の文脈で企業名が出されたことであろう。
 しかし、「商品授受」「接待」は真実であり、原告は「被告新聞社の社内倫理規定に合致した勇気ある告白」(甲23号証・浅野意見書14頁)をしたのである。守屋部長としては、原告のHPを閉鎖させるのではなく、会社内の問題として提起すべきであったのである。仮に、守屋部長がそれらを問題だと感じないのであれば、それを原告がHP上で公開したとしても何も問題はないはずということになる。
 記者が取材先から贈り物を受け取ってはいけないのは、それこそ国際的常識である(ワシントン・ポストの倫理規定A。甲24号証2頁)。
 守屋部長の閉鎖命令の実態は、「商品授受」「接待」の悪しき慣習を認識しつつも、それに対する正当な批判を抹殺したという不当なものにほかならない。
   G「執筆実践編」(甲17号証の2の177頁、乙16号証)
 この頁は、新聞社の新人教育を批判し、新聞記者としての実体験に即した個人的な記者マニュアルについて書いたものである。
 これに対し、被告会社は、原告が取材及び編集の具体例として「北九州コカ・コーラ」等の企業名を挙げた点をとらえ、「取材先企業などを具体的にあげ、取材過程を公表しており、取材源の秘匿や社内規定に違反している」(被告準備書面1)「取材先企業の名前を挙げて取材過程の裏側を公表しています」(守屋証言8頁)としている。
 しかし、原告のHPは、今までの@ないしFに述べたことと同様に取材源秘匿が問題となる場面ではない。

 (7)「取材上知り得た事実」の掲載
 以上のように、原告の上記のHP@からGは「取材源の秘匿」に違反するものではない。
 被告は、上記の「取材源の秘匿」の他、原告のHPが「新聞紙面では報じない取材先」や「取材過程」、「取材の裏話」などの「取材上知り得た事実」を掲載したことをも問題にしている。
 もし取材過程の公表が直ちに記者の倫理に反し、処分に相当するというのであれば、新聞記者は、自分の仕事について何一つ話すことはできなくなってしまうであろう。それはあまりに憲法が保障する表現の自由を侵害するものである。
 被告会社の田勢康弘記者は、東京本社政治部次長兼編集委員当時に『政治ジャーナリズムの罪と罰』(1994年・新潮社刊)を出版し、政治記者の取材の実態を公表して大きな社会的反響を呼び起こした(山口意見書5頁、甲29号証の2。原告代理人も当時興味深く読んだ)。被告の主張によれば、このような行為も当然「記者の倫理違反」ということになるはずであるが、被告会社において、田勢記者がこの出版によって何らかの処分を受けたとことはない。
 取材過程を明らかにすることによって、読者が報道・新聞をより正しく理解できることはあっても、読者との信頼関係が壊れることはない。守屋部長は、その証言において「取材及び新聞記事がどう作られているかというようなところで会社にとって不利益になってくる」と証言するが(19頁)、その具体的不利益については触れられていない。
 仮にこれらを「編集方針」と呼ぶとすれば、それは時の編集者・デスクによって異なるであろう。編集方針に反したか否かの判断は大変難しい。単に会社が公開したくないことを書いてはいけない、というのではトートロジーに過ぎず、規則、ルールとしての意味をなさない。原告が繰り返し述べていたように、何が良くて何が悪いのか、基準を作るのでなければ、罰則をもって強制することはできないはずである。しかし、それは本訴訟を通じてもいまだに明らかになっていない。

 (8)原告のHPは会社の書きたくないことを書いたものか
 原告は、裁判官の問に対し、会社との摩擦を予測していたと供述したが、批判をする者と批判を受ける者との間である程度の摩擦が生じるのは当然である。問題は、被告が自身の高い公共性を踏まえて批判を許容し、建設的な議論に発展させたのか否かである。「組織の発展のためには常に自浄努力が欠かせず、組織に属する人間の自社批判はその主要な要素」(北村意見書2頁)だからである。HPの記事がいわば「公開意見書」として機能し、建設的な議論の席につける可能性もあるし、また規定がないと会社が認めていたHPに関して、今度こそ明確な規定を作り始めるはず、と考えていたのである。
 原告が特に摩擦を予想していたのは、取材源に関するものではなく、記者クラブ制度や再販制度といった被告を含む新聞業界の既得権益を批判し、論じている文書(甲17号証の2、250、253、255頁等多数)であった。会社が記者クラブや再販を支持しているという現状(「経営方針」か?)において、会社とは異なる立場で書いていたからである。 しかし、記者クラブや再販問題は、内外で絶えず議論されている問題であり、それに対し、自己の意見を表明することすら制限されるのならば、それはまさしく表現の自由への干渉である。


 3 「会社の機密をもらさないこと」
 (1)被告は、原告の処分理由の一つとして「会社の機密をもらさないこと」を挙げている。
   「被告準備書面1」が例示するのは、@「バラバラ殺人」(乙第20号証)A「シラク大統領来日」 (乙第21号証)H「取材一般編」(乙第15号証)C「趣味直し」(乙第12号証ノ2)D「共同体と機能体3」(乙第6号証)である。

 (2)「機密」とは
 「機密」とは、「(枢機に対する秘密の意)政治・軍事上のもっとも大切な秘密」『広辞苑(第5版)』(岩波書店・1998年)のことである。防衛庁の「秘密保持に関する訓令」(昭和33年11月15日)では、「機密」とは、「秘密の保全が最高度に必要であって、その漏洩が国の安全又は利益に重大な損害を与えるおそれのあるもの」をいうとされ、それに至らない「極秘」や「秘」と区別されている。
 ここで指摘されている、採用の方針や部署ごとの人員、各版の締め切り時間などは、社外秘になり得るような重要な情報では全くないし、「機密」などと言うものでは全くない。夕刊の締め切り時間など原告代理人でさえ知っている(記者会見をする機会があるため、日程調整の常識になっている)。普通の企業で機密扱いになることはあり得ない。もしこのようなものが機密だというなら、他企業のこうした情報をつかんだら一面トップで報じるだろうか。新聞社は権力に情報公開を迫るべき存在なのだから、新聞社が自らの情報を一切秘匿するのはおかしいのであって、これが明らかになったからといって全く処分の対象となるものではない。以下詳論する。

 (3)締め切り時間の公表
 @「バラバラ殺人」とA「シラク大統領来日」では、締め切り時間の公表が問題にされている。しかし、新聞の締め切り時間は、各社間でいたずらに締め切りを延長しないよう朝刊・夕刊最終版について協定が結ばれている。したがって社外秘でも何でもない。現に各新聞紙上でも、報道検証記事などで、締め切り時間に言及した記事がある(山口意見書6頁)。

 (4)予定稿などの編集過程
 B「シラク大統領来日」における「予定稿を用いた記事作成」の紹介も、「被告準備書面1」が「編集過程を暴露」というような大げさなものではない。これまた報道検証記事や新聞記者の体験記などで頻繁に紹介されてきたもので、新聞に少しでも関心のある人にとっては「常識」に相当する。山口記者自身、他メディアに発表したさまざまな誤報検証記事の中で、「予定稿」がいよいよ誤報の原因となっていることを指摘してきた(山口意見書6頁)。むしろ、「予定稿」の実態を明らかにすることは、読者が報道の実情を知るうえで必要な「情報公開」作業である。
 B「取材一般編」C「趣味直し」は、「被告準備書面1」で 「社内の編集のやりとり、社内の人事データづくりを公表した」と非難されている。これは、読者が報道の実情を知るうえで必要な新聞社の「情報公開」作業である。この程度の「社内のやりとり」が「社外秘」になるのであれば、新聞記者が一般企業の商品製造過程や人事データ作りを取材したりするのは不可能になる(山口意見書7頁)。

 (5)採用方針と記者の数
 D「共同体と機能体3」は、「被告準備書面1」で「社外秘にあたる事項を公開」と指摘されている。問題にされたのは、中途採用に関する会社の方針を説明した文書と記者の配置数である。これが「機密」になるならば、ほぼすべての企業内文書は「機密」になるであろうし、新聞記者が民間企業の採用方針や人事配置を取材することも不可能ということになる(山口意見書7頁)。このような程度のことは日々報道されている。原告は、まさにここで明らかにした程度のことを「社外秘」としていることを問題にし、新聞社の情報公開の必要性を指摘しているのである。

 4 「会社の秩序風紀を守るため、流言してはならないこと」
 (1)流言禁止違反
 被告は、原告の処分理由の一つとして「会社の秩序風紀を守るため、流言してはならないこと」を挙げている。
 「被告準備書面1」が例示するのは、@「悪魔との契約1」(乙第7号証)A「悪魔との契約4」(乙第10号証)である。

 (2)「流言」とは何か
 「流言」とは「根拠のない風説」(『広辞苑(第5版)』)「根も葉もない噂」(『新潮現代国語辞典(第2版)』)のことである。ありもしない事柄について事実であるかのように吹聴することである。

 (3)本件の記載は「流言」には当たらない
 指摘の点は、いずれも「流言」にはあたらない。原告が、@「悪魔との契約1」A「悪魔との契約4」で述べているのは、「風説」ではなく、原告の「見解」ないし「主張」である。そして、原告がなぜ、そのような「見解」ないし「主張」を持つに至ったかの「根拠」も示されている。
 問題にされている文書は、原告に対して「HPの閉鎖」という理不尽な指示が出された後に書かれたものである。そのように「言論・表現の自由」を抑圧する上司を、原告が「邪悪な人々」と思ったとしても仕方がないであろう。「被告が原告のHPの全面閉鎖命令を出して言論封殺した事実は、言論の自由を守るべき使命に照らして『悪魔』と表現されても仕方がない大問題である」(浅野意見書18頁)と言えるのである。
 確かに「悪魔」という表現は、穏当ではない。だが、それは原告がそう「思った」ということであり、「表現」の問題である。だれも「事実」だとは思わない。メディアの誤報によって報道被害を受け、社会的に抹殺される体験を持った人たちのなかには、新聞社を「人殺し」と呼ぶ人もいる。それもまた、「表現」の問題である。
 メディアが、松本サリン事件の報道被害者・河野義行さんを「恐怖の毒ガス男」と報道したのは、「根拠のない風説」であるが、河野さんがメディアを「人権侵害機関」と表現したとすれば、それは「根拠のある見解」というべきである。
 原告が、ありもしない「事実」を述べたのなら、「流言」になる。だが、@「悪魔との契約1」A「悪魔との契約4」は、ある事実に基づく論評である。それを「流言」と解釈して処分の理由とするのは、明らかに行き過ぎであり、処分権の乱用である(以上、山口意見書7〜8頁)。



 

 第6 懲罰的配転の不当性
 被告は、不当処分にとどまらず、原告に対する処分後、さらに「見せしめ」に等しい人事を行い、原告に重大な不利益をもたらした。
 1 事実
 (1)記者職について
 被告は、採用においては、「募集職種」として、「1 新聞記者部門 一般記者」と明記し、他の出版編集部門の出版編集者、技術部門のITエンジニア等と区別している(甲15)。記者は人気職種であり、一流大学卒業生が50倍から100倍の倍率(競争率は司法試験より高い)で選抜されている(佐々証言9頁)。

 (2)記者の配転の慣行
 被告会社においては、新入記者が地方に配属となった場合、3年で東京に異動させるというのが人事慣例となっていた(佐々陳述書4頁)。もちろんこれは東京本社の記者業務に配属されることを意味する。原告は1999年3月1日に東京本社に戻る予定であったが(佐々陳述書4頁、佐々証言5頁)、本人は東京本社のベンチャーへの異動を希望しており、希望通りの内内示程度の話を受けていた(原告本人17頁)。
 ところが、実際の異動は4月12日付けで東京本社の資料部へ配転するという内容であり、記者の配転先としても、異動の時期においても、異例な配転であった。資料部の主な業務内容は、読者からの応答を電話で受ける読者応答センター業務と社内報など種々の資料整理であり(原告本人17頁)、記者業務(原告は新聞記者部門で採用・入社している)とは全く異なる業務を扱う部署である。

 (3)資料部の実態
 資料部において、原告は、図書館に日本経済新聞があるかどうかの問い合わせを担当させられ、読者応答センター業務では、問い合わせの回答自体は担当せず、問い合わせ事項を印刷するのみ、といったパートタイムでもできる仕事しか与えられなかった。会社は「全国の本社、支社、支局をLAN回線でつなぎ、支社、支局から本社にどんな資料があるか閲覧できるようにする構想」を持っており、原告がコンピューターに強いということで資料部へ配転したと主張しているが(準備書面1の9頁、乙27号証・佐々陳述書4頁)、原告はこのような話を一切聞いたことはなく、会社から支給されていたパソコンすら異動前に返却を命じられて返しており、資料部内には出力のためのプリンターしかないという有様で、とてもこのような構想が現実化していたとは認められない(原告本人18頁)。また、「読者の意見や質問を身近に聞く経験」を必要と判断したとあるが(佐々陳述書4頁)、半年間原告はこのような業務を命じられることはなかった。

 (4)経済的不利益
 会社の給与は、職能給+年齢給+家族手当+時間外手当から構成されているが、時間外手当については、部毎に定額制となっており、実残業時間に比例していないみなし規定であることは佐々人事部長も認めている(佐々証言9頁)。結局これは時間外手当というより、部ごとの給与の一部と理解する方が正確であり、社員の認識もそうである。
 そして、西部支社編集部と資料部では、この時間外手当の額が大きく異なり、原告は、不当な異動により賃金が約40%減額となり(甲5号証の1と3を対照)、実質的には適正な手続を経ずに減給処分に付されたと同じである。
 資料部への配転により原告の給与は月平均12万4000円、6ヶ月で74万4000円もの減額となっている(甲5号証)。

 2 資料部への配転の評価
 (1)新聞社における資料部の位置付け
 新聞社において、記者職で採用された記者が取材活動からはずれる「資料部」に配属されるのは、通常、次の二つの場合に限られる。@「健康を損ねた」「年齢が高くなり体力的に無理になった」などの理由で現役記者としての活動が困難になった場合か、A取材・報道方針をめぐって上司と衝突したり、会社に対する批判的見解を社外で表現するなどしたことに対する懲罰的な意図を持った「左遷」か、である。これは、新聞社に勤務する者にとってほぼ常識となっている。
 時事通信記者だった尾野村祐治氏は1991年5月20日、「皮膚病を理由に会社の幹部から『外勤職場で働くのは好ましくない』などと言われたのは名誉棄損である」と東京地裁に提訴し、二年半後に和解が成立した(毎日新聞記事1991年5月21日朝刊、1993年11月3日朝刊による。甲30号証)。この経過のなかで尾野村記者は、1991年に「資料室」への異動内示を受けている。労使交渉でその理由をたずねた際、労務担当取締役が「皮膚病では記者活動は好ましくない」と答えたのが提訴の直接の原因であるが、会社は、数日後には発言を取り消し、「資料室」への異動も見送った。この事件からも、資料室が、記者職とは全く異なる内勤の部署であり、記者が本来、配属される部署ではなく、配転が「差別」と受け止められていることがわかる。
 共同通信社においても、「共同通信にも調査部というセクションが編集局の中にあったが、大卒記者で地方支社局勤務を終えて調査部に転勤する記者はほとんどいなかった。病気のために超過勤務ができない記者が異動したことはあった」(浅野意見書21頁)とのことである。

 (2)原告の場合の評価 
 原告は当時、まだ20代の記者であった。そうした若い記者が、本人の希望以外で資料部に配置された例は、読売新聞社でも聞いたことがないという(山口意見書8頁)。被告の場合も、過去において20代の記者職の者が資料部に配置されたことはなく(佐々証言8頁)、原告が配転されたときも他にそのような者はいなかった。
 「要は『社を批判した』ことによる異動としか考えようがない」(北村意見書5頁)のである。「これからという新聞記者にとって、新聞社における資料部への異動が『ペンを取り上げられる』という印象を持つことは事実」(浅野意見書21頁)であるため、「新聞記者の場合、こうした形で非取材部門への異動を強要されることは、『社を辞めろ』と通告されたことと同じであり、『一種の死刑宣告』である」(北村意見書5頁)し、「記者として『殺される』ことを意味する」(山口意見書8頁)のである。原告がHP上で「殺される」と書いているのは、決して誇張ではないのである。取材・報道の現場から排除され、ジャーナリストとしての活動が一切できなくなるからである。だからこそ、資料部への異動が「見せしめ」の効果を持つのである。「入社4年目の記者が東京本社資料部に異動するというのは明らかに見せしめのための不当人事」(浅野意見書21頁)なのである。
 20代にして、そのような部署に異動させられた原告の怒りと絶望感は、記者経験の長い山口正紀記者や北村肇氏、浅野健一氏には痛いように理解できるものである。

 3 みなし解雇
 原告は、資料部への配転が半年以上続き、飼い殺しになることを知って、被告のねらい通り、退職届を提出した。
 このように実質的に強制された退職は、解雇とみなされるものであり、正当な理由がなければ損害賠償の対象となる(小西國友『解雇と労働契約の終了』有斐閣・1995年173頁、小宮文人「嫌がらせをしてやめさせないで」法学セミナー493号96頁)。

第7 賃金請求権と損害
 1 賃金請求権
 原告が違法な出勤停止処分によって未払いとされた賃金額は、前述の通りである。

 2 損害賠償
 (1)精神的な損害
 原告は、不当な懲戒処分を受け、さらにそれを社内で公表された。それは、辞令の張り出しや部会の場の説明という形で行われた。社内への威嚇効果を狙った被告は、「死刑宣告」を公表したのである。原告の名誉は、これにより、著しく侵害された。

 (2)複合的な損害
 原告は、資料部への配転という「死刑宣告」を受け、退職に追い込まれ、「キャリア権」(諏訪康雄「キャリア権の構想をめぐる一試論」日本労働研究会雑誌468号54頁参照)を侵害された。不当な処分さえなければ、東京で記者としてのキャリアを積むという入社時よりの「夢」が間違いなく実現していたが、「死刑宣告」によって、将来にわたるキャリアプランの修正を余儀なくされ、重大なダメージを受けた。資料部への配転による賃金の減額は前述の通りであるが、この違法配転によって生じる生涯にわたっての損害は図り知れず、とても金額では表せないものである。

 (3)損害額の合計
 こうした「死刑宣告」による精神的損害、キャリア権侵害による実害を合せると、損害額は、少なくとも1000万円を下るものではない。

 (4)原告にかかる費用の考慮と被告との衡平
 原告の本件訴訟にかかる費用は、弁護士費用だけで、150万円以上となる(勝訴確定時)。弁護士会の基準による、処分の取り消し、未払い賃金の支払いについての着手金・報酬の合計額だけでこの額になる。個人にとっては容易に支払える額とは言えない。被告が支払いを命じられる慰謝料が万が一、この額を下回ることになったとしたら、原告は事実上、本訴訟で経済的な不利益を被ってしまう。一方、売上高2508億円、経常利益約160億円(2000年12月期)の被告にとっては数十万、数百万円程度の支払いなど痛くも痒くもないため、再び同様の過ちを平気で繰り返すことになろう。
 しかし逆に、請求通り1000万円の慰謝料が認められるとしたら、被告企業株主や被告企業の労組も黙認できなくなり、被告は本件の再発防止策を打つことを迫られよう。同業他社に対する一罰百戒も期待できることから、「法の下の平等」による健全な法治国家へと一歩近づくこととなる。本件は、「表現の自由」という民主主義の根幹にかかわる権利を、本来は人権を率先して守るべき新聞社が侵害した悪質な事件であり、「日本経済新聞」だけで全国に約300万部を発行する被告企業の公共性の高さは論を待たない。慰謝料1000万円はむしろ安いくらいである。

第8 まとめ
 出勤停止処分は原告の名誉を侵害するものであり、また他の記者にも威嚇の効果をもつものである。原告の処分は社内で辞令という形で張り出され(佐々証言15頁)、また社内で緊急の「部会」が開かれ従業員に対して本件が説明されたため、原告本人であることが特定された。これは社内に対する威嚇の効果を持つ。
 原告は1999年8月31日上記処分の取消を求めたが(甲9号証)、会社はこれに応じない。上記紛争を解決し、法のあるべき姿を示すためには処分を取消すのが最も有効であるから、原告には上記処分取消の確認の利益がある。
 よって、原告は処分の無効確認と未払い賃金、及び損害賠償の支払いを求める。

第9 裁判所に期待されるもの
 もし、このような処分及び見せしめ人事が、裁判所においても「正当」であると認められれば、それは新聞記者には「言論・表現の自由」がないと、裁判所も認定することになる。その意味で、本件訴訟は憲法上の重大な意味を持っている。
 また、本件は氷山の一角であり、社内言論の不自由を感じながらも不当人事を怖れてモノを言えない記者は、新聞社内に沢山いることを理解していただきたい。本訴は、言論の自由をその存立基盤とする新聞社が、社員の言論の自由を正当な理由なく奪ったことを争っている点で、極めて重大である。なかでも、規定を作るよう要請した行為に対して、それを現場で隠匿し、命令に従わなければ強引に処分するという被告の姿勢は、まさに暗黒時代同様であって、法治国家では到底、許されるものではない。
 個人の言論の自由が保障されない国は、健全な民主国家から程遠い。裁判所が、憲法に保障された「言論・表現の自由」の理念に則し、公正かつ賢明な審判をくだすことを心から願うものである。