for the subscribers 行動のすすめ -あなたにできることA-新聞を定期購読しないことが、最も適当かつ効果的な問題の解決法だ。あなたに公共心と理解力があるならばすぐに実行して欲しい。日経の場合、0120-21-4946に電話して、購読を止めることを告げるのだ。しかし、家庭の事情などで断行できない人のために、次善の策を提示しよう。
新聞社は、一般的に読者を無視している。マーケティングという概念は存在しない。再販規制と記者クラブ、宅配によって長年にわたり健全な市場原理が働いてこなかったため、読者のことを考えるという発想がほとんどないのだ。ジャーナリズムという発想は更に希薄である。
例えば、「店頭・ベンチャー面」には、唯一、記事中に企業の連絡先電話番号が記されているが、これは問合せが相次ぎ対応が追い付かないからである。それだけ読者ニーズが高い証拠だが、だからといってベンチャー面をもう1ページ増やすかというと、それは絶対にしない。ベンチャー企業はカネがないため紙面に広告を出してくれない、つまり儲からないからだ。新聞記事は「第二の広告」なので、少しでも大企業のニュースを載せて、企業側に「いつも世話になってるから割高な広告も断れないな」という気にさせる訳である。
ベンチャー振興は構造改革の必要性から国策として進められており、日本経済にとっての重要性は議論の余地がない。紙面で構造改革を訴えるなら、たったの40分の1ページでしかない現状を改め、ベンチャー面を1ページでも増やせば良い訳だが、結局、読者より大スポンサー(大企業)が優先、ジャーナリズムより経営の論理が優先、ということなのだ。
読者がこれを指をくわえて見ていては、ごう慢経営者の思うツボである。疑問に思ったら、どうどうと指摘しなければならない。クレームをつけるのである。毎月、明らかに割高で不透明な料金を支払っているのだから、当然の権利だ。
新聞社には、読者の疑問に答える体制が一応、できている。どこでも「読者応答センター」のような組織がある。そして、指摘が集中した件については、必ず経営陣の耳にも届くようになっている。だから、記事を読んでいて疑問に思ったら、必ず一本電話を入れるようにするのだ。何で教えてやらなきゃならないのか、とも思うだろうが、全く無駄、という訳でもない。
例えば、ボーナスの一覧表が掲載されたら、「どうして、テメエんとこの新聞社や金融機関のボーナスだけ公表しないのか」としつこくクレームをつける。政治面に「族議員の抵抗で」などと書いてあったら「誰だか個人名を隠されたら報道する意味がないだろうが、ボケ!癒着すんのもいい加減にしろ!」とクレームをつけてやる。田勢などの論説陣が政治家の腐敗や経済の規制緩和・情報公開などを偉そうに論じていたら、「よくもオマエ、自分を棚上げしてぬけぬけと言えるもんだな。まずは自分でできることをしろ!恥を知れ!」と喝を入れてやる。再販制度について明らかな偏向報道をしていたら、「どうして対立する両者の意見を載せないんだ!いつまで大本営発表を繰り返す気だ!」と大声で言ってやる。積もり積もれば、少しは改善の方向に向かう可能性もあるのである。
日経では、読者からの指摘は、週ごとに「今週の主な問い合わせ・指摘」と題して2枚(A4)にまとめられ、部長会で配られる。また、これをまとめたものが月に一度、「れふぁれんす」と題する6ページの文書となって、全国の支社支局にまで配られる。末端の記者は忙しいのでほとんど読まないが、常にヒマをもてあましている部長やデスクは読んでいるようだし、管理職クラスはさすがに目を通しているので、合理性のある指摘ならば、必ず伝わる仕組みにはなっている。特に指摘が相次いたクレームは、それなりに今後の紙面作りに反映するはずである。ただ、すべてを支配するのは経営の論理であるため、どんなに的を得た指摘であっても、「購読を止める」と言うクレームが相次がない限り、改善策を講じることにはならない。
報道規制によって完全に知られていないが、「誰も書けない再販問題」で述べたように、もはや定価で購読する必要はない。公取は、規制の上にあぐらをかいて暴利をむさぼる新聞業界のあまりの傲慢さと横暴ぶりに憤りを感じており、社会正義と公正な競争社会実現の観点から、他の産業界並みに、規制の緩和を進めるべきだと考えている。
これには、読者の後押しが重要だ。どんどん公取に電話して、手紙を書き、もっとやってくれ、規制を撤廃して、公正な競争をさせて、新聞社にまともな記事を書くようにプレッシャーをかけてくれ、と言えば良い。
また、消費者団体や人権擁護団体など民間の非営利団体にも働きかける。どうしてテレビ欄くらいしか読むところがないのに四千円近くもするのか、なんで大本営発表ばかりを載せるのか、あまりにも偏向報道じゃないか、明らかに人権を無視していないか、公の役割を果たしていないんじゃないか、と意見を寄せるのである。
新聞を読まない『健全』な生活を送れるようになるまでは、こうした行動によって、一歩でも改善に協力して欲しい。とはいえ、やはりすぐに新聞の購読をやめるのが最良であることを重ねて述べておく。読者が減ることは、購読料収入が減るだけでなく、広告単価が落ちるというダブルパンチになるので、新聞社にとって不買運動は無視できないのである。いまこそ消費者は、日本の歴史上で初めて、行動的かつ賢くならなければならないのである。