誰も書けない再販問題  --ネットの力で変えるしかない!--

 「新聞業における特定の不公正な取引方法」(昭和39年告示)が改正され、99年9月1日から施行された。「学校教育教材用」か、「大量一括購読者向け」か、または「その他正当かつ合理的な理由」さえあれば、新聞の異なる定価の設定や定価の割引をしても、不公正な取引方法に該当しないことが法制化された。ついに日本の消費者は、35年ぶりに、自由に新聞の販売店に対して、値引き交渉をする権利を獲得した訳である。


 値引きをするかしないかは、新聞社の経営判断に任された。積年のカルテル体質に加え、新規参入も期待できないため、大手各社とも「値引きをするつもりはない」と各方面に明言している。しかし、法的に問題がなくなった以上、あとは消費者の意識と実行力次第なのだ。ただ、これらの事実が全くと言って良いほど周知されていないこともあり、値引き交渉を実行している人は、ほとんどいないだろう。

 予想通り、新聞各社はこの重要な事実を報じなかった。他業界の同様の話題なら、社会面トップで「今日から値引き販売スタート、35年ぶり改革」とでも見出しを打ち、各企業(新聞)・販売店の対応ぶりを書き込むところだ。唯一、書く可能性があった「噂の真相」や「金曜日」も静観を決め込んでいる。再販制度は雑誌業界にも共通する既得権であるため、これだけは聖域にしておきたい、というのが本音だろう。気持ちはわかる。しかし、何と言っても35年ぶりにメスが入ったのだから、「聖域なし」を看板に掲げるならば、無理をしてでも書くべきだった。

 私は「書籍・雑誌」と新聞は別モノと考えており、文化の多様性と言論の自由を確保するために、書籍と雑誌の再販制は残すべきだと思っている。雑誌や本は、それぞれが中身で特色を出し、中身次第では販売部数が二〜三割落ちることも珍しくない。市場原理が健全に機能している。しかし新聞は、記者クラブと宅配のセットにより、逆に文化・言論の統制を進める元凶となっている。官僚が発表したPR文が、読者に有無を言わせず自宅に送り込まれる。この世界でも稀なシステムを変革するには、再販規制を緩和し、競争原理を導入していくしかないのである。大新聞の読者に「各社の紙面に違いがあると感じますか」とアンケートしてみれば良い。答えは言うまでもないだろう。

 大量一括購入する企業だけに値引きして個人の長期購読者はダメ、という論理は著しく公平性を欠き、通用する論理はない。99年9月からは、長期購読者の個人も、当然のように値引きを要求して良い訳だ。


「正当かつ合理的理由」とは

 値引きについての「正当かつ合理的理由」の中身については、新聞業界の圧力で明示には至らなかったものの、社会通念上、今回明示された「大量一括購読」などに相当するものであれば何でも良いと解釈できる。個人の場合、「自分は10年以上も日経だけを読んでいる」というのは十分に「正当かつ合理的理由」である。12ヶ月×10年=120ヶ月だから、120部を1ヶ月、「大量一括購読」したのと何ら差はない。手続き等の新規コストもない。携帯電話にしても、契約年数が増えるたびに割引率が上がるのは、もはや常識である。

  改正に伴う公聴会(99/7/5)において、公述人である文化女子大学文学部助教授の三島万里氏は「対象が学校,官公庁及び企業向けであり,個人消費者が求める長期継続購読,口座振替及び一括前払に対する割引が例示として規定されていない。この点につき,新聞各社の経営判断に委ねるということだが,多様な価格設定といっても,それが横並びでなされないことのないよう,公正取引委員会が監視の手を緩めないことを強く望む。」と公述した。公取の監視も必要だが、新聞社の横並びを許さない「消費者意識」と消費者の団結も重要である。

 ちなみに、98年12月の公正取引委員会公表文の中では、特殊指定見直しの例示として「長期購読割引」「一括前払割引」等が入っていたが、新聞業界の圧力で消し去られている。これについては「独占禁止法第1条の目的には,一般消費者の利益確保が書かれている。例示の中に一般消費者への価格設定を入れていないのはおかしい」(東京都地域婦人団体連盟 常任参与 田中里子氏)との公述があった。まさにその通りである。消費者は、そろそろ自らがいかに搾取されてきたかを自覚し、立ち上がらなければならない。

 携帯電話の基本料、通話料、そしてインターネット接続料など、家庭の消費支出における情報通信関連費用は日々、高まっている。しかし、これら新規メディアの価格は経営努力によって下がる一方なのに、どうして新聞だけは、完全な「固定費」と化して定価のまま居座っているのか。新聞だけが特別扱いされる根拠はないのだから、本当に必要な情報はどこから得られるのか、新聞をどうしても購読する必要があるのかをよく考え、値引きに応じないなら読まない、という姿勢が肝要である。

 しかし、この折角のチャンスにも、本来、音頭をとって交渉にあたるべき消費者団体の腰は重い。日本には消費者の利益を真に代弁する消費者運動はなかった、といわれる所以である。消費科学連合会は「うちは二重価格問題なんかは熱心だけど、物価には興味ないんで…」、日本消費者連盟「物価は主婦連がやってるみたいだけど、うちでは議題になっていないようです」、主婦連は「新聞の話は、あまり聞かないですね」……。無気力この上ないのである。

 マスコミも消費者団体もダメとなったら、個々人で実際に値引き交渉を実践し、その事実を積み重ね、証拠(定価でないことがわかる領収証と交渉経過メモなど)をネットで公開して情報を共有することにより、「新聞を定価購読するなんて時代遅れで馬鹿馬鹿しい」という空気を作っていかなければならない。そうでもしない限り、定価販売の維持→販売店網の維持→宅配制度の維持→新聞社の磐石経営→つまらない画一的な紙面の押し売り→読者の金銭的、文化的不利益、という悪のサイクルにメスは入らず、いつまでたっても新聞の傲慢な経営者に喝を入れられないのである。

 「再販が無くなると決定的な弊害も生じてくる。値下げと競争激化によって、まず販売店が潰れ、媒体価値の弱い新聞社が潰れ、……」(社内報99年1月号)と鶴田社長自身が述べているように、新聞社にとって価格の値下げ圧力は決定的な影響力を持つ。勿論、「弊害」などではなく、消費者にとっても社会全体にとっても、決定的な「効用」である。 

 証拠をとったら、すぐにdonquixote@mth.biglobe.ne.jpまで連絡して欲しい。

参考:公正取引委員会

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