「市民」という言葉は曖昧である。本当に様々な意味を包含する。朝日や毎日など既存新聞までが「市民のための新聞」などと言っている。 我々は改めて、言葉を定義し直さねばならない。誰しもが市民であり、誰しもが権力者になり得る。大蔵官僚だって家に帰れば市民になる。 問題は、新聞記事が、どちらの視点で、どちらが起点となっている情報なのかということだ。権力サイドの「発表もの」記事の多さを見れば、 既存新聞の視点が、いかに供給者寄りであり、受益者から見たものがいかに少ないかがわかるであろう。 →次ページへ