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生活者   ---ポピュラリティと意識喚起---
「『大状況』と『小状況』というべきものがああり、国民はキャパシティーの問題で、大状況には対応しきれていないのではないか」

 ワイドショーでサッチー問題がひたすら活況を呈している一方、盗聴法、ガイドライン法、国歌・国旗法などが国民の反対なく自・自・公で国会を通過していくことについて、筑紫徹也がTVでこう述べていた。

いわく、『小状況』というのは身近で非常にわかりやすく、話題にしやすい。そうした問題についていかねば、近所付合いの話題にも事欠く。その影響で、国の安全保障や犯罪捜査といった『大状況』については、既に考えるだけのスペースがない、という訳である。

 しかし、ちょっとまて。それなら、テレビはもっと『大状況』を『小状況』にすべく努力すればいいではないか。今通過しようとしている法案は、生活者にとって、どれだけの影響が出る問題なのか。どうしてあの巧みな通信販売番組や「雷波少年」のような演出を、報道にも応用しないのかと思う。

 ガイドライン法案は、自らの子供たちが、米国が仕掛けたアジアにおける戦争に、出陣しなければならないことを定めたもので、憲法9条に違反すると言われる。芸能人でも出演させて、ある日、わが子が戦場に出征する場面を、シミュレーションドラマで放送すればいい。どうでも良いことでさえ視聴者を釘付にさせるというノウハウを、テレビは十分に蓄積しているはずだ。盗聴法案など、まさに生活者の利益に直結する問題で、簡単に理解されるだろう。

 そして、こういった危機的状況を、まさに小渕政権が進めているのだという事実を理解させれば、支持率だって50%になるわけないだろう。支持理由が「とくになし」「なんとなく」「人柄がいい」などというのは、要するにその政策の内容を知らないことの証明であり、マスコミは事実の伝え方の稚拙さを反省しなければならない。

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 今、ジャーナリズムに求められているのは、ポピュラリティ(大衆性)である。既に事実は十分なレベルまで明らかにされていることが多い。ただ、それが一部の人にしか理解されていないのだ。学者が書く小難しい論文や、極めて高い基礎知識を前提としたテレビ番組での解説は、生活者の脳裏に訴えない。

 年金問題にしても、難しい言葉を並び立てていくら説明されても、疲れている生活者は理解しようとはしないのだ。しかし実際には、老後や日々の支払い負担といった、極めて生活に密着した問題なのである。現在の法案が通ってしまったら、今の若者世代は、65才まで5年間支給年齢が遅らされた上で、支給額も5%カットされるという、にわかには許しがたい大損をすることになるのだ。これをわかりやすく説明するのは簡単で、試算すれば、今の老人たちと我々とでは、生涯で受取る年金の金額が、概算で少なくとも3000万円は違ってくる。どこで埋め合せしてくれるのだろうか。全くの大損だ。こんな世代間不公平があって、真面目に支払う気になれるだろうか?みんながノーというだろう。

 行革も良い例だ。猪瀬直樹が「日本国の研究」で明らかにしている特殊法人等の非効率性の問題は、極めて重要で、実際に、生活にも密着している。官庁が賭博の胴元をやっているおかしさ、ドライバーなら関心が高いはずの日本道路公団の不合理、官業が民業を圧迫している宿泊施設など、生活者にとっては、知る苦労が少なければ、是非ともわかりたい、と思うような問題ばかりだ。しかし、猪瀬の文章を理解できるのは、インテリな大学生以上である。下らない暗記の日々を強いられ受験を終えた大学一年生には、かなり疲れるだけで理解できないレベルだろう。ましてや高校生には理解不能であろう。ポピュラリティの欠如である。

 生活者の側に立った情報の流れができない限り、日本の報道は記者クラブによって巧妙に操作されているので、いつのまにか体制側に有利な情報ばかりが頭に入り込み、生活者の利益が奪われていくのだ。日経のような体制のPR誌の対極にある情報の流れを作らねばならない。それは、ひとえにポピュラリティをいかに高められるか、というジャーナリストの腕にかかっている。

「就任以来、職員と1000回を超えるフリートークをしました。キーコンセプトは絶対、生活者起点、タックスペイヤーの立場です。状況が変わっているのに、公務員が作り上げてきた文化の中で、『知らしむべからず』という態度では通用しないでしょう。」(「日経ビジネス」2000年2月21日号 自治体運営に企業の視点取り込む 成果重視、自己責任徹底で変身)(北川正恭知事、95年4月就任)

 長野の田中康夫をはじめ、画期的な知事が各地で誕生している。国民は生活者としての自覚を持ち始めた。

 「生活者主権」を掲げた「平成維新の会」(代表・大前研一)は、90年の当時は画期的だった。私も大学時代はその一員として年会費を払っていた。大前さんが私財六億円を投じたプロジェクトだった。しかし、生活者という概念すら持ち合わせない日本人の頭の中には切り込めず、残念ながら解散してしまった。

 残念ながら、少し言っていることが難し過ぎたと思う。本を読んでも、一般的な学生レベルだとすーっと頭に入ってこない。大衆性(ポピュラリティ)が欠如していた。 落合信彦のようなわかりやすさが必要だった。とにかく、ポピュラリティを持ち合わせた意識喚起こそが、重要なのである。