それがしの#611雌性辞につき、各位よりご解凍を賜り、忝なぅ存じまする。「カワイ・ソウデスネ」なるみすみどの分析、愛嬢の「か〜いい」を頻兎にせられたる卯舟御前の推理、「らしい」と同じ推量語群の「そう」との混淆を指摘せられたる海砂どのの推論、それぞれに面白く拝読させて頂きました。 それがしの解釈は海砂どのにもっとも近ぅござありまする。それを以下に示しませう。 多くの形容詞は、《見かけの上ではそのやぅに見ゆる》の意味を添へぅとする折には、語尾のイを除いた語幹+ソウダ(ソウデス)の形を取りまする。ふぉあ いぐざんぷる・・・
イタイ → イタ・ソウダ されば、かの違乱のお方が《かはゆく見ゆる》の意味をカワイイに添へぅとして、これらに類推を働かしたる結果、カワイ・ソウダなる結合が生まれたるはこれまた火を見るより明らか(おまへは放火犯かっ(^^;))。 しかるに、現代日本語にては、カワイイにそのやぅな意味を添へぅ折には、ラシイを用ゐてカワイ・ラシイとするが慣例にござある。 なほ、上記形容詞群には、イタ・ラシイ、タカ・ラシイ、ウレシ・ラシイ、サビシ・ラシイのごとき結合は許されませぬ。これは他の多くの形容詞においても然り(イタイ・ラシイ式の結合はあるものの、これは接続も意味も異なる)。 ちなみに、ソウダ・ラシイいづれもの形を用ゐ得る形容詞は、カワイイ以外では、
ニクイ → ニク・ソウダ / ニク・ラシイ なんど、ごく少数に限られまする。しかも、これらはいづれの形を取るにしても、本来の形容詞に備はるところの《憎》および《汚》の意味には変はりはござありませぬ。 しかるに、カワイイにおいては、 カワイ・ソウダ = 《不憫》 / カワイ・ラシイ = 《可憐》 のごとくに意味の相違が生じまする。さればこそ、かの違乱人の失敗談の根源はここに発することが判明いたしまする。 さすれば、なにゆゑカワイイに限ってこのやぅなことが起くるか、それについてはカワイイの語源にまで遡る必要がござありまする。これについては、来月のこらむ原稿を仕上げぅずる後まで、まちっとお待ち下さりませ。 引き続き、各位のご意見・ご感想をお待ちいたしまする。 98/ 2/25_塔婆守 (transliteration of "TOBERMORY")
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イラン氏が言いたかったのは She looks pretty だったのですね。 ただ疑問に思うのは、外国語を習う場合、単語を部分的に覚えていくよりもセンテンス丸ごと覚えてしまって、その場面に相当するような言い回しを在庫から思い出すケースの方が多いのではないでしょうか? 「かわいい」という単語は単独でも使えるので、これは丸ごと覚えておくと便利ですが、「・・そう」の場合は前の形容詞ごと暗記するケースが多いのではないかと。特に会話の場合、話しながら細かく単語を切り張りすることはあまりありえないのではないか??そこで今回の推理に至ったわけでした。ただし、イラン氏が「かわいそう」という単語そのものを looks prettyであると 間違えて覚えていた可能性も否めません(^^; 以上、敗者の弁(^。^;でした〜。 ☆み☆ mido@mth.biglobe.ne.jp ☆ど☆
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みすみど仰せの
> 「・・そう」の場合は前の形容詞ごと暗記するケースが多いのでは 確かに入門期においては棒暗記といふことも多いことではありませう。しかるに、だぅにか日常会話が叶ふ段階に至らぅならば、それらの基本語に類推を働かせて表現の幅を広げて行くは、言語を覚えたての幼児と同様にござありませぅ。 ことに、日本語のやぅな膠着語においては、用言に助動詞をあたかもかせっとを入れ替ふるがごとき"切り張り"をすることによって、さまざまの意味を添ふることが叶ひまする。その認識を得ることが、外国人の日本語習得における要諦でもありませう。 みすみどのご意見は、日本人が欧米語なんどを習得する場合を想定したるものであって、我々が膠着語以外の言語を習得する場合と、膠着語にあらざる言語体系を有する国のお方が日本語を習ふ場合とでは、乱暴なる比較であることを承知の上で言へば、自づからなる違ひがあるのではないかと愚考するものであります。 98/ 2/26_塔婆守 (transliteration of "TOBERMORY")
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「話しながら単語を切り張り」のあたりで、ふっと英語を話しながら時制を確認する動作は切り張りに近いものがあるなと思ったのでした。でもほら交渉次第でもう5点もぎとってくることが出来るかも、なーんて悪魔の囁きが・・
いかんいかん、わかばの聖書尽くしに浸って天使のみどちゃんにもどらなくっちゃ! ☆み☆ mido@mth.biglobe.ne.jp ☆ど☆
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(「まつり」#616より続く) ソウダ・ラシイの両者を下接し得る形容詞においては、
ニクイ → ニク・ソウダ / ニク・ラシイ カワイ・ソウダ = 《不憫》 / カワイ・ラシイ = 《可憐》
なる意味の相違が生ずるはなにゆゑか、これが前回持ち越しにしたところの問題にござある。
カワイイといふ語はカホハユシなる古語に源を発するものとせられをりまする。すなはち、これは「カホ(顔)・ハユシ(映し)」の複合形にて、《顔がぱっと赤らむやぅだ》の意味を原義といたしまする。 ちなみに、この後部要素のハユシといふ語、今日では単独にては用ゐられませぬが、オモハユイ・マバユイ・コソバユイなんどにおけるところの「ハ(バ)ユイ」にその遺伝子が認められまする。 また、このカホハユシなる語形は推定によるものにて、文献における用例としては、これより変化したるとおぼしきカハハユシの形がこれまでに確認せられてゐるに過ぎませぬ。
その文献とは、12世紀初頭の頃に成立したとせらるる『今昔物語集』。その巻十九の中に、良心が咎めて顔の赤らむやぅなる心情をば「極メテカハヽユク思(おぼ)エテ」と表したるくだりがござある。 此ノ児(ちご)ニ刀ヲ突キ立テ、箭(や)ヲ射立テ殺サムハ、尚カハユシ。 こちは《不憫》の意味にて、現代語のカワイソウダに相当いたしまする。 ちなみにこれらの語は平安期の女流文学には絶えてその用例を見ず、上記のごとき漢文訓読語系の文献に登場するところに、その出自の一端を窺はするものがござありまする。 さらに近世以降より近代にかけては、上記のカハユシよりさらに カワユシ>カワユイ>カワイイ のやぅに変じ、意味もまた《不憫》より《可憐》へと転ずるに至りまする。 現代語のカワイソウダには、この《不憫》の意味が化石的に温存せられをるによって、他の形容詞においては《そのやぅに見ゆる》の意味を添ふるために用ゐらるるソウダをばカワイイに用ゐぅならば、意味の衝突(取り違へ)を生ずるおそれあるために、やむなくカワイラシイに乗り換ふるといふ苦肉の策が取られたるものであらぅ、トいふが、前回の問題に対するそれがしの解答にござありまする(チト心余って言葉足らずか(^^;)。 事のついでに、カワイイを「可愛い」、カワイソウを「可哀想(相)」とする表記について一言せぅならば、これらは漢字の音と意味をば巧みに組合はせ用ゐたる宛字にて、両語の意味を「愛」と「哀」によって表し分けぅとしたるあたりには苦心の痕が認められまするが、所詮は語をすべて漢字にて標記せいでは気が済まぬといふ、柳田国男翁言ふところの「節用禍」によって生まれたる後世の表記に相違ござありまするまい。 98/ 4/ 4_塔婆守 (transliteration of "TOBERMORY")
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>現代語のカワイソウダには、この《不憫》の意味が化石的に温存せられをるに >よって、他の形容詞においては《そのやぅに見ゆる》の意味を添ふるために用 >ゐらるるソウダをばカワイイに用ゐぅならば、意味の衝突(取り違へ)を生ず >るおそれあるために、・・・・・ 上記の箇所に下記の【 】部分を追加させて頂きまする。 現代語のカワイソウダには、この《不憫》の意味が化石的に温存せられをるによって、他の形容詞においては《そのやぅに見ゆる》の意味を添ふるために用ゐらるるソウダをばカワイイに用ゐ【て《可憐》の意味を表さぅとせ】ぅならば、意味の衝突(取り違へ)を生ずるおそれあるために、・・・・・ 98/ 4/ 5_塔婆守 (transliteration of "TOBERMORY")
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>カワユシ>カワユイ>カワイイ >のやぅに変じ、意味もまた《不憫》より《可憐》へと転ずるに至りまする。
「かわゆい」は「かわいい」のご先祖さまだったのですね! ☆み☆ mido@mth.biglobe.ne.jp ☆ど☆
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