16 朧月夜の自立宣言 みど 三春 17 軒の端の雀親子に飛花落花 海砂 晩春 18 草だんごばかり商売繁盛 無耶 晩春 19 遍路笠同行二人護符代はり 悟乃 三春 20 心頭滅却家路忘るる 無耶 21 ただはたはたと核家族鯉幟 含胡 風にはためく鯉のぼりを発明した昔の人はなかなかの感性の持ち主であったように思います。日本人には独創性が乏しいと言われるけれど、それは近代になってからのことかもしれません。
無耶さま> また子供は婆さまの背中で、「泣いたらごんごにかぶらせる(喰わせる)・・・・」と脅迫めいた子守り歌を聞かされて眠りました。 ”ごんご”は、また”ごんごち”とも言いましたが、子供向けのお化けの名前としては傑作であり、忘れてしまうには惜しいと思ってハンドルにしました ^^;) 偶然にも、”含胡”にはちゃんとした意味があるようですが、それがまた私に相応しい ^^;;) 含胡
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18 草だんごばかり商売繁盛 無耶 晩春 19 遍路笠同行二人護符代はり 悟乃 三春 20 心頭滅却家路忘るる 無耶 21 ただはたはたと核家族鯉幟 含胡 初夏 22 紙の兜の一騎当千 海砂 >「泣いたらごんごにかぶらせる」 いい子守唄ですね。わたし子守唄の収集をしてまして是非加えたい唄です。どうかその唄の全部と唄われた地方をご紹介ください。 同系の脅し唄に次のようなものがあります。 寝ずに泣く子は貝殻 (キャンカラ)船に乗せて 沖に流して鱶(フカ)の餌ど (御所浦島)海砂
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19 遍路笠同行二人護符代はり 悟乃 三春 20 心頭滅却家路忘るる 無耶 21 ただはたはたと核家族鯉幟 含胡 初夏 22 紙の兜の一騎当千 海砂 23 どぶ板の地盤看板死守せんと 無耶
>含胡さん、ごんごって物の怪のことだったんですね。 ちゃんとした意味もあってと言われましたので辞書を引いてみましたら、「含糊」に「はっきりしない人」ですって。これじゃありませんよね。 無耶
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415 西からはいろんなものが飛んでくる 海砂 416 冥府の王の呼出の文 含胡 417 舌二枚用意してゆく小役人 無耶 418 浮世の恋が蜘蛛の糸なり みど 419 頭から喰われてしまう我が定め 含胡 「閻魔大王の少年愛」などという奇想天外のモチーフは新鮮で面白いけど、男色が珍しくない時代ではどうだったのでしょう。誰か権力者を皮肉ったのでしょうか。 蜘蛛に惚れたが身の破滅。こう言う命を懸けた恋に憬れる気持ちは誰にもあるでしょうが、結果はただ餌になっただけ・・・。悲劇はまだ続く、喰われているのに気がつかない毎日 @_@;)
海砂さま、無耶さま> 敗戦後、昔から伝わるもの、年寄りの言うことは、”封建的”、”迷信”で排斥されました。”ごんごち”もその頃絶滅したのでしょう。実は私の子供達も知りません ;^^;) 含胡
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416 冥府の王の呼出の文 含胡 417 舌二枚用意してゆく小役人 無耶 418 浮世の恋が蜘蛛の糸なり みど 419 頭から喰われてしまう我が定め 含胡 420 悪戯小僧があかんべぇする 宗海 含胡さまのお話(#1793)を興味深く読ませていただきました。お示しの「ごんご(ち)」につき少々調べたところを報告させて頂きます。 小学館『日本方言大辞典』にはお示しの「ごんご」の形は採録されていませんが、これと類似の次のような語群が各地に分布していることが看取されます。
がんごー 山口県玖珂郡・愛媛県・佐賀県・長崎県 これらの語は、いずれも《鬼や化け物などの恐ろしいものを言う幼児語》とあり、お示しのところと一致しますので、同義の方言と見ることが許されるでありましょう。なお、これらの方言は、いずれも鬼を意味する「元興寺(がんごうじ)」(奈良の元興寺の鐘楼に鬼が棲んでいたという伝説から出たとされます)に源を発するものと見るべきでありましょう。すでに古文献においても、これが崩れてできた「がごじ」「がごぜ」などの語形が散見いたします。 なおまた、お示しの子守歌「泣いたらごんごにかぶらせる」の「かぶらせる」は《噛みつかせる》の意味でありましょう。「かぶりつく」の複合語の中に辛うじて化石的に残存する「かぶる」が、ここでは単独で用いられているところに、何ともいえぬゆかしさを覚えます。 ちなみに上記の「がんごうじ」は、"あっかんべぇ(べっかんこぅ)"をするときの台詞としても用いられたようでありますが、ご郷里では如何でありましょうか。 99/ 3/13_塔婆守 (transliteration of "TOBERMORY")
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20 心頭滅却家路忘るる 無耶 21 ただはたはたと核家族鯉幟 含胡 22 紙の兜の一騎当千 海砂 23 どぶ板の地盤看板死守せんと 無耶 24 婿を探しに馬縁牛縁 含胡
娘に婿をとって地盤を継がせよう。地縁血縁だけでは心配だ。
塔婆守さま>(#1794) それにしても、《鬼を意味する「元興寺(がんごうじ)」に源を発する》言葉が広い地域に伝わるとは驚くべき事のように思われます。
前に住井すえの”橋のない川”を読んだ時に、全くの方言だと思っていた農業用語が奈良でも使われていることに同じように驚いたことがあります。
無耶さま> 含胡
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含胡さまのお尋ねにお答えいたします。 奈良の元興寺に鬼が出る話は、平安時代の弘仁年間(810-824)の頃に成立した『日本霊異記』を嚆矢とする各種の説話文学に見え、その伝承が古くからあったことを示しています。また、その寺号が鬼の代名詞のように用いられるようになったのがいつの頃に始まるかについては定かでありませんが、文献に現れる例に限って言えば、ほぼ中世後期の頃に始まるものと推察されます。 例えば、1560年代に京都で成立した禅僧惟高妙安(いこうみょうあん)の手になる『玉塵(抄)』には次のような用例が見えます(括弧内の表記は筆者)。 ●コヽラニモ、チノミ(乳呑)子ガツヲウ(強)ナク(泣)ニ、コヽエガガウゼガクルト云テヲソラ(恐)カセバナキヤムゾ。 問題の語が「ががうぜ」の形で用いられています。 また、これより後、江戸初期1642年に書写された大蔵虎明本狂言『清水』にも次のような例が見えます。 ●七つさがつて清水へ参れば、がごうじがいでて、人をくふと申ほどに こちらはまだ原形を留めた形の「がごうじ」が用いられています。 さらに翌年の1643年に刊行された松永貞徳著『新増犬筑波集』にも、次のような付合を見ることができます。
● ひとりと坂をにぐるなら児(ちご) この「がごうぜい」は「元興寺」がかなり崩れた形となって用いられています。なお、「児」と「がごうぜい」が"物付け"に用いられているところには、当時、児を脅すに鬼の真似をする風習のあったことが如実に現れています。 上掲の例により、中世末期から近世初期にはすでに鬼を意味する「元興寺」系の語が京阪神地方において用いられていたことを看取することができます。 これらの語が、後にご郷里の山口県を初めとする中国地方、さらには九州・四国などの地方に伝わったものでありましょうが、その伝播のしかたと時期については、はなはだ残念ながら未詳と申す他はありません。 また、伝播の過程においては、お示しのような「旅の乞食坊主が伝え」たり「旦那寺の和尚が聞いて来た話が伝わった」りしたような可能性も十分に考え得ることでありましょう。それとともに、新しく発生した語が、池に投げられた石の波紋のごとくに次第に文化の中心地から遠隔の地へ、民間伝承として口伝えに広まって行くという、いわゆる柳田国男の「方言周圏論」式の伝播様式も視野に入れておくべきでありましょう。 伝播の過程において、特にその語源が忘却されたものほど、その形を大きく変ずるものであることもまた注目すべき事柄であります。こたびの「ごんご」はそのことを如実に示す好例にあたるものであります。 含胡さまの新雅号が、時空を隔ててこのような思わぬ展開を見せたところには、まさに電脳通信の醍醐味とも言うべきものがあります。今後ともかかる古い言語に関わる話題のご提供を待望するものであります。 99/ 3/15_塔婆守 (transliteration of "TOBERMORY")
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ご多用のところ、広い範囲にわたる情報を教えていただき、ありがとうございました。
>●コヽラニモ、チノミ(乳呑)子ガツヲウ(強)ナク(泣)ニ、コヽエガガウゼガ
>● ひとりと坂をにぐるなら児(ちご) これなど、私などが経験したこと、そのものずばりで嬉しくなります。非常にローカルな事と思ってきたことが、実は日本中に広がりを持っていた事を知って驚きと同時に、おおげさな表現ですが日本人としての連帯感のようなものを感じました ^^;) 含胡
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