フォーラムダイジェスト「 言語」(抄録)

ゴンゴ・ガンゴウジ



#1790/1790 わかば
★タイトル (KLE*****) 99/ 3/12 11:37 ( 29)
四字熟語21>ただはたはたと核家族鯉幟  含胡
★内容
16  朧月夜の自立宣言         みど 三春
17 軒の端の雀親子に飛花落花     海砂 晩春
18  草だんごばかり商売繁盛      無耶 晩春
19 遍路笠同行二人護符代はり     悟乃 三春
20  心頭滅却家路忘るる        無耶

21 ただはたはたと核家族鯉幟      含胡

風にはためく鯉のぼりを発明した昔の人はなかなかの感性の持ち主であったように思います。日本人には独創性が乏しいと言われるけれど、それは近代になってからのことかもしれません。

無耶さま>
ハンドル”含胡”のことですが、実は”ゴンゴ”と言う読みに特別のこだわりがあって、むりやり”ゴンゴ”と読ませる漢字を並べてみただけです(一つ前の”権胡”も同じです)。今では殆ど忘れられていると思われますが、私の生れた地方では”ごんご”は お化け・妖怪の一種を意味していました。子供が風呂から上がって裸で走り回ったりしていると「着物を着ないと、ごんごが来るぞ」と脅かされたりします。

また子供は婆さまの背中で、「泣いたらごんごにかぶらせる(喰わせる)・・・・」と脅迫めいた子守り歌を聞かされて眠りました。

”ごんご”は、また”ごんごち”とも言いましたが、子供向けのお化けの名前としては傑作であり、忘れてしまうには惜しいと思ってハンドルにしました ^^;)

偶然にも、”含胡”にはちゃんとした意味があるようですが、それがまた私に相応しい ^^;;)

            含胡




#1791/1791 わかば
★タイトル (CLB*****) 99/ 3/13 6:47 ( 39)
四字熟語22>紙の兜の一騎当千      海砂
★内容
18  草だんごばかり商売繁盛     無耶 晩春
19 遍路笠同行二人護符代はり     悟乃 三春
20  心頭滅却家路忘るる       無耶
21 ただはたはたと核家族鯉幟     含胡 初夏
22  紙の兜の一騎当千        海砂

 >「泣いたらごんごにかぶらせる」

 いい子守唄ですね。わたし子守唄の収集をしてまして是非加えたい唄です。どうかその唄の全部と唄われた地方をご紹介ください。

 同系の脅し唄に次のようなものがあります。

 寝ずに泣く子は貝殻(キャンカラ)船に乗せて 沖に流して鱶(フカ)の餌ど (御所浦島)

                         海砂




#1792/1793 わかば
★タイトル (XCM*****) 99/ 3/13 10:49 ( 21)
四字23>どぶ板の地盤看板死守せんと    無耶
★内容
19 遍路笠同行二人護符代はり     悟乃 三春
20  心頭滅却家路忘るる       無耶
21 ただはたはたと核家族鯉幟     含胡 初夏
22  紙の兜の一騎当千        海砂

23 どぶ板の地盤看板死守せんと    無耶

>含胡さん、ごんごって物の怪のことだったんですね。
ふるさとはどちらでしょうか。

ちゃんとした意味もあってと言われましたので辞書を引いてみましたら、「含糊」に「はっきりしない人」ですって。これじゃありませんよね。

                      無耶




#1793/1793 わかば
★タイトル (KLE*****) 99/ 3/13 15:31 ( 31)
わかば自由419>頭から喰われてしまう我が定め  含胡
★内容
415 西からはいろんなものが飛んでくる   海砂
416  冥府の王の呼出の文         含胡
417 舌二枚用意してゆく小役人       無耶
418  浮世の恋が蜘蛛の糸なり       みど

419 頭から喰われてしまう我が定め     含胡

「閻魔大王の少年愛」などという奇想天外のモチーフは新鮮で面白いけど、男色が珍しくない時代ではどうだったのでしょう。誰か権力者を皮肉ったのでしょうか。

蜘蛛に惚れたが身の破滅。こう言う命を懸けた恋に憬れる気持ちは誰にもあるでしょうが、結果はただ餌になっただけ・・・。悲劇はまだ続く、喰われているのに気がつかない毎日 @_@;)

海砂さま、無耶さま>
”ごんご”の里は、山口県山口です。ただどの程度の広がりを持っているのか、広いのか狭いのかは知りません。数年前、地方のボードに上げたのですが知っている人はいないようでした。子守り歌も「泣いたらごんごにかぶらせる」しか覚えていません。あるいは婆さんの創作であったのかもしれません。

敗戦後、昔から伝わるもの、年寄りの言うことは、”封建的”、”迷信”で排斥されました。”ごんごち”もその頃絶滅したのでしょう。実は私の子供達も知りません ;^^;)

            含胡




#1794/1794 わかば
★タイトル (RENKUOP ) 99/ 3/13 17: 9 ( 50)
わかば自由420>悪戯小僧があかんべぇする  宗海
★内容
416  冥府の王の呼出の文        含胡
417 舌二枚用意してゆく小役人      無耶
418  浮世の恋が蜘蛛の糸なり      みど
419 頭から喰われてしまう我が定め    含胡

420  悪戯小僧があかんべぇする     宗海

 含胡さまのお話(#1793)を興味深く読ませていただきました。お示しの「ごんご(ち)」につき少々調べたところを報告させて頂きます。

 小学館『日本方言大辞典』にはお示しの「ごんご」の形は採録されていませんが、これと類似の次のような語群が各地に分布していることが看取されます。

   がんごー   山口県玖珂郡・愛媛県・佐賀県・長崎県
   がんごじ   徳島県
   がんごち   愛媛県喜多郡
   ごんごじー  広島県高田郡
   ごんごんじー 島根県那賀郡

 これらの語は、いずれも《鬼や化け物などの恐ろしいものを言う幼児語》とあり、お示しのところと一致しますので、同義の方言と見ることが許されるでありましょう。なお、これらの方言は、いずれも鬼を意味する「元興寺(がんごうじ)」(奈良の元興寺の鐘楼に鬼が棲んでいたという伝説から出たとされます)に源を発するものと見るべきでありましょう。すでに古文献においても、これが崩れてできた「がごじ」「がごぜ」などの語形が散見いたします。

 なおまた、お示しの子守歌「泣いたらごんごにかぶらせる」の「かぶらせる」は《噛みつかせる》の意味でありましょう。「かぶりつく」の複合語の中に辛うじて化石的に残存する「かぶる」が、ここでは単独で用いられているところに、何ともいえぬゆかしさを覚えます。

 ちなみに上記の「がんごうじ」は、"あっかんべぇ(べっかんこぅ)"をするときの台詞としても用いられたようでありますが、ご郷里では如何でありましょうか。

   99/ 3/13_塔婆守 (transliteration of "TOBERMORY")




#1795/1795 わかば
★タイトル (KLE*****) 99/ 3/14 15:29 ( 36)
四字熟語24>婿を探しに馬縁牛縁    含胡
★内容
20  心頭滅却家路忘るる         無耶
21 ただはたはたと核家族鯉幟      含胡
22  紙の兜の一騎当千          海砂
23 どぶ板の地盤看板死守せんと     無耶
24  婿を探しに馬縁牛縁         含胡

娘に婿をとって地盤を継がせよう。地縁血縁だけでは心配だ。
栗家の馬と家の馬は父親が同じで母親が親子の関係、牛はクローン同士、両家ともまんざら縁の無い間柄でもない。

塔婆守さま>(#1794)
”ごんご”の素性をお知らせ下され、ありがとうございました。文字通り目から鱗の心地が致しました。ご指摘の通り、「かぶらせる」は《噛みつかせる》で、実際はもう少し広く「虻がかぶる」などとも使っていました。

それにしても、《鬼を意味する「元興寺(がんごうじ)」に源を発する》言葉が広い地域に伝わるとは驚くべき事のように思われます。

前に住井すえの”橋のない川”を読んだ時に、全くの方言だと思っていた農業用語が奈良でも使われていることに同じように驚いたことがあります。
”がんごうじ”などはどのようにして広まったのでしょうか。旅の乞食坊主が伝えたものでしょうか。あるいは知識階級であった旦那寺の和尚が聞いて来た話が伝わったのでしょうか。いずれにしても少しずつ違うと言うことは伝わった時期が相当古いことを示しているように思われます。庶民階級への言葉の伝播について通説がございましたら教えて下さいませ。

無耶さま>
”含胡”は、「言葉がはっきりしない、行うことが切実でない人」です。よろしくお導き下さいませ。

                 含胡




#1796/1796 わかば
★タイトル (RENKUOP ) 99/ 3/15 10:43 ( 60)
言語>がんごうじ・ごんご RE.#1795     塔婆守
★内容
 含胡さまのお尋ねにお答えいたします。

 奈良の元興寺に鬼が出る話は、平安時代の弘仁年間(810-824)の頃に成立した『日本霊異記』を嚆矢とする各種の説話文学に見え、その伝承が古くからあったことを示しています。また、その寺号が鬼の代名詞のように用いられるようになったのがいつの頃に始まるかについては定かでありませんが、文献に現れる例に限って言えば、ほぼ中世後期の頃に始まるものと推察されます。

 例えば、1560年代に京都で成立した禅僧惟高妙安(いこうみょうあん)の手になる『玉塵(抄)』には次のような用例が見えます(括弧内の表記は筆者)。

 ●コヽラニモ、チノミ(乳呑)子ガツヲウ(強)ナク(泣)ニ、コヽエガガウゼガクルト云テヲソラ(恐)カセバナキヤムゾ。

 問題の語が「ががうぜ」の形で用いられています。

 また、これより後、江戸初期1642年に書写された大蔵虎明本狂言『清水』にも次のような例が見えます。

 ●七つさがつて清水へ参れば、がごうじがいでて、人をくふと申ほどに

 こちらはまだ原形を留めた形の「がごうじ」が用いられています。

 さらに翌年の1643年に刊行された松永貞徳著『新増犬筑波集』にも、次のような付合を見ることができます。

 ●  ひとりと坂をにぐるなら児(ちご)
   誰人かがごうぜいしてをどすらん

 この「がごうぜい」は「元興寺」がかなり崩れた形となって用いられています。なお、「児」と「がごうぜい」が"物付け"に用いられているところには、当時、児を脅すに鬼の真似をする風習のあったことが如実に現れています。

 上掲の例により、中世末期から近世初期にはすでに鬼を意味する「元興寺」系の語が京阪神地方において用いられていたことを看取することができます。

 これらの語が、後にご郷里の山口県を初めとする中国地方、さらには九州・四国などの地方に伝わったものでありましょうが、その伝播のしかたと時期については、はなはだ残念ながら未詳と申す他はありません。

 また、伝播の過程においては、お示しのような「旅の乞食坊主が伝え」たり「旦那寺の和尚が聞いて来た話が伝わった」りしたような可能性も十分に考え得ることでありましょう。それとともに、新しく発生した語が、池に投げられた石の波紋のごとくに次第に文化の中心地から遠隔の地へ、民間伝承として口伝えに広まって行くという、いわゆる柳田国男の「方言周圏論」式の伝播様式も視野に入れておくべきでありましょう。

 伝播の過程において、特にその語源が忘却されたものほど、その形を大きく変ずるものであることもまた注目すべき事柄であります。こたびの「ごんご」はそのことを如実に示す好例にあたるものであります。

 含胡さまの新雅号が、時空を隔ててこのような思わぬ展開を見せたところには、まさに電脳通信の醍醐味とも言うべきものがあります。今後ともかかる古い言語に関わる話題のご提供を待望するものであります。

   99/ 3/15_塔婆守 (transliteration of "TOBERMORY")




#1797/1797 わかば
★タイトル (KLE*****) 99/ 3/15 14:59 ( 16)
言語>RE:#1796 がんごうじ・ごんご >塔婆守さま  含胡
★内容
ご多用のところ、広い範囲にわたる情報を教えていただき、ありがとうございました。

>●コヽラニモ、チノミ(乳呑)子ガツヲウ(強)ナク(泣)ニ、コヽエガガウゼガ
> クルト云テヲソラ(恐)カセバナキヤムゾ。  『玉塵(抄)』

>●  ひとりと坂をにぐるなら児(ちご)
>  誰人かがごうぜいしてをどすらん     『新増犬筑波集』

これなど、私などが経験したこと、そのものずばりで嬉しくなります。非常にローカルな事と思ってきたことが、実は日本中に広がりを持っていた事を知って驚きと同時に、おおげさな表現ですが日本人としての連帯感のようなものを感じました ^^;)

            含胡



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