ストレイス書簡

2003.9.6


アダムスキー研究者ならば、この書簡のことは一度は目を通したことがあると思います。、この書簡の存在を今一度記憶にとどめるのも良いでしょう。なぜならばアダムスキーは他のコンタクティーと違い、確かな証拠が多数存在してしますが、アメリカ合衆国の政府筋からの書簡が本人の活動を支援する形で渡されたこと。しかし、その反響のすごさに証拠を躍起になって消し去ろうとしていた勢力があったことがうかがわれます。
 また、このような文章があっても疑う人は疑うでしょう。そのような人たちはUFOはいつまでもUFOのままです。

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以下の引用は、中央アート出版「UFO問答」35〜37:67より

●問21・・・米政府はUFO問題に関する政府の情報を、いつ発表するでしょうか。
 答:・・・・おおやけにこのことを予告するのは不可能です。しかし私宛に次のような書簡を書くほどに勇気のある人がすでに存在しているのです。書簡自体がそのことを物語つています。

「ワシントン市 米国国務省発
ジョージ・アダムスキー教授殿

 当分の間、本書状を個人的書簡と考えることにし、本省の公式連絡とみなさないようにして下さい。
 いま論争の的になっているUFO問題に関して、私はここで省内の一部の職員団にかわってこれをしたためますが、私のグループは政府の政策を遠慮なく批判してきたとつけ加えてもよいでしょう。
 また私たちはUFOに関する主要調査機関としての役割を横取りした米空軍の自己欺隔的な役割をも批判してきました。あなたにはいろいろな体験がありますから、本省が(UFO問題の)独自な調査を行なってきて、多くの健全な結論に達することができたということが早くもおわかりになると思います。これは私たち双方が認めねばならぬことですが、議論の的になっており、広く論争されてきた、あなたご自身の主張(注=アダムスキーの宇宙的な体験に関する主張)を確証する非常に多くの確実な証拠を本省が集めてきたことを知られれば、間違いなくあなたは喜ばれるでしょう。
 たしかに本省はあなたの体験を公式に確証することはできませんが、そのことは、あなたが「アメリカの大衆に知らさねばならない」とまじめに考えておられる事柄に関するあなたの仕事や啓蒙活動を適切に助長すると思います。
 ワシントンへ来られましたときは、非公式な話し合いにお立ち寄り下さい。私は二月中の大部分、ワシントンから出かけますが、その月の最後の週までには帰るつもりです。

R・E・ストレイス
文化交流委員会

 この書簡は鷲の透かし模様の入った紙に書かれたもので、国務省の公印が押してあります。
 ストレイス氏は私が「アメリカの大衆に知らさねばならないとまじめに考えている」事柄を一般に伝えるのを援助してくれていますので、この書簡をここに掲載しました。この書簡のコピーが各国GAPの代表に送られています。(注=アダムスキーがこの書簡を発表してから多数の読者が米国務省へ照会したために、狼狽した同省はR・E・ストレイスなる人物と文化交流委員会というグループの存在を否定して騒ぎが大きくなった。これが有名なストレイス書簡事件である。この書簡を専門家が調査したところ、本物であり、文化交流委員会も存在したことが判明したとアダムスキーは述べている)

●問41・・・あなたは問21に掲載されたストレイス氏から受け取った書簡が本物であったことを立証できますか。

 答・・・・はい。元の手紙と鮮明にコピーされたものには、挨拶の言葉のすぐ上に国務省の公印が押してあります。この公印は何も書いてない紙には絶対に押されません。これは手紙が書かれてサインきれた後に押されるものです。
 この公印は厳重に警備されています----そうあるべきですが。というのはこの公印が押してある文書は全世界にたいして大きな影響力をもつからです。乱雑な使用が許されれば本物だという本来の価値はなくなるでしょう。
 したがって特定の人だけがこの公印を使用する特権を与えられています。不法な使用を試みれば、その犯人には即刻重罰が加えられるでしょう。
 しかし私の知る限りでは、こんな犯罪は起こっていません。この手紙は本物と認められているからです。

●問61…ストレイス氏の書簡に関して、ワシントン市の私の代理人に出した手紙の返事に、国務省にストレイス氏という人物はおらず、今までにも存在したことはないと述べており、また文化交流委員会も存在しないということです。これを説明できますか(注=このストレイス書簡事件については問21に詳述してある)。

答……ストレイス氏の書簡を公表する前、私が知らねばならないと思っていた事柄を「アメリカの大衆」に伝えようと元気づけられた第三パラグラブに関する私の解釈に従って、私はその書簡の信憑性の徹底的な調査をやりました。その当時、私は、ストレイス氏は国務省の職員でありながら同省のいかなる名簿にも氏名が掲載されていないのだと確信していました。
 しかし私がストレイス氏の書簡を公開して以来、明らかにその発信人を押さえようと行使された圧力のために、この声明は撤回されました。しかし書簡が公開される前、この圧力が行便されなかったときは、真実が堂々と述べられたのです。
 文化交流委員会の存在の否定はおかしなことです。なぜならその委員会が行なっている活動は国際的に知られているからです。アメリカの代表者たちが海外への親善旅行のためのビザを取得するのは、この委員会を通じて行なうのです。また外国から来る文化的なグループもこの委員会を通じてアメリカ訪問の手配をします。この機関の主目的はあらゆる階層の代表的市民の友好的な交流によって、世界の民族間の良き理解をもたらすことにあります。
 文化交流計画は放送や新聞などで広く知られてきました。たとえばイギリスとアメリカの新聞は(他の国がどれぐらい報じたかは知りませんが)ボブ・ホープがロンドンからニューヨークへ帰った記事を載せていますが、そういうふうにして彼はソ連への最近の訪問にも文化交流委員会を通じてビザを取得できたのです。私はこの記事の切抜きをファイルにしておりますし、フライイング・ソーサー・レヴュー誌の一九五八年五・六月号も、ロンドンタイムズ紙に掲載された同様の報道に言及しています(注=ボブ・ホープはイギリス生まれのアメリカで活躍した有名な喜劇俳優)。
 いかなる計画″といえども、その構成は通常多数の人間の集団によってなされます。アメリカではこうしたグループを委員会″と呼ぶ習慣があり、ストレイス氏は文化交流委員会と行動を共にしていたのです。

●原著者付記
1)この問答集が印刷されているのに私は問61…で出した問い合わせにたいする回答を受けとりませんでした。もし私たちの政府関係役人の一人が----これは秘書、主席代理人またはその他の部下を含むものではありません----国務省印が、押された印のついた国務省用箋を使用したい者に無差別に使わせることによって、本来の価値を失ったと私に手紙を書くならば、私はストレイス氏の書簡のコピーを送ったあらゆる人に、氏の手紙をコピーして航空便で送りましょう。この申し出の気持は変わることはありません。本書の読者にも知らせます。

※注=米国務省文化交流委員会のストレイス氏から、アダムスキーの体験を真実と認める非公式書簡が届いたのは、1957年12月6日、アダムスキー66歳の時。


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